真・祈りの巫女
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命の巫女が部屋の中に入ってくるのを、オミは口をぽかんとあけながら視線で追っていた。そのあと、あたしの隣に立った命の巫女とあたしとを交互に見つめる。わざわざ別々に入ってきたのに、オミはもう区別がつかなくなっちゃったみたい。あたしはすっかりいたずら心に目覚めちゃったんだけど、どうやら命の巫女も同じみたいで、2人で目を白黒させてるオミを笑いながら見ていたの。
「……カーヤの言ったとおりだ。不気味すぎる」
「失礼ね。……命の巫女、この礼儀知らずなのがあたしの弟のオミ。どう? あなたの弟のマサオミに似てる?」
「うん、よく似てる。生意気そうなところもそっくり。まるでマサがここにいるみたい」
「命の巫女……?」
「そうなの。昨日までは探求の巫女だったんだけど、今日から命の巫女になったの。だからオミもそう呼ぶといいわ。あたしこれから出かけなきゃならないから、タキが迎えにくるまで2人でお話ししててちょうだい。頼んだわよ」
そう言って、オミの返事を待たずに背を向けたあと、部屋の勉強机の椅子を枕元に引いてきて命の巫女に声をかけた。
「ここに座るといいわ」
「ええ、ありがとう」
「こんな生意気な弟の相手なんかさせちゃってごめんなさいね。話に飽きたらあたしの部屋を自由に使ってもらってかまわないし、出歩いてくれてもいいわ。でも居場所だけはカーヤかオミに言伝しておいてね。あとでタキに迎えに来させるから」
「そんなに心配してくれなくてもあたしは大丈夫よ。ここでおとなしくお話ししてるわ。もちろんオミがよければだけど」
あたしは2人に「よろしくね」と声をかけて、部屋を出たあと少しだけドアの前で聞き耳を立てていると、中からオミがあたしに文句を言い始めたのが聞こえてきた。笑いながら相槌を打つ命の巫女の声も聞こえたから、あたしはすっかり安心してドアを離れたの。それからは昨日と同じようにろうそくを用意したり、神殿へ行って聖火を移してきたり準備に走り回っていたら、リョウとタキが相次いで宿舎にやってきた。村への道を歩きながら、あたしがさっきの文字の話をすると、タキは興味深そうに2人の名前が書かれた紙を見ていたんだ。
リョウは何も言わない。その背中を見ながらあたしは、ランドに預けたままになっているリョウの持ち物のことを考えていた。
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リョウは西の森で別れていったから、そのあとあたしの荷物はタキが引き継いでくれて、2人で祈り台のある場所まで歩いていった。到着してさっそく祈りを捧げたあたしをタキはうしろで見守っていてくれたの。昨日タキが紙に書いてくれた名前はそれほど多くなかったから、祈りにもあまり時間がかからなかった。祈りを終えて、あたしが聖火以外のろうそくを消して台を降りると、タキはちょっと真剣な顔をしてあたしを迎えたんだ。
「お疲れさま、祈りの巫女。……ちょっと話があるんだけど」
タキのその様子で、あたしはタキの話が何なのか判ってしまった。
「いいわ。……ここは暑いから木陰へ行きましょうか」
あたしは岩場の向こうに広がる森の方へタキを促した。そこはリョウがあたしの逃げ場所に選んだだけあって、西の森よりもずっと歩きやすいんだ。完全に太陽が隠れるあたりまで入り込んで、あたしは足を止めた。振り返ると、タキはやっぱり真剣な目をしてあたしを見つめていたから、あたしは笑顔の仮面が剥がれ落ちそうになっていた。
「このあたりでいいわね。……で、話ってなに?」
タキのこんな顔を見るのは初めてかもしれない。
「オレは、そもそも最初から関わってる。リョウが神殿に倒れていたとき着ていた服も見てるし、リョウがそのときに何を持ってたのかも知ってる。……昨日、食堂で話しながらシュウの持ち物を見せてもらったんだ。その中に、オレはリョウの持ち物によく似たものを見つけたよ」
―― まだ、タキの出方は判らなかった。タキはこのことを誰かに話したの? それとも、まだ誰にも話さないで、あたしの真意を確かめようとしているの?
「そう。……それで?」
「シュウはリョウを初めて見たとき、彼を「トツカ」と呼んだね。シュウが最後にトツカを見たとき、彼はヤケンという動物の群れに襲われてたんだそうだ。それが今から5日前。シュウに詳しく訊いてみると、そのヤケンという動物は、リグによく似ているんだ」
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はっきりとは言わない。だけど、タキが言わんとしていることは判るよ。タキは今まであたしとほとんど同じものを見てきた。だから、タキがあたしと同じ結論にたどり着いてもあたり前なんだ。
「ふうん、どこにでもいるのね、リグのような動物って」
「……やっぱり君も気がついてたんだ、祈りの巫女」
タキは慎重に言葉を選んで、あたしの真意を探ろうとしている。あたしも、頭の中の知恵を総動員して、タキより優位に立とうとしてる。まるで狩人と獣の真剣勝負みたいだった。今、あたしは狩られている獣と同じ。タキの考えが判るまで気を抜くことなんかできない。
「リョウはなにも覚えていないのよ。あたし、リョウに直接訊いたの。「あの2人を知ってるの?」って。リョウは「覚えがない」って言ってた。たぶんタキはリョウがトツカだと言いたいんだと思うけど、もしもリョウがトツカだったらあの2人を知らないとは言わないわ」
この話は、タキにとっては意外だったみたい。あたしがリョウからそんな言葉を引き出しているとは思ってなかったんだろう。
「……それは本当?」
「こんなこと、嘘を言ってもすぐにバレるもの。タキも直接リョウに訊いてみたらいいわ」
「だとしても! ……いや、たとえリョウに記憶がなかったとしても、リョウがシュウや命の巫女と同じ世界からきた人間なのは間違いないよ。同じ服を着て同じものを持ってた。リョウが神殿に現われたのは君が祈りを捧げているときだったし、おそらくシュウたちが来たのも君の祈りが神様に届いたときだ。リョウがトツカだったらすべてつじつまがあう。神殿で君を「ユーナ」と呼んだことも、彼の神託で右の騎士の予言が出てきたことも。 ―― あの時は誰も命の巫女がいるなんて知らなかったんだ。右の騎士の予言が出れば、それはとうぜん祈りの巫女の騎士だと思うよ。でも今は違う。あのリョウは命の巫女の ―― 」
「やめてよ!」
あたし、思わずタキの声をさえぎっていたの。それ以上聞きたくなかった。……判ってるよ。だからもう言わないで。あの人はあたしのリョウなんだから。あたしが小さな頃からずっと大好きで、秋になったらあたしと結婚してくれる、恋人のリョウなんだから。
もう、タキに何を隠すこともできなかった。あたしは自分の運命をタキに委ねるしかなかったんだ。
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リョウを守りたかった。リョウを守るために、あたしは仮面を被ろうって決心していた。ぜったい、誰にも、リョウの嘘を見破られないようにするんだ、って。……でも、あたしはほんの少し動揺しただけですぐに素顔をさらけ出してしまうくらい、心が弱いんだ。
自分の弱さが恨めしいよ。たった1つの嘘すら守りきれない自分が。
「……祈りの巫女、オレは別に、君を追いつめたかった訳じゃないんだ。……オレはただ真実を知りたかった」
今、タキが真実を暴いても、あたしは幸せにはなれない。真実はあたしからリョウを取り上げてしまうものなんだよタキ。リョウをつなぎとめておくためには、あたしはこの嘘を貫き通すしかなかったんだから。
「タキにはあたしからリョウを奪う権利なんかないよ! だって、リョウは命の巫女に惹かれてるんだよ。命の巫女もリョウに惹かれてる。真実を暴いたからっていったいどうなるっていうの? リョウを命の巫女に取られちゃうだけじゃない!」
そう、あたしが半分泣き顔で訴えた次の瞬間、タキはすごく痛そうな表情をした。もしかしたら会話がこんな風になってしまったことをほんの少しだけ後悔していたのかもしれない。
「だったら、嘘をつき通せばリョウは本物のリョウになるとでもいうのか? ……ならないよ、祈りの巫女。リョウは命の巫女と同じ世界の人間なんだ。いずれは自分の世界に帰ってしまう人間なんだよ」
―― 判ってた、そんなこと。今タキに言われるまでもなく。
リョウはこの村の人間じゃない。あたしがリョウの嘘を守ろうとして、たとえ最後まで守り通したとしても、影の脅威が去ればリョウはこの村を捨てて自分の世界へ戻っていくだろう。誰だって生まれた村がいちばんなんだもん。ましてリョウが生まれた村には命の巫女がいるのに、そのすべてを捨ててまでこの村にとどまってくれることなんかありえないよ。
あたしがしていることは、リョウがこの村にいてくれるほんのわずかな間、リョウと命の巫女を引き離しておけるだけに過ぎない。そんなの無駄なことなんだってあたしにも判ってる。でも、たとえほんの少しの間でも、あたしはリョウの傍にいたかったの。
リョウは今、あたしの婚約者として振舞ってくれている。命の巫女の視線を避けてる。リョウの本当の気持ちが命の巫女に注がれているのだとしても、いつかはあたしを見てくれるかもしれないって、そう信じていたかったの。
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「祈りの巫女、さっきも言ったように、オレはただ真実を知りたかっただけなんだ」
不意に大きく息をついたあと、そうタキは話し始めた。
「君が言うとおり、オレには君からリョウを奪う権利なんかない。君とリョウの嘘を暴いて2人を傷つける権利もない。だから、今ここでこんな風に君を追いつめる気もなかったんだ。……すまなかった、祈りの巫女。約束するよ。このことは誰にも言わない、って」
その瞬間、あたしはタキの言葉が意味するものを掴みきれなくて、思わず顔を上げてタキをまじまじと見つめてしまったの。そんなあたしの様子がおかしかったのか、タキは少し恥ずかしそうにも見える微笑を浮かべたんだ。
「リョウはずっとこの村にいた。1度死にかけたショックで過去の記憶を失ったけど、祈りの巫女が幼い頃から一緒に過ごしてきたリョウと何ひとつ変わってない。祈りの巫女の婚約者で右の騎士。だから命の巫女のことはまったく知らないはずだ。 ―― それでいい?」
タキ、あなたは、あたしの嘘を一緒に守ってくれるの? もしかしてそう言ってくれているの……?
「タキ、それって……」
「はっきり言って、君は嘘をつくのには向いてないよ。自分ひとりで秘密を抱え込むことにもね。根が正直すぎるんだ祈りの巫女は。だから、このまま嘘をつき続けたとしても、いずれすぐにバレるよ。……このことはリョウにも言えることだけど」
「……リョウ……?」
「ああ。オレが今まで見てきた限りでは、リョウもそれほど嘘が得意じゃない。これはたぶん、リョウが村のことを知らないせいもあると思うけど、これまでにもリョウはかなりたくさんのボロを出してるよ。たとえば、右の騎士の力のこととか」
……そういえば、一昨日タキとリョウがあたしの宿舎で話していたとき、タキの口からその言葉を聞いた気がする。そのときあたしはシュウがあたしの左の騎士だったことに気を取られて、話の内容までは聞き逃してしまったんだけど。
「リョウは自分に右の力があると言ってたんだ。知っての通り、祈りの巫女の騎士には右の力はない。それを持っているのは命の巫女と彼女の騎士だけなんだ。リョウには祈りの巫女の騎士についての知識はないからね、それをオレに話すことで既に自分の正体をさらけ出していたってことには気づいてなかったんだろうね。……まあ、オレがそれに気づいたのは命の巫女が現われてからだけど」
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「右の騎士の力、って、予言の力のこと? リョウはあの時タキにそれを話したの?」
「そのときにはそこまで具体的な話はしてなかったよ。だけど、オレには思い当たる節があってね。あとから考えてみるとリョウが力を使ってるところをオレはちゃんと見てるんだ。リョウが右の力を持ってるのは間違いないよ」
予言の力は、遠い昔、まだこの村に巫女が3人しかいなかった頃に予言の巫女が持っていた力のこと。その力は神事の巫女の「放つ力」に対して「察する力」と呼ばれていて、今では運命の巫女と神託の巫女が分け合って持っているんだ。あたしにも覚えがあるよ。リョウと2人で西の森の沼へ行ったとき、リョウは沼の水に触れながら、沼にあたしを殺す意思が満ちていることを教えてくれたから。
「リョウに右の力があるのなら、もしかして運命の巫女の力もあるってこと?」
「おそらくあるだろうね。ただ、リョウが運命の巫女の力まで使いこなせているかどうかは疑問だけどね。でも少なくとも神託の巫女の力は自由に使えているよ。オレが見たのはこっちの力の方だ」
あたしが見たのも神託の巫女の力。……思い出した。リョウは時々右手で人の手に触れて何かを考えているように見えたんだ。最初にタキと話したときにもタキの手に触れてたもん。あれもきっと、リョウが右の力を使っていたってことなんだ。
リョウは、あたしの手にも触れた。それはきっとリョウには必要なことだったんだ。それは判っていたけど、あたしの心は複雑だったの。だって、神託の巫女の力をあたしに使ったってことが、リョウがあたしを信じてくれていなかった証拠のように思えたから。
「……タキ、リョウの嘘を守ってくれてありがとう。こんなことをしてもタキが得することなんてなにもないのに」
あたしがそう言って振り仰ぐと、タキはちょっと苦笑いを浮かべた。
「得することはないけどね。でも別に、君やリョウのためを考えてって訳でもないんだ。……オレ自身はかなり卑怯な手を使ってると自分でも思うよ」
そのタキの言葉の意味はあたしには判らなかった。だから沈黙しただけで聞き流す。
「祈りの巫女、この嘘は遠からず明るみに出る運命にある。その覚悟だけは君もリョウもしておくべきだよ」
―― 判ってる。その時がリョウがあたしから離れていく時なんだ、ってことも。
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森を出てあたしが再び祈りを始めようとしたとき、タキは命の巫女とシュウを迎えに行くために神殿へ歩き去っていった。その仕草がすごく自然で、あたしは少しの間気づかずにいたんだけど、祈りを終えたあとにふっとタキの行動の不自然さに気づいたんだ。タキはあたしが神殿へ残って欲しいと言ったとき、祈りの巫女の傍を離れる訳にはいかない、って答えていた。それは、あたしと2人だけでさっきの話をしたいがための言い訳だったんだ。
タキはしばらく戻っては来なくて、その間あたしは何度かの祈りを捧げて、合間にさまざまなことを考えていた。命の巫女が書いてくれた2つの名前。リョウがあの2人と同じ村の出身で、6歳の頃から学校に通っていたのなら、リョウもこの文字を読んだり書いたりすることができるのだろう。もしかしたら空が青い理由も知ってるのかもしれない。リョウは本当に、この村の人たちとはかけ離れた存在なんだ。
リョウは命の巫女の騎士だけど、空間を操る力を持っているのは命の巫女と左の騎士であるシュウだけ。やがてこの村が災厄の脅威から解き放たれる日が来たとして、命の巫女とシュウは自分の力でもとの村へ帰ることができるけど、リョウにはその力はない。だから、あの2人が帰るときに一緒に帰らなければ、そのあとリョウは一生をこの村で過ごさなければならないんだ。命の巫女が帰るとき、リョウは自分の正体を命の巫女に明かして、彼女のものになってしまう ――
―― あたしにはどうすることもできない。リョウが命の巫女に惹かれるのを阻止することも、帰りたいというリョウを引き留めることも。
まして、好きな人がこんなに近くにいるのにリョウがこの村を選んでくれる可能性なんて、万に1つもありえないんだ。
タキが戻ってきてくれるよりも早く、リョウはあたしの祈り台までやってきた。リョウは少し……ううん、かなり不機嫌だったの。あたしが台を降りて近づいても、ほとんど目を合わせようとしないで黙り込んでいたんだ。
「リョウ、どうしたの? なにか心配事でもあるの?」
あたしの問いにもリョウは返事をしないで、何かを考えているように靴で地面を掘り返した。その沈黙は重苦しくて、たぶんリョウはあたしに話があってきてくれたはずなのに、そんなあたりまえの事実すらあたしは信じられなかった。
あたしがリョウに何も訊けなくなっていたそのとき、リョウはいきなり振り返って、あたしを力任せに抱きしめたんだ。
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リョウが抱きしめてくれるのはいつも嬉しかったけど、あまりにとつぜんだったからあたしは少し身じろぎした。だって、その抱き方はまるで手加減がなくて、ほとんど息が止まるくらいだったから。
「……頼む。少しこのままいさせてくれ」
あたしが動いたのに気づいたんだろう。リョウは少しだけ力を緩めてくれたから、あたしはそれ以上抵抗しなかったんだけど……。
あたしを抱きしめているのに、リョウが今考えているのはあたしのことじゃなかった。……どうしてだろう。理屈は何にもないのに、あたしにはそれが判ってしまったんだ。リョウ、今何を考えてるの? いったい誰のことを思ってるの?
リョウが命の巫女のことをどう思っているのか、あたしは確かめたことなんかなかった。あたしが知ってるのは、幼い頃に命の巫女がリョウを好きだったことと、1ヶ月前に再会してお互い名乗りあわずにいたことだけ。リョウが命の巫女のことを好きかどうか、あたしはリョウに確かめてなんかいなかったけど、命の巫女の気持ちを知ったら判るよ。幼い頃に2人が過ごした時間がどんなものだったのか。2人は強い絆で結ばれていて、お互いにとても満たされた日々を過ごしていたこと。
あたしはリョウにとって、命の巫女の身代わりだ。今リョウが抱きしめているのは彼女なんだ。きっと最初からそうだったの。もしも命の巫女が現われなかったら、あたしがそれを知ることはなかったのに。
でも、それならどうしてリョウは自分の存在を彼女に隠しているの? あたしが惨めだから? リョウは、今こうして必死ですがり付いているあたしがかわいそうだから、命の巫女になにも告げないでいてくれるの……?
なんだか頭がぐちゃぐちゃで判らないよ。リョウに直接確かめられないのがつらい。この奇妙なバランスを、自分の手で崩してしまうのが怖いの。
「おわっと!」
とつぜんその声が届いてきて、驚いたリョウがあたしから手を離した。リョウが振り返る気配であたしも覗いてみると、そこには苦笑いを浮かべるタキと、面食らったようにぽかんと口をあけた命の巫女とシュウがいたんだ。
とっさになにも言えなかったリョウに、タキはニヤニヤ笑いながら声をかけた。
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「あのなあ。こんなところでそんなことしてるなよ。独り身には目の毒なんだけど。それとも、オレたちに見せ付けるつもりだったのか?」
そのタキの一言は、十分に場を和ませる効果があったみたい。あたしはちょっと恥ずかしくてリョウのうしろに隠れてしまったけど、リョウは余裕が出てきたように答えたの。
「ああ、悪かった。……続きは見えないところでやることにするよ」
「続き、って。……呆れたヤツだな。もうじき予言の時刻だってのに何のんきなこと言ってるんだよ。祈りの巫女だって迷惑だろ?」
「すぐに戻る。それまで2人に逃げ道の説明でもしててくれ」
そう言ってリョウはあたしの背中を押して、あたしとタキがさっき話していた森の中へと歩いていった。うしろではタキの「今あの2人が行った方が逃げ道だよ」なんて声が聞こえてくる。リョウは無視して、森に入るころにはあたしの背中を押すのもやめて、ずっと先に立ってい歩いていったんだ。やがて不意に立ち止まると、少し辺りを見回しながらつぶやいたの。
「このあたりか……」
「え?」
「さっき、タキとここで何を話してた」
リョウ、あたしがさっきタキといっしょに森に入ったこと、知ってたの……?
とっさに言葉が出なかった。だって、さっきタキと話していたのはリョウのことだったから。あんなこと、本人のリョウに話せる訳ないよ。あたしがリョウの嘘に気づいてることがリョウに知られてしまう。
あたしが黙り込んでいる間、リョウはちょっと怖い顔をしてあたしを見つめていた。なにか言わなければいけないと思うのに言葉が出てこない。……タキに言われるまでもないよ。あたしって、本当に嘘をつくのに向いてない人間なんだ。
やがて、リョウの方が諦めたように大きく息をついた。
「仕方ねえな。……おまえ、これから人気のないところであいつと2人きりになるな。約束できるか?」
あたしが無心でうなずくと、リョウはほんの少しだけ苦笑いを見せた。
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「できない約束だろ? だったらそんなに簡単にうなずくな。……俺にだって判ってるよ。自分が無茶なことを言ってる、ってのはな」
「……」
「そんな顔されると俺の方が困る」
……あたし、今どんな顔をしてるんだろう。
リョウが何を考えてるのか、ぜんぜん判らないよ。リョウはあたしとタキが2人でいたことを怒ってるの? それとも怒ってないの? ……怒ってないのかもしれない。そうだよね、リョウが好きなのはあたしじゃないんだもん。怒ってなかったとしたって、それは当然のことなんだ。
そうか。今のあたし、すごく傷ついてるんだ。リョウが苦笑いだけで許してくれたから。リョウに愛されていないって、こんなにはっきりと判ってしまったから。
「……タキとは、できるだけ2人きりにならないようにするわ。そう心がける」
あたしが口を開いたからだろう、リョウはほっとしたように笑顔を見せた。それだけでも嬉しいよ。たとえほんの少しでも、あたしのことを気遣ってくれてるって判るから。
「あいつはおまえの担当だからな、この騒ぎがおさまるまでは仕方がないだろう。だけど、これだけははっきり約束しろ。……シュウにはぜったいに近づくな」
シュウの名前を出した瞬間、リョウは今までとは比べ物にならないくらい、目に強い表情を浮かべた。
「え? ……シュウ?」
「ああ、あいつだけは許さない。……あいつにだけは渡したくない」
そのとき、リョウは再びあたしを引き寄せて、その腕に抱きしめた。 ―― その瞬間に気づいたの。リョウはあたしを命の巫女の身代わりにすることに決めたんだ、って。3人の間にどんないきさつがあったのかあたしは知らない。でもきっと、リョウはここへ来る以前から既に命の巫女のことを諦めていて、今、そっくりな顔をしたあたしを恋人の代わりにすることに決めたんだ。
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