真・祈りの巫女



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 ここにリョウが2人存在する意味がすぐには飲み込めなかった。でも、それが理解できた瞬間、あたしは一気に我を失っていた。
「きゃああああぁぁぁぁーーーー!!」
「祈りの巫女!」
「祈りの巫女、落ち着いて!」
 リョウに目覚めてもらいたくて狂ったようにリョウの両肩を掴んで揺すぶっていた。ごろんと仰向けになったリョウの目は真っ赤に染まっている。誰かが両側からあたしの身体を押さえてる。でもあたしにはリョウの真っ赤な目しか見えない。
「リョウ! いやあぁ! リョウ! リョウ!」
「君のせいじゃない! 君は影に操られてたんだ。リョウを殺したのは君じゃない!」
「なに言ってるんだよシュウ! そんなこと言ったって今更どうにもならないでしょ! それより祈りの巫女、お願いだから落ち着いて。あたしにもできたんだもん、祈りの巫女にだってきっとできるよ! まだ間に合うかもしれない。早くリョウを治す祈りをして!」
 そのときあたしの注意を引いたのが、命の巫女の言葉だったのか、それとも声の調子だったのか、あたしには判断できなかった。
「祈りの巫女! リョウの怪我を治すの! あなたならきっとできる。だから自分の祈りの力を信じて!」
 リョウの怪我を治す。それで本当にリョウが生き返るの? あたし自身が殺してしまったリョウを生き返らせることがあたしにできるの?
「……リョウを、生き返らせる……?」
「そうよ。リョウはまだ死んでないって、そう信じるの。必ず生き返るはずだってあなたが強く信じるの!」
「そうだ祈りの巫女。人間のサイボウはたとえ心臓が止まってもすぐに死んだりしない。オレたちの世界では1度止まった心臓を再び動かす技術が存在するんだ。リョウの身体を治療して、再び心臓を動かせば、リョウは必ず生き返る! 君が祈りを捧げるんだ!」
 リョウの身体を治す。命の巫女がシュウの腕を治したように、今度はあたしがリョウの身体を治す。
 そうすれば本当にリョウを生き返らせることができるの? 1度死んでしまった人間を生き返らせる力が、あたしにはあるというの?
「やめておけよ。それをやったら、今度はおまえが死ぬことになるぜ。祈りの力を使い果たして死んだ2代目のようにな」


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 まるで自分の存在を主張するかのように割り込んできた影の言葉に、振り返ったあたしたちは一瞬言葉を失っていた。あたりを沈黙が包み込む。その沈黙に満足したかのような微笑を浮かべた影は、リョウの顔と声で再び話し出していた。
「たかがコピーになんの価値があるんだよ。しょせんはオリジナルのリョウの姿を映しただけのただのコピーじゃないか。そんな奴のためにおまえが命をかける価値なんかないだろ? そいつは、おまえが自分の命と引き換えに救う意味なんかないさ」
 影が言うコピーという言葉の意味を、あたしは理解することができなかった。それよりもあたしは、リョウの命を救えるという命の巫女たち2人の言葉を、影が否定しなかったことの方に希望を抱いていた。
「コピー? いったい何のことだ」
「おまえらのことさ。おまえらは、祈りの巫女が祈りの力で作り出した村人のコピーなんだよ。これほどそっくりな人間が集まった場所がそれぞれ別の世界に同時に存在するのが、ただの偶然だなんてまさか思ってないだろ? おまえも、おまえも、おまえたちの両親や近所に住んでる人間たちも、ぜんいん祈りの巫女が祈りで作り上げたコピーの人間なんだよ。祈りの巫女が自分の村を救うために神に祈りを捧げて、神が村を救うためだけの存在としてあの場所に村のコピーを作ったんだ。時間も空間も跳び越えてな。 ―― クックックッ、やめておけ、祈りの巫女。下手すれば共倒れになるだけだ」
 再びろうそくに火を灯したとき、それまでシュウたちと話していた影のリョウが話しかけてきた。でもあたしはもう構わなかった。この祈り、力をすべて使い果たしてでも、あたしはリョウの命を救うんだ。その結果あたしが死ぬのならそれでも構わない。リョウはあたしがこの戦いに巻き込んだんだもん。そんなリョウが死ぬよりはあたしが死ぬ方が正しいことだから。
 さびしくなんかないよ。だって、リョウはいずれあたしの傍らから消えてしまう人だったんだもん。2代目祈りの巫女の騎士だったジムと同じように、リョウには生き残って誰かと幸せになる権利があるんだ。
 今、あたしのそばにいるのは神様だけ。 ―― 神様、お願いします。リョウの傷を治して、リョウを生き返らせてください。
 リョウはこんなところで死んではいけない人なんです。命の巫女たちと一緒にもう1度自分の村へ帰って、そこにいる誰かと恋をして幸せになるべき人なんです。リョウが生き返るのなら、代わりにあたしの力のすべてを捧げます。12代目祈りの巫女の命さえも。


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 今まで、これほど純粋な気持ちで祈りを捧げたことはなかっただろう。その証拠に、神様の気配はそれまであたしが感じたことがないほど真摯な雰囲気をたたえていた。この祈りが神様に聞き届けてもらえないはずなんかなかった。どのくらいの時間が経ったのだろう。あたりが徐々に強い光に包まれてゆくさまが、目を閉じたあたしにも感じられた。
 祈りの力がリョウという存在の意味を変えていく。命を失い、過ぎ去った時間の中にしか存在を許されなかったリョウが、再び未来を取り戻していく。
 それに伴って、あたしは自分の祈りの力が消えてゆくのを感じたの。……あたし、とうとう祈りの力を使い果たしたんだ。もうあたしの中に神様から与えられた幸運はひとかけらも残っていない。力を使い果たしたあたしは、さっき影が予言したとおり、これからいくらも経たないうちに死の瞬間を迎えるだろう。
 静かに目を開けたあたしが最初に見たのは、その広い部屋の壁全体を覆いつくすほどのピンク色の光だった。
「祈りの巫女。……これはいったいなに……?」
 その命の巫女の言葉には答えず、あたしは倒れたリョウを振り返った。リョウの胸には傷はなかった。そして、規則的に上下する胸の動きが判る。
「……すごいな。これが祈りの巫女の力の正体か」
「シュウ、それってどういう意味? 壁の文字がピンクになったことと関係あるの?」
「説明はあとだ。 ―― リョウが目覚める」
 シュウの言うとおりだった。やや戸惑いを含んだ沈黙の中、その場にいる全員の視線を一身に集めたリョウがいつの間に閉じていたまぶたをゆっくりと動かす。まぶしそうに2、3度瞬きをして、開いた眼球はもう赤く染まってはいなかった。天井を見上げたリョウの注目を引きたくて、あたしがリョウに呼びかけると、触発されるようにほかの2人も次々とリョウの名前を呼ぶ。
「リョウ!」
 その声に反応したリョウはやがてあたしの姿を見つけて、声がうまく出せないのか、口の中だけであたしの名前をつぶやいた。


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「リョウ! ……良かった……!」
 あたしの笑顔に答えるようにややぎこちない微笑を見せたリョウは、命の巫女とシュウの顔を見て、とたんに表情を変えてガバッと身体を起こした。そして、2人のうしろでニヤニヤ笑いながら見守っていたもう1人のリョウを見つめたの。周囲は重い空気に包まれている。命の巫女とシュウの表情はけっして、リョウが助かった喜びに満たされてなんかいなかったから。
「……いったい、なにがあった」
 そのリョウの声はまるで絞り出すようでさほど大きくはなかった。そのとき、重苦しい空気を引き裂くように、リョウの姿をした影が笑い始めたの。
「フハハハ……、とうとうやった! やっと祈りの巫女が力を使い果たしてくれたぜ! これで13代目に引き継がれる力がなくなった!」
 そうか、影はあたしに祈りの力を使わせたくて、あたしがリョウを殺すように仕向けたんだ。わざとあたしを挑発するような言葉を言って、あたしにリョウを生き返らせる祈りをさせた。一瞬、影にはめられたことを悔しく思ったけど、でも思い直したの。あたしが力を使い果たしたのだから、もう影が村を滅ぼす理由はないはずだ、って。この先たとえ13代目の祈りの巫女が生まれたとしても、あたしから引き継がれた幸運がなければ、影の世界を滅ぼすほどの力は出せないはずだもの。
「あたしは力を使い果たしたわ。これでもういいでしょう? 村を滅ぼすのはやめると約束して!」
「ハッハッハッ、残念だけどそれはできないよユーナ。あの村を残せばまた1000年後に世界を滅ぼす力が生まれるからな。こんなチャンスをオレが見逃すわけがないだろう?」
「そんな……! それじゃ話が違うよ! あなたは13代目の破壊の祈りを阻止したくて村を攻撃したんでしょう? 13代目の力が失われたのにどうして村まで滅ぼさなきゃならないの? この先の祈りの巫女は破壊の心なんか持たないかもしれないじゃない!」
「うっせーな! 目障りなんだよ、あの村。周りの国はてきとうに小競り合いさせながら間引きできるのに、あの村だけはいつも祈りの巫女の祈りに守られてる。早く文明を発達させればそれだけ世界の破滅も早まるってのに、あの村は文化を保存して、発展を加速させようとしてる。医学も技術も国の滅亡とともに失われるべきなんだ。この世界の人間は高度な文明なんか持つべきじゃねえんだよ」


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 なぜか違和感がある。いったい影は何の話をしているの?
「おい、おまえ。……まさか、祈りの巫女が滅ぼすおまえの世界って、彼女の村と同じ次元に存在する世界なのか?」
 シュウは、あたしと影とのさっきまでの会話を知らないはずだった。もしもシュウが今の会話だけで推測してこの疑問を投げかけたのだとしたらすごいよ。だってこのシュウの言葉と影の答えこそが、あたしの違和感の正体だったんだから。
「ああ、そうさ。13代目の祈りの巫女が回りの国々をすべて破壊に巻き込むんだ。たまたま間の悪いときに村に攻め込んだ軍勢があってな。その軍が所属する国ともども周囲のほとんどの国を13代目の祈りの巫女が滅ぼしちまう」
「攻め込んだ原因は何だ。村に保存された書籍を狙ったのか?」
「ああ。馬鹿な国王が力で文化を奪おうと、触れちゃいけないものに手を出したんだ。……小競り合い程度ならな、いいんだよ、オレは。若い男が争いで死ぬのは人間の間引きとして効率がいい。だけど13代目のあの力はほとんど反則だ。あれのせいでせっかく育てた文明が全滅してくれた」
「育てた、って、要はおまえに都合がいい程度に発達させた文明だろ? あの村は1500年間に渡って地域の文化を保存してる。それもおまえが管理する世界の一部である以上、存在する意味はあるはずだ。むやみに消すべきじゃない」
「おまえ……コピーのくせに生意気なんだよ」
 そう、一言つぶやいたあと、影の姿が崩れて今度は神官の衣装を着たシュウそっくりに変わっていたの。この人は、たぶんあたしが死んだ歴史の中で生きていたという、祈りの巫女の右の騎士だったシュウだ。あたしはこの変身を見慣れてきていたけど、初めて見たほかの3人は少なからず驚いたようだった。
「根本的な問題は祈りの巫女なんかじゃない。世界の中でもトップクラスに入るほど気候が安定した豊かなあの土地で、1500年も知的な活動だけを続けている神官などという集団がいることだ。周辺の国が2〜300年で盛衰を繰り返しているというのに、あの村ではさまざまな研究成果が無に返ることはない。今ではあの村で開発された製薬方法がたった1つでも村外にもれるだけで、年間に死亡する乳幼児の人数が半分以上減ることになるんだ」


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「狭い土地で効率よく作物を作る方法だって研究されてる。今はまだ誰もそのことに気づいてないが、数十年後にはこの村と周辺の国々との文化レベルの差に気づく国が現われる。誰だって自分の子供を早死にさせたいなんて思わないだろ? 楽をして多くの作物が得られればいいと思うだろ? もちろん村の神官たちだってそう思うさ。喜んで自分たちの技術をほかの国々に伝えて、結果武力制圧を招くことになるんだ」
 あたしには、周辺の国がどうして村を武力で制圧しようとするのかが判らなかった。その前までなら判るの。村の外にいる人たちが困っていて、あたしたちの村がその人たちを助けることができるのなら、あたしだって喜んで村の技術を伝えようとするだろうから。
 でも、そのあたしが理解できなかった部分まで、シュウには理解できていたみたいだった。
「確かにな。どこの国でも村を自国の管理下に置きたいと思うだろうな。で、おまえとしては爆発的な人口増加は本意じゃないと?」
「長期的に見れば、死亡率が落ちれば自然に出生率も落ちる。むしろ問題なのは出生率の低下の方だ。イデンシの多様化が妨げられるからね。 ―― 話をそらすなよ」
「自分がそらしてるんだろ? オレのせいにするなよ。……で? 人口増加じゃないなら文化の落差のなにが問題なんだ?」
 2人のシュウは周りのことなんか忘れて夢中になって話を続けていたけれど、お互いに少し話しづらそうな感じだった。影は憮然とした顔をしているのに、なにか理由があるのか、シュウの姿をやめようとはしなかったの。いつの間にかリョウがあたしの肩を抱いてくれている。まるで、いつあの2人が争いになってもあたしを守れるようにと準備しているみたいに。
 できることなら、あたしが死ぬまでリョウには知られたくなかった。あたしがリョウを殺して、生き返らせるための祈りをしたことであたしが死ぬことになったってこと。だからシュウが時間を引き伸ばしてくれているのが、あたしにはうれしかったんだ。……きっとシュウにはそのつもりはなかったんだろうけれど。
「文明の進歩が加速することだ。一定のレベルで繁栄と衰退を繰り返していれば、人間は自然のバランスの中でどうにか生きていくことができる。だけど、1度加速化が始まると種族としては滅亡に向かうんだ。シュウ、おまえたちの世界のように」


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 あたしはちょっと驚いて命の巫女の顔を見た。命の巫女もあたしの視線に気づいて振り返ってくれたけど、その表情には少し苦味のようなものが混じっていたの。命の巫女には、影が言ったことが判っているの? 命の巫女の世界は滅びに向かっているというの……?
「まだ滅亡しちゃいない。おまえだって知ってるはずだ。オレたちの世界が滅びていないってことは」
「イデンシの多様化を妨げる要因が多すぎる。それだけでも種族としては先細りなんだ。加えて人間は人間以外の種族のイデンシも単一化させるからな。実際あの村の研究には既に植物の人工交配の技術まである。オレとしては、そういう技術を村の外にバラまかれるのは困るんだよ。怖いのは、生活の余裕が生まれた人間たちに平和の意識が目覚めること。……ま、どこでボーダーラインを引くかというのも難しい問題なんだけどな。 ―― やっと話が元に戻ってきたか」
「つまりおまえとしては、乳幼児の死亡率を現時点のまま維持させるところでラインを引いてる訳だ。確かにあの村は子供も大人もかなり死亡率が低そうだもんな。おまえの言うとおり、滅亡の種は持ってる村だ。滅ぼしたくなる気持ちも判らないではないか」
「シュウ! ちょっと、なんてこと言ってるんだよ! シュウが影に説得されててどうすんのよ!」
 そう口を挟んだのは命の巫女で、言葉と同時にうしろからシュウの片腕を引っ張ったから、シュウは少しよろけてしまっていた。
「いきなり引っ張るなって。仕方ないだろ? 言ってることそのものは正しいんだ。イデンシの単一化は種族の衰退につながる。乳幼児の死亡率が高ければより強いイデンシを持った人間が生き残るってことだし、戦争もそれと同じようなふるいの役割をする。影はそのどちらもなくしたくないんだ。これ以上あの村の文化を発展させたらいずれ周辺国の出生率まで落ちるんだろ? あいつにとっては、今が最後のチャンスなんだよ。今ならたった1つの村を滅ぼすだけで、ほかのすべての地域を文明の弊害から救うことができるんだから」
「な……! そ、それじゃどうなるのよ! なんにも悪いことしてないのに殺されちゃう祈りの巫女の村人は? 子供を飢えや戦争で亡くして悲しんでる両親の気持ちは? そういう人たち1人1人の命はどうでもいいっていうの? シュウあんたサイテー!」
「だから! オレが言ってるんじゃないってーの! 要するに視点が違いすぎるんだよ。オレたちだって畑に種を蒔いたときは雑草取りや間引きくらいするだろ? 引き抜かれる草の気持ちなんか考えないで。視点を変えればオレたちもあいつと同じことをやってるんだよ。それをオレが理解したら悪いか?」


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 シュウの言葉にはっとして、あたしが思い出したのはカーヤのことだった。植物の気持ちが判るのだというカーヤの家は畑を作ってる。カーヤが引き抜く雑草たちは、カーヤにどんな言葉を伝えるんだろう。
 畑の野菜のことを思ったら雑草は邪魔な存在だけど、雑草だって生きてるんだもん。影にとって、あたしや村は雑草と同じなんだ。あたしたちだって同じことをやってる。シュウの言うとおり、影が言うことはけっして間違ってはいないんだ。
「雑草、って。……あたしたちは草じゃないよ。人間だよ! そこらへんに生えてるだけの草と一緒にしないでよ!」
「おまえなあ。植物に感情がないって決め付けるなよ。ありふれた鉢植えだってジェットコースターに乗せれば恐怖を感じるんだぜ」
「あたしは信じるわ」
 2人の言い合いにどう割って入ればいいか判らなくて、けっきょくその一言を言うことしかできなかった。でも、言葉は足りなくても、2人の注意をあたしに向けることはできたみたい。2人の視線をいっぺんに浴びてちょっとだけ戸惑ったけど、一呼吸置いてから続けた。
「影から見てあたしたちがどういう存在なのか、よく判ったわ。命の巫女、カーヤは植物の声を聞くことができるの。だからカーヤにはきっと雑草の声も聞こえてる。それでも畑の野菜のためには必要なことだから、カーヤは雑草を引き抜くのね」
「カーヤが?」
 シュウが無意識のように声を出して、ほんの少しだけ表情を歪ませた。まるでカーヤに同情するかのように。
「雑草を抜かなかったら畑の野菜はうまく育たないわ。あたしたちの村が雑草なら、影が引き抜こうとするのはとうぜんなのかもしれない。でも ―― 」
 それきり、あたしの言葉は続かなかった。影の言うことは理解できる。あたしたちがなんの罪悪感もなくまったく同じことをしているんだってことも。
 でも、だからって、村を滅ぼされていい訳がないんだ。うまく言えないけど、あたしたちはちゃんと生きてる。あの場所で生活して、楽しいこともつらいこともたくさん経験して、やがては死んでいく。雑草だって生きてるんだって言われちゃったらそれまでなんだけど。
 リョウが言葉を失ったあたしの肩を強く抱き寄せてくれる。目の前でシュウが微笑んでくれる。


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「大丈夫、祈りの巫女。オレは君の村が滅びてとうぜんなんだとは思ってない」
 もう1度あたしに微笑んで、シュウはニヤニヤ笑っているシュウとそっくりな影に振り返った。
「あのさ、オレはおまえの言うことは理解したけど、だからって、はいそうですか、って受け入れるほどお人よしじゃない。畑は人間が手を入れなければ良い野菜を育てることはできないかもしれないが、それが良いかどうかを決めているのは人間の都合だ。畑に雑草が生えてたって野菜は生きようとする。結果雑草が生き残って野菜が滅んだとしてもそれは自然の摂理だ。村が生き残って周囲の国が滅びるならそれも正しい。そうだろ?」
 影のシュウは笑った顔のままで何も答えなかった。あたしは、自分が言えなかった答えをシュウが見つけてくれた気がして、シュウのことをものすごく頼もしく感じていた。
「そこでおまえに質問がある。 ―― おまえを村から追い払うのにはいったいどうしたらいいんだ?」
 このシュウの質問にはあたしも、命の巫女やリョウも驚いていたの。だって、ふつう敵である影に影を滅ぼす方法を訊いたりなんかしないよ。そんなこと、ぜったい答えないのは判りきってるし、万が一答えたからってそれが本当の答えである確率なんてゼロに等しいもん。
「シュウ! あ、あんたいったいなに考えてんの? そんなの答える訳ないじゃん!」
「黙ってろよ。今はこいつと話してるんだから。……で、どうなんだ? 左の騎士。おまえはどうしたらあの村に手を出せなくなるんだ?」
 影のシュウは笑った顔のまま表情を変えなかったけど、あたしには影がシュウの態度を楽しんでいるみたいに見えた。
「そうだな。方法はいくつかない訳じゃないが、その中でおまえたちにできるのはたった1つだけだ。 ―― 祈りの巫女の祈りが場の干渉条件を変えられる。扉の色を変えるんだ」
「扉の色? そうか、あの場所にあった次元の扉の条件を変えるのか。そうすればおまえはあの村にきても村の歴史に干渉できなくなる」
「無理だろ? 祈りの巫女は既に祈りの力を失ってるんだ。祈りの巫女の祈りがない以上、オレにはもう怖いものなんかないんだよ」
「だったらあたしが祈るよ! あたしにだって祈りの力は使えるんだから!」
「おまえにも祈りの力は使えないさ、命の巫女。もともとおまえの力は祈りの巫女の幸運を借りてるだけだからな」


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「祈りの巫女が幸運を使い果たしちまえば、命の巫女も祈りの力は使えなくなるんだ。やってみれば判る」
「……そう、じゃあやってやるわよ!」
 ニヤニヤ笑っている影を怒鳴りつけるようにそう言うと、命の巫女はいきなり祈りの姿勢をとった。今のあたしにはもう感じないけど、この場所は今までで1番神様を近くに感じることができたから、ろうそくを使う必要はないと思ったんだろう。あたしは少しの期待を込めてその様子を見つめていたんだけど、その期待もやがて失望に変わっていった。必死で祈りを捧げようとする命の巫女の表情から、彼女も神様の気配を感じられないんだってことに気づいたから。
「やるだけ無駄だろ? そろそろ諦めた方がいいぜ」
 そんな影の声に命の巫女は目を開けて、鋭い視線をぶつける。そのあとあたしを振り返った命の巫女の目は深い悲しみをたたえていた。
「祈りの巫女。……嘘でしょう? あなたが力を使い果たしたなんて。……このままあなたが死んでしまうなんて ―― 」
 この時あたし、思わずリョウのことを振り返ってしまっていたの。リョウは一瞬驚いたように命の巫女を見つめて、やがて勢いよくあたしの顔を見たんだ。あたしはもうリョウから目を離すことができなくなっていた。驚きに目を見開いたリョウの視線が強くて、まるであたしを責めているように見えた。たぶんこの時やっと、リョウの中で今までの出来事がすべてつながったんだ。
 祈りの力、神様から与えられた幸運を失うことは、祈りの巫女の死を意味する。命の巫女とシュウがあたしに向けていた視線の意味。リョウが目覚めた瞬間に漂った重苦しい空気の意味を、リョウはこの一瞬で悟った。
 今、あたしはどんな顔をしているだろう。たぶんあたし自身も、表情に命の巫女と同じ悲しみを宿しているはずだ。リョウを助けられたことはうれしかったけど、自分の命が消えるのはやっぱり悲しいことだったから。
 未練が、ない訳がない。あたしはぜったいに死にたいなんて思ってない。恐怖を感じたくなくてずっとシュウたちの会話に集中してる振りをしてた。だけどいったんリョウの顔を見ちゃったら、悲しみと恐怖で押しつぶされそうになっていたの。
 リョウに強い力で抱きしめられるまで気づかなかった。自分が涙を流していたってこと。ここに来るって決めたときに少しは覚悟していたはずなのに、その時が近づいている今、自分自身の恐怖と戦う勇気すらあたしにはないんだ。


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