真・祈りの巫女



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 リョウが、この村に来たときからすごく焦っていたのを覚えてる。身体が動くようになってからはすぐにランドに狩りの手ほどきを受けて、狩人を集めたり守りの長老や守護の巫女に根回しをして、できる限り早く村を災厄から救おうとがんばってた。あのときからリョウは、遠くない未来に命の巫女とシュウがこの村に来ることを知ってたんだ。リョウが1日も早く災厄を退けようとしたのは、命の巫女を危険にさらしたくなかったからなのかもしれない。
 祈り台の上に座って、あたしはぼんやりとそんなことを考えていた。周りで立ち尽くしたみんなはすごく静かだった。命の巫女は、さっきリョウがあたしを抱きしめていたところを見て、かなりショックを受けたみたい。シュウはそんな命の巫女の様子がショックだったようで、2人とも必要最低限のことしか話さなくなっちゃったんだ。リョウは進んで2人に話しかけるようなことはなかったし、空気を読んだタキも最初こそ盛り上げようとしたけど、無駄だと判って口を閉ざしてしまっていたの。だからあたりは重苦しい沈黙に包まれていたんだ。
 影が現われる予言の時刻が近づいていた。そろそろどこの家でも夕食の支度が始まる頃。だけど今は村人すべてが避難しているから、いつもの賑わいはまったく見られない。たそがれ時に静まり返る家々は、まるで死んだ村のそれのようだった。もしもあたしたちが災厄に負けてしまったら、この風景こそが村の現実になってしまうんだ。
「そろそろだな」
「ああ」
 タキの言葉にリョウが答えたとき、緊張感が一気に増していったの。西の森をじっと見つめていたあたしは、やがて沼の水面の上にあの光が生まれるところを見たんだ。
「あれは……次元の扉か……?」
 そうつぶやいたシュウが更にはっきり見ようと身を乗り出す気配がする。光はどんどん大きさを増していって、ついに昨日見た最大の大きさにまで成長したとき、中から黒光りする影の一部が顔を出した。その身体が半分くらい出てきたとき、今までとは比べ物にならない緊張した声色でリョウが叫んだの。
「すぐに台を降りろ! ……タキ、今すぐ全員退避だ。森の中へ逃げるんだ!」


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 あたしはとっさに動くことができなかった。
「どうしたのリョウ。今までの獣鬼と違うの?」
「いいから言うとおりにしろ! タキ、何をしてる! 早くこいつを台から引きずりおろせ!」
「……センシャだ。たぶんジエータイの90シキ。……でも、なんでそれがこんなところに……」
「シュウ! あれはセンシャというの? だったらその名前を祈れば……」
「祈りなんかどうだっていい! すぐに逃げろ! あいつは人間が太刀打ちできるような奴じゃないんだ。俺は狩人たちを逃がしてくる!」
 そう言ってリョウは岩場を駆け下りていく。その背中にシュウが叫んだ。
「気をつけろトツカ! 90シキのシュホウは3キロ以上届くぞ!」
 そのときあたしはタキに手を引かれて台を降ろされている途中だった。シュウがトツカと呼びかけたのを知って反射的にリョウを見ると、リョウはなにかに気づいたのか振り返って叫んだの。その声は聞こえなかったけど、リョウの口が「ユーナ」と動いたのを確かに見た気がした。そして次の瞬間、何にたとえることもできないすさまじい音がして、あたしの身体は横に吹き飛ばされていたんだ!
 あたしはタキと一緒に祈り台を転げ落ちて、そのまま岩場を転がっていった。何が起こったのか判らなかった。岩のあちこちに身体をぶつけてすぐに起き上がることなんかできない。どうしたの? 今いったい何があったの?
 周りの音はまったく聞こえなかった。身体の感覚も普通じゃなかった。だから、あたしがタキの存在に気づいたのは、強引に身体を引き上げられて視界にタキの顔が飛び込んできたあとだった。
「立って! 早く!」
 目の前のタキの声が聞こえない。だけどタキの唇が繰り返しそう言っていることだけは判った。あたしは痛む身体を無理矢理起こして周りを見る。あたしの目に映ったのは、崩壊した祈り台の残骸と、炎を上げて燃えている森の風景だったの。
 考えている暇なんかなかった。あたしはタキに手を引かれて何とか森の中に逃げ込んだ。足がもつれて何度も倒れそうになったあたしを、いつの間にかシュウとタキが両側から支えてくれていた。


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 逃げ続けているうちに、あたしの耳の感覚は少しずつ戻ってきたみたいだった。森の中に逃げ込んでからもあの音は何度となく響いていたみたい。あたしは気づいてなかったんだけど、音が響いた瞬間にタキとシュウは立ち止まって身体を低くしたから。命の巫女はあたしたちの少し前を走っていて、その様子からはあまり大きな怪我はしていないように見えたから、あたしは少しだけほっとしていたの。
 森の道はずっと上り坂だった。そのとき、タキが足をもつれさせて転んだんだ。タキにもたれかかっていたあたしも転びそうになったけど、反対側にいたシュウが何とか支えてくれていた。
「「タキ!」」
 そう叫んだあたしと命の巫女の声はほとんど同時だったみたい。駆け戻ってきた命の巫女はタキを助け起こそうとしたけど、痛みに顔をしかめたタキを見て驚きの表情を浮かべたの。
「こんなにひどい怪我をしていたの? これでよくここまで……」
 そうしている間にもあの音はずっと響いていた。心なしか少しずつ近づいているようにさえ思える。
「ああ、限界まではと思ったけど、どうやらここまでみたいだ。……命の巫女、悪いけどここからは祈りの巫女を支えていってくれないか? 狙われてるのは祈りの巫女だけだし、運がよければオレは生き残れる」
「そうとも限らないぜ。さっきのおまえの話じゃ、影は祈りの巫女の周りにいる人間も襲ってたって言うし」
 シュウはあたしをタキの隣におろしながら言った。あたしはまだぜんぜん頭が回ってなかったんだけど、それでもシュウが言うことの方が正しいって、そう思えたの。だって、影はマイラを殺したんだもん。ただあたしの知り合いだってだけで狙われる可能性は十分あるんだ。
「2人ともここにいてくれ。ちょっと様子を見てくる」
 シュウがそう言って命の巫女を伴って坂を上がっていったあと、あたしはタキの隣に寝転がって少しでも楽な姿勢をとった。そうしていったん休んでしまうと、身体の痛みと疲労感が急に意識されて、それ以上動くのは不可能なように思えたの。タキは最初にあの攻撃を受けたときにあたしと同じ場所にいた。あたしがこれだけ痛いんだから、タキだって同じくらい傷ついていたはずなんだ。
 2人が戻ってくる間、あたしは不意に遠ざかってしまいそうになる意識をかろうじてつなぎとめることに、全力を傾けていた。


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「 ―― 祈りの巫女、オレの声が聞こえる?」
 声に目を開けると、シュウがあたしの顔を覗き込んでいた。
「ええ、聞こえるわ。……少し静かになった?」
「ホウゲキが止んだんだ。どうやらオレたちを見失ったみたいだな。だけどシュホウを打ち尽くした訳じゃない。……山火事が近づいているの、判るかい?」
 あたしは回りを見回すことができなかったけど、木々が燃えるぱちぱちという音や、きなくさい煙の匂いがかすかに漂ってくるのを感じることはできた。もしかしたら、あたしが思っているよりもずっと近くまで燃え広がっているのかもしれない。
「オレたちは森の中をずっと北西に向かって逃げてきたんだ。君も知っての通り、この森は北側と西側でいったん途切れて岩場になる。もちろんそこまで行けば焼け死ぬことはないんだけど、西の森からは丸見えになっちまうんだ。90シキセンシャのシュホウは32ハツしかないからね。おそらくセンシャはシュホウを節約して、オレたちが出て行くのを待ってるはずだ」
 シュウの言葉の意味ははっきりとは判らなかったけど、影は山火事を起こしてあたしたちを燻し出すことにしたんだって、そのことだけは理解できた。いずれにしても、山火事に追いつめられたあたしたちは遠からず森を出なければならない。
「あたしが森を出るわ。シュウと命の巫女はタキを連れて別の方角へ逃れて」
 たぶん、森の外まで歩くくらいなら今のあたしでも何とかなる。影が狙ってるのはあたしだ。あたしさえ殺してしまえば、影は命の巫女たちへの攻撃をやめてくれるかもしれない。
「いい覚悟だな。だけど、それで君以外の全員が助かるとは限らない。オレはホウゲキが始まってからずっとシュホウの数を数えてたんだけど、最高でもまだ5ハツ残ってるんだ。数え損ないがないとは言えないからもしかしたら3パツかもしれないけどね。どちらにしても、オレは誰か1人でも確実に死ぬような作戦に賛成することはできない。まして、このまま負けっ放しってのも嫌なんだ」
 そのときシュウが見せた笑顔に、あたしはドキッとする。シュウ、あなた、どうしてこんなときに笑えるの……?
「どうせだから勝とうぜ、祈りの巫女。君のその勇気と覚悟を、今オレのために使って欲しいんだ」


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 シュウは森の西側のはずれ、センシャが一番シュホウを打ちやすいだろう場所にあたしたちを連れて行った。あたしはまだ身体が痛かったんだけど、さっき少し休んだおかげで歩くだけならそれほど支障はないみたい。身体に大きな傷もなくて、背中に裂傷を負ったタキよりはずっと運がよかったんだ。もしかしたら最初の攻撃の瞬間、タキはあたしをかばってくれていたのかもしれない。
 気絶したタキを背負ったシュウは、わずかな間に得た情報を要領よくあたしに話してくれた。今回出てきた影があのセンシャ1体だけだったこと。センシャは西の森の穴と獣鬼の死骸に阻まれて、西の森から動いていないこと。西の森の狩人たちはリョウが逃がしたのか、今あのあたりに人影はまったく見えないこと。あたしはリョウのことがすごく心配だったけど、さすがにそれを口に出すことはしなかった。
 あたりはかなり暗くなりかけていた。岩場がすぐ近くまで見える場所へ来たとき、背中のタキを下ろしながらシュウは言った。
「祈りの巫女、さっきも言ったとおり、君には囮になってもらう。怖いと思うけど、くれぐれもユーナから離れないで。君のことはオレとユーナが必ず守るから」
 シュウの言葉にうなずいて命の巫女を見ると、彼女はほとんど真っ青な顔をして震えていた。それにはシュウも気づいたみたい。わざわざ命の巫女の傍に歩いてきて、肩を引き寄せながら言ったの。
「大丈夫だ。必ず成功する。タイミングだけ間違えないようにすればいいんだ。シュホウが狙いを定めた瞬間を外さなければ大丈夫なんだから」
「……あたしは大丈夫だもん。それよりシュウの方だよ。シュウがタイミングを間違えたらあたしと祈りの巫女は死ぬしかないんだから!」
「あのなあ、おまえ、少しは自分の恋人を信じろよ。おまえが危険なところにいるってのに肝心なところでオレがヘマやる訳ないだろ?」
「シュウはドジだもん! あたし、シュウがブランコから落っこったことちゃんと覚えてるんだから!」
「そんな昔の話を引き合いに出すな! ほら、祈りの巫女が不安に思うじゃないか!」
 あたしは命の巫女の言葉に不安をあおられたりはしなかったけど、あたしを振り返った2人にちょっとだけ微笑み返して、そのまま背を向けて少し離れたところへ歩いていったの。命の巫女がシュウに憎まれ口をきくのが、すごく不安だからなんだって判ってたから。
 そのあと、2人がどうしたのか、あたしは見てはいなかった。でも、自分の心の奥に小さな痛みがあることには気づいていたんだ。


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 シュウは、センシャは人間が作ったヘイキなんだ、って言った。人間が人間を殺すために作ったものなんだ、って。だから獣鬼とはぜんぜん違うんだ。リョウはそれを知っていたから、あたしに逃げるように言った。人間の力ではセンシャに勝てるはずがないから。
 でも、シュウはセンシャに勝とうって言ったの。チャンスはたった1度。確率はそれほど多くないけれど、でも勝てるんだ、って。あたしはシュウの希望を信じた。だから、リョウが言った「逃げろ」という言葉に逆らっても、戦うことを選んだんだ。
 シュウがその場から走り去ってしまうと、命の巫女は声を出して数を数え始めた。きっと2人が言ってたタイミングを合わせるために必要だったんだ。200まで数えたところであたしに合図をくれる。あたしは1つ深呼吸したあと、森の外へ飛び出していた。
 そこは昔岩盤が崩れて大きな岩がいくつもむき出しになって転がっている場所だった。あたしは1つの大きな岩の上に登ってあたりを見回してみる。かなり暗くなってきた西の森に、かがり火で照らし出されたセンシャの姿が見える。そのセンシャがあたしの姿を見つけて、上半身を回してこちらを振り返るのを、まるで夢のような気分で見つめていたの。
 長く伸びた管のようなものがシュホウ。それがあたしにまっすぐに向いて固定される。そのとき、いつの間にか森から出てきていた命の巫女が叫んだんだ。
「次元の扉、出て!」
 とつぜんあたしの目の前に光の渦が展開する。目を開けていることすら困難になるほどの光の潮流。それは、あたしが初めて神様の声を聞いた神殿で見たあの光と同じで、今西の森にある光の輪とまったく同じものだった。
 そして次の瞬間、すさまじい音がして、センシャがあたしにホウゲキを放ったのが判ったんだ。
「「キャーーー!」」
 より大きな悲鳴を上げたのはあたしと命の巫女のいったいどちらだっただろう。そのときに巻き起こった風で倒されてしまったけど、でもさっき岩場を転がされたほどの風じゃなかったんだ。あたしはすぐに身体を起こすことができたのだけど、どうやら命の巫女の方が受けた衝撃が大きかったみたい。倒れている命の巫女に駆け寄りながら西の森を見て驚いた。あのセンシャが炎を上げて燃えていたんだ。
 西の森にあった次元の扉が小さくなる。勝利を知って心の底から安堵したあたしは、その場に崩れ落ちるように座り込んでいた。


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 次元の扉は、入口と出口が対になった、言ってみれば本当に単なる扉だった。これは1つだけでは存在しないのと同じで、2つあって初めて本来の力を発揮するの。命の巫女は、あたしの前に扉の入口を作った。そして、シュウがセンシャの前に出口の扉を作ったんだ。
 あたしに向かってきたホウゲキは、次元の扉を通ってセンシャ自身に跳ね返った。センシャはいわば自分のホウゲキで死んだんだ。次元の扉は遠く離れた2つの場所を自由自在につなげてしまうことができる。だから、もしもシュウが出口を作るのが一瞬でも遅れてたとしたら、ホウゲキはそのまま通過して、あたしと命の巫女の命はなかったかもしれない。
 命の巫女が意識を取り戻すよりも早く、シュウが、そしてリョウが駆け寄ってきていた。リョウは狩人たちを逃がしたあと、何人かの狩人といっしょにずっとあたしを探してくれていたみたい。倒れた命の巫女をチラッと見たあと、あたしの姿を見て複雑な表情を浮かべたの。きっと、あたしが無事なのを喜ぶべきか、あたしが傷だらけなのを心配するべきか、とっさに判らなくなっていたんだ。
 でも、リョウが迷っていたのはほんの一瞬で、やがて微笑を浮かべたリョウはあたしを優しく引き寄せてくれた。
「……よかった。おまえが生きてて」
「うん。……みんながあたしを守ってくれたから」
「怪我は? 痛むんじゃないのか?」
「少しだけ。でも、タキが大怪我をしてるの。あたしは大丈夫だからタキをどうにかしてあげて」
 リョウはちょっと不機嫌そうな顔を見せたけど、一刻を争うのも本当だから、あたしはタキの居場所と怪我の状態をリョウに簡単に話したの。リョウは徐々に集まってきた狩人たちにタキのことを伝えたみたい。そちらは狩人たちに任せてしまって、ようやく目を覚ました命の巫女を気遣うシュウのところへ歩いていったんだ。
 そのあと、いきなりリョウがシュウの頬を拳で殴ったから、あたしは驚いてしまった。
「リョウ! いったい何を……!」
 殴ったリョウは無言で、あたしはとうぜんシュウがリョウに文句を言うのだと思ったんだけど、なぜかシュウも無言でうなだれたままだったの。それがどうしてなのかあたしには判らなかった。でも、シュウには自分が殴られた理由が判っていたように思えたんだ。


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「帰るぞ」
 そう声をかけたあと、リョウはとつぜんあたしを横抱きに抱き上げた。あたしはリョウのこの一連の行動にかなり驚いていて、足場の悪い岩場を抜けるまでの間は声をかけることすらできなかった。万が一にも落とされないようにリョウの首にしがみついていると、すごくリョウを近くに感じる。汗のにおいがして、リョウがどれほど必死になってあたしを探してくれていたのか判るような気がしたの。
 岩場のはずれに祈り台の残骸が見える。その無残な姿が目に入って、あたしは思わず口に出していた。
「祈り台、壊れちゃった……」
「……作りなおす必要はないだろ。おまえはもう村には降りられないはずだ」
 リョウに言われて初めて気づいた。あたしは、あたし個人としては、今回の災厄で祈りに失敗したんだ。影を倒すことができたのは命の巫女とシュウのおかげ。あの2人がいなかったら、あたしはタキと一緒に森で死ぬ運命だったんだ。
 あたしの祈りでは、この災厄を退けることはできない。みんなが言い続けていたこの言葉の意味を、これほど実感したことはなかった。祈りの巫女と命の巫女とがこんなにも違うんだってことも。たとえ姿は同じように見えても、命の巫女はあたしとはまったくかけ離れた存在なんだ。
 知らず知らずのうちに、あたしはリョウの首に強くしがみついていたみたい。そんなあたしの様子を感じてリョウが言ったの。
「おまえ、悔しいか?」
 悔しい。……そうなのかもしれない。自分でも判らない感情にリョウがつけた名前。あたしは素直に受け入れられる気がして、こくんとうなずいた。
「俺もだ。俺も悔しい。けっきょく俺は誰も守ることができなかった。……狩人を4人、死なせた」
 あたしははっとしてリョウの顔を見た。表情は変えていない。だけど、頬にふたすじの涙が伝っていたの。
 リョウがこんな風に泣くなんて ――
「俺は4人を死なせた。あいつは3人を助けることができた。 ―― おまえがあいつを選んだとしても、当然だ」


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 リョウはきっと、殴られたシュウをかばってあたしが言おうとしたことも、その時本当は何があったのかも、ほとんど判っていたんだ。
 シュウはあたしを囮にした。たぶんその様子を遠くから見ていたリョウがシュウを殴ったのは、あたしを危険にさらしたことを怒ってのことだったの。そしてシュウがなにも言わなかったのは、そんなリョウの怒りを受け入れたから。でも、シュウがそうしなければあの場にいた全員の命が危険にさらされていたことも、リョウにはちゃんと判ってたんだ。
 判っていたけど、リョウは悔しかった。だからシュウを殴らずにはいられなかった。……あたしだってそうだよ。自分が命の巫女と違うんだってことがたとえ理屈で判ってたって、悔しいと思う気持ちを消すことなんかできないから。
 あたしはあの時、シュウが示して見せた希望を選んだ。シュウに惹かれている自分も、シュウと命の巫女の姿に胸が痛んだことも知ってる。シュウがあたしを見てくれたらいいのにって思うよ。あたしだったら、命の巫女みたいにシュウに憎まれ口ばかり言わない。シュウのことを大切にして、シュウのおかげで優しい気持ちになれる自分を愛することができる。
 でもあたしは、こんな風に声を出さずに涙を流すリョウを、すごく愛しいと思うの。
 あたしの醜い心に名前を付けてくれる。あたしの気持ちを判ってくれる。それはきっと、リョウが同じ気持ちを知っているからだね。リョウが命の巫女に見ているのも、あたしがシュウに見ているのも、同じ希望という名前の光なんだ。
「リョウ、あたし、リョウのそばにいたい。……だからお願い。あたしが明日もリョウの傍にいられるように、力を貸して欲しいの」
 祈りが失敗したあたしは、明日の影の来襲ではきっと村へ降りることができなくなる。唯一味方になってくれるはずのタキは怪我をしてしまった。リョウが味方になってくれなかったら、あたしは明日の会議で言い負けてしまうだろう。
「俺だってな、おまえのことは心配なんだよ。怪我をしてるときくらいおとなしくしていてくれ」
「だって悔しいじゃない! あたしも汚名返上のチャンスが欲しいよ!」
「明日1日だけは諦めろ。……その代わり、次のときには留守番なんかさせないって約束するから」
  ―― 永遠にリョウの傍にいたい。叶わない願いなのは判ってたけど、それが今のあたしの真実だった。


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 リョウに抱かれたまま神殿への道を行くと、神殿からは何人もの男の人たちが降りてきて、あたしの横を通って村へと駆け戻っていく。急いだ様子であたしを見ても挨拶すらしようとしないのは、きっと北の森の近くに住んでいる人たちだ。火事は今でも東側に向かって徐々に燃え広がってる。岩場で森が途切れる西側と違って、東側にはさまざまな作業場や施設が森と接するようにあるから、関係する人たちはいち早く駆けつけようとしているみたいだった。
 あたしはリョウに抱き上げられているのが恥ずかしくて、降ろして欲しいと訴えたのだけど、リョウは言うことを聞いてくれなかった。あたし自身も自分の足で立って歩ける自信がなくて、その格好のままリョウの胸に顔をうずめていたの。そうしていたらだんだん眠くなってしまったみたい。リョウがあたしの宿舎の前まで辿りついたことは判ったけど、そこに至るまでの記憶はところどころ抜けていた。
「カーヤ、すまないがドアを大きく開けてくれ」
「ユーナ! ……ええ、判ったわリョウ。テーブルに気をつけて」
 2人とも、あたしを起こさないようにできるだけ声をひそめてくれている。あたりの様子をぼんやりと感じることはできるのに、あたしはまだ目を開けることができなかった。やがて静かにベッドに下ろされたとき、身体のあちこちがきしむように痛んで、それでようやく意識がはっきりしてきたんだ。小さく声を上げてまぶたを開けると、リョウがあたしを覗き込んでいる視線と合った。
「リョウ……」
「起こしちまったな。このまま眠っていいぞ。今日は疲れただろう」
「……ごめんなさい。リョウも疲れたでしょう?」
 あたしだって軽くないのに、こんなに遠くまで運んできてくれたんだもん。きっとリョウは腕が上がらないくらい疲れてるはずなんだ。
「ああ、疲れたな。だけど俺のことは心配しなくていい。食えそうならカーヤが食事を用意すると言ってるが、どうする?」
「……今は眠りたい」
 目を閉じると、リョウはそっとあたしの頬をなでてくれた。その感触がいつか感じたリョウの優しさと重なる。あれはいつだっただろう。目を閉じたあたしのまぶたにリョウがキスをしてくれたのは。


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