真・祈りの巫女
231
カーヤとは少しの間、巫女宿舎の噂話で盛り上がって、なんだかんだと茶々を入れながらタキも横でずっと聞いていた。そのあと、あたしは再び宿舎を出て、神殿へ祈りに行ったの。タキはそのままリョウの帰りを待つつもりみたいだったから、扉を出るときにあたしはカーヤに目配せした。カーヤにはその意味が判ったみたいで、ちょっと怒った風にあたしを宿舎から追い出したんだ。
神殿で、あたしはリョウに教えてもらった影の名前を繰り返した。獣鬼という名前と、獣鬼の仲間の1つであるブルドーザという名前。この2つを何度も繰り返して、2度と村へこないようにと祈ったの。これだけでは1度決まってしまった未来は覆せないかもしれない。それでも、あたしはリョウが神様の国から得てきた情報を無駄にしたくなくて、その必死の想いを祈りの力に変えようとしていたんだ。
ひと通りの祈りを終えたあと、あたしは神殿に座り込んだまま、少し考えていた。
未来を祈ることは、未来を根底から変える可能性もあるけど、祈りそのものが漠然としたものになるから効果はあまり強く現われない。
もちろんあたしは今回も獣鬼が村に来る時刻に祈りを捧げるつもりだけど、意識を拡散して気配だけを感じている状態だと、果たしてそれがリョウに教えてもらった名前の獣鬼なのかどうかは判らないんだ。
獣鬼という名前だけでも祈りの効果はあると思う。だけど、それよりはずっと獣鬼の種類を祈った方がいいんだ。あたしが神殿で祈っていたとしても、その瞬間に獣鬼の名前を知ることはできない。それなら、あたしはリョウのそばにいて、その場でリョウに名前を教えてもらって祈った方が、ずっと祈りの効果は高くなるんだ。
―― 影があたしを狙ってることは判ってる。村に降りたりしたら、あたしはすぐに影の標的になって、祈りなんか捧げる間もなく影に殺されちゃうかもしれない。
だけど、あたしが村に降りなかったら、影との戦いはずっといたちごっこのままなんだ。2日後に襲ってきた獣鬼の名前をすべてリョウが教えてくれたとしても、その次の襲撃に同じ名前の獣鬼はやってこないかもしれない。せっかくリョウが名前を教えてくれたのに、あたしはそれを生かすことができないんだ。
誰が反対しても、あたしは村に降りなきゃならない。リョウと一緒に村に降りて、リョウに獣鬼の名前を教えてもらって、リョウと一緒に戦う。あたしは祈りの力でリョウと一緒に戦うんだ。
232
現実的な不安はたくさんある。1番大きな不安はやっぱり、あたしが村に降りることを守護の巫女が許してくれるかどうかだった。それを許してもらうには、あたしが村に降りることのメリットを十分守護の巫女に伝えることができなければならない。あたし1人だけではきっと言い負けてしまうから、まずはタキを味方につけることから始めなきゃならなかった。
タキと、それからリョウ。だって、リョウの協力がなかったら、あたしが村に降りたとしてもあまり意味がないんだもん。まだ頭の中を完全に整理できた訳じゃなかったけど、とにかく2人に話をしなくちゃって、あたしは神殿を飛び出したんだ。
もう1つ不安に思うこと。あたしは本当に、祈りを神様に届けることができるんだろうか。守りの長老は、あたしの祈りはちゃんと神様に届いてるんだって、そう言ってくれた。でも、あたしが村で祈っているその時に、あたしの祈りを聞き届けてくれるかどうか、それは神様にしか判らないことなんだ。
急ぎ足で宿舎へ近づくと、あたしの目に宿舎から遠ざかっていく2人の姿が飛び込んできたの。あたしはあわててあとを追いかけた。2人は村へ降りる道の方へ行こうとしていたんだ。
「リョウ! タキ!」
あたしの呼び声にほぼ同時に振り返った2人は、足を止めてあたしが追いつくのを待っていてくれた。
「ねえ、どこへ行くの? あたし2人に話があるの」
答えてくれたのはタキだった。
「んまあ、いわゆる散歩の続きだよ。祈りの巫女は? もう祈りは終わったの?」
「今終わったところよ。ねえ、あたしも一緒に行く。道具を置いてくるから少しだけ待ってて!」
タキがリョウを振り返ると、リョウは1つうなずいたから、タキも笑顔で許可してくれる。
「判った。ここで待ってるから。あわてないでゆっくり行っておいで」
「ぜったいよ。先に行っちゃダメよ」
念を押して、あたしは祈りの道具を置くために、宿舎に駆けていったの。
233
祈りの道具をカーヤに手渡して、リョウとタキと一緒に村へ行くことを簡単に告げたあと、再び宿舎を飛び出した。2人は約束どおりその場を少しも動かないで待っててくれる。あたしが追いつくと、タキは片手を上げて微笑んでくれたけど、リョウはくるっと背を向けて歩き始めてしまったの。
「お待たせ。ところでどこへ行くの?」
「村の狩人の家だよ。リョウがね、どうしても日が落ちる前に狩人を集めたいって言って。詳しいことはこれから聞くところ」
「ふうん。それじゃ、守りの長老との話し合いがうまくいったのね。そうなんでしょう、リョウ?」
「……ああ」
リョウはあたしの方を見もしないで、ぶっきらぼうにそう答えただけだった。……どうしたんだろう。さっきまではもうちょっと打ち解けてくれてたはずなのに。あたしが一緒に来たのが気に入らなかったのかな。
そう思って、それきり話せなくなってしまうと、リョウはタキの方を向いて話し始めた。
「村の狩人は何人くらいいるんだ?」
「20人くらいかな。正確には数えたことがないけど、でも住んでるところはだいたい判るよ。ぜんぶの家を回るつもり?」
「ほかに何か連絡する手段はあるのか?」
「そうだね。……狩人は獲物があれば、家に帰る前になじみの店に獲物を納品する。そこを押さえておけばかなりつかまるはずだけど」
「だったらそこを先に押さえる。あとは地道に村を回るしかないだろう」
「そろそろ聞かせてくれよ、リョウ。いったいどうして狩人を集めるんだ? 守りの長老と何を話したんだ?」
タキの問いに、ひとまずリョウはたった一言で答えた。
「影の殺し方を教える」
「……影の殺し方? ……どうしてそれを? 自分が死んだときの記憶がよみがえったのか?」
リョウは首を横に振って、あたしに話したのと同じことをタキに話し始めたの。
234
守りの長老にも同じ話をしたからなのかもしれない。あたしに話したときよりもずいぶん要領よく、リョウはタキに説明していた。
「 ―― 死んでいる間に俺がいたところでは、おまえたちが影と呼ぶあいつは獣鬼と呼ばれていて、人間の仕事を手伝ってた。草原にいるのは獣鬼の中のブルドーザってヤツだ。獣鬼は鍵を抜くことで永久に動けなくなる。……これがそうだ」
「……これが獣鬼の鍵? 本当にこれを抜くだけでいいのか? それで影は動けなくなるのか?」
「ああ。だからこれの抜き方を狩人に教えれば、それ以上村が破壊されるのを防ぐことができる。ただ、これは獣鬼の身体の中……言ってみれば甲羅の下にある。獣鬼の動きはかなり素早いからな、実際はそう簡単にはいかないはずだ。まずは狩人たちに鍵の抜き方を教えて、作戦を立ててもらわなけりゃならねえ。俺が急ぐのはそのためだ」
「影の動きを止めるのか。……今、西の森の出口には大きな穴が掘られてる。それだけでもかなり足止めには有効なはずだけど、ほかにも足を止める方法を考えなければならないかもしれないな。確かに、今日のうちに話しておいた方がいいよ。今ならまだ別の方法も実行に移せる」
タキはあたしよりもずっと順応性が高いみたい。リョウの言わんとしていることがすぐに理解できたみたいで、もう自分の考えに没頭しちゃってる。リョウもそれには驚いたみたい。少しの間タキの様子を見ていたけど、やがて無駄だと判ったようで、あたしの方を振り返ったの。
「おまえは? 俺たちに話があったんじゃないのか?」
あたし、リョウに無視されてたんじゃないんだ。それが嬉しくて、自然に笑顔になっていた。
「あたしね、さっき祈りながら考えてたの。リョウはブルドーザの名前を教えてくれたけど、2日後にはまた別の獣鬼がくるかもしれないわ。もしもそれをすぐに伝えてもらえたら、祈りに役立てることができるの。だからあたし、できればリョウの近くで祈りたい。リョウが獣鬼の姿を見て、その名前をすぐにあたしに伝えることができるところ。獣鬼がきているときにあたしも村に降りたいの」
そのあたしの言葉に、タキも顔を上げてあたしを見た。でも言葉を発したのはリョウの方が早かった。
「神殿でなくてもいいのか? おまえの祈りは、神殿以外の場所でも神に届けることができるのか?」
235
リョウの言葉は、あたしの意見に対する否定じゃなかった。それに勇気付けられてあたしはさらに続けたの。
「神様にとっては祈りの場所はどこでもいいのよ。いつも神殿で祈るのは、神殿があたしにとって祈りやすい場所だからなの。最低の条件として、ろうそくの炎が消えないことと、あたしが祈りに集中できること。それさえそろってれば問題ないわ」
「だったら風除けの板でも立てればいい ―― 」
「ちょっと待ってくれよ!」
リョウの言葉をさえぎる形で、タキが話に割り込んでくる。
「2人で勝手に話を進めるな! リョウ、君は簡単に言うけど、祈りの巫女は影に狙われてるんだ。そんなに簡単に村へ降りるなんてできる訳ないじゃないか。判ってるのか? そんなことをして万が一祈りの巫女になにかあったら、それだけで村の存亡は危うくなるんだ。祈りの巫女、君にだって判ってるはずだ。もっと自分の安全を考えてくれよ!」
あたしはタキの勢いに押されて、とっさに何か言うことができなくなっていた。少しの沈黙があって、言葉を発したのはリョウだった。
「何を熱くなってる。……おまえらしくないんじゃないのか?」
リョウは、たぶん当てずっぽうでそう言ったんだと思うんだけど、タキはふだん冷静な自分を思い出したのか少し落ち着きを取り戻していた。
「祈りの巫女、オレは村の神官として、有事の際に巫女が神殿を離れるのに賛成することはできないよ。今でも村の中では神殿が1番安全な場所なのは変わってないんだ。祈りの巫女が狙われているのが判ってる以上、君を村へ降りさせることはできない」
「どうしてそう、頭ごなしに反対する。こいつだってそんなことくらい判ってるだろう。反対されるのが判っててそう言ってるんだ。少しは話を聞いてやれよ」
「リョウ、君は心配じゃないのか? 祈りの巫女が影に殺されてもいいって言うのか?」
「そんなことは言ってねえ。ただ、村を守るためにはそれが最善だって思うなら、その意見も尊重するべきだって言ってるだけだ。……俺は別にかまわねえよ。こいつが俺の傍で祈るって言うなら、俺が獣鬼からこいつを守ってやる」
236
リョウがあまりにあっさりとした口調でそう言ったから、タキは一瞬反論の言葉を見失ってしまったみたいだった。あたしも、リョウに言われた言葉を理解するのにちょっと時間がかかってしまったの。だって、リョウがこんなに簡単にあたしの意見を受け入れてくれるとは思ってなかったから。
きっと、以前のリョウならこんなとき「オレに任せておけばいいよ」って言ってくれてた。「ユーナに危険なことはさせたくない」って。でも、あたしは心の中でずっと思ってたんだ。リョウが背負っているものを、あたしも一緒に背負っていきたい、って。
「タキ、お願い。あたしが村で祈りを捧げられるように一緒に考えて。あたしだってみんなに迷惑をかけたいなんて思ってないの。だから、どの場所で祈るのが1番危険が少なくて、リョウやみんなに迷惑をかけずにいられるのか、タキに知恵を貸して欲しいの」
タキはまだ混乱から抜け出していないようで、心を落ち着けようとしたのか、1つ溜息を吐いた。
「つまり、君は今までの祈りの方法に不満があるんだね。そう思っていいのかな?」
あたしは、タキの言葉の真意を掴みかねて、少し怯んでしまっていた。
「そう……だと思う。今まで気づかなかったけど、今そうだったんだってことに気づいた。……ううん、ちょっと違うかな。リョウが影の名前を知ってるかもしれないことが判って、欲が出てきたの。新しい祈りの方法を試してみたくなったの」
「それで、名前の伝達がより速く行える村で祈りたいってことになったのか。ということは、問題は距離だけなんだね」
「距離と、あと今思ったんだけど、あたしはまだ実際に影が暴れる姿を見ていない。だから1度その姿も見てみたいわ。村を広く見渡せる場所を探したいの」
タキはまた少し沈黙した。あたしはそんなタキが再び口を開くまで、辛抱強く待っていた。
「……それは、なかなか困った注文だね。祈りの巫女、君から影の姿が見えるってことは、影からも君の姿が見えるってことだ。君の姿を見た影が全力で君を追いかけたら、動作の早い影の動きには誰もついていけない。君だって逃げ切れるとは思えない」
「だから獣鬼の足を止めるんだろ? 獣鬼は近くにいるものにしか攻撃できないんだ。足さえ止まれば俺が獣鬼を殺せる」
再びリョウが口を挟んだから、あたしにはわずかながら光明が見えた気がしたんだ。
237
しばらくしたあと、タキは「その問題については少し時間が欲しい」と言って、結論を保留してしまった。そう言われてしまえばあたしはそれ以上何も言えなかったから、黙ったまま2人のあとについて村へと降りていったの。リョウとタキとはさっきまで話していた狩人のことについて少し言葉を交わして、ひとまずタキが狩人を集めて、あたしはリョウに村の案内をすることになったんだ。
「明るいうちに西の森だけでも見ておいた方がいいね。それと、影の足跡がまだ残ってるところがあるはずだから。暗くなる前に草原で落ち合うようにしよう」
そう言ってタキが離れていったあと、あたしとリョウは村の通りを歩いて、まずは西の森へと向かっていった。そこは村の主要な通りの1つで、しかもあたしが毎日リョウと一緒に通っていた道でもあったから、人通りも多くてすぐに知り合いにつかまっちゃったの。
「リョウじゃない! 祈りの巫女、リョウが生き返ったってのは本当だったんだねえ!」
「怪我をして寝込んでるって聞いてたけど、もう大丈夫なのかい?」
「村のことを覚えてないっていうのは本当? 今でも何も判らないの?」
最初は1人1人丁寧に相手をしてたんだけど、そのうち騒ぎを聞きつけてあちこちから集まってきちゃったから、あたしは適当な言葉であしらわなければらなかった。だって、まだ夕方というには早い時刻だったけど、あんまりゆっくりしていられないのは判りきってたから。その間中、リョウはずっと沈黙を守っていて、じっと人々を観察しているように見えたんだ。
そんな感じでときどき足止めされたけど、あたしとリョウは何とか無事に、西の森までたどり着いていた。
森の手前、ほとんど森との境目ぎりぎりの辺りから、大きな穴が掘られていた。その周りでは作業している男たちがたくさんいて、あたしが声をかけるより前に、1人が気づいてあたしたちに近づいてきたんだ。
「祈りの巫女、あまり近づくと危ないよ。……今日はどうしてここに?」
「リョウに村を案内してるの。次の襲撃にはリョウも村を守る戦いに出ることになるから」
「リョウ? ……ああ、それじゃ、彼が村のために生き返った狩人のリョウなんだ」
この人はリョウの顔を知らなかったみたい。あたしが視線を向けると、リョウは穴に近づいて、中を覗き込んでいるところだった。
238
用心しながらリョウに近づいて、うしろからあたしも穴を覗き込んでみる。その穴はかなり大きく掘ってあって、深さだけでも人の背丈の2倍くらいはありそう。幅は3倍くらいで、長さにいたっては10倍くらいはあったかもしれない。森の道幅よりもずっと長く掘ってあるから、もしも獣鬼が迂回しようとしたら、木を何本もなぎ倒さなければならないだろう。それに、1度落ちたら這い上がれないように、縁が内側に向かって斜めになっていたんだ。
正直、こんなに本格的な穴ができてるなんて、あたしは思ってなかった。これなら空でも飛ばない限り獣鬼がこちら側に渡ってくることはできないよ。
「森の中へ行きたいんだ。どこから行くんだ?」
リョウはたまたま近くにいた人に尋ねる。彼は神官のセリで、ちょうど視察に来ていたところみたいだった。
「ああ、祈りの巫女にリョウ。森を見にきたのかい?」
「そうだ。影が現われるという沼を見せてくれ」
「森の南側から回っていけるよ。案内してあげよう」
そう言ってセリが案内してくれたのは、とても道と呼べるようなところじゃなかった。もちろん普段はみんな道を通って森へ行ってる訳だから、そんなところを人が通ったことなんてないんだ。木の隙間を掻き分けて、やっと穴の反対側へ出る頃には、あたしは足に引っかき傷をいくつも作ってしまったの。そこでセリにお礼を言って別れて、あたしとリョウは森の道を奥へと進んでいった。
幼い頃、あたしはこの森が怖くて、独りで歩くなんてことはぜったいにできなかった。シュウのことを思い出してからもその気持ちは少し残っていて、シュウの命日にはいつもリョウに一緒についてきてもらってたんだ。2人で森の道を歩きながら、ポツリポツリとシュウの思い出話を語る。だから、あたしはこの森にくると、自然にシュウのことを思い出してしまうみたいだった。
「リョウ、あまり近づくと危ないよ。この沼は底なし沼になってるの。落ちたら自分1人では抜けられない」
「誰か落ちた奴でもいるのか?」
「ええ。あたしが2回落ちて、その最初の時には助けてくれた幼馴染が死んだわ。……今でもこの沼に沈んでいるのよ」
239
リョウがちょっと意外そうな表情で振り返る。見つめられて、あたしはどんな顔をしたらいいのか判らなくなってしまった。
「それは、いつの話だ?」
「ええっと、あたしが5歳のときと、12歳のとき。12歳のときはリョウが助けてくれたのよ」
「おまえは今いくつなんだ」
「……16歳」
あたし、よもやリョウに年齢を訊かれるなんて思ってなかったみたい。なんだか少しショックで、それきり何も言えなくなってしまうと、リョウはまた沼に向かって歩き始めたの。沼の淵に膝をついて、右手をそっと水面に差し伸べた。少しの間右手を沼の水につけたあと、ちょっと考えるようにしながら立ち上がったんだ。
「……普通は同じ沼に2回も落ちたりしないよな」
あたし一瞬リョウにからかわれたんだと思った。でも、そう言って振り返ったリョウの表情はすごく真剣で、反論しようとしたあたしは言葉を飲み込んだの。
「おまえ、ここに近づくなよ。俺は平気だけど、おまえは近づくと引き込まれる。……2度あることは3度あるかもしれないからな」
「……どういうこと?」
「この沼には、おまえを殺そうっていう強い意志が満ちてる。おまえがここに2回も落ちてるんだったら、今生きてる方が不思議なくらいだ。おまえを助けて死んだ幼馴染ってのは、よっぽど意志が強い奴だったんだろう」
あたしがこの沼に落ちたのは、偶然だったんじゃないの? 影は、あたしが小さな頃からずっと、あたしを殺すチャンスを狙ってたの?
シュウは、あたしを助けてくれたシュウは、あたしが祈りの巫女だから死んでしまったんだ。もしもあたしが祈りの巫女じゃなかったら、あたしはこの沼に引き込まれることもなくて、シュウだって死なずにすんだ。シュウも影の犠牲者だったんだ。
「あたし、小さな頃、シュウのことが大好きだった。……ずっと昔から、あたしは村の人たちを不幸にしてきたんだ」
あたしのつぶやきに、リョウは目を見開いた。そのあと、静かに目を閉じて、なぜか唇に微笑を浮かべた。
240
西の森を出てから、リョウは村の中をあちこち歩き回っていた。あたしはずっとリョウの邪魔をしないように少し離れてついていった。リョウは村の、どちらかといえば南側の森や北西の崖の方に興味を持っていたんだけど、あたしにはリョウが考えていることはよく判らなくて、ときどき質問に答える以外は口を挟むこともできなかった。
あたりが暗くなり始めた頃、リョウはやっと待ち合わせの草原へと歩き始めた。あたしがまだ声をかけるきっかけをつかめずにリョウを見上げていたら、リョウの方から話しかけてくれたの。
「おまえは祈りのときに、祈る対象の名前を使うと言ったな。実際にはどうするんだ? 祈りはすべて言葉で行うのか? それとも、名前だけを唱えて、祈りの内容についてはイメージで伝えるのか?」
リョウがどうしてそんなことを訊ねるのかは判らなかったけど、あたしはリョウの言葉の意味を読み取って、答えを返していた。
「その時々によるわ。誰かの願いを祈るときには、たとえば「カーヤを幸せにしてください」みたいにすべて言葉で伝えることもあるし、今回のように村が襲撃されてるときには、人々の恐怖の感情を神様に伝えて、影が村から去っていくところをイメージするの。……あんまり深く考えたことがなかったけど、今起こっていることを退けるような祈りは、イメージを伝えることの方が多いみたい」
あたし、今まで誰にもこんなことを訊かれたことってなかったから、自分でも考えたことがなかったんだ。リョウに訊かれて改めて考えて、あたしがこれからする祈りは、イメージが主体になるんだってことに気づいたの。
「だったら、おまえは獣鬼の足を止めるようにイメージしろ。おまえの祈りで獣鬼の足を止められたら、あとは俺が鍵を抜くことができる。獣鬼の動きをとめることだけ考えるんだ。余計な祈りをするよりも、それが1番確率が高い」
「足を止める……? でも、森の手前には大きな穴を掘ったのよ。それだけじゃダメなの? 獣鬼を止められないの?」
「ああ。俺の考えに間違いがなければ、あの穴だけじゃ獣鬼は止められない。だけど、それ以上の作戦を今俺は考えられないんだ。……あの穴は、この村の地形を考えたら1番有効で、今の段階では完璧な作戦だ。だけど間違いなく獣鬼の奴は突破してくる。おまえの祈りの力に期待するしかないんだ」
あたしは、しばらくの間声も出さずに、ただ考え込んでしまった。
扉へ 前へ 次へ