真・祈りの巫女
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「オレは別に遊んでる訳じゃ……」
「そう? あたしにはシュウとリョウが2人してじゃれ合ってるようにしか見えないけど?」
「……おまえ、気色悪いこと言うなよ。なんでオレがこんな奴と」
「だって、リョウが乗ってくれなかったら2人で口げんかなんてできる訳ないでしょう? リョウがシュウのレベルに合わせてくれてるんだって、いいかげん気づきなよ」
シュウはまだなにか言いたそうに口を尖らせていたけど、リョウは苦笑を浮かべていたの。どうやら命の巫女が言ったことは本当みたい。リョウはシュウと喧嘩することを心の中で楽しんでるんだ。
なんだか不思議。リョウがすごく大人に見えるの。こんな気持ち、今のリョウには感じたことなかったのに。記憶をなくして目覚めた頃のリョウはまるっきり子供のようで、こんなに大人に見えることはなかったのに。
まるであたしのリョウが戻ってきたみたいに思えるよ。まだ村が平和だった頃、オミにあたしとの結婚を考え直せって言われて、大人の微笑みでかわしていたあの頃のリョウみたいに。
「そうだな。命の巫女の言うとおりだ。喧嘩で時間をつぶしてる場合じゃない。身体が動くうちに手分けして脱出方法を探そう」
リョウがそう言って、ようやくシュウは自分がからかわれてたことに気づいたんだ。シュウが無言のまま壁に向かって歩き出したから、あたしたちもそれぞれ別の方向へ手がかりを探しに行った。
あたしにはシュウが言う床の仕掛けがどんなものか判らなくて、ただ闇雲に真っ白な壁と床を見つめていただけだった。この部屋は今までのどんな部屋とも違っていて、床にはなんの模様もついていなかったの。だから、もしもなにか変化があればすぐに判りそうで、広い部屋の中をほとんど小走りで探していたんだ。そんな時間はさほど長くはなかった。程なくして、なにか大きなものが引きずられるような音が聞こえて、霧の中を駆けていくと壁の一部が大きく開いているのを見ることができたの。
「やっぱり床の仕掛けだったよ。まったく、嫌味なくらいセオリーどおりだ」
どうやら仕掛けを見つけたらしいシュウが振り返って言う。うしろから足音が聞こえて、すぐに命の巫女とリョウも集まってきていた。
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「シュウ! 出口が見つかったの?」
「ああ。向こう側が冷気で満たされないうちに早く出よう」
「待て。俺が先に行く」
「大丈夫だ。もう危険はないさ。だから用心する必要もない」
先へ行こうとしたリョウを制して、シュウはさっさと扉をくぐっていった。すぐに追いかけて行ったリョウに続いてあたしたちも扉をくぐる。扉の向こうも白い部屋になっていて、今までいた部屋よりはずいぶん狭かったけど、それでも十分に広い空間だったの。その部屋の真ん中あたりにまたぽっかりと四角い穴が開いてるのが見える。全員がその部屋に入ったことを見届けると、シュウは床に描かれた模様を踏んで扉を閉めた。
「ここはまだ影が支配する場所だ。なにが起こるか判らないだろう。どうして危険がないって言い切れる」
リョウが訊くと、シュウは少しためらう仕草を見せて、リョウに答えた。
「神の正体が判ったからさ。おそらくオレが思ったとおりで間違いない」
「シュウ! それってどういうこと? 神はいったい誰なの? あたしや祈りの巫女に力を与えてた神って」
「答えたくない。……理解できればそれなりにショックだし、おそらく祈りの巫女たちには理解できない。……ユーナ、おまえがもしも知りたいなら話すけど、聞いたあとのことまでオレには責任とれないぜ。それでもどうしても聞きたいって言うなら、オレたちの世界に帰ってから話すよ」
シュウはそれで話を終わらせて、床に開いた穴のところまで歩いていったの。あたしたちの中に重苦しい沈黙が流れる。シュウは影の正体を知って、かなりショックを受けたんだ。シュウのうしろ姿からシュウが受けたショックの大きさが察せられて、あたしはそれ以上シュウを追求することができなくなっていた。
本当はすごく知りたかった。だけど、シュウはあたしには理解できないって、そう言ったの。それはきっとシュウの世界に関わることで、今まであたしがシュウの話を理解できなかったように、たとえ教えてもらえたとしても今のあたしでは理解することができないのだろう。
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もしかしたら、シュウと同じ世界を知るリョウなら、神の正体を理解することができるのかもしれない。
「階段になってる。ついてきて」
振り返らずにシュウは言って、穴の中へと降りていった。そのあとを命の巫女が、そしてあたしとリョウが続く。穴の中の階段は壁がわずかに発光しているみたいで、深く降りていってもさほど暗い感じはしなかった。階段そのものはかなり長く続いていて、降りている間あたしたちは一言もしゃべることはしなかった。
やがて、階段の底にたどり着いたシュウは、1度あたしたちを振り返った。そして、目の前にある大きな扉を開ける。
その扉の向こうはまた白い部屋になっていて、部屋の中央には巨大なオブジェのようなものが建っていたんだ。
「これ……次元の門……?」
命の巫女がつぶやく。言われてみれば、そのオブジェはなにかの門のようなものにも見えた。
「次元の門? なんなんだそれは」
そのリョウの問いに答えたのはシュウだった。
「次元の扉の一種みたいなものさ。オレとユーナはあんたたちの村へ行くときに1度だけ通ったことがある。この門は入口で、出口は通る人間が思い描いた場所になるんだ。だから出口の場所を正確に知らなくても使うことができる。オレたちはあの時、自分たちが経験した怪異の原因がある場所を思い描いた」
「……それで、出てきた場所があたしたちの村の神殿だったの?」
「そう。だからオレたちは、君があの怪異の原因なんだと直感した」
あの時、神殿で目を覚ました命の巫女は、あたしが2人を呼んだんじゃないかと問いかけた。あのときのあの言葉にはそういういきさつがあったんだ。その直感は確かに正しかった。これがそのときと同じ次元の門なら、これをくぐればあたしたちは村へ帰ることができる。
「つまり、村を思い浮かべることで俺たちは帰れるんだな。だとしたらこんなところでぐずぐずしてることはない」
リョウの言葉にうなずいて、あたしたちはもう一瞬たりとも迷わずに、その次元の門をくぐったんだ。
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誰かが、呼んでいる。
―― ユ……ナ ――
―― 祈……巫女 ――
なにか、夢を見ていたのかもしれない。目覚めるまでの一瞬、あたしはあたしを呼ぶその名前が、自分のものだとは思えなかったから。
夢の中であたしが辿っていたのはまったく違う名前だった。繰り返し叫んでいた。同じ名前を持つ、リョウという2人の人間の名前を。
……そうか、2つを望んだ人は、そのどちらも得ることができない。それは、いつか誰かの物語で読んだ昔の言葉 ――
「 ―― 祈りの巫女!」
急に意識がはっきりして、あたしは目を開けた。眩しさに一瞬目を細める。そのあとゆっくりと目を開けて見たのは、あたしの視界を囲んだいくつかの顔と、壊れた天井から差し込む眩しい光。
「ユーナ! 目が覚めたのね。あたしが誰か判る? ここがどこだか判る?」
「……カーヤ……?」
「ユーナ!」
そのあと、1つの顔が視界から消えて、胸と首に衝撃があった。どうやらあたし、カーヤに抱きつかれたみたい。ほかの顔に焦点を合わせると、覗き込んでいるのが守護の巫女や聖櫃の巫女、神託の巫女と、何人かの神官であることが判ったの。
「祈りの巫女、よかった……! みんな、祈りの巫女が目覚めたわ!」
その守護の巫女の言葉に呼応するように、どこかで歓声が上がった。どうやらあたしの回りには、目に見えるよりもずっとたくさんの人たちがいるみたい。カーヤに抱きつかれたまま身体を起こしてみる。カーヤは気づいて、あたしが起き上がるのを助けてくれた。
「ユーナ! どうしてあなたは心配ばっかりかけるの? いきなりいなくなったらあたしが心配するって思わなかったの?」
「カーヤ、今はそんなことよりも ―― 」
「ええ、判ってる。でもあたし本当に心配したんだから。こんなにやきもきさせられたのは人生始まって以来初めてよ!」
そう叫んだカーヤに再び抱きつかれて、あたしはまたうしろに倒れそうになっていた。
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呆然と辺りを見回しながら、次第に思い出してくる。あたし、影の世界から村へ帰ってきたんだ。次元の門は、あたしを村の神殿へと導いてくれたんだ。
「リョウ!」
抱きついたままのカーヤを押しのけるようにしてあたしは思わず叫んでいた。身体を起こしてきょろきょろと見回す。背後に見つけたリョウは既に目覚めていて、まだ眠ったままの命の巫女たちを揺り起こしているところだった。リョウはあたしの呼び声に振り返ってうなずきかけてくれたから、ほっとしたあたしはまた周りのことを一瞬忘れてしまっていた。
「大丈夫よ祈りの巫女。リョウも、それからシュウと命の巫女も無事よ」
「どうしてユーナはそうなの? あたしがどんなに心配しててもけっきょくはリョウが1番なんだから!」
更に力を入れて抱きついてくるカーヤの声に涙声が混じっていて、それであたしはずいぶん驚いてしまったの。やっと、現実に焦点が合ってくる。カーヤはあたしのこと、すごく心配してくれていたんだ。カーヤだけじゃない。守護の巫女も、それから見えない場所にいるたくさんの人たちも。
「カーヤ、ごめんなさい。あたし……」
「謝るようなことじゃないわよ! だって、あたしが勝手に心配してただけなんだから! ほんと、どうしてあたし、ユーナの世話係になんかなったのかしら」
「……ありがとうカーヤ。あたし、すごく嬉しい……」
「バカ! お礼なんか言わないでよ! 本当にユーナって嫌な子 ―― 」
申し訳ない気持ちと、嬉しい気持ち。あたしの中にその2つがどんどん大きくなっていった。あたし、村のみんなに黙って影の世界へ行った。それなのに、みんなはこんなにあたしのことを心配してくれていたんだ。そして、あたしが無事で帰ってきたから、こんなにも喜んでくれている。
ここはあたしが生きている村。心の底からそれを感じて、あたしは自然に涙を浮かべていた。
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「やだ、泣かないで祈りの巫女。それより、身体は大丈夫なの? どこか怪我をしたりしていない?」
守護の巫女に声をかけられて、あたしはどうにか笑顔を浮かべて首を振った。どこも痛くないはずだけど、今はカーヤに抱きつかれていて、自分でちゃんと確かめることはできなかった。
「平気よ。怪我もないし、ほかにおかしいところもないわ」
「そう。それなら本当によかった。……カーヤ、そろそろ祈りの巫女を放してあげて。あなたの気持ちは判るけど、いつまでもこんなところに寝かせておいてはいけないわ。疲れているでしょうし、ちゃんとベッドで休ませてあげないと」
「ええ、判ってる。……ユーナ、立てる?」
再びカーヤに助けられながら、あたしはふらつく身体をなんとか立たせた。ちょっとだけ身体が重い。それを感じて、あたしはまた少し不安になっていたの。影の世界で変わってしまったあたしの身体は、ちゃんと元の身体に戻ってるんだろうか。
「村のみんながね、祈りの巫女を心配して、広場に集まってきているの。ほんの少しだけでいいわ。あなたの無事な姿を見せてあげて」
そう言ったのは聖櫃の巫女で、それであたしは思い出したの。影の世界へいたとき、あたしのために幸運を分けてくれたみんなのことを。
「聖櫃の巫女、あたし、みんながあたしのために祈りを捧げてくれた声を聞いたわ。あれは聖櫃の巫女が教えてくれたことなの?」
聖櫃の巫女は、まだ修行中だったあたしに祈りの方法を教えてくれた。もしも村人に祈りを教えた人がいるなら、それは聖櫃の巫女しかいないって思ったから。
「そう。あなたにはみんなの祈りが届いたのね。……私の力じゃないわ。村のみんながあなたを想っていた。それは、祈りの巫女が今まで村のために祈りを捧げてきた、その気持ちが村人全員に伝わっていたからなのよ」
「あたし、みんなの祈りを受け取ることができたの。だからこうして生きてる。村のみんながいなかったらあたしは死んでた ―― 」
最後の方はほとんど独り言のようにつぶやいて、あたしはふらふらと神殿の扉へ向かって歩き出した。開け放たれた扉の向こうにたくさんの人の気配がある。両側をカーヤと守護の巫女に支えられながら、神殿の扉をくぐると、とたんに人々の歓声が飛び込んでくる。
そのあと、笑顔で押し寄せてくる人々にどんな言葉で感謝の気持ちを伝えたのか、あたしははっきりと覚えていることはできなかった。
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―― トントントントン……
すごく規則正しい音が聞こえてくる。これは、カーヤが包丁を使う音。いつもあたしが聞いてきた、日常にあふれていて今まで気にも留めなかった音。
カーヤの気配に目覚めたあたしは、耳を済ませて森に住む鳥の声を聞いた。朝日はまだ差し込まない。だけど、部屋の中はほのかに明るくて、朝の訪れを知った。
なんの変哲もない、いつもと変わらない朝。
ずっと訪れていたはずなのに、こんなに穏やかな気持ちで感じたのは久しぶりだった。もう、あたしは怯えなくていいんだ。影の来襲にも、村人が次々と命を奪われていく光景にも。
昨日、あたしにも運命の巫女の予言が伝えられた。それまで見えなかった未来は数年先までも見えるようになって、その間、影が現われることはないんだ、って。
あたしはだるい身体をようやく起こして、部屋のドアを開けた。
「カーヤ、おはよう!」
笑顔を作って、できるだけ元気な声を出して、カーヤの背中に呼びかけた。気づいて振り返ったカーヤも満面の笑顔で答えてくれる。
「おはようユーナ。朝ごはんはもう少しだけ待っててね。まだ寝ていてもいいのよ」
「いいわ。もう起きちゃったもん。着替える前に顔を洗わせて」
カーヤが空けてくれた洗い場で、たらいに水を張って顔を洗う。朝汲んだばかりの湧き水は冷たくて目が覚めるみたい。1度部屋に戻って、着替えて髪を整える。リョウにもらった髪飾りをつける頃には、あたしの身体はすっかり目覚めていたの。
昨日、昼過ぎに村に戻ったあたしは、ほぼ強制的に宿舎へ押し込まれていた。誰もあたしにはなにも訊かず、ただゆっくり眠るようにとだけ言ってくれた。肉体的にも精神的にも疲れていたあたしは、夕食で1度起きたときにもほとんど話をしないで、ひたすらベッドで眠っていたの。まるで、影の国での出来事をすべて忘れてしまおうとしているかのように。
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「ユーナ、朝食ができたわ。ベッドに運ぶ?」
「ううん。そっちに行くわ」
ドア越しのカーヤの声に返事をして部屋を飛び出した。あたしが椅子に腰掛けると、カーヤは笑顔でテーブルに食事を並べてくれる。ソーセージの入った野菜炒めと、トマトベースのリゾット。カーヤ得意の野菜がふんだんに使われたメニューに、あたしは舌鼓を打った。
「身体の具合はどう? もう十分に疲れは取れた?」
カーヤの問いに、スプーンを動かしながらあたしは答える。
「昨日よりはずっといいわ。もういつもとほとんど変わらないくらい元気よ」
「だといいけど。その様子だと無理してそうね。今日も1日休んでいた方がいいわ」
「大丈夫よ。あたし、見かけよりもずっと頑丈なんだもん。母さまがすごく健康に産んでくれたんだから」
「そうね、ユーナが頑丈なのは認めるわ。でも、お願いだから今日も1日ベッドで寝ていて。そうしてくれないと、あたしが守護の巫女に怒られちゃうんだから」
あたしは少しだけ不機嫌そうな表情を作って、カーヤを上目遣いで見つめた。……独りで寝ていると退屈する。退屈すると、考えなくていいことまで考えちゃいそうで。
「命の巫女たちはどうしているの? 昨日はなにも教えてくれなかったけど」
あたしが話題を変えると、カーヤはほのかに苦味の混じった微笑を浮かべて答えてくれた。
「命の巫女は守護の巫女の宿舎へ泊まったわ。シュウは神官の共同宿舎よ。2人とも疲れ切っていたから、会議なんかはぜんぶ明日に回されたの。だからユーナもゆっくりしていて大丈夫よ」
「リョウは? 森の家へ帰ってるの?」
「ええ。あれからすぐに帰っていったわ。食事なんかはランドの奥さんが世話しているみたい」
あたし、昨日村へ帰ってから、1度もリョウと話していなかった。あの時神殿で振り返ったあとは顔すらも見てはいなかった。
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その日1日、あたしはほとんど誰とも会わずに、ずっとベッドでまどろんでいた。朝食のあとにオミを見舞って、あとは食事のときくらいしかベッドを離れることはなかったの。カーヤとオミしかいない宿舎の中はものすごく平和で、時間がとてもゆっくり流れていたみたい。もしかしたら宿舎の外ではいろいろなことが起こっていたのかもしれないけれど、あたしのベッドにまでそれを伝えにくる人は誰1人いなかった。
平和な時間を、その一瞬一瞬を、あたしはゆっくりと噛みしめていた。なにも考えないで過ごしていた。もしかしたら、あたしはただ逃げているだけだったのかもしれない。命の巫女たちのことも、リョウのことも、なにも考えないでいられるときはこれが最後かもしれない、って。
いずれ考えなければならなくなる。命の巫女とシュウはいつか自分の村へ帰らなければならなくなる。その時が、あたしとリョウの別れのときになるんだ。リョウと別れて、あたしが自分を保っていられるのかどうか、まだぜんぜん自信がなかったから。
だって、リョウは10年もあたしのそばにいたの。気持ちを打ち明けあって、恋人になってからは2年もいたんだもん。あたしは今までの短い人生の半分以上、リョウと一緒に生きてきた。そんなリョウがいきなりいなくなってしまったら、あたしは本当に自分自身でいることができるの……?
リョウがいないことに慣れてしまいたかったのかもしれない。もしも今リョウに会ってしまったら、あたしはリョウがいる時間を思い出してしまうから。こうして、なにもない平和な時間に触れて、リョウがいることすらも忘れてしまいたい。リョウは森の家にいるって、そう思ったままずっと過ごしていたい。
現実なんかいらない。命の巫女の別れの言葉なんか聞きたくないよ。シュウ、命の巫女、お願い。あたしが眠っているうちにリョウを連れて行ってしまって。そして、リョウなんて人は最初からいなかったんだって、あたしに信じさせて。
こうして、ずっと眠っていたら、あたしは永遠にリョウに会わなくて済む。いないことを思い出して泣かないでいられるの。もう、あんな思いはしたくない。リョウがどこにもいなくて、未来のどこを探してもリョウを見つけることができないって知った、あの絶望。
1度知ってしまった絶望はあたしを臆病にして、平和な日常以外のすべてから逃避させていた。
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だけど、時はいつまでもあたしを偽りの平和の中に置いといてくれはしなかった。
翌日、朝食が終わってしばらくした頃、あたしの宿舎に神官のセリが訪れていた。本当はもっと早く来たかったのかもしれない。でも、そんな様子はおくびにも見せないで、テーブルについたセリはあたしに笑顔で語りかけた。
「 ―― 影の国での様子はね、守護の巫女が命の巫女とシュウに少しずつ話を聞いていて、オレたちにもおおよそのことは知らされてるんだ。だからぜんぶを最初から最後まで話す必要はないと思うよ。もしも身体がつらかったら途中で抜けてもらってもかまわないし。本当に顔だけ見せてくれればみんなが安心するから」
もしかしたらあたし、ものすごく無気力な顔をしていたのかもしれない。セリはそれを、あたしの体調が戻ってないと思って心配してくれてたんだろう。気づいたときから、あたしは笑顔を作ってできるだけセリの話に集中していた。だって、あたしが無気力に見えたとしたら、それはけっして体調のせいじゃなかったから。
「大丈夫よ。あたしも命の巫女たちの話を聞きたいし。途中でね、あたしたち、影にバラバラにされちゃったの。だからその間のことはお互いに知らないこともあるから」
「命の巫女たちもそう言ってたよ。君が祈りを捧げているときは彼らも戦いで忙しかったから、その時の話も聞いてみたい、って。……オレも少し聞いただけなんだけど、本当にすごい戦いだったみたいだね」
「命の巫女たちが大変だったのよ。あたしはそんなにすごい戦いはしていないわ」
そうして、セリに連れられたあたしは、みんなが集まっている守りの長老宿舎へと足を踏み入れたの。
最初に目に入ったのは守護の巫女の笑顔。そのあとテーブルを見回して、リョウの姿を見つけた。リョウはあたしを見て少し微笑を浮かべたけど、すぐに表情を曇らせてしまったの。そしてがたんと音を立てて椅子を立ち上がると、勢いよくあたしに向かって歩いてきたんだ。
「おい、おまえ。どうしてこんな状態のユーナを連れてきたんだ!」
リョウが掴みかからんばかりに言ったその視線はセリに向けられていた。周りにいたみんなはリョウの変わりように呆然としている。
「この状態でこんな大勢の前でしゃべれる訳ないだろ! ユーナは俺が宿舎につれて帰る。文句ないな」
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