真・祈りの巫女
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リョウが戻ってくるまでの間、あたしは必死に祈りを捧げた。だってもしもあたしの祈りが途絶えたら、リョウは敵のレーザーガンで怪我をしてしまうかもしれないんだもん。
すべての感覚を神様に同調させて、神様の視点でリョウの姿を追う。あたしがリョウを追い切れなかったら祈りの球体がリョウの身体から離れてしまう。でもこれは頭で考えるほど簡単なことじゃなかったの。リョウの動きはすばやくて、しかも無秩序だったから、リョウが球体の中から外れてしまうことが何度もあった。
それでもリョウが怪我をしなかったのは、リョウがちゃんと影たちの攻撃をよけていたからだ。もしかしたらリョウは、最初からあたしの祈りにさほど期待はしてなかったのかもしれない。影のレーザーガンをジャンプしてよけて、そのままうしろに回りこんで背中をナイフで攻撃すると影は動かなくなる。今までの攻防でリョウは影の弱点を把握していたみたい。そうしてリョウは次々に影を倒していったから、そこにいるすべての影を動けなくするまでそれほど長い時間はかからなかったんだ。
それ以上影が出てこないことを確認したあと、戻ってきたリョウはほとんど息を切らせていなかった。あたしも祈りをやめて、そのまま壁にもたれたリョウに駆け寄っていた。
「リョウ! 大丈夫? 怪我はない?」
「ああ。おまえは?」
「あたしはずっとここにいたもん。怪我なんかしないよ」
「そうじゃない。まだ祈りの力は使えるか?」
リョウに言われてあたしは不思議に思った。だってあたしは神様が近くにいさえすればいつでも祈ることができるんだもん。ここはトンネルや白い部屋にいたときよりも神様の気配が少ないけど、でも村にいるときよりはずっと近いから、これからいくらでも祈りの力を使うことができた。……生まれたときにあたし自身が神様に与えられた幸運を使い果たすまでは。
「あたしは疲れてないわ。神様も近くにいるし大丈夫よ」
「だったら頼みがある。移動する前に命の巫女たちの様子を探ってくれ。歩きながら作戦を立てる」
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リョウに言われたとおり、あたしはその場で再び神様の気配に同調して、視点をほかの通路とレンガの部屋に移した。一瞬で状況を把握したあとすぐに戻ってリョウに報告する。
「3つのうち1つの通路が突破されてたわ。2人ともこの通路の入口を背にして戦ってる。あたしたちを守ってくれてるの」
「そうか。判った」
リョウが立ち上がって駆け出したから、あたしもうしろを追いかけていった。でもすぐに離されてしまったの。だってリョウはすごく走るのが速かったんだもん。やっとのことで追いつくと、リョウが入口から1つ目の曲がり角の手前であたしを待っていてくれた。
「おまえはここで待ってろ。さっきのやつ、もう1度できるか?」
「うん、大丈夫。不思議と疲労感がないの。たぶん神様が近くにいてすぐに答えてくれるからだと思うけど」
「俺もだ。いつもよりも身体が軽く感じる」
そうしてリョウが通路を飛び出していったから、あたしはまた神様に同調して、視界を広げながらリョウの動きを追った。
到着するまでの短い間に影は3つの通路のすべてを突破してしまったみたい。命の巫女とシュウは通路の入口に並んで立っていて、右側にいるシュウは右に、左側の命の巫女は正面にそれぞれ次元の扉を展開していた。走り込んだリョウはそんな2人の頭の上を、通路の壁を蹴った勢いで飛び越えていったの。2人とも驚いたようだったけど、リョウが戻ってきたことでほっとしたのがあたしにも伝わってきた。
2人はかなりの数の影を既に倒していたけれど、でも部屋の中にはまだ10数体の影が残っていた。最初、不意を突かれた2体の背中に回ってリョウがナイフを突き刺すことができたけど、それからは影の半分はリョウを追ってきたから簡単にはいかなかった。あたしはリョウの動きを追って、祈りの球体を忙しく移動させていく。通路のときと違ってリョウは八方から狙われているから、そのすべてを自力でよけるのはほとんど不可能なんだ。更に命の巫女たちを狙ったレーザーガンが次元の扉を通って予測できない方角から飛んでくるんだもん。あたしも気を抜くことなんかできなかった。
そんな攻防が少しの間続いたときだった。不意に命の巫女が展開する次元の扉が乱れたの。命の巫女の膝が崩れた次の瞬間、シュウがすさまじい悲鳴を上げてその場に転がったったんだ!
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「グギギャアアァァァーーー!!」
「シュウ! き、きゃぁぁーー!」
なにが起こったのか判らなかった。一瞬われを失ったあたしの耳に、リョウの肉声が飛び込んでくる。
「急いでシュウを通路に運べ! ユーナ、2人を守るんだ! 俺のことはいい!」
あたしは一瞬だけためらったけど、すぐに命の巫女とシュウの周りに祈りの球体を展開した。同時に通路の陰から飛び出してその惨劇を見たの。倒れて声を上げ続けるシュウには右腕がなかった。肩のすぐ下あたりからすっぱりと切り取られてしまっていたんだ!
「きゃあ!」
「シュウ! しっかりして! お願い暴れないで!」
「シュウ! ……ここは危ないわ。命の巫女、早く中に!」
あたしと命の巫女は苦労しながらシュウを通路の中に引きずり込んだ。リョウの様子を見ている余裕はまったくなかった。ずっと悲鳴を上げていたシュウは、通路の奥までたどり着く頃には静かになっていたの。まさか死んだんじゃないかってちょっとぎくりとしたけど、どうやら痛みに気を失っただけみたい。だけど今のあたしにシュウを癒す祈りをすることはできない。
「あたしのせいなの! レンガが落ちてきたのに気づかなくて。……次元の扉は2つなければ役に立たないのに」
取り乱した命の巫女が口にした言葉に想像を加えて、あたしにもなんとか事情を理解することができた。敵の攻撃で崩れた壁から落ちてきたレンガで、命の巫女が一瞬気を失ったんだ。彼女が次元の扉を維持できなくなったから、とうぜんシュウが展開する次元の扉も力を失った。だからシュウは敵の攻撃を受けてしまったんだ。
「それで? 命の巫女は大丈夫なの? 怪我はしなかった?」
あたしが訊くと、それで命の巫女はどうにか少しだけ落ち着きを取り戻したみたいだった。
「……これは、この光は、なに? ……祈りの巫女、あなたが守ってくれているの?」
「そうよ。この球体の中にいればレーザーガンは届かないの。でも影が近づいてくるのを防ぐことはできないわ」
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そのとき、外からリョウが投げ込んだらしいものが祈りの球体を通り抜けて足元へ転がってきた。それはシュウの右腕で、あたしと命の巫女はまた悲鳴を上げてしまったけど、少なくとも祈りの球体の働きを証明することはできた。
「祈りの巫女、お願い。あたしに祈りのやり方を教えて! シュウを助けたいの!」
命の巫女が涙を浮かべてあたしに懇願する。あたしは今、祈りの球体を展開するのに精一杯で、シュウを治す祈りはできない。命の巫女はそのことに気づいて、自分でシュウを治そうとしてるんだ。
「神様の気配を感じる?」
命の巫女は呼吸を整えたあと、目を閉じてあたしの問いに答えた。
「ええ、判るわ」
「神様の感情を読み取ってみて。神様の気配はどんな感じ? 感情を言葉にして」
「恐怖。それと後悔。……悲しみ、焦り ―― 」
「それでいいわ。落ち着いて、神様に願いを伝えるの。言葉と、そしてイメージを使って」
神様の感情は、祈りを捧げている自分の感情を映したもの。今、神様は命の巫女の方向を見ている。あたしが祈りの訓練を始めて、実際に神様の感情を感じられるようになるまで、いったいどのくらいの時間がかかっただろう。いくらここが神様に近い場所だからって、命の巫女は一瞬で神様に同調することができるんだ。
命の巫女が祈り始めてしばらく、シュウの腕が奇妙な輝きを放ちはじめたの。切り口のあたりがきらきらと輝いて、床に転がったままだった腕の切り口にも同じ輝きがある。そのときあたしはシュウが今までに1滴の血も流していないことに気がついていた。あたしがシュウの腕を拾って、切り口を合わせてあげると、まもなく腕はつなぎ目も判らないくらい完璧に合わさっていったんだ。
肩に手を置かれて、あたしはいつの間にかリョウがそこに立っていたことを知った。リョウの無事を確認して、祈りの球体を消す。程なくして命の巫女が目を開けて、シュウの傷が治っているのを見て心の底からほっとしたような笑顔を見せたの。そんな命の巫女の笑顔は、長かった戦いを終えたあたしたちの緊張をほぐすには十分だった。
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程なくして目覚めたシュウと命の巫女が感激のあまり抱き合って、そのあとの光景はリョウと2人で背中を向けたまま見守った。あれだけすごい悲鳴を上げていたシュウは、身体のどこにもおかしいところがないことを確認したあと、いともあっさりと言ったの。
「腕が落ちたときにさ、身体が左に傾いてバランスが取れなくなったんだよね。そのとき思ったんだ。人間の腕は意外に重いんだな、って。……ま、そのあとは痛みと不安でそれどころじゃなかったけど」
あんなことになった瞬間にこんな観察をしているシュウは、シュウらしいといえばあまりにシュウらしかった。今だから笑い話として聞けるけど、あの状態のときにこんな話を聞いてたとしたら、命の巫女は卒倒していたかもしれない。
全員、肉体的にというよりは精神的に疲れてしまっていたから、これ以上先へ進もうという気力をもてなかった。そろそろ夜になる時刻でもあったみたい。リョウはあちこち動き回って、休む場所をリョウが最初に入った1番右の通路に決めてくれたの。みんなで協力して、もしもまた影が襲ってきてもすぐには突破できないように、影の死骸を通路の両側に積み上げて通せんぼにした。影が持っていたレーザーガンもはずして、1人1つずつ持って寝ることにしたんだ。
食事を終えて、暗くならない通路の中で思い思いの場所にくつろいでいたとき、おもむろにシュウが切り出した。
「オレの服、ぜんぜん血がついてなかっただろ? もしかして血い出なかった?」
命の巫女はあの場でそこまで観察する余裕はなかったみたい。シュウの視線があたしに向いたから、仕方なくあたしが答えていた。
「出てなかったみたい。……レーザーガンの傷って血が出ないものなの?」
「いや、そんなことはないと思うよ。……切り口は見た? どんなだった?」
さすがにあたしもそこまでは見てなかったよ。だいたいあたしが血の出てないことに気づいたとき、切り口は光っててはっきりは見えなかったんだ。
「あたしは見てないわ。リョウは? 腕を拾ってくれたでしょう?」
リョウも言いづらそうに息を飲んで、でもシュウの視線に負けてようやく口を開いた。
「なにもなかった。……切り口には骨も筋肉も、なにもなかった。空洞だった」
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「……やっぱりな。そんなことじゃないかと思った」
あたしは、もちろんリョウの言葉にも驚いたけど、そのあと息をついて言ったシュウの言葉には更に驚いていたの。だって、人間の腕の中が空洞なはずないもん。血が出てないことに気づいてなかったら、あたしはリョウがなにか見間違いをしたんだと思っただろう。
シュウは、いったいなにを知っているの? 人間の腕が空洞だったのに、どうしてやっぱりって言うの?
「リョウ、ショックだったのは判るけど、そういうことをオレに隠そうとは思わなくていいよ。あんたはオレがショックを受けると思ったんだろうけどね。別に腕が空っぽなのはオレだけじゃない。ここにいる4人が4人とも同じ身体を持ってるはずだろ? だからこいつはオレたち全員の問題なんだ」
あたしはほとんど反射的に自分の両手をまじまじと見つめてしまったの。でもそれはいつもの見慣れた手のひらでしかなくて、この中が空洞かもしれないなんて少しも思うことができなかった。同じように自分の身体を見ていた命の巫女が口を挟む。
「リョウ、それって目の錯覚とかじゃないの? だって人間が皮膚だけで中身が空洞だったら動けるはずないじゃない。シュウだってさっき腕が重かったって言ってたでしょう?」
「重かったさ。今だって自分の身体の重さは感じるよ。でもリョウが見たものは錯覚じゃない。……扉の空間で、祈りの巫女の左の騎士が死んだ時間へ行っただろう? あのときにオレたちの身体が透けてたのを覚えてないか? 人間の身体が透けるのは納得できて、空洞なのは納得できないってのもおかしな話だと思うけどな」
「……別に納得してるんじゃないもん。今まで忘れてただけで」
言い負かされて、命の巫女はすねたように口をつぐんだ。シュウが慰めるような笑顔を向けて続ける。
「まあ、おまえはそれでいいんだよ。必要なことはぜんぶオレが考えてやるから、左の騎士に任せておけばいい。……で、オレたちの身体についてだけど、一言で簡単に言えば、肉体そのものの次元が今までとは変わってるんじゃないかと思う。おそらく扉の空間に入った時点で肉体の定義が変わったんだろうな。それより詳しい説明を1からしようとすると時間がかかりすぎるから端折るけど」
とうぜんのことながら、あたしにはさっぱり意味がつかめなかった。でもそれは命の巫女も同じだったみたい。
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「端折らないでよ! それじゃぜんぜん判らないじゃない!」
「だから、判らないところは端折るって言ってるの。おまえだってクーラーやデンシレンジを使う前にいちいち構造の説明なんか聞きたくないだろ? おまえにも判りそうな取扱説明書のところだけをこれから説明してやるよ」
そんなシュウの言葉すらもあたしにはおぼろげにしか判らなかったけど、命の巫女は納得したようで口をつぐんだ。
「とはいってもある程度の構造説明は必要なんだよな。……あのさ、ユーナ。人間の記憶ってどこにあると思う?」
「どこって……。ふつうは脳にあるんじゃないの? でもそれがなに?」
「オレもそう思ってる。でもさ、今のオレたちの身体に脳があるとは思えないんだよ。腕の中に筋肉や骨がないのに、頭の中に脳があると思えるか? おまえ」
命の巫女が少し顔を青くして沈黙する。シュウの言うとおりだ。今のあたしたちに脳があるとは思えない。だったら今のあたしの記憶って、この身体のいったいどこにあるの?
そんな不安を孕んだ沈黙を破ったのはリョウだった。
「俺たちが夢を見ているとでも言いたいのかよ」
「いいや。そういうことじゃない。あのときオレたちは確かに影の世界に入ったんだ。だから、この身体のほかにどこかで眠ってる本物の身体がある訳じゃないと思う。おそらくこの世界に入るためには肉体の次元を変える必要があったんだろうな。その説明は今は端折る。なぜなら、オレにもきちんと説明できる自信がない」
シュウは1度ニヤッと笑ったあと、先を続けた。
「身体はないけど肉体を持っていた記憶がオレたちにはある。今のオレたちが自分の身体だと思っているのは、おそらく「オレたちの記憶と感覚が作り上げた自分の身体」だ。そういう意味ではリョウが言った「夢を見ている」ってのは近いかもしれないな。夢の中でオレたちは、目覚めているときの感覚を基にして身体の動きを再現するだろう? それと同じことが今も起こってるってことになる。身体の動きの1つ1つ、音や感触、それにオレが感じた痛みなんかも、すべてはオレたちの記憶が感覚を再現して起こしてる現象に過ぎないんだ」
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今のあたしの知識では、シュウの話についていくことすらできなかった。でもどうやらほかの2人も同じだったみたい。そんな空気を感じたのか、シュウは諦めたような顔で言った。
「こういう話、面白くないみたいだな」
「……悪い。俺にはさっぱり判らない。夢の中にいるのとどこが違うんだ?」
「たいした違いはないさ。夢の中と同じでオレたちの肉体は食物を必要としていないし、おそらく眠りも必要ない。確かにさっきまでオレは腹が減ってたし、今は満腹感と眠気を感じてるけど、そいつはすべて自分の記憶がそう感じさせてるだけの話なんだ。その「肉体の記憶」ってヤツを克服すればこれから先食事や睡眠に時間をとられなくてもすむようになる。リョウ、あんたも、「自分にはこれ以上の動きはできない」って感覚を取っ払うことで今より戦闘能力を上げられる可能性がある。……こっちの話なら興味があるんじゃないか?」
シュウの言うとおりだった。話の途中から、リョウのシュウを見る視線が明らかに変わっていたんだ。
「俺自身が記憶している身体の限界を超えろってことか? 今の俺の身体ならそれで人間の限界以上の力が出せるのか?」
「簡単にはいかないけどな。今のオレが食事や睡眠を拒否できないように、あんたが人間の限界を拒否するのも難しいだろ。火事場の馬鹿力を出し続けたら人間の身体は壊れちまう。身体がなくたって、そういう危険回避の本能はオレたちの感覚にしっかり残ってるから」
リョウは答えずに自分に沈みこんでしまったから、シュウは今度は命の巫女に向き直ったの。命の巫女に近づいて両手を伸ばすと、彼女のほっぺたをつまんで左右に引っ張ったんだ。とうぜん命の巫女が抗議の声を上げる。
「やだ、いたい、やえてよ」
「痛いはずないだろ? おまえの皮膚には神経なんか通ってないし、痛みを痛みとして判断するための脳もないんだから。……それにしてもいい顔だな、おまえ」
「もう! いいかげんにしてよ! あたしの顔はおもちゃじゃないよ。いきなりこんなことしてどういうつもり?」
「だから、これがおまえの頭に合わせためちゃくちゃ簡単な取扱説明書。痛いと思ってるのは以前同じことをされて痛みを感じた経験を覚えているからだ。痛くないと思えば痛くない。なんなら1晩中顔をつねっててやろうか?」
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「い、ら、な、い!」
1文字ずつ区切るようにそう言って、立ち上がった命の巫女はそのまま通路の先へ歩いて行っちゃったの。シュウもすぐに追いかけていく。あたしはちょっと心配になってリョウを振り返ったんだけど、リョウは2人のうしろ姿を見送っただけでなにも言わなかった。この通路はときどき曲がっていて、影の死骸で通せんぼした区間もずいぶん長かったけど、音はけっこう響くから2人に何かがあればここにいたってすぐに判るんだ。それはリョウにも判ってるからさほど心配してはいないみたい。
「あの2人、仲がいいのか悪いのか判らないね。朝までには仲直りしてるかな」
「さあな。……おまえも少し眠っておいた方がいい。なにかあったら起こしてやるから」
「リョウは? 眠らないの?」
「あいつが言ったことを試してみる。本当に俺の身体に眠りが必要ないのかどうか。身体の限界を超えれば俺は強くなれるらしいからな。おまえはこの身体でも夢が見られるかどうか試してみてくれ」
あたしにはシュウが言ったことの半分も信じることができなかった。リョウに言われて横たわったあたしには自分の鼓動が感じられて、この身体の中が空洞になってるなんてぜんぜん思えないんだもん。あたしの隣に座りなおしたリョウが額に優しく手のひらを乗せてくれる。その手に導かれるようにあたしは目を閉じた。
「あたしには信じられないよ。だって、リョウの手はこんなにあったかいんだもん。このあったかさもただ思い出しているだけなの?」
あたしが目を閉じたことを知ったリョウの手が、今度は髪をなでる仕草に変わる。
「俺にも判らないさ。ただ、今以上に強くなれる可能性があるなら信じてもいいと思ってる。普通の人間には不可能なほどの大きな力を手に入れられるなら」
急に不安になって、あたしは再び目を開けたの。あたしを見下ろしたリョウの視線と合って、その目の優しさにちょっとだけ驚いた。リョウの表情はすぐに戸惑いに覆い隠されてしまったけど、あたしはリョウがそんなに優しい顔で見てくれてるなんて思ってなかったんだ。
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人の限界を超えるほどの大きな力。あたしは、そんな力を求めているリョウに不安を覚えた。今日の戦いでリョウはたくさんの影を殺すことができた。今でも十分強い力を持っているのに、どうしてそれ以上の力を求めるの?
「限界を超えたら、リョウの身体はどうなるの? ……それでもあったかいままでいてくれる?」
不意に目を見開いて引き戻そうとしたリョウの手をあたしは掴んだ。
「あたし、自分の身体がどんななのかなんて判らない。でも今リョウのあったかさを感じることはできるの。これから先、たとえば無事に村へ帰れたとき、あたしたちは元の身体に戻れるのかな。怪我をすれば血が出て、時間が経てばおなかが減って、夜になればちゃんと眠くなる元の身体に。……もしも戻れなくても、リョウのあったかさを感じられるならあたしはそれでいいの。でも、リョウが人間の限界を超えるくらいに強くなったら、それでもリョウはあったかいままでいてくれるの?」
目を見開いたままあたしを見つめていたリョウは、言い終えて精一杯見つめたあたしの視線を拒むように目を伏せた。
「……先のことは、いい。今はそれを考えるときじゃない。今は、影を倒すことだけを俺は考えてる」
リョウに言われて気づいた。あたしは未来を夢見ちゃいけないんだってこと。リョウに未来を期待しちゃいけないんだ。だってリョウは村を救ったあとは自分の国へ帰ってしまう人なんだから。
「……ごめんなさい」
「別に謝るようなことじゃないだろ」
未来のことを話してごめんなさい。あたしが未来を夢見るようなことを言ったら、それだけでリョウを苦しめてしまうのに。誰よりも優しいリョウは、あたしを傷つけたと思うたびに1つずつ心に苦しみを背負ってしまう。
「俺は守りたいものを守れる力が欲しい。まだ足りないんだ。今の俺ではまだなにも守れない」
あたしはドキッとして苦悩に顔を覆ったリョウの震える両手を見つめた。その言葉にかつてのリョウが言った言葉を重ねて ――
「シュウが腕を失ったあの時、絶望した命の巫女の顔を見た。……あの顔は2度と見たくない」
目を閉じていたリョウは気づかなかっただろう。それを聞いたあたしの表情に、きっと命の巫女と同じ絶望が宿っていただろうことを。
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