真・祈りの巫女
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やがて炊き出しの食事を持って戻ってきたカーヤと一緒に夕食を摂りながら、カーヤに怪我人のリストを作ることに協力してもらう約束をとりつけた。そのあとカーヤはオミの部屋に行って、あたしが祈りの準備をしているときに、命の巫女とシュウが書庫から戻ってきたの。2人のために夕食を温めながらあたしはどちらにともなく声をかけた。
「命の巫女の物語を読むことはできたの?」
「ああ、思った以上の収穫があったよ。特に3代目の命の巫女の物語に詳しく書いてあったんだ。明日は1日かけていろいろ試してみるつもりでいる」
「命の巫女って少ないのね。まさかこの1500年で3人しかいないなんて思わなかったわ」
2人とも目を輝かせてる。あたしもそうだったけど、この2人にとっても過去の日記を読むのは喜ばしいことだったんだ。
「命の巫女はこの村でも珍しいのよ。だからあまり資料がないの。でも3代目の物語が命の巫女の役に立てたのならよかったわ」
「さっきシュウと話したの。あたしたちもあまり時間が残されてる訳じゃないから」
あたしは2人の前に夕食のお皿を置いて、空いている席に腰掛けた。
「時間? ……そうか、2人とも自分の村での生活があるのよね」
「夏休みが残り少ないんだ。だから、一気にカタをつけたいと思ってる。……祈りの巫女、オレとユーナは明後日、影の国へ行こうと思うんだ」
そのシュウの言葉に驚いて、あたしは時間を止めてしまった。
影の国……? 2人は、影の国へ行く方法を知っているの……?
「……影の国、って。影がどこから来るのか判ったの?」
「いや、厳密に言えばどこから来るのかは判らないんだ。だけど獣鬼やセンシャは何度も西の森に送り込まれてきてる。そのときに使われた次元の扉の痕跡をたどれば、影の国へ行くことはおそらくできるはずなんだ。オレたちもそんな力の使い方ができるなんて思ってなかったんだけどね。ま、実際にやってみないことには、まだできるかどうか判らないんだけど」
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命の巫女が持っている予言の巫女の力と、2人が持っている空間を操る力。確かにこの2つをあわせて使えば影の痕跡を辿ることができるのかもしれない。命の巫女は、会議のときのリョウの言葉をきっかけにして、自分の力に気づいたんだ。もしかしたらリョウは、2人にこのことに気づいてほしかったの……?
ううん、それはあたしの考えすぎなのかもしれない。でもリョウだって予言の巫女の力を持ってるんだ。今まで何度も西の森を訪れていたリョウが、影が残した痕跡に気づかなかったはずがない。だとしたら、リョウはきっと2人と一緒に影の国へ行くと言い出すはずだ。ここでリョウを見失ったら、あたしは2度とリョウに会えなくなる。
「あたしも一緒に行けないかな」
まさかあたしがそう言い出すとは思わなかったんだろう。2人とも驚いたようにあたしを見つめたまま言葉を失った。
「命の巫女はあたしが持ってる祈りの力も使えるのでしょう? でも、同時に2つの力を使うのは難しいわ。明後日ならあたしの傷も治ってるだろうし、十分役に立てると思うの。それに、影はあたしを狙ってるのよ。もしも2人が影の国へ行ってる間に村が襲われたら、あたしの力だけじゃ村を守ることなんてできない。命の巫女と一緒に行った方が村のためにはいいと思うわ」
「き、危険だよ! 祈りの巫女、君は自分で自分を守ることができないんだ!」
「それは命の巫女も同じでしょう? 命の巫女は次元の扉で影の攻撃を避けることができるのだから、あたしはそのうしろにずっとついてて一緒に守ってもらうわ。ね、ちょっとだけ考えてみて。そんなに悪い考えじゃないと思わない?」
言いながら、あたしも自分の考えを整理することができていた。あたしと命の巫女は体力的にはそれほど差がないはずだ。次元の扉は命の巫女とシュウが2人で展開していれば盾としてこれほど有効な防具はないし、もしも盾の反対側から狙われたとしてもあたしが気づいて命の巫女に警告してあげられる。同時に祈りの力で影の動きを止めることだってできるかもしれないもの。それに、あたしが村に残っていたら、命の巫女がいなくなったその時こそが影にとってあたしを殺す絶好の機会になってしまうんだ。
あたしが一緒に行けば、村への危険が少なくなる。その分命の巫女の危険が大きくなってしまうかもしれないけど、影の国に乗り込むつもりでいる以上、2人ともある程度の危険は覚悟してるはず。沈黙のあとのシュウの言葉は、そんなあたしの考えを裏付けていた。
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「……確かに、祈りの巫女が一緒に行く方が正しいな」
「シュウ! だって祈りの巫女は ―― 」
「村の至宝だ、って言いたいんだろ? だけど、オレたちがいなくなった村に残しておく方が危険だよ。とうぜんセンシャの数は今までより増えるだろうし、たとえリョウが守ってくれてたって、リョウ1人で村と祈りの巫女を同時に守るのは不可能だ。祈りの巫女が村を離れれば村が襲われる確率もかなり少なくなるだろうしね。村にとっても祈りの巫女にとっても、オレたちと一緒にいることが一番いい」
「そんなの……だってあたし、ほんとに守りきれるかどうかなんて自信ないよ」
「一緒にいて祈りの巫女を守れないなら、おまえは自分を守ることもできないよ。自信がないなら今までどおり村にいた方がいい。 ―― どうするんだ? 命の巫女のユーナ」
シュウは言って、まるで決断を迫るように、命の巫女をじっと見つめた。あたしはもう口を挟まないで2人の様子を見守っていた。
「もし、次元の扉のうしろから祈りの巫女が狙われたら」
「祈りの巫女は死ぬだろうな。だけど祈りの巫女がいなければおまえが死んで、おまえがいなければ1人で影を倒すなんてことは無理だろうからオレも死んで、けっきょく村も全滅する。早いか遅いかだけで結果は同じだ」
「あたしたちが影と相打ちになったらどうするの? せっかく影を倒すことができても、祈りの巫女は2度と村へ帰れなくなるんだよ!」
「……それは考えてなかったな。まあ、そこまで心配することはないと思うけど、一応訊いておこうか。……祈りの巫女、もしもオレたちのうちどちらかが死んだら、影を倒せたとしても君は村へ帰れなくなる可能性がある。それでも君は一緒に行くか?」
シュウに問われて、あたしは少しだけ考えた。確かに今から考えても仕方がないことだ。でも、命の巫女が心を決めるのに必要なら、あたしも真剣に答えを返さなきゃならない。
「そうね、いざ帰れないとなればきっとものすごく帰りたいだろうけど、でも後悔だけはしないと思うわ。今チャンスを与えられたのに何もしないでいる方が後悔が残ると思う。あたしは祈りの巫女だもの。本当に影を倒すことができたのなら、何を失っても後悔しない」
そう、たとえリョウと2度と会えなくなっても、あたしは影の国へ行くことをためらったりはしない。
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リョウはもしかしたら村へ残ると言うかもしれない。それでもあたしは影の国へ行かなければならないんだ。だって、あたしが影の国へ行くことが、誰にとっても1番正しいことなんだから。
「さすがだな、祈りの巫女は。……ユーナ、おまえはどうなんだよ。1度は覚悟を決めたんだろ?」
命の巫女はたぶん、自分のことだけなら覚悟はできていたんだ。迷っているのはあたしが一緒に行くと言ったから。命の巫女が恐れるのは、誰かの命を背負ってしまうことだ。もしもあたしが死んだら彼女はあたしの命を一生背負ってしまう。
「命の巫女、これはあたしの戦いなのよ。だって、影に狙われてるのはあたしなんだもん。命の巫女はただ巻き込まれただけなの。だから、あたしの命にまで責任を負うことはないわ」
今まで目を伏せていた命の巫女は、不意に顔を上げてあたしを見つめた。
「ううん、違う。これはあたしの戦いなの。だからあたしが決着をつけないといけない。誰かを犠牲にしちゃいけないの」
「犠牲になったりしないわ。確かにあたしはあなたほど大きな力を持ってはいないけど、けっしてそれほどか弱い訳でもないのよ。祈りの巫女をあんまり軽く見ないで」
目を見開いて呆然とする命の巫女に微笑んで、あたしは続けた。
「想いは同じみたいね。 ―― あたしはあたしの戦いをするために影の国へ行く。命の巫女は命の巫女の戦いをするために。目的は同じなのだから助け合いましょう。多少あなたに負担をかけてしまうかもしれないけど、それに見合うだけの協力はできると思うわ」
命の巫女は、もしかしたらあたしがこの村へ呼び出してしまったのかもしれない。あたしの祈りの力に巻き込まれた犠牲者なのかもしれない。でも、それが判っていても、彼女はこれが自分の戦いだと言ってくれた。シュウと同じ、命の巫女もあたしの光だ。
あたしは命の巫女が好き。もしも無事に村へ帰ることができたら、あたしは彼女のために多くの祈りを捧げたいと思うだろう。
「これは祈りの巫女の戦いでもあるのね。……判った。あたし、祈りの巫女に協力するわ。一緒に影の国へ行こう」
「あ、あと念のために言っておくけど、これはオレの戦いでもあるんだからな。頭の片隅でいいからオレのことも忘れないでくれよ」
シュウがちょっとおどけたように言って、あたしと命の巫女の笑いを誘った。
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ひとしきり笑いあったあと、忘れていた食事を再開しながら、シュウがちょっと深刻そうな表情に戻って言う。
「祈りの巫女が一緒に行くとなると、ひとつ問題があるな」
「守護の巫女のこと? でもさっきの話を冷静に話せば判ってもらえるわ。あたしが村に残っても得るものはないもの」
「そっちはそれほど心配してない。いざとなれば強硬手段に出てもいいし。……オレはむしろリョウのことを気にしてるんだ」
シュウの口からリョウのことが出て、あたしはドキッとしていた。リョウは命の巫女の騎士だった。それは本人にも判ってることだから、命の巫女が影の国へ行くなら同行したいと思うだろう。今はあたしの騎士として振舞っているけど状況は同じだ。もしもあたしが影の国へ行かなかったら、2人の巫女の間でかえってリョウを悩ませてしまっていたかもしれない。
あたしがドキッとしたのは、シュウがリョウをどちらの立場として見ているのか、その答えを知るのを恐れたからなのだろう。
「リョウは関係ないわ。引き止めるかもしれないけどあたしが説得する。順を追ってきちんと話せば判ってくれる人よ」
「いや、リョウは間違いなく一緒に来ると言い出すよ。君をオレたちだけに任せるなんてあいつができるはずないもんな」
そのシュウの言葉は、リョウをあたしの婚約者として扱っていた。でもそれは、あたしが目の前にいるからなのかもしれない。あたしの中に疑いの心が広がっていく。シュウはすでにリョウがトツカである確証を掴んでいて、いつかあたしの嘘を暴き出してしまうのかもしれない、って。
「婚約者を目の前にして言うのもなんだけど、オレ、リョウってかなり苦手なタイプなんだ。あっちもオレのことをかなり嫌ってるみたいだしね。できれば近づきたくない。きっとリョウもオレには近づきたくないと思ってるだろうし」
それはあたしから見ても本当だと思うから、あたしはあえてコメントしなかった。
「それに協調性が欠けてるんだよな。あの戦闘能力はすごいと思うけど、今回のような場面で独りで勝手に動いてもらっても困る」
「そんなことないわよ。シュウは誤解してる。リョウは腕のいい狩人で、誰にでも親切で、村のみんなに頼りにされてるもの。村の決まりに背いたことだって1度もないわ。リョウくらい他人の気持ちを判る人っていないんだから」
さすがに黙っていられなくなって、あたしはシュウに反論していた。
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「だけどそれは君が知ってるリョウ ―― 」
「シュウ!」
とっさに命の巫女がさえぎって、シュウは最後まで口に出すことができなかった。シュウも自分の失言を悟ったのか、一瞬しまったというような表情をしたあと、じっとあたしの反応を見詰めている。シュウが何を言いたかったのか、あたしには判ったの。やっぱりシュウはリョウがトツカだって確信してるんだ。
タキのときと同じ失敗は繰り返せない。その沈黙が重苦しくて怖かったけど、あたしは勇気を振り絞って、嘘を演技した。
「協調性がないんじゃないわ。リョウがシュウと仲良くできないのは、シュウがあたしと接する時間が長いからなの。ほら、今朝もあたしとシュウが話してた時すごく怒ってたでしょう? リョウね、あたしをシュウに取られるんじゃないかって、心配しているの」
あたしを見つめるシュウと命の巫女の目に哀れみが混じる。あたし、すごくみじめだ。でもそのみじめさを2人に見せちゃいけない。
「すごくやさしい人なのよ。さっきだってあたしが落ち込んでたら、あたし自身にはその理由が判らないのに、リョウはちゃんと判ってあたしを元気付けるためにタキに相談してくれたの。……やだ、あたし、シュウが変なこと言うからノロケちゃったじゃない。でもシュウが思ってるほど身勝手な人じゃないわ。もしもリョウが一緒に影の国へ行ったとしても、自分ひとりで勝手に動いたりしないから安心して」
あたしの演技は、ある意味成功を収めたようだった。シュウと命の巫女は一度顔を見合わせたあと、あたしに微笑んでくれたから。たぶんリョウがトツカだって確信は覆せなかったと思うけど、少なくともあたしがリョウの秘密を知っている事実は隠し通せたはずだった。
「……その、悪かったね、祈りの巫女。オレ少し誤解してたみたいだ。例の、リョウにそっくりだって話したトツカがね、ほんとに協調性のない奴だったんだ。だから同じ顔をしたリョウもつい同一視しちまって」
「それもシュウの偏見だよ。あたし、トツカサンのことそんなに悪い人に見えなかったもん。シュウって目が腐ってるんじゃないの?」
「ああ判った! だからそんなに責めないでくれよ。オレの目が腐ってました。この通り、謝ります!」
そう言ってシュウがゆかに下りて土下座したから、あたしと命の巫女は互いに顔を見合わせて、どちらからともなく再び笑い出していた。でもあたしは、2人の話の中にリョウの一面を垣間見たような気がして、少しだけ複雑な気分を味わっていたの。
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リョウに協調性が欠けていると言ったシュウの言葉も本当のような気がする。だって子供のころのリョウはあたしに意地悪ばかりしていて、人の気持ちを考えることができなかったんだもん。
あのままのリョウが大人になっていたら、シュウが語ったトツカのような、協調性に欠けた人間になっていたのかもしれない。でも今のリョウは違う。死ぬ前のリョウほど人当たりがいい訳じゃないけど、シュウが言うほど協調性がない人間には見えないよ。タキや狩人たちともちゃんと協力してくれているし、会議では自分の意見をきちんと話してみんなを納得させようとしているんだから。
命の巫女が言うようにシュウの目が腐ってたのかもしれないけど、もしかしたらこの短い期間でリョウは変わったのかもしれない。食事をしながらそんなことを考えていたとき、不意に扉がノックされて誰かがきたことが判ったんだ。
返事をして扉を開けると、そこにはセリが立っていてあたしを驚かせたの。
「セリ、どうしたの?」
「食事中だったみたいだね。邪魔して悪かったけど、早い方がいいと思ったから。……これ、必要だろ?」
そう言ってセリが手渡してくれたのは数枚の紙で、広げてみて驚いたの。そこには今回の災厄で怪我をした人の名前がびっしり書き込まれていたから。
「……どうして?」
「食事の前にタキを見舞いに行ったのが運のつき、っていうか。……祈りの巫女、あんまりオレに恥をかかせないでくれる? タキの奴に無能扱いされるのはかなり屈辱的なんだけど」
とっさに意味が判らなくて呆然と見上げていると、セリは続けた。
「ともかく、必要なことは遠慮しないで話して。オレたち神官は巫女のためだけに存在するんだから。平手打ちの1つや2つでめげるようなヤワな心根は持ってないよ。それより後輩に冷ややかに見られる方が余計に心にこたえる」
そんなセリのしゃべり口にはちょっと驚かされたけど、あたしは謝って、そのあとお礼を言って、宿舎に駆けていく背中を見送った。視線に心からの感謝と謝罪と、神官たちへの尊敬の意味を込めて。
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翌朝、カーヤのベッドで目覚めると、隣のベッドでは命の巫女が着替えをしているところだった。
「おはよう、命の巫女。早いのね」
「ごめんなさい! 起こしちゃった?」
「え? ……ううん、違うと思うわ。そろそろ起きる時間なのよ。……でもどうして謝るの?」
あたしも起き上がって昨日用意しておいた服に着替えながら訊くと、命の巫女がちょっと考えながら答えてくれた。
「シュウに言われたの。あたしたちの体の中にある時間と、この村の時間の流れ方は違うんだって。だから知らない間に早起きしちゃうかもしれないの。シュウに注意されてたのにあたし、祈りの巫女より先に着替え始めちゃったから」
よく意味が判らなかった。そんな表情で着替えの手を止めていたからだろう、命の巫女が補足してくれる。
「1日の時間がね、あたしが住んでるところよりもこの村の方が長いの。だから少しずつ時間がずれていって、あたしが早起きになっちゃう。同じ星の上にいたらそんなことはないんだけどね。だからシュウは、ここはチキュウじゃない可能性がある、って言ってた」
「……同じ星の上、ってどういうこと? 星は夜空に輝いてる星のことでしょう? 命の巫女の村では星が早く動くの?」
「うーん、ちゃんと説明しようとすると難しいわ。でも祈りの巫女が言った通りよ。あたしが住んでるところでは、星と太陽が早く動くから1日が短いの。それほど違いがある訳じゃないんだけど。最近生活が健康的だからタイナイドケイがすごく正確に働いてるみたい」
その説明を聞いてもさっぱり判らなかったから、あたしも諦めて着替えを再開させる。こういう話をタキなら面白がって聞くんだろうな。命の巫女の話すらもあたしは理解できないんだもん。きっとシュウの話はもっと複雑で、神官たちにはさぞかし興味深いんだろう。
昨日と同じように互いの髪を整えて、あたしだけ髪飾りをつけて、台所に顔を洗いに行く。確かに今は早朝にも早いみたい。夏至が過ぎたばかりだから朝日は出ていたけど、周囲の宿舎はまだ寝静まってるみたいだった。
「やっぱり早かったみたい。今どのくらいの時間かな」
「さあ、でも早い人はそろそろ起き出す頃だと思うわ。……そんなに気になるの?」
なんとなくいらいらしてる風に見える命の巫女に、あたしは不思議なものを感じていた。
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「祈りの巫女は気にならないの? あたしにはそっちのほうが不思議」
「早い分にはたいして気にならないわね。おなかがすいたのなら今作るわ。それともお散歩でもする? まだ涼しいから気持ちがいいわよ」
「そうね、朝食には早いしお散歩にしましょう。……んもう、シュウがいれば判るのにな。あたしもケータイのデンゲン切っておけばよかったよ。だってデンパが届かないところだとデンチの減りが早いなんて知らなかったんだもん……」
その独り言には判らない言葉が多かったから、あたしは返事をしないで先に立って宿舎の扉を開けた。ほんと、早朝のお散歩って気持ちがいいの。あたしはめったに早起きしないからあまりしたことがないんだけど、まだ山の影になってる神殿はひんやりしていて、少しくらい眠くても目が覚めるみたい。うしろからついてきた命の巫女も、大きく伸びをして朝の空気を吸い込んだ。
「う……ん、ここは空気がきれいね」
「朝はやっぱりすがすがしいわね」
「最初に星を見上げた夜にね、すごく驚いたの。だってあたしが住んでたところと星の数がぜんぜん違うんだもん」
「……? それってさっきの話の続き?」
「ううん、違うの。確かに見慣れたセイザは1つもなかったけど、そういう意味じゃなくてね。あたしが住んでるところでは、ここよりも空気が汚れていて、星があまり見えないの。だから感動したんだ。……今も山の空気のすがすがしさに感動中」
そう言ってまた深呼吸する命の巫女の横顔にちょっとだけ寂しさを感じて、あたしには命の巫女の気持ちが判っちゃったんだ。……命の巫女は帰りたがってる。もしかしたら自分でも気づいてないのかもしれないけど、目覚めてからずっと自分の村のことを話しているのって、帰りたい気持ちが強くなってるからなんだ。
ほかの人たちの眠りを邪魔しちゃいけないから、あたしたちは宿舎や避難所の近くは避けて、神殿の前まで来ていたの。そのとき神殿の裏からシュウが歩いてくるのが見えたんだ。もちろんあたしは驚いたけど、シュウの方も驚いたみたい。だってこんな早朝にこんなところで偶然会うなんて普通は思わないもの。
命の巫女がシュウに向かって駆け出していく。その様子がほほえましく思えて、あたしは自然に笑顔になっていた。
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「シュウ、おはよう! ねえ、トケイ持ってる?」
「持ってるけど。……この村の時間に換算して朝のゴジハンくらい……で、2人してこんな時間になにしてるんだ?」
「ゴジハン? そんなに早いのシュウガクリョコウ以来かも!」
「おはようシュウ」
「ああ、祈りの巫女もおはよう。……もしかしてユーナに起こされた?」
「ええ、どうやらそうみたい。だから朝のお散歩をしてたの」
「ったく、ユーナにはちゃんと言っておいたんだけどな。祈りの巫女、もし可能なら明日からユーナを1人部屋に寝かせた方がいいよ。オレたちの時間はこの村とは少しずれてるから」
そのシュウの言葉から察するに、シュウは早くから気づいて神官宿舎の1人部屋で過ごしていたみたいね。たぶんここで出会ったのもそれほど偶然という訳じゃなかったんだろう。
1人では退屈な散歩も、恋人同士の2人ならそうじゃないかもしれない。あたしは遠慮して宿舎に帰ろうと思ったんだけど、そのとき命の巫女が言ったんだ。
「あれ、もしかしてリョウじゃない?」
あたしが驚いて振り返ると、リョウの家がある坂道の方から確かにリョウが歩いてきていたの。……もしかしてこれも偶然じゃないのかもしれない。だって、リョウの時間は命の巫女たちと同じはず ――
「リョウ!」
命の巫女たちよりも早くあたしはリョウに駆け寄る。リョウも驚いたようにあたしと、そのうしろにいる命の巫女たちを見つけた。
「こんなに早くからどうしたの? もしかして、昨日仕掛けた罠を見に行くの?」
「罠……?」
リョウは自分の時間と村の時間の違いに気づいてないのかもしれない。でも、今のあたしにはこのくらいしか思いつかなかった。
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