真・祈りの巫女
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先に入ったはずのリョウの姿と、うしろからついてくるはずの命の巫女の姿が見えなかった。両手にはさっきまで手をつないでいた感触が残ってる。いったいあたし、いつ2人と手を離したの? 手が離れてたことにまったく気がつかないなんて。
「リョウ! 命の巫女! シュウ!」
声を上げて周囲をきょろきょろ見回してみたけど、あたしの呼びかけに答える声も、そのほかの音も、まったく聞こえなかった。既になじんで気にならなくなっているあの震えるような音だけはずっと聞こえている。その音が聞こえることでほかに誰もいないことが強調されていて、あたしの孤独感を更にあおっているみたいだった。
見えるのはただ灰色の空間だけ。足の下に床の感触はあるけど、床そのものを見ることはできない。周囲の壁も、天井もないの。声はまったく反響しないから、次元の扉によってあの建物じゃない場所に連れてこられたのかもしれない。でもどんな場所にいたってこれほど何も見えないなんてありえないよ。唯一色がついているのが自分の身体で、あとはすべて均一の灰色に染められているんだ。
「リョウ! いるのなら返事をして! リョウ!」
あたし、目がおかしくなってるの? それともここは深い霧の中で、限られた広さしか見えていないだけ? だとしたらリョウも近くにいるかもしれない。あたしはゆっくりと歩きながら、手探りでリョウの姿を探していた。でも見つからない。
怖い ―― そう、言葉にすることすら恐ろしく思えるくらい怖かった。唯一聞こえるのは命の巫女が教えてくれたキカイの音。昨日まではあんなに神経に障る音だったのに、時間が経つに連れてその音すら愛しく思えてくるのが不思議だった。
(1人で道に迷ったらその場を動いてはいけないよ。元の場所にいなければ見つけてあげられなくなるし、足を踏み外して怪我をするかもしれないからね)
子供の頃、森で迷子になったあたしに父さまが教えてくれた。ユーナのことは必ず探しに来るから、信じて待っていなさい、って。きっとリョウはあたしを探してる。元の場所にいなかったら見つけてもらえないかもしれない。
だけど、こんな場所で何もせずにただ助けを待っているのは不安すぎた。動いちゃいけないことは判ってたけど、あたしは歩かずにいられなかったの。誰でもいい。たとえ影でもいいから現われて欲しい。こんなところに1人きりで放り出されているよりは。
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そうだ、祈りの力でみんなの気配を探ってみればいいんだ。あたし、ずいぶん動揺していたみたい。そんな簡単なことに気がつくのにも時間がかかってしまって、取り出したろうそくに火をつけるのもなかなかうまくいかなかった。今まで何度となくしている動作なのに手順を忘れてしまったようだった。
それでもようやく炎を灯したとき、不意に背後に気配を感じて振り返ったの。でもそこには誰も見えなくて、耳を澄ませたあたしに小さな呼吸音だけが聞こえてくる。あたしは自分の身体が震えているのを感じた。
「誰? 誰かそこにいるの?」
獣のような呼吸音はすごく近くに感じる。床に座り込んだあたしとほとんど同じ高さから聞こえるから、これが獣ならリグのような肉食獣だ。いったいあたしはどこにいるの? 次元の扉は、あたしをリグの群れの中へと導いて殺そうとしているの?
冷や汗がじっとりと背中を濡らしているのが判る。恐る恐る、あたしは火のついたろうそくを手元に引き寄せた。そして、ものすごく怖かったけど、目を閉じて祈りの姿勢をとったんだ。
―― 神様、あたしに周りの様子を知るための目を貸してください。
この場所でも神様はあたしに目を貸してくれた。とたんに影の臭気が感覚の中に飛び込んでくる。我慢して神様の目を凝らすと、ようやく目の前にいる獣の姿を見ることができた。
リグに似ている。でもほんの少しだけリグとは違うようにも見える。もっとはっきり見ようと更に視点を近づけると、急に獣の輪郭が崩れて、一瞬ののちには小さな男の子の姿に変わっていたんだ!
驚いたのは、その男の子が扉の空間の部屋で見た5歳のシュウにすごく良く似ていたから。
「え? ……シュウ?」
名前を呼ぶと、シュウはあたしの顔を見つめて、にやっと笑った。……違う。この子、シュウじゃない。シュウはこんな、何を考えてるのか判らないような笑い顔はぜったいにしない。
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子供の目は生きている人間の目にはとうてい思えなかった。まるで色のついたガラスの玉をはめ込んだように無表情で、焦点もきちんと合っていなかった。笑っているのは口元だけで、頬にも目尻にも表情と呼べるようなものは浮かんでいないの。こんなに不気味な笑い顔は見たことがなかった。
「あなた……誰……?」
自分の声が震えているのが判る。それで気づいたの。あたし、もう現実に戻ってる。いったいあたしはいつ祈りをやめたの?
灰色の世界に立って不気味な笑い顔を浮かべた子供は、座り込んだままのあたしを見下ろして声を出していた。
「ぼくだよ、ユーナ。君の左の騎士のシュウだよ。まだぼくのことを忘れてるの? せっかくユーナが呼ぶから出てきてあげたのに」
声にも違和感があった。まるでバラバラになった声を1文字ずつ組み合わせたかのように発音していて、感情がぜんぜん感じられない。こんなのがシュウのはずないよ。それにさっきは獣の姿をしていたんだもん。さっきの獣も、このシュウも、影が姿を変えているんだ。
「やめてよ! あなた、影なんでしょう? どうしてシュウの姿をするの? ……やめて。シュウを穢すようなことはしないで!」
「影? ……そうか、あの村ではぼくのことをそう呼んでるんだ」
しゃべっているのに口が動いてない。それがまた不気味で、恐怖に凍りついたようになってしまった。見ていたくなんかないのに目が離せないの。そうこうしているうちに、少年の影がまた崩れて、今度はマイラの姿に変わったんだ。
「シュウでは気に入らないのならあたしでどう? この姿ならいいでしょう?」
マイラの姿になっても表情や声の調子はぜんぜん変わらなかった。でも、その声は間違いなくマイラのものだったの。……嫌。どうしてこんなひどいことをするの? まるであたし自身が死者を冒涜しているような気がするの。それがあたしの動揺を誘う影の作戦だったとしても、自分自身の感情の暴走を鎮めることができなかった。
「正体を現わせばいいじゃない! あなたは影なんでしょう? 他人の姿を借りたりしないであなた自身の姿を見せなさいよ!」
「それは無理だわ。あたしが自分の姿をとったらユーナと話せないもの。……あたしはそれでもかまわないけどね、12代目祈りの巫女」
そのマイラの言葉の内容がすっと頭の中に入ってきた一瞬、あたしはそれまでの恐怖を忘れていた。
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影は、あたしと話をしようとしている。今まではただあたしを殺すためだけに行動していたのに。
それに、影はさっきからあたしに話しかけてるんだ。あたし、影とこんな風に言葉を交わすことができるなんて思ってなかった。以前は影と和解できるかもしれないと、そう思ったことだってあるのに。
もしもここで影と話をしたら、あたしは影と和解することができるの? もうこれ以上村を壊さないでいてもらうことができる?
あたしが忙しく頭をめぐらせている間に、影はまた姿を変えていた。今度は神官の衣装を着たセトの姿に。
「少しは話を聞いてくれる気になった? オレは今のところ君に危害を加える気はないんだけど」
話し方は相変わらず違和感があったけど、セトはあの不気味な笑い顔は浮かべていなくて、少し困ったような表情をしていたの。もちろん目には表情がなくてガラス玉のままだったけど、あたしにとってはシュウやマイラよりはセトの方が幾分気が楽だった。
「影の言うことなんか信じられないわ。……でも話は聞く。だからもう姿を変えるのはやめて」
「ようやく気に入ってくれたみたいだね。やっぱり巫女には神官がつきものだってことだな」
あたしは衝動的に言いたいことはあったんだけど、それをぐっと飲み込んで落ち着くように自分に言い聞かせた。影の言うことなんか信じられない。だから影はあたしを油断させるつもりで、セトの姿で話しかけているのかもしれない。
でも、ここは影の世界で、あたしはこの灰色の空間に捕らえられているんだ。さっき神様に祈りを届けることはできたけれど、もしも影があたしを殺そうとしたら、祈りを捧げるまもなく影はあたしの命を奪うだろう。どんなに影の言うことが信じられなくたって、あたしには影の話を聞くしか選択肢がないんだ。そうやって少しでも時間を稼いでリョウの助けを待つことしかできないんだ。
そんなあたしの心の動きは、もしかしたら影には伝わっているのかもしれない。黙り込んだあたしのことを気にするでもなく、影はあたしの隣に腰かけて、あの奇妙な声で話し始めたの。
「祈りの巫女、君は自分の祈りの力がどこからくるのか知っているかい?」
その質問に答えるのは簡単だった。少しだけ返事に迷ったのは、影の真意がまったくつかめなかったからだった。
「神様が与えてくださるのよ。祈りの巫女にはほかの人よりも何倍も多くの幸運を分けてくださる。その幸運が祈りの巫女の力なのよ」
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「あたしに与えられた幸運の力を、祈ることで願いを叶える力に変える。神様に変えてもらうの。……それがなに?」
「それだけか。……だったら、君は肝心なことを知らないよ。祈りの巫女は12人もいるのに、誰もその事実に気がつかなかったんだ」
セトの姿をしているせいかもしれない。影の言葉には真実味があって、あたしの中から疑いの気持ちを奪っていく。いつの間にか影の言葉を真剣に聞こうという気持ちになっていたの。
「あたしが何を知らないっていうの? それに、祈りの巫女はあたし1人だけだわ。あたし以外の祈りの巫女は既に死んでいるのよ」
「ああ、そうだね。君は村の時間で16年よりも前には存在すらしていなかった。だから君が自分を唯一の祈りの巫女だと思う感覚は理解できるよ。だけどオレは、君の村が生まれるよりもはるか昔、この世界ができあがるよりも前から存在していた。だからオレの感覚では祈りの巫女はちゃんと12人いるんだ。……君の次の代、13人目の祈りの巫女もね」
いったいなにを言ってるの? 影は、1500年以上も昔から、あたしたちの村のことを知っていたの?
影はいったいどのくらいの時間を生きているの? あたしたちの村ができてから、ずっと村を見張っていたの? それどころか、影は未来すらも見ることができるというの?
疑問ばかりが頭の中を渦巻いていた。影は嘘をついているのかもしれない。でも、もしも影の言うことが本当だったら、影の時間の長さは神様の時間に匹敵する。……ううん、それは判らないけど、あたしから見たら影の時間も神様の時間も永遠だという意味で同じものだ。影の国には神様がいる。だから、影と神様が同じものだって可能性もまったくない訳じゃないんだ。
「あなたは……いったい誰なの……?」
「話す必要はないし、話したところで君には理解できないよ。しいて言うならオレは君の村を滅ぼそうと思ってる存在だ。君の祈りを力に変えている神様とも違う」
影はあたしが考えていたことを言い当てて否定した。影にはあたしの考えることもすべてお見通しみたいだった。
「でもあなたはあたしたち人間よりも神様に近い存在だわ。ここはあなたが支配する世界なのに、神様の存在をすごく近くに感じる。あなたは……神様と同じ種族のものなんじゃないの? たとえば巫女に対する神官のような」
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「違うよ。オレの存在と、君が言う神様とはぜんぜん違う。 ―― 神とは計算するもののことだ。たとえば、オレがここで祈りの巫女を殺したらどうなるか、その答えをはじき出すのが神だ。君の祈りを実現するのも、神が君の力を計算して答えを出しているに過ぎない。オレ自身も、神の計算の上でしか自分をこの世界に存在させることができない」
あたしにはその影の言葉を正確に理解することができなかった。言葉どおりに受け止めれば、影も神様のことわりの中でしか生きられないことになるけど。
「話がそれたな。祈りの巫女、君の力のことだけど。神様が祈りの巫女に与えている幸運は、祈りの巫女が一生祈り続ける程度では、すべて使い切ることができないくらい多いんだ。祈りの巫女が祈るのは、たった1000人にも満たない村人のささやかな幸せで、しかも村人の多くは自分の幸せは自分で掴み取ろうとするからね。なぜ、神様が祈りの巫女にそれほど多くの幸運を与えるのか、それはオレにも判らない。でも事実、ほとんどの祈りの巫女は、自分の寿命が尽きるまでに力を使いきることなんかできないんだ」
影の声が少しずつ変わっていた。だんだんしゃべり方が流暢になって、違和感を感じさせなくなっているの。それに伴って顔の表情も変わってきている。目に表情が生まれて、まるで本物のセトがそこにいるかのような錯覚を起こさせていた。
「その、祈りの巫女が一生で使いきれなかった幸運は、そのまま次の世代の祈りの巫女に受け継がれる。次の祈りの巫女だってそのすべてを使い切れないから更に次の世代に。……12代目の君の中に、いったいどのくらいの幸運が受け継がれているものか、想像することができる? 2代目のセーラは受け継いだ力をすべて使い果たしたけど、3代目から12代目までの10人分の幸運が君の中には眠ってるんだ。……これは、恐ろしいことだよ、祈りの巫女。君は既に、世界をまるごと滅ぼすほどの力をその身体に宿して生まれてきているんだから」
あたしに、世界を滅ぼすほどの祈りの力が眠っている。
話が大きすぎて、あたしの想像の範囲をとっくに超えていた。あたしは、祈りの巫女の幸運が次の代に引き継がれていることは知らなかった。影はこのことをあたしに教えたくて、今ここへ、あたしと話すためにやってきたの?
「祈りの力が、あなたの世界を滅ぼすというの? だからあなたは村を襲ったの?」
「君の村が滅んでくれなかったら、こちらが滅ぼされる訳だからね。あれは防衛としての攻撃だったんだよ」
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「オレも自分が育てた世界を守りたいんだ」
「あたしは、あなたの世界を滅ぼしたりしないわ。約束する。これから先、あたしは村から1歩も外へは出ないし、村人の幸せ以外は祈らないわ。だからお願い。もうこれ以上、村を襲ったりしないで。村を滅ぼさないで」
あたしが懇願するような視線を向けたとき、ちょっと悲しそうな表情になって目をそらした影の姿は、もうセトと少しも違わなく見えた。あたしはセトを悲しませてしまった気がしてドキッとする。そのあと、この人はセトじゃないんだって自分に言い聞かせなければ、あたしはこれが影であることを忘れてしまっていたかもしれない。
「それは、無理な相談だな、祈りの巫女」
いったん目をそらした影は、再び視線をあたしに戻して続ける。
「なぜなら、オレの世界を滅ぼすのは君じゃないんだ。君から力を受け継いだ13代目の祈りの巫女。まだ生まれていない彼女こそが世界の破壊者になる。……ね? 君が今どんなに約束してくれたって、君が死んだあとのことまでは責任もてないだろ? 村を滅ぼせば、あの場所から村人を追い払うことができれば、2度と祈りの巫女は生まれない。だから君の村は滅ぼされなければならないんだ」
あたしじゃないの……? 影の世界を滅ぼすのは、あたしが死んだあとに生まれる、13代目の祈りの巫女なの?
村が滅びれば13代目は生まれなくなる。だから影は村を滅ぼそうとしているんだ。あたしたちの村が滅びるか、それともあたしと命の巫女が今影を倒すか、本当にそれだけしか方法はないの?
影だって自分の世界を大切に思ってる。その気持ちは、あたしが村を思う気持ちと同じはずだ。そのどちらも滅びずにいられる方法はないの?
「あたしの意志はあたしが死んだあとも残るわ。だって、あたしは日記をつけているもの。13代目の祈りの巫女が正しい心を持てるように、今日の出来事を伝えていく。私欲のために祈りの力を使わないように、って。周りの神官たちにも、ほかの巫女たちにも言い伝えるわ」
「無駄だよ、祈りの巫女。君がそれを言ってもぜんぜん説得力がない。神殿にはもともと私欲の祈りに対する戒めがあるのに、君は簡単にそれを破ることができたじゃないか。そんな君の言葉をオレが信じられる訳がないだろう?」
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影のその言葉に、あたしは返す言葉を失っていた。
あたしは、禁忌を破った前例を作ってしまった。たとえ村の歴史からその記録を抹消できたとしても、あたしが禁忌を破った事実は変わらない。あの時あたしは、自分ひとりのためにリョウを生き返らせる祈りをした。それが結果として村を救う役に立ったからといって、その時点であたしが自分の願いを祈ってしまったのは事実なんだ。
「ここまでくるのだってかなり大変だったんだよ。世界が滅びる以前の時間へ戻っても、13代目への攻撃はことごとく阻止されてしまう。更に時間を戻って13代目の両親をうまく殺せたとしても、神の計算によって彼女はまったく別の両親からちゃんと生まれてきてしまう。だからといって彼女が生まれる前の時代に村を滅ぼそうとすると、いつの間にかその時代が祈りの巫女が存在する時代に変わっていて、破壊の巫女が12代目から13代目になっていたりする。……何度諦めようと思ったか判らないよ。でも、オレが諦めたら世界は滅びてしまうからね。数千万人の人間と数多の国々を無意味に滅ぼしてしまう訳にはいかなかった」
ぼんやりと話を聞きながら不思議に思った。いったい、13代目の祈りの巫女は何をするの? あの穏やかな村にいて、どうしてそれほど多くの人間を殺すような考えを持つことができたの?
いったいなんのために13代目は祈りを捧げるの? 私欲のため? それとも村の平和のため? たとえそのどちらであったとしても、それほど多くの人の命を奪う必要なんかぜったいにないよ。
「1度君を殺せたときには成功したかと思えたんだけどね。残念なことに、左の騎士が再び歴史を変えてしまった。しかも君は別世界の村をまるごと1つ乗っ取って命の巫女まで誕生させてしまった。……だけど、オレはとうとうここまできたんだ。祈りの巫女、短い間だったけど、君と話せて楽しかったよ。かわいそうだけど、君にはここで死んでもらう。君と命の巫女さえ死ねば村を滅ぼすのは造作もないことだ。これで終わりにさせてもらうよ」
疑問に対する答えを得られないまま、不敵な笑いを浮かべたセトの表情を見上げていた。そのときまたセトの身体が崩れる。現われたのは、あたしが大好きだった微笑みを浮かべた母さま。
「誰に殺されたいの? ユーナ。やっぱりあなたをこの世に生み出した母さまがいいかしら?」
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言いながら、母さまの唇が不自然なほどにつりあがる。その表情に殺意を感じたあたしはがたがた身体を震わせながらじりじりとあとずさった。無意識に探った片手が荷物の入った袋を倒して中身がこぼれる。
「いや……。母さまの姿でそんな顔をしないで……!」
近づいてくる影の姿が今度は父さまに変わる。片手をあたしの肩に、そしてもう1つの手であたしの首を掴んで。
「ユーナ、おまえは生まれてくるべきじゃない子供だったんだ。村に不幸を呼び込むためだけに生まれてきた呪われた子供。……でも、それはおまえの責任なんかじゃない。おまえを生んで育ててしまった父さんの責任だ。だから父さんがこの手でおまえを殺してあげよう」
「……いや……痛い。……やめ……!」
「そうか。ユーナには父さんよりも彼の方がいいかな」
そう言ったあと父さまの輪郭は失われて、代わりに現われたのはリョウだった。あたしの息が止まる。……ひどいよ。どうしてこんなときにリョウの姿になるの? リョウがあたしを殺そうとするなんて!
「オレが死んだのはユーナ、君のせいだからね。ユーナが生まれさえしなければオレが死ぬことはなかったんだ。ユーナが死んだもう1つの歴史の中で、オレはあの退屈な村を出て自由に生きていたんだよ。君さえいなければ、オレはあんな生き方だってできたはずなのに」
―― リョウ。この人はあたしのリョウなの? 祈りの巫女の右の騎士で、あの日獣鬼に殺されてしまった、あたしだけのリョウ ――
「もちろん君を愛していたよ。今でも君を愛している。……だから一緒に来てくれるよな、ユーナ。オレが永遠に眠る死者の世界へ」
……違う。こんなのぜったいリョウじゃない! だって、リョウはいつもあたしのことを想ってくれてたんだもん。たとえ自分が死者の国へ行くことになったって、あたしを道連れにしようなんてリョウはぜったいに思わないよ!
リョウの両手があたしの首にかかる。苦しい息の下で、無意識にあたりを探っていたあたしは、手に金属の何かが当たる感触を感じた。……これ、昨日リョウが手渡してくれたレーザーガンだ。あの時リョウが使い方を教えてくれた。
死にたくない、あたし。たとえ死んだリョウの姿をしていたって、目の前にいるこの人は影なんだ。こんなところで影に殺されたくなんかないよ。どうにかして手を動かして、レーザーガンを影に打ち込むことができたら、あたしはこの影から逃れられるかもしれない。
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頭がガンガン痛んで、目の焦点がぜんぜん合わなくて、息苦しさに気を失ってしまいそうだった。もう、自分がなにを思って右手を動かしているのかすらも判らなくなっていた。たぶんあたし、このとき半分以上意識がなかったんだと思う。ようやく持ち上げることができた何かを目の前のリョウの身体に押し当てて、人差し指に力を入れた。
その瞬間、いきなり目の前の風景が変わっていたの。それまでの灰色の世界から、一瞬まぶしく思えたほどの白い部屋の中へ。それまでの息苦しさや頭の痛みもとつぜん感じなくなっていた。目の前のリョウが驚いたように目を見開いてあたしを見つめている。
「シュウ! まさか、あの怪物がシュウだったの?」
「ユーナ! ……クソッ、騙された! ユーナ、怪我はないか?」
聞こえたのは命の巫女とシュウの声。そして、あたしの“両肩”を掴んでいたリョウが、前方に静かに身体を倒していく。まるであたしを気遣うように、あたしの身体にのしかかるのを避けながら。
「ユ……ナ、……正気にな、れ……」
何が起こったのか理解できなかった。うつ伏せで倒れたリョウは目を見開いたままぴくりとも動かない。あたしの右手にはレーザーガンが握られていて、わずかに熱が残っているのが判る。そして、リョウの左の胸には、黒く焦げたような跡。
「クックックッ……。すごいよユーナ。まさかユーナが本当にオレを殺せるとは思わなかった」
背後から聞こえた声に反射的に振り返ると、そこには2人目のリョウが立っていた。奇妙な笑い顔を浮かべてあたしを見下ろしている。……これが、さっきまであたしの首を絞めていたリョウなの? だとしたら、今ここに倒れているリョウはいったい誰……?
「リョウ! ……きさま、リョウと祈りの巫女に何をしたんだ!」
「何を、って。おまえらもたった今経験したばかりだろ? 恐ろしい幻を見せて互いを戦わせたんだよ。もっとも、おまえらとは違って、こちらは幻を見ていたのは祈りの巫女1人だけだったけど」
「リョウ! しっかりしてリョウ! お願いだから動いてよ!」
「……ダメだユーナ。……無駄だよ。完全に事切れてる」
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