真・祈りの巫女



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 隣にいたセリに視線を戻すと、セリはようやく気づいてくれたかというような笑顔を見せたの。あたしはセリの存在を忘れてた訳じゃなかったけど、ちょっと申し訳ない気持ちになっていた。
「今日から正式に祈りの巫女の担当神官に任命されたよ。さっそくだけどなにか手伝うことはある?」
 あたしは今まで思っていたことをセリに伝えた。
「今回の災厄で亡くなった人の家族の名前が知りたいわ。その人たちの悲しみを癒す祈りをするの。たくさんいて大変だと思うけどお願い」
「それなら書庫へ行けばかなり判るだろうな。判った。今日中にそろえられるようにするよ」
「ありがとう。助かるわ」
 そう、セリと簡単に言葉を交わして再び命の巫女を見ると、命の巫女とシュウ、そして聖櫃の巫女が長老宿舎を出て行くところだった。
「ねえ、3人そろってどこへ行くの?」
 声に気づいて3人は歩きながらあたしを振り返ったから、成り行きであたしも隣を歩き始める。答えてくれたのは命の巫女だった。
「書庫へ行くの」
「書庫?」
「うん。……ちょっと、っていうか、かなり悔しかったから」
 あたしが首をかしげると、命の巫女に代わってシュウが引き継いだ。
「リョウがさっき言ってただろ? 命の巫女の力をすべて使えるのか、って。実のところ、オレもユーナも命の巫女の力について、正確なところは知らないんだ。だから今聖櫃の巫女に相談したら、書庫に文献が残ってるかもしれないって言われてね。調べに行くところ」
「私も正確には知らないのよ。だから命の巫女の物語を読んでもらうのが1番いいんじゃないかと思ったの。シュウはこの村の文字を読めるようだから」
 この村の文字が読めるの? あたしが驚いてシュウを振り返ると、シュウはちょっと照れたような笑顔を見せた。
「元はニホンゴだからね、慣れればそう難しくないよ。オレたちが使う文字よりも機能的でうらやましいくらいだ」


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 それから神殿の書庫に辿り着くまでの間、シュウは自分たちが使っている文字について説明してくれた。それによると、シュウたちは日常的に3種類の文字を使っていて、例えば命の巫女の名前1つにしても3通りの書き方があるんだって。文章は主にその3種類の文字を混ぜて書くんだけど、そのうちの1種類は1000以上も数があって、シュウの村の人たちはそれを覚えるだけで何年もかかるんだ。更にときどき別の2種類の文字が混じることもあるみたい。そんなシュウの話はあたしにはまるで想像がつかなくて、ほとんど相槌も打てずにただ呆然と聞いていることしかできなかったんだ。
 この村の文字は1種類で、数も300くらいしかない。だからその話だけでもシュウが言った「機能的でうらやましい」って意味は十分に判ったの。確かに、それだけたくさんの種類の文字を使ってるのなら、あと1種類くらい使う文字を増やしたところでたいしたことはないのかもしれない。
 神殿の前まできたとき、まだしゃべり続けようとしているシュウを命の巫女が制して、それでようやくあたしは怒涛の説明から解放された。いくぶんぐったりした気分のまま祈りの巫女宿舎まで戻ってくる。もしかしたら先に長老宿舎を出て行ったリョウが来ているかもしれないと思ったけど、あいにく宿舎にはオミが1人で寝ているだけだったの。でも、少しの間オミの世話をしていると、不意に扉をノックする音がしてリョウが1人でやってきたんだ。
「リョウ、どうしたの? なにか忘れ物?」
「いや。……おまえ、これから少し時間あるか?」
「ええ。夜までにセリが来てくれることになってるけど、それまでは特になにもないわ。オミも今のところ用事はないみたいだし」
「それならオミに断って一緒にきてくれ。連れて行きたいところがある」
 あたしは言われた通りオミに断って、リョウのあとについて宿舎を出たの。歩いている間はリョウはなにも言わなかったから、あたしはリョウの背中を見ながら不思議に思っていた。いったいリョウはどこへ連れて行こうとしてるんだろう。方角はどうやら神官の共同宿舎の方みたいだけど、あたしにはリョウの行動の意味がぜんぜん判らなかったの。
 やがて神官の共同宿舎まできたリョウは、1度あたしを振り返ったあと、宿舎の扉をノックして中へ入っていった。


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 あたしとリョウの姿を見て通りかかる神官たちが挨拶をしてくれる。リョウは軽く挨拶を返して、廊下を奥まで進んでいったの。それでようやくあたしは気づいたんだ。もしかしたらリョウは、タキの病室へ行こうとしているのかもしれない、って。
 リョウがノックしたのは思った通りタキの病室のドアで、中からの返事を聞いて振り返ったリョウを、あたしは視線に質問の意味を込めて見上げた。リョウは言葉では答えず、ドアを大きく開けてあたしを部屋の中へ導いたの。
 ベッドにはタキが以前と同じようにうつ伏せで横たわっていて、両腕で少し身体を浮かせてあたしたちを見上げた。
「ずいぶん早かったね。こんなにすぐに来てくれるとは思わなかった」
「都合が悪かったか?」
「いや、オレの方はこの通り寝たきりだから。祈りの巫女の見舞いならいつでも大歓迎だよ」
 そう言って、タキはあたしに微笑みかけてくれる。この会話の感じだと、リョウは長老宿舎を出たあとにまっすぐここへきて、そのあとすぐにあたしを迎えにきたみたい。あたしはさっぱり訳が判らなくて、リョウとタキを代わる代わる見比べてしまったんだ。
「それじゃ、あとは頼む」
「え? もう帰るのか? せめてどこまで説明したのかくらい話していってくれよ」
「なにも説明してない。おまえに任せるからどうにかしてくれ」
「お、おい。ちょっと待てよリョウ……」
 タキの慌てたような制止には答えずに、リョウはそのまま部屋を出て行ってしまった。もちろんあたしにはなにがなんだかぜんぜん判らなくて、呆然とリョウのうしろ姿を見送ったの。リョウがあたしをここへ連れてきたかったんだってことはどうにか理解したけど、いきなりこんなところでタキと2人きりにされてもどうしたらいいのか判らないよ。
 タキが大きく息をつくのを背後で感じて、茫然自失していたあたしはようやく振り返った。目が合うと、タキはちょっと困ったような表情をして、そのあと心を決めたように微笑を浮かべて言った。
「まあ、とにかくきてくれてありがとう。ひとまずそこにある椅子をここへ持ってきて座ってくれる? その方が2人とも楽だから」


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 タキに言われた通り、あたしは部屋にあった椅子をタキの枕もとまで引いてきて腰掛けた。それに合わせてタキも楽な姿勢をとる。あたしは不思議な気分だった。だって、リョウが言ったんだもん。タキとはできるだけ2人っきりになるな、って。
「祈りの巫女、リョウはなんて言ってたの? オレと話せって?」
「ううん。連れて行きたいところがあるから一緒にきてくれ、って。どこに行くとも言ってなかったわ」
「そうか。……それじゃ、祈りの巫女は何のためにここにきたのかも判らないんだ」
 タキは再び溜息をつく。あたしはなんだか居心地が悪い気がして、椅子を立ちかけていた。
「ああ、待って。せっかく見舞いにきてくれたんだ。少し話をしよう。時間は大丈夫なんだろ?」
「ええ。夜までにセリが来てくれることになってるけど、それまでの間は特に何もないわ」
「それならよかった。どう? セリはしっかりやってる? もしかしてオレよりずっと役に立ってるかな」
「……うん、でもまだあんまり勝手がつかめてないみたい。あたしの担当になってくれたのもついさっきだから仕方ないと思うけど」
 タキがいなくなってから、あたしは思うように仕事が進んでいなかった。タキはあたしが言わないことでもぜんぶ先回りしてくれてたんだ。セリが担当になってから、あたしは改めてそのことに気が付いたの。それはけっしてセリが悪い訳じゃなかったけど。
「慣れるまでは2人ともたいへんかもしれないな。ほかの巫女ならともかく、祈りの巫女は少し特別だから。もともとセリはそれほど要領が悪い方じゃないから、慣れてくればちゃんとやってくれると思うよ。機会があったらオレも話しておくし」
 タキはあたしの歯切れが悪いことに気づいたのか、そう言って慰めてくれた。でも、あたしが今までタキとうまくやってきたのは、きっとタキが優秀だからってだけじゃないと思ったの。あたしはタキのことを信頼して、すごく頼ってた。その信頼関係は一朝一夕には作れないもの。災厄が起こる以前からいろいろ協力してくれていたタキだから、あたしはタキにすべてを任せることができたんだ。
「それに、セリもちゃんと神殿の神官だから、自分の役割はしっかり理解してる。神官は巫女のために存在するものなんだ、って。今まで守護の巫女にいろいろ任されてたのだってそれがあったからだしね」


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 あたしは、そのタキの言葉で、不意に運命の巫女とセトのことを思い出していた。……あたしがどうして落ち込んでたのか判った気がする。あたしはあのセトの姿に、あたしを守って怪我をしたタキを重ねていたんだ。
 タキはいつもそう言う。神官は巫女のために存在するんだ、って。これから先、例えばタキが誰かと結婚して家族を作って、あたしに家族ができたとしても、タキはあたしが危険な目にあえばあたしを命がけで守ろうとするの……?
「セトが運命の巫女を守ろうとしたのもそうなの? 神官が巫女のために存在するから、セトは自分の命よりも家族よりも、運命の巫女を選んだの?」
「そう思うよ。それが神官の役目なんだから。自分が担当する巫女が危険な目にあってるのに自分だけ逃げることはできないだろ?」
「どうして? だってセトには家族がいたんだよ! あたし、セトが家族のことをすごく大切に思ってたのを知ってるもの。それなのにどうして運命の巫女を選ぶの? 昔好きだったから? たったそれだけの理由で自分が助かるのにわざわざ危険に飛び込んでいくの?」
「昔のことは関係ないよ。祈りの巫女、少し落ち着いて。君はなにをそんなに苛立ってるの?」
「だってあたし、嫌だもん。もしも崖下にいたのが自分だったらタキにそんなことして欲しくない。ただ巫女だってだけであたしのために神官に命を捨ててなんて欲しくない。だって、タキもあたしも同じ命じゃない。あたしの命の方が大切だなんてこと、ぜったい違うよ」
 怖いんだ、あたし。前からタキがあたしを守ってくれてることが判ってたから。セトの実例を見せられてしまって、あたしはそのことが実感として判ってしまったんだ。
 例えば、もしもリョウが危険な目にあってたら、あたしはなにも考えずに危険に飛び込んでいくだろう。それはあたしがリョウを失ったら生きていけないと思うから。リョウが死ぬことは自分が死ぬことと同じだから。でも、セトにはちゃんと愛する家族がいて、たとえ運命の巫女を失ったとしてもそのさき生きる希望をすべて失う訳じゃないんだ。それなのにセトは運命の巫女を守ろうとした。同じ状況になったら、きっとタキもセトと同じように、愛する人たちよりもあたしを選んでしまうんだ。
 ただ、巫女と神官だというだけで、あたしはタキの命を犠牲にしてしまう。あたしの命にそれほどの価値なんかないよ。あたしなんかを助けるために、タキのそれから先の人生を奪って、タキを愛するたくさんの人たちを悲しませる権利なんて、あたしにはない。


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「祈りの巫女、君の命は村の宝物だよ。神官が何人いるより、君1人が村にいる方が、村のためにはずっと必要なことなんだ」
 今までと少し変わったタキの口調に緊張を感じて、あたしは顔を上げた。いつも微笑を浮かべているタキの顔。このときのタキにはあまり表情が感じられなかった。あたし、もしかしたらタキを怒らせた……?
 でも、そのあともタキの声は穏やかで、けっして怒っているようには思えなかった。
「たぶん君も本当は判ってるんだ。このところいろいろあって気持ちが弱くなってるから、視野も狭くなってるんだね。そのことはオレにも判るけど、君が気持ちを割り切るためにもあえて言わせてもらうよ。……祈りの巫女、君が存在するのは村のためだ。村に起こる災いを退けて、村を平和に存続させるために君は生まれた。もちろんユーナという名前の女性が自分の幸せを求めることを否定はしないよ。だけど、祈りの巫女は間違いなく村のためだけに存在する」
 タキの言葉は真実だった。あたしは今までずっとそう思ってきたし、もちろん今でも変わらない。でも、あたしはそのことと今の話をつなげて考えてはいなかったんだ。タキがあたしの視野が狭いと言ったのは、おそらくこのことだったんだろう。
「実はさっきリョウがきて、君が運命の巫女のことで落ち込んでるって聞いてね。だいたいこのあたりのことじゃないかと察しはしてたんだ。その時リョウとも少し話をして。……祈りの巫女、この村の外に出るといくつもの村があるんだけど、その村の多くは国という組織に属していて、王という1人の人が管理している。王は村から作物や労働力を搾取して、自分は立派な宮殿に住んで、村人には想像もつかないくらいの贅沢をする。王の周りにいる臣下たちは王の命令に忠実に従って、命がけで王の命を守ってるんだ。この話を聞いて、祈りの巫女はどう思う?」
 あたしはすぐに頭を切り替えることができなくて、ちょっと口篭もりながら返事をした。
「王は仕事をしていないの? ……だとしたらそんな状態がずっと続いていくなんておかしいわ。だって、みんなは王がいなければもっと自由なんでしょう? おいしいものを食べたり、自分のためにもっと働くこともできる。たった1人しかいない王ならみんなで協力すれば簡単に追い出せるもの。王は自分がしている贅沢な暮らしを村の人が支えていることを知らないの?」
「もちろん知っているよ。自分が食べているものがどこからくるのかも、自分が住んでいる大きな宮殿を誰が作ったのかも」


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「知っているから王は一生懸命勉強するんだ。勉強して、どうしたら村の人たちが平和に暮らしていけるのかを考える。祈りの巫女も、この村を出るともっといろいろなことが判るよ。オレたちが住むこの村がものすごく恵まれた土地にあるんだってことも。例えばね、この村の外には川が流れていない村があるんだ。逆に、近くに流れる川が大きすぎて、ときどき水があふれて流されてしまう村もある。そういう村に住む人たちは、自分たちの力だけではどうすることもできないんだ。だから王はそういう人たちに代わって、川の流れを引き込む溝を掘ったり、川辺に石を積んで水があふれてこないように工事を計画したりする。つまり、王という人は、自分の生活を村人や臣下に支えてもらう代わりに、その人生のほとんどを国に捧げていく人のことなんだ」
 あたしは、タキがどうしてこの話を始めたのか、なんとなく判りかけていた。
「巫女は、王と同じなの……?」
「必ずしも同じとは言えないかな。この村は王を必要とするほど問題が多い訳じゃないから。でも、リョウがこの話で納得してくれたのは間違いないよ。この村の規模は国なんかとは比べ物にならないほど小さいし、普段は比較的平和だから、オレたちもあまりそういうことを意識したことはない。だから祈りの巫女も漠然と「村のために祈るのが祈りの巫女の役目なんだ」って思ってただけなんだろうけど、ここまで危険が身近に迫ってくれば、巫女にも王と同じような自覚が必要だと思うよ。つまり「自分の命を守ってもらう代わりに村のために祈りを捧げているんだ」っていう自覚がね。祈りの巫女の命は君だけのものじゃない。今の君は、村のために存在している祈りの巫女なんだよ」
 それは、あたしが今までずっと言われてきたことだった。守護の巫女はあたしに対して命を大切にするように言ってきたし、あたしが危険な目にあわないようにずっと守ってくれた。その意味をあたしは深く考えたことがなかったんだ。あたしは自覚がない巫女で、だからみんなにはすごく危なっかしい巫女に見えていたんだろう。
「……タキは、ずっと自覚していたのね。自分が村のために命がけで巫女を守る神官なんだ、って」
「君の担当神官に名乗り出た時からね。神官の役割は王の臣下と同じようなものだと思う。だから君はセトの死を嘆く必要はないんだよ。たとえセトが運命の巫女を守りきれなかったことで悔しがってたとしても、飛び込んでいったことを後悔してはいないはずだから」


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 あたしに必要なのは、自分のために命をかけてくれる、その人たちの命を受け止める覚悟。それはなんて重いものだっただろう。だけどあたしは祈りの巫女だから、それすらもすべて受け止める義務があるんだ。
 そんな決心をするあたしはずいぶん悲壮さを漂わせていたのかもしれない。タキは気分を変えるように息をついて、久しぶりにいつもの微笑を浮かべたの。
「難しく考えることはないよ。君は今のままで十分村の役に立ってるし、神官は勝手に巫女を守ってるだけなんだから。オレと話したことでよけいに君が落ち込んじゃったりしたら、オレはリョウになにを言われるか判らないからね」
「……リョウは、あたしを元気付けて欲しいって、タキに頼んだの?」
「まあそんなところ。やっぱりね、自分が言うよりも神官のオレが話した方が説得力があると思ったんだろ? リョウにもなりふり構ってるほど余裕はないみたいだし」
「なあに? 余裕って」
「聞いてない? だったらオレが話すのはまだ時期尚早ってことだから黙っとくよ。知りたかったらリョウに直接訊いてくれる?」
 そうしていつもの雰囲気に戻ったタキと話しながら、あたしはいつの間にか心の中にあった重さが軽くなっているのを感じていた。たぶんあたしは、セトが後悔していないって納得することができたんだ。それに、これからあたしを守るために命を落とす人がいたとしても、その命に報いる方法は村のために祈ることだと判ったの。その時のことを想像するとまた心が重くなってしまうけれど、きっと祈るという行為自体が、これからのあたしを支えてくれるはずだから。
「タキ、ありがとう。……やっぱりあたしの担当神官はタキがいいよ。だから早く戻ってきて。……セリには悪いけど」
 タキはほんの少し困ったような表情をしたけど、すぐにまた笑顔を見せてくれた。
「できる限りの努力はするよ。でもまあ、ひとまずセリと仲良くしてやって。奴も奴なりに努力してることだし」
 あとから思えば、このときのタキは既に、自分があたしの担当に復帰できないだろうことを知っていたのかもしれない。
 でもあたしはそんなことは露ほども思わないで、神殿にいる時には必ずタキの怪我が早く治るように祈り続けていたんだ。


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 タキと話したことで少しだけ心は軽くなっていたけど、やっぱりすぐに頭を切り替えることはできなくて、病室を出てからもあたしは考えつづけていた。セトの気持ちは判った。でも、運命の巫女はいったいどんな気持ちだったんだろう、って。
 崖が崩れた時に運命の巫女とセトとは少し離れた場所にいたんだ。それはもしかしたら、運命の巫女が自分の運命にセトを巻き込みたくなかったからなのかもしれない。だって、ふつう神官は担当の巫女の傍を離れたりしないものなんだもん。災厄が来ているときにはタキだってあたしの傍を離れたりはしない。それなのに離れてたってことは、もしかしたらその時運命の巫女がセトになにかの仕事を言いつけたのかもしれない。
 影はあたしを狙ってくる。だからあたしの担当神官は、影の攻撃に巻き込まれて命を落とす危険が大きいんだ。タキは大怪我をしてしまった。もしかしたらセリだって、あたしの巻き添えで死んでしまうかもしれないよ。
 これは教訓だ。あたしは運命の巫女の死を無駄にしちゃいけない。次の災厄がいったいいつ来るのかまだ判らないけど、運命の巫女がそうしたようにあたしもセリを守らなくちゃいけないんだ。
 歩いて宿舎に戻るとカーヤが帰ってきていた。まだ外は明るかったのだけど、もう夕食の炊き出しができてたから、それを取りに行く準備をしていたんだ。
「命の巫女とシュウはいつものようにここで食べるわよね。リョウはどうするのかしら。ユーナは知ってる?」
 そういえば、リョウはあのあとどこへ行ったんだろう。すごくあわただしくタキの病室を出て行ってしまったけど。
「判らないけど、たぶん用意しなくてもいいと思うわ。帰ってきたらその時改めて取りに行けばいいもの。それより、カーヤはここで食べていけるの?」
「ええ、村の女性たちが来て交代してくれたから、今日はもう行かなくても大丈夫よ。だからユーナもゆっくり休んでね。まだ怪我も治ってないでしょう?」
 カーヤに言われて改めて自分の身体に注意を向けると、それだけで急に傷が痛み出したの。歩き回ってる時はぜんぜん感じなかったけど、あたしの怪我はまだちゃんと治った訳じゃなかったんだ。


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 カーヤは出かけるのを少し待って、あたしの部屋で身体を見てくれた。あたしも自分で薬を塗ったりはしてたけど、ちゃんと診てもらったのって最初にローグに治療してもらって以来だったんだ。カーヤがきれいな布をしぼって傷口を拭いてくれる。擦り傷が少しだけ膿んでいたみたいで、触れられるとちょっと痛かった。
「小さな傷だからといって甘く見ちゃダメよ。そこから悪い風が入って死ぬことだってあるんだから」
「ランドも同じことを言ってたわ。リョウが怪我をしてたとき。でもリョウはあたしよりずっと大怪我だったのにもっと早く治ったのよ」
「リョウはユーナより鍛えてるもの。きっと傷の治り方だって早いわよ」
 カーヤはあたしの傷に薬を塗って、それから炊き出しを取りに出かけていった。はっきりとは言ってなかったけど、今回大勢の人が怪我をしたせいで、村の薬が足りなくなってるみたい。きっと神官たちはみんな薬を確保するだけで大変な思いをしているんだろう。
 食卓の準備をしながらカーヤを待っていると、不意に扉がノックされてセリが顔を出していた。
「すぐに帰るからここでかまわないよ。これ、頼まれてた名前。死んだ人から見た続柄別に整理したんだけど、ものすごく数が多くて参ったよ。けっきょく村人の半分くらいが何らかの形で被害を受けたことになるんじゃないかな」
 そう言ってセリが手渡してくれたのは10枚以上もありそうな紙の束だった。きっとセリはほかの神官たちにも手伝ってもらったんだ。そうじゃなかったらこんなに早くこれだけの名前を集めることはできなかっただろう。
「ありがとうセリ。ご苦労さま。たいへんだったでしょう?」
「そりゃあね。でも、祈りの巫女は本当にこの人たちの名前をぜんぶ祈るの?」
「ええ、そうよ。時間はかかると思うけど、それがあたしの仕事だもの」
 答えながら紙を流し見て気づいた。……そうか、あたしセリに「亡くなった人の家族の名前」ってしか頼んでなかったんだ。その中には今回の災厄で怪我をした人の名前がなかったの。だけどセリにそれ以上頼むのは心苦しかったから、そのくらいは自分で調べようって決めた。きっとカーヤに頼んで避難所を回れば少しは判るだろうから。
 セリにもう一度お礼を言って送り出してから、カーヤが戻ってくるまでの間、あたしは今夜するべきことを頭の中で整理していた。


―― 以下、後半3へ続く ――


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