真・祈りの巫女
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もう、考えても判らない。思い出せないのはきっと眠いせいね。リョウの指が優しくて、あたしはどんどん眠りに引き込まれていく。……どうしてリョウはこんなに優しいんだろう。命の巫女は倒れてしまって、リョウだってきっと彼女のことを心配しているはずなのに。
あたしが眠ってしまったら、リョウは彼女のところへ行くのだろうか。あの時シュウはリョウのことをトツカと呼んでいた。タキはあたしの嘘は遠からずバレるだろうって言ってた。命の巫女とシュウはもう既にあたしの嘘に気づいているのかもしれない。2人はあたしの知らないところで、今日タキがあたしを問いつめたように、リョウを問いつめるのかもしれない。
―― リョウ、お願い、行かないで。
ほんの少しだけでいいの。あたしのそばにいて、あたしの恋人として振舞っていて。
命の巫女とシュウの2人が影を追い払ったあとも、2人と一緒に元の世界へ帰るって言わないで!
リョウの優しさを失いたくない。たとえ偽物だって判ってたって、あたしはリョウにそばにいて欲しいから。嘘の優しさでもいいの。あたしに向けられた優しさでなくたって、それが命の巫女のものだって判ってたって、あたしにはリョウが必要だから ――
―― いつの間にか眠ってしまったあたしは夢を見ていたみたい。
影が、人間を殺すためだけに生まれた恐ろしいセンシャが、今目の前でシュホウを回してあたしに狙いを定めている。あたしの周りにはセンシャに殺された狩人たちの死骸が、まるで捨てられた物のように転がっている。恐怖に心が凍りついたよう。あたしは少しも動くことができなくて、ただセンシャの前に立ち尽くすだけだった。
あたしに覚悟があるなんて嘘だよシュウ! あたしには死ぬ覚悟なんかない。だってあたしはこんなにセンシャが怖いの。センシャと戦う勇気なんて、あたしの中には少しもないよ!
夢の中であたしは助けを呼んだ。リョウ、お願い助けて! あたしまだ死にたくない! あたしのために死んでしまった狩人たち。あたしは、あたしのせいで村のために戦ってくれたあなたたちを犠牲にしても、でもやっぱり生きていたいの!
夢の恐怖に襲われて、あたしは一気に身体を起こしていた。暗闇に目を凝らすと、リョウが枕もとの椅子に座っていて、今静かに目を開けたところだった。
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ベッドの上で身体を起こしたあたしは、ほとんど無意識のうちに両膝を引き寄せて、抱えていた。最初に知覚したのは両腕の震え。その震えはすぐに全身に渡って、顎がカチカチいって不思議なくらい軽快な音であたりの暗闇に鳴り響いた。リョウが枕元に置いた椅子に座ってることは判ってた。だけどそれとはまったく無関係なところで、あたしの身体はずっと震えたまま、すべての干渉を拒否していた。
怖い ―― 言葉にすればたったこれだけのこと。今、あたしの目の前にはリョウがいて、神殿の宿舎のすごく安全なところにいる。だから大丈夫だって、必死で説得しようとしてもダメなの。あたしの身体と心は人の最も原始的な恐怖にとらわれてしまったみたい。その恐怖はあまりに純粋すぎて、言葉だけで解きほぐすのは不可能なように思われたんだ。
目の前にちらつくのは、あの時シュホウを回してあたしを殺そうとしたセンシャの姿。ホウゲキが迫ってくるその瞬間。あたしはあのときに死んでいたんだ。今、生きている方の自分が間違いで、本当のあたしはあのときに死んでいるはずだったんだ。……きっと死んでた方がずっと楽だったよ。だって、生きてるからこんなに苦しくて、こんなに怖いんだから。
あたしはリョウに助けを求めることすらできなかった。リョウに頼ってもどうにもならない、自分でこの恐怖を克服しなければならないってことが判っていたから。そのことはたぶんリョウにも判っていたんだろう。膝を抱えて震え続けるだけのあたしを、しばらくの間なにも言わずに見守っていてくれた。
どのくらいの時間、あたしはそうしていたんだろう。どんなに身体に言い聞かせても震えはぜんぜん止まってくれなかった。そのとき不意にリョウが立ち上がって、ベッドにいるあたしの背中の方に座ったの。ぴったり身体を寄せて、リョウが背中から優しく抱きしめてくれる。リョウが包んでくれているのが嬉しかったけど、あたしの身体はそれでも震え続けるのをやめてはくれなかった。
「身体の力が、抜けるか?」
リョウの低い声が耳のすぐ近くから聞こえる。リョウの言う通り、力を抜こうとしても、あたしの身体は言うことをきいてくれない。
「焦らなくていい。深く息を吸って、ゆっくり吐くんだ。……俺はここにいる」
背中からリョウの暖かさが伝わってくる。それが全身の硬直した筋肉を少しずつほぐしてくれるみたい。すごく時間がかかったけど、しだいにリョウの声に導かれるようにして、あたしの震えはおさまっていった。
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あたしの身体はまだ完全にほぐれた訳じゃなかったけど、震えが止まったのを確認したあと、リョウは枕もとのテーブルに手を伸ばした。背中から抱きしめたままで、手にしたそれをあたしの目の前に差し出してくれる。
「よく眠れる薬湯だそうだ。効くかどうかは知らないが、気休めくらいにはなる。飲めそうだったら飲んでおけ」
コップに半分くらい注がれたそれはすっかり冷めてしまっていたけど、その独特の匂いには覚えがあった。リョウが死んだ日の夜にローグがくれた薬だ。あたしはリョウからコップを受け取って、慎重に飲み下していく。それでようやく少し落ち着いたみたい。
「ありがとう、リョウ。……ローグがきてくれたのね」
「ああ、おまえが眠ってる間に傷を診てくれた」
そういえばあたし、服のまま眠ったはずなのに、いつの間にか寝巻きに着替えてる。そうして身体に注意を向けたからかな、今まで気づかなかった身体の痛みが急に意識の上にのぼってきたの。そんなあたしの微妙な変化に気がついたのか、リョウはベッドから立ち上がって、あたしをゆっくりと横たえてくれたんだ。
「打ち身と擦り傷だけでたいしたことはない。おそらく2、3日は痛いだろうけどな。この程度で済んでよかった」
「……タキは? リョウは知ってるの?」
「背中の傷を縫い合わせた。それが治れば元通りの生活ができるだろうが、しばらくは動けないだろう。今は共同宿舎にいる」
「そう。……でもよかったわ。命が助かって」
足が伸ばせなかった。強張ったままの両足に気づいて、リョウがそっと触れてくる。ゆっくり膝を伸ばそうとしてくれるのに、あたしの足はぜんぜん動こうとしないんだ。リョウはあたしのふくらはぎからいったん手を離して、あたしの肩に触れたあと、頬に触れた。
「……おまえは、周りが思ってるほど強い人間じゃない。おまえが自分で思ってるよりも」
あたしを覗き込んだリョウの双の目が悲しみを色濃く映している。リョウを失望させてしまったような気がして、あたしは泣きたくなった。
「弱い自分を認めればいい。……そうすれば楽になれるはずだから」
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しばらくの間、あたしは声を出さずに泣いてたような気がする。はっきりと思い出すことができなかった。次に目覚めたときには、あたりは既に明るくなっていて、部屋にはあたしのほかには誰もいなかった。まるであの真夜中の出来事が夢だったような気さえしてくる。あたしの部屋にリョウがいたことも、リョウが頬の涙をずっとぬぐい続けてくれてたことも。
身体を動かそうとしてその痛みに気づいていた。昨日の打ち身がひどくて自分では少しも動くことができなかったの。それでもなんとか寝返りを打って、ひじで身体を起こそうとしたとき急にめまいに襲われた。そのまま上半身だけベッドから落ちてしまって、自分ひとりではすぐにどうすることもできなくなってしまったんだ。
「ユーナ! ……いったいどうしたの?」
動かない身体で必死にもがいてると、どうやら物音を聞きつけたらしいカーヤがやってきた。……リョウじゃなくてよかったよ。だってあたし、今すごく無様な格好をしてるはずだから。カーヤはあわてて駆け寄ってきてあたしを助けてくれたけど、ニヤニヤ笑いを浮かべてたからあたしは真っ赤になっちゃったんだ。
「ありがとうカーヤ。助かったわ」
「いったい何をしてたの? 起き上がろうとしたの?」
「うん。でも身体にうまく力が入らなくて」
「ローグの薬を飲んだんでしょう? ふらふらするのはそのせいもあると思うわ。前に飲んだときもすぐには立ち上がれなかったじゃない。もう忘れたの?」
カーヤに言われてあたしは初めて気がついたの。そういえばあの時もうまく立ち上がれなかった。このめまいって薬のせいだったんだ。
ベッドに戻ったあたしにカーヤは朝食のリゾットを運んできて、そのまま少し話をしてくれた。昨日は命の巫女が聖櫃の巫女の宿舎に泊まったこと。今は午前中で、長老宿舎で会議が行われていること。今日の影の襲来は夕方にも早い時刻だから、午後には村人が神殿へ避難してくること。あたしは動けなければ眠っていてもいいけど、もしも動けそうだったら神殿で祈りを捧げて欲しいこと。
影に対する恐怖の感情は消えていない。でも、恐怖を克服するためにも神殿へ行こうって、あたしはそう決心していた。
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カーヤは昼の炊き出しの準備があったから、それほど長い時間はいてくれなかった。あたしはまだ身体が痛くて、祈りの時間までに少しでも回復して欲しくて眠ろうとしたんだけど、そろそろ薬が切れてきたみたいでなかなか眠りにつくことができなかったんだ。ベッドの中で天井を見上げながら、自然に昨日のことを考える。夜中に目覚めてあたしはあんなに怖かった。今はそれほどでもないけど、リョウがいなかったらこんなに穏やかな気持ちになることはなかっただろう。
自分だって疲れてたのに、リョウはずっとあたしの枕元に座っていてくれた。きっとリョウは知っていたんだ。もしも夜中に目覚めたら、あたしが恐怖に震えるだろうってこと。あたし自身にはぜんぜん判ってなかったのに。もしかしたらリョウは、以前同じような体験をしたことがあるのかもしれない。
あたしの恐怖の原因は、シュウの作戦で囮になって、センシャにシュホウを向けられたこと。あの時リョウがシュウを殴ったのは、あたしを危険な目に合わせたからだけじゃなくて、あたしに恐怖の経験を植え付けたことが理由だったのかもしれない。……リョウ、あなたは優しすぎる。そんなに優しかったら勘違いしちゃうよ。リョウが好きなのは命の巫女じゃなくて、本当はあたしなのかもしれない、って。
リョウと命の巫女のことがすごく気になった。今、2人は長老宿舎で一緒に会議に出ている。命の巫女はまたリョウを見つめているの? リョウはちゃんと無視しててくれてる? それとも、あたしがいなかったらリョウは命の巫女と親しく言葉を交わしたりするの?
早くリョウに会いたいよ。リョウに会って安心したい。リョウが、今でもあたしの婚約者でいてくれるって。
―― それからお昼までの間、あたしはけっきょく一睡もすることができなかった。時間が経つのがゆっくりすぎて、悶々とした気持ちを抱えてあたしはどんどん落ち込んでしまったの。やがて宿舎のまわりがにぎやかになって、扉をノックする音が聞こえてくる。とっさに起き上がれなかったあたしができるだけ大きな声で返事をすると、その声が聞こえたのかそうでなかったのか、扉が開く音とその声が飛び込んできていた。
「あれ? 誰もいないのかな? カーヤ!」
「そんなに大きな声出さない方がいいよ。祈りの巫女もオミも怪我で寝てるんだから」
聞こえてきたのは、シュウと命の巫女の声だった。
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「そうだな。でもオレたちにもあまり時間がないし、ひとまず様子だけでも見ておこう。祈りの巫女の部屋はどこかな」
シュウと命の巫女の2人が部屋にやってくる気配を感じたから、あたしは上半身だけ起こしてなんとか体裁を整えた。遠慮がちなノックの音に返事をすると、ちょっと驚いたような表情の2人が入ってくる。どうやらあたしの大声は扉の外にまで届いてなかったみたいね。身体はまだ少し痛かったんだけど、それでもにっこり微笑んで見せると、2人はようやく緊張を解いたみたいだった。
「来てくれてありがとう。会議は終わったのね」
「ああ、今しがたね。……起きたりして大丈夫なのか? 身体は?」
「打ち身がまだ痛いけど、リョウもそれほどひどくないって言ってたから。リョウは? 一緒に来てくれなかったの?」
「午後からまた村に降りるから、1度家に戻ったみたいだよ。って、直接本人に訊いた訳じゃないんだけどね。どうやらオレはリョウに嫌われてるらしいから」
シュウが頭をかきながらそう言ったから、あたしは昨夜シュウとどういう風に別れたのかを思い出していた。
「昨日はリョウが殴ったりしてごめんなさい。シュウはあたしたちを助けてくれたのに」
「それは祈りの巫女が謝ることじゃないだろ? 自分の婚約者を囮に使われたら、たとえどんな理由があったって普通の男なら怒るよ」
「そうかもしれないけど、でも、なにも言わないでいきなり殴るなんてやっぱりリョウが悪いよ」
「んまあ、ほんとはオレが先に謝るべきだったんだろうけどね。オレ自身、悪いことをしたとは思ってないんだ。あの状況で全員が助かるためにはほかに手はなかったと思ってるから。だからあのパンチは、オレの強情さに対する当然の罰、ってことだね。気にしてないよ」
シュウはそう言って笑って、少しでもあたしの気持ちを軽くしようとしてくれたみたい。でも、その言葉と笑顔があたしの心を軽くすることはなかったの。……なんかあたし、物事の悪い面ばっかりを見ようとしてるみたい。シュウがあたしの心の傷を気遣うことができなくたって、それはあたりまえのことだったのに。
シュウが1番大切に思ってるのは命の巫女なんだ。だから必要以上にあたしを気遣ったりできない。判ってるはずなのに、あたしはますます自分に沈み込んでしまっていた。
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「シュウ」
一言、命の巫女が咎めるように言って、それでシュウは自分たちに時間がないことに気づいたみたい。
「ああ、そうだった。……タキがまだ動けないからさ、祈りの巫女が起きてたら会議の様子を伝えるようにって言われてきたんだ。このまま少し話してても大丈夫?」
「ええ」
あたしが気を取り直してそう返事をすると、話題が変わったことに少し安心したのかシュウが話し始めた。
「運命の巫女の予言によれば、今日の午後まででとりあえず影の来襲は一段落するらしいんだ。彼女はその先の未来については何も話してなくてね。オレたちは昨日と同じように村へ降りてセンシャと対峙することになる。祈りの巫女は怪我をしていることもあるし、もしも少しでも体調がよければ神殿に入って欲しいってことだったけど、無理はしなくていいよ。守護の巫女も、今まで祈りの巫女はずっと気を張ってきたんだから、少し休んで欲しいって言ってたから」
あたしはまた昨日の悔しさを思い出して、でもそれを2人に見せる訳にはいかなかったから、気力を起こして別のことを訊いた。
「リョウは? 狩人たちはやっぱり村へ降りるの?」
「今朝からきこりたちに頼んで対センシャ用の罠を作ってもらってるんだ。とはいっても、ただ大きな岩を崖から落とすだけなんだけどね。果たしてセンシャにどれだけ通じるかは判らないけど、それを動かすために狩人たちには村へ降りてもらうことになってる。だからリョウも村へ降りるよ」
リョウはまたセンシャと戦うんだ。あたしはリョウのことが気がかりで、きっとそんな顔をしてたんだろう。シュウはほんの少し表情を曇らせたの。
「リョウなら心配要らないと思うよ。彼にはセンシャの恐ろしさはよく判ってるから。もうじき結婚する婚約者がいるのに、必要以上の無茶はしないって」
でもリョウは無茶をした。独りで獣鬼に向かっていって、あの日命を落としてしまったんだ。
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あたし、混乱してるのかもしれない。だんだん死んだリョウと今ここにいるリョウとの境目があやふやになってるの。だからシュウが言った「リョウは必要以上の無茶はしない」という言葉に素直にうなずくことができなかった。あの日死んでしまったリョウが目の前にちらついて。
「祈りの巫女が心配しない訳ないじゃん。シュウってそういうところ鈍すぎ」
「そうか?」
「自分の婚約者なんだもん、たとえどこにいたって心配だよ。……祈りの巫女、こんな奴でごめんね。デリカシーとかカケラも持ってないの、この人」
命の巫女がおどけた感じでそう言ったから、あたしはちょっと戸惑ったんだけど、すぐに笑顔を見せた。彼女の様子からはリョウに対する特別な感情が感じられなかったから。……たぶん、命の巫女にはあたしの心の動きが自然に判っちゃうんだ。もしかしたら、あたしが命の巫女に嫉妬していることも。
「とにかく早く身体を治してね。タキはまだ復帰できそうにないから、祈りの巫女が元気になったら新しい神官をつけることになるんだ、って守護の巫女は言ってたの。でも、リョウだってあたしたちが一緒より祈りの巫女の方がぜったいいいに決まってるんだから」
今のあたしには命の巫女の心の動きを感じることはできなかった。リョウのことをどう考えているのかも、あたしと同じようにセンシャにシュホウを向けられながら、その恐怖をどう克服したのかも。
「そうね。ありがとう命の巫女。……そろそろカーヤが帰ってくるわね。2人ともここで食事をしていくのでしょう?」
「ううん、残念だけど今日は先約があるの。さっき運命の巫女に誘われてしまって」
「運命の巫女? だとしたら共同宿舎の方ね。食堂で食べるの?」
「違うみたい。個室に直接きて欲しいって言われたから」
あたしはちょっとだけ首をかしげたけど、でもそれほど気にしなかった。それからすぐに2人は帰ってしまって、あたしが再びベッドに横になっていると、カーヤとリョウが相次いで宿舎にやってきたんだ。
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あたしがベッドから起き上がって食卓へ行くと、リョウはテーブルについていて、既に2人分の食事が用意されていた。
「起き上がったりして大丈夫なのか? 痛みは?」
「うん、ちょっと痛いけど大丈夫よ。……リョウ、昨日はありがとう、ずっとついててくれて」
「ああ」
話しながらテーブルについて、あたしはなんだか心臓がドキドキしてくるのを感じたの。リョウのことなんか見慣れてるのに、まるで初めて出会った人みたい。ひと目惚れ、なんて、あたしには関係ない気がしてたけど、でもそんな感じだった。少しぼんやりした頭の片隅で思ったんだ。もしかしたら人間って、同じ人に何度でもひと目惚れできるのかもしれない、って。
カーヤは相変わらず気を利かせてくれて、オミの部屋にこもってしまっていた。リョウはあたしの声を聞いて安心したのか黙って食事を始めてしまう。その様子はいつものリョウと変わりなくて、あたしは会議のときのリョウと命の巫女のことを不安に思ってた分、少しほっとすることができたんだ。でもその安心感は今のあたしのドキドキとはまるで無関係みたいだった。
「さっきシュウと命の巫女が来て教えてくれたの。リョウは今日も狩人たちと一緒に村へ降りるのね」
「罠を作ったんだ。……おそらく役には立たないだろうが」
「そうなの? どうして? どうして役に立たないものをわざわざ作ったの?」
「狩人をこれ以上死なせないためだ」
あたしが理由が判らなくて首をかしげていたら、リョウは顔を上げてあたしに説明してくれた。
「罠を作ったのは昨日おまえがシュホウを喰らったあたりだ。昨日はおまえがいたが、今日はいない。センシャが狙ってるのが祈りの巫女である以上、神殿から逆方向の岩場をうろつく確率は低い。だからあそこに作ったんだ」
リョウははっきり言わなかったけど、あたしには判った気がしたの。リョウは狩人たちをセンシャから引き離そうとしてるんだ、って。
「それじゃ、リョウは狩人たちとは別行動をするのね」
「ああ。俺は今までと同じだ。……センシャの魂を抜く」
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センシャの魂……?
あたし、あの時は夢中で、センシャの姿なんかほとんど見てなかった。なんとなく黒い塊のようなものだけが見えて、すごく恐ろしかったことだけ覚えてる。シュウはセンシャが人を殺すためだけに人に作られたヘイキなんだって言ってた。そんなものに戦いを挑んで、リョウ1人で魂を抜いたりできるものなの?
センシャはシュホウのほかにも近距離で使える武器も持ってる。たとえシュホウの死角から近づくことができたって、ほかの武器に殺されてしまうかもしれないじゃない!
「センシャの魂が抜けるの? そんなに抜きやすいところにあるの?」
「いや、抜きやすいところにはない。センシャは戦うことを目的に作られてるからな、そんな弱点はさらしてない」
「だったらどうするの? まさかリョウ……!」
「死ぬつもりはない。……安心しろ。俺は2度は死なない」
すごく不安だった。だって、リョウは1度死んでるんだもん。だけど、リョウを信じようって決めたのは自分だから、なにか口に出しそうな自分をぐっと抑えて言葉を飲み込んだの。
そんなあたしの表情の変化を、リョウはじっと見守っていたみたい。だけどそれについてはリョウもなにも言わなかった。
「おまえはどうするんだ。神殿に入って祈るのか?」
「うん、そのつもり。でもその前に、食事が終わったら1度神殿へ行くわ。タキの怪我のことも祈らなくちゃならないから」
そう口にしてからあたしは気づいたの。昨日の影の襲撃では、狩人たちが4人死んだんだってリョウは言ったんだ。その人たちの家族の悲しみだって癒してあげなきゃいけない。いつもならあたしがなにも言わなくたってタキがぜんぶ調べてきてくれたのに。
タキがいないことが痛かった。あたしにとって、タキはすごく貴重な存在だったんだ。もしも守護の巫女があたしに新しい神官をつけてくれたとしても、タキほど完璧にあたしのことを補佐してくれるかどうかは判らないもの。
残りの食事を掻き込みながら、あたしは改めてタキの存在の大きさを噛み締めていた。
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