真・祈りの巫女



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 リョウが手のひらに乗せて差し出したそれは、金属でできた小さなものだった。あたしは一度も見たことがない。しいて言えば、何かの鍵のようなものに見えた。
「これ……なに……?」
「獣鬼の鍵だ。……言ってみれば、獣鬼の魂のようなものだ。これを抜けばあいつは2度と動かない」
 手を差し伸べかけていたあたしは、それが獣鬼の魂だと聞いて、思わず手を引っ込めてしまっていた。だって、それに触ったら何か悪いことが起きそうな気がしたんだもん。でも、リョウはぜんぜん気にならないみたいで、手のひらの上で鍵をもてあそび始めた。
「さっき俺はこいつを抜いてきたんだ。これがついたままだと、たとえ死んだように見えてもいつ動き始めるか判らない。事実、さっき獣鬼が少し動いただろう? これが抜いてあれば、また誰かがこれを挿さない限り、獣鬼は動けない。つまり完全に死ぬんだ」
 言葉の途中から、あたしは顔を上げてリョウを見つめていた。記憶がないはずのリョウ。でもリョウは、あたしたちが誰も知らない獣鬼の倒し方を知っているんだ。それはリョウが本当に村の救世主だからなのかもしれない。でも、リョウはどうしてそれを知ったの? 死んでから生き返るまでのたった1日。その短い時間に、リョウにいったいなにが起こったというの?
「この鍵の抜き方を、村の狩人に教えてやりたいんだ。だから守りの長老に会いたい」
 それを訊いてしまうのは怖かった。だから、恐る恐る、あたしはリョウに訊いたんだ。
「リョウ、リョウはどうしてそれを知ってるの? リョウが死んでから生き返るまでの間、リョウはどうしていたの? 神様の世界にいたの?」
 リョウはあたしを見つめて、ちょっと言葉に迷ったように見えた。
「……どこから話していいのか判らない。おまえは俺が死んでたのは丸1日だけだって言ったけど、俺にとってはもっと長い時間だったんだ。死んでる間に俺がいた場所がどういうところなのか、今のおまえに説明しても判らないと思う。だけどその場所は俺にとっては世界のすべてだった。……今、この村がおまえの世界のすべてだっていうのと同じように」
 リョウの言葉の意味ははっきりとは判らなかったけど、それがとても大切なことなんだってことだけは判った。


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「俺がいたところでは、獣鬼……とその仲間のようなものは、人間と共存して、人間の役に立ってた。人間よりも強い力を持ってるから、人間にはできないことをして、人間の生活をより良いものにしていた。町を歩いていればよく見かけることがあったし、人間の中には獣鬼を手足のように使うことができるやつもいた。基本的には獣鬼は人間の味方なんだ」
 リョウは言葉を選びながら、できるだけあたしが判りやすいように説明してくれてるみたい。でも、あたしには想像すらできないよ。あの恐ろしい獣鬼がいつも村にいて、村の人の役に立ってる姿なんて。
「その獣鬼がどうして人間を襲うの? だって、獣鬼は人間の味方なんでしょう?」
「それは俺にも判らない。だけど、本来獣鬼は人間が動かそうと思わなければ動かないものなんだ。だから誰か獣鬼を操ってる奴がいるはずだ」
 リョウの言葉であたしが思い出したのは、祈りの最中に感じた邪悪な気配と、その言葉だった。
「獣鬼が来ていたとき、あたし聞いたわ。「祈りの巫女を殺せ」って言ってる声。それじゃ、獣鬼を操ってる人が別にいるのね。獣鬼は自分の意思で村を襲ってるんじゃないんだ」
「獣鬼に意思はない。だから獣鬼がひとりでに動き出したんだとしたら、それを操ってる奴をどうにかしない限り、村はまた襲われることになる。……俺は早くそいつをどうにかしたい。だから獣鬼が村を襲ったその現場にいたいんだ」
  ―― あたし、怖かった。リョウは再び死んでしまうかもしれない。今度こそ永久に、あたしの隣からいなくなってしまうかもしれない。
 でも、リョウはすごく真剣に、災厄から村を守ろうとしてくれているんだ。それはリョウが村の狩人だから? それとも、守護の巫女がリョウを救世主と呼んだからなの?
 だって、リョウには村の記憶がないんだもん。村の記憶がないのに、どうしてこんなに村のことを考えられるの?
「リョウ、リョウはどうしてこんなに一生懸命なの? あたしは村のことより、今はリョウの記憶が戻ることを考えて欲しいよ」
「突然の運命に踊らされてるのはおまえや村人だけじゃねえんだ。俺自身も訳の判らないことでいいかげん焦れてる。ここへ来てようやくどうすればいいのかが判ったんだ。 ―― それに、俺の記憶は戻らない。たぶん一生」


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 言葉を切ったあとのリョウは、とてもつらそうな目をしてあたしを見つめていた。だからあたしにも判ったの。リョウがずっとそう言わずにいたのが、少なくとも半分はあたしのためを思ってのことなんだ、って。
 リョウの記憶はもう戻らない。それはきっと真実で、でもあたしは認めたくなんかなかったんだ。信じていればいつかは昔のリョウに会える。小さな頃からあたしを大切にしてくれたあのリョウに。
 リョウの記憶は、あのリョウと一緒に死んでしまった ――
「……リョウは、思い出したくないの? それは以前の自分には戻りたくないってこと?」
 どう答えるべきか、少しだけ迷ったように、リョウは視線を外した。
「そんなことを思ってる訳じゃない。ほんとに記憶が戻るならそれでもいいさ。だけど、俺はおまえに過大な期待は持って欲しくない」
 それって、どういう……
「いいじゃねえかよ。俺はここにいる。それで納得しろよ。……いつまでも死んだ俺の面影を探すな」
 ……もしかしてリョウ、昔の自分に嫉妬してるの……?
 視線をそらして、幾分顔を赤らめているリョウを見て、あたしは驚いたと同時にすごくリョウを愛しく思ったの。生き返ってからのリョウは今まであたしに言葉をくれなかった。キスしてくれたから、それで自分が好かれてるのかもしれないとは思ってたけど、こんな風に気持ちを表現してくれたのは初めてだったから。すごく嬉しくて、でもちょっとだけ反省したの。あたしは今までずっと、過去のリョウと今のリョウとを比較し続けてきて、それが全部リョウに伝わっていたことが判ったから。
 大丈夫。記憶があってもなくても、あたしはリョウを愛せるよ。だって、こんなにかわいくて愛しい人、ほかにいないもん。
「リョウ、大好き……」
 リョウが愛しくて、あたしは横を向いたリョウの首に抱きついた。リョウはちょっと驚いたように身体を震わせたけど、やがて腕を伸ばしてあたしをしっかりと抱きしめてくれたの。


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 リョウの腕も、リョウの匂いも、ぜんぜん前と変わってない。比べちゃいけないって判ってたけど、でも同じだってことが確認できて、あたしはすごく安心できたんだ。そのくらいのことはきっとリョウも許してくれるよね。ずっと変わらないリョウの腕の中は心地よくて、夏の盛りでちょっと汗ばんでもいたけど、でもずっとここにいたいって思ったの。
 やがてリョウは腕の力を抜いて、あたしの顔を覗き込むとそっと髪をなでてくれたんだ。
「おまえ……俺でいいんだな」
 あたしがうなずくと、リョウは頬にキスをくれた。どちらかというとあたしの方が信じられない気がするの。リョウは本当にあたしでいいの? 記憶を失って、顔も覚えていない女の子がいきなり婚約者として目の前に現われたのに、あたしのことを選んでくれるの?
「リョウは……? まだあたしのことは思い出せないんでしょう? それでもいいの?」
 あたしの言葉に、リョウはほんの少しだけ目を見開いて、それからちょっと視線をそらしたの。まるでなにか後ろめたいことでもあるみたいに。ほんの一瞬、不穏な空気が流れかけたけど、すぐにリョウが笑顔を見せてくれたからその雰囲気は一瞬で去ってしまっていた。
「……正直言って、今の自分がどう思ってるのか、俺にはよく判らねえ。だけど、おまえのことは守ってやりたいと思ってる。……独りで戦うことはねえよ。頼りたければ頼ればいい。俺が一緒に戦ってやる」
「……一緒に……? あたしはリョウに頼ってもいいの?」
「さっきも言っただろ? 俺がここに来たのは、おまえと一緒に戦うためだ。あの獣鬼に会って判った。おまえのその、村を守りたいって気持ち、それを俺に預けろ。俺が必ず勝たせてやる。この村を、元の平和な村に戻してやる」
 リョウの答えは、あたしが期待してたものとは少し違ってたけど、でもあたしは嬉しかった。
 あたしは独りじゃない。村のみんながあたしと一緒に戦ってくれていることは判ってたけど、でも、あたしはリョウの言葉が1番嬉しかったの。だって、あたしにはリョウが1番なんだもん。そのリョウが、あたしの隣であたしと一緒に戦ってくれると言ってくれたんだもん。
 リョウにとっては、あたしは出会ったばかりの他人。だけど、これから先ずっと一緒にいたら、いつかあたしはリョウにとって1番大切な人になれるよね。そう思ってていいんだよね。


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 リョウはあたしをパートナーとして認めてくれたんだ。だからあたしも認めようと思ったの。リョウが獣鬼と戦って死ぬかもしれないなんて、そんなこともう考えない。リョウを信じるんだ。リョウは獣鬼に負けずに生き残って、村が平和になったときには、あたしと結婚してくれるんだって。
「リョウ、もしも知ってるなら教えて。あたしの祈りにはね、祈る対象の名前がすごく重要なの。さっきリョウはあの影が獣鬼だって教えてくれたけど、それは本当の名前なの? あの影は獣鬼という名前なの?」
 リョウは少しの間考えていた。あたしはリョウが死んでいる間にいた世界のことを知らないから、あたしにも判るように言葉を選んでくれているみたい。
「『獣鬼』という言葉は、いってみれば『動物』という言葉と同じような意味だ。この村ではカザムもリグもルギドもぜんぶまとめて動物と呼ぶだろう? 獣鬼はそういう意味だから、厳密に言えば名前じゃない」
「そういえば村を襲ってる影はいろいろな姿をしてたって聞いたわ。今、草原で死んでいる獣鬼はなんて名前なの?」
「あれはブルドーザだ」
「ブルドーザ……?」
 あたしは口の中でつぶやいて、その不吉な響きにぶるっと身体を震わせた。
「それが、あの獣鬼の本当の名前なのね」
「カザムというのと同じ意味の名前だ。俺にはそれより詳しい名前は判らない。おまえの祈りにはもっと詳しい名前が必要なのか?」
「ううん、それだけ判れば十分よ。村に現れた違う姿をした獣鬼にはまた別の名前があるのね」
「たぶんな。俺が見れば判るかもしれないけど、もしかしたら判らないかもしれない。俺は1度も獣鬼を操ったことがなかったんだ。……もっといろいろやっておくんだったな」
 最後の方は独り言のようで、あたしはそれほど気に留めなかった。リョウが教えてくれたブルドーザという名前を頭の中で繰り返して覚えていたの。だからあたしはまだ、死んでいた間にリョウがいたところやその生活について、あまり興味を持たなかったんだ。


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 川の水でのどを潤したあと、あたしとリョウは再び神殿へと戻ってきていた。リョウがすぐにでも守りの長老に会いたいと言ったから、あたしはリョウを守りの長老宿舎まで案内していったの。長老の世話係をしている神官に用向きを伝えて待つと、ややあって宿舎の中へと案内された。守りの長老はいつもの会議用テーブルに腰掛けていて、あたしとリョウに隣へ座るよう促したんだ。
「……リョウか」
「ああ。あんたが守りの長老か」
「いかにも」
「まずは、俺をこの村へ受け入れてくれたことに感謝する。俺は村がこんな状態のときに突然やってきた珍客だ。本当だったら疑われて閉じ込められても当然だった」
「そんなことはせぬ。そなたは、祈りの巫女が祈りによって呼び出した救い主、右の騎士じゃからな」
 あたしは長老の言葉に驚いてリョウを振り返った。でも、リョウは驚いた風にすら見えなかったの。
「……やっぱりな。右の騎士というのはこの村の言葉だったんだ」
「右の騎士は祈りの巫女や命の巫女とともに生まれ、その補佐をする宿命を負う。右の騎士リョウよ、そなたには右の力があろう」
「ああ。ローダとかいうババアに力を授かった。最初は何のことだか判らなかったけどな。でもここへきて判ったよ。俺が巻き込まれた出来事の根本はこの村だ。……俺は、この村に辿り着くために旅を続けてきた。この村の災厄を退けるためだ」
 あたしには、この2人の会話が意味しているものが判らなかった。守りの長老が言う右の騎士の力についても、リョウが巻き込まれたという出来事についても。
 リョウはいったい何を知っているの? 守りの長老は ――
「祈りの巫女ユーナよ、この者と2人で話をさせてもらえぬか」
 長老がそう言って、あたしに退席を促した。あたしは戸惑ったけど、リョウは何も言ってくれなかった。
 これ以上聞いていてもあたしには判らないからだろうって、無理やり自分を納得させて、あたしは長老の宿舎を出た。


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 リョウの話が終わるまで宿舎で待つことにして、長老の世話係の神官にあたしの居場所を言伝した。それでもまだ少し名残惜しくて、ゆっくりとした歩調で宿舎へ向かっていると、神殿への石段の上にセトの姿を見つけたの。ここにセトがいるってことは、神殿の中には運命の巫女がいるってことよね。あたしは、リョウを待っている間に祈りを捧げるのもいいなと思いながら、その石段を上がっていった。
「こんにちわ、セト」
 声をかけると、セトは少し悲しげに見える表情で微笑した。
「こんにちわ、祈りの巫女。君も祈りにきたのかい?」
「今は違うわ。……中には運命の巫女が?」
「ああ。今日だけで3度目な上に、入ったきりしばらく出てこない。そろそろ様子を見てみようと思ってたところだよ」
 運命の巫女は、ずっと未来を見ていてかなり疲れていたはずだった。もしかして中で倒れてるかもしれない。そう思って、セトと2人でできるだけ音を立てないように扉を開けると、神殿の中央に両手をついたままの運命の巫女を見つけたんだ。
「運命の巫女!」
 セトが叫んで駆けていくうしろからついて、あたしも駆け寄った。運命の巫女は、さすがに気を失ってはいなかったけれど、自分ひとりでは立ち上がれないほど疲れきっていたの。セトが抱き寄せると、あたしの顔を見てちょっと驚いたようだった。
「ありがとうセト。……祈りの巫女、祈りの邪魔をしてごめんなさいね。すぐに出て行くわ」
「あたしのことは気にしないで。それより、こんなになるまで身体を痛めつけちゃいけないわ。次に影が村を襲うまでまだ2日もあるのよ」
「……見えないのよ、祈りの巫女。もっと詳しく見たいのに、あれからぜんぜん未来が見えない ―― 」
「そんなに疲れてたら見えるものも見えないよ! お願い、約束して。今日と明日はもう神殿に来ない、って」
 あたし、心配だった。運命の巫女はすっかり容貌が変わってしまっていて、このまま死んでしまっても少しもおかしくないような顔色をしていたから。村の未来を少しでも見たいって、その気持ちはあたしには判るの。だけど、それでもしも運命の巫女が命を縮めてしまったら、村にとってはとてつもない損失になるんだもん。


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 あたしがきつい口調でたしなめたことに、運命の巫女は少しだけ驚いたようだった。でも、言葉にしたのは別のことだった。
「祈りの巫女、リョウはどうしているの?」
 とつぜん話題が変わったから、あたしは少しだけ答えるのが遅れてしまった。
「リョウなら今、長老宿舎にいるわ。守りの長老と2人だけで話をしているの」
「右の騎士が動き出したのね。だったら未来も変化したかもしれないわ。こうしてはいられない ―― 」
「運命の巫女!」
 間違っても機敏とはいえない動作でセトを押しのけようとうごめいた運命の巫女に、そう叫んだのはセトだった。そのままセトは、あたしが驚くのもかまわず、運命の巫女をひょいと抱き上げたんだ。
「冗談じゃない。歩けなくなるほど疲れてるのに、これ以上ここに置いておけるか。祈りの巫女、運命の巫女はオレが責任を持って休ませるから心配しないで。悪いけど扉を開けてくれる?」
「え、ええ」
「ちょっと、放しなさいセト! あなた神官でしょう? 運命の巫女の言うことが聞けないの!」
 運命の巫女を抱いて歩き始めたセトの先回りをして、あたしは神殿の扉を開けた。そんなセトに運命の巫女がいきなり罵声を浴びせ始めたから、あたしはずいぶん驚いてしまったの。だって、あたしが知ってる運命の巫女って、どんな時でも冷静な大人の女性だったから。
「立ち上がることもできないくせに何を言ってるんだ。巫女の健康管理も神官の責任なんだよ。……もっと早くこうしておけばよかった」
「時間がないのよ! 私がこの先どれだけ詳しく未来を見られるかで村の被害がぜんぜん違うんだから!」
「あと2日ある。とにかく今日と明日は休むんだ。もう宿舎から1歩も外に出すつもりはないからな」
「なによ! 私が結婚するって言ったとき、あなた泣いたじゃない。何でも言うこと聞くから、って。忘れたなんて言わせないわよ!」
「な……! いきなりなにを言い出すんだ! 祈りの巫女が驚いてるじゃないか。……こら、暴れたら落っことすぞ ―― 」
 そうして、言い争いながら石段を降りていく2人のうしろ姿を、あたしは半ば呆然と見送っていた。


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 偶然通りかかっただけなのに、なんともいえないような光景を目にして、あたしは毒気を抜かれてしまったみたい。2人の姿が宿舎の影に消えるまでは歩き出すことも思いつかなかった。運命の巫女もセトも、それぞれ結婚していて子供もいて、ごく普通の幸せな家庭を築いてる。だから今までは2人がどういう過去を持ってるかなんて考えもしなかったんだ。人には歴史があるんだな、なんて、改めて感心してみたりしたの。
 そういえば巫女と神官の夫婦ってあまりいないんだ。カーヤがタキのことを恋人として考えられないのも同じ理由なのかな。そんなことを思いながら自分の宿舎へ戻った。ノックをして、カーヤの声を聞いてドアを開けると、食卓にタキがいてあたしを驚かせたの。
「やあ、お帰り祈りの巫女。……リョウは一緒じゃないのかい?」
「……ええ。リョウが守りの長老に会いたいって、今長老宿舎で話をしていて……。タキは? どうしてここに?」
「さっき下へ行ったら、ミイからリョウと祈りの巫女が散歩に出かけたことを聞いてね。一応ここにも寄ってみたんだ」
 そういえば、タキは午後になったらまたリョウの家へ行くって言ってたんだっけ。
「無駄足させちゃったのね。ごめんなさい」
「構わないよ。それより、リョウが守りの長老に会いに行ったってことは、少しは何か思い出したのかな。祈りの巫女は聞いてる?」
 タキはおそらく、純粋にリョウのことを聞きたかっただけなんだと思う。でも、あたしは言葉に詰まってしまったの。なぜなら、さっきリョウが守りの長老と話していた言葉を思い出したから。
 あたしにはほとんど理解できなかった会話。でも、あたしにも判ったことがあるの。それは、リョウが以前から「右の騎士」という言葉を知っていたこと。その事実と、ほとんど忘れかけていた川でのちょっとした出来事が一致したんだ。
 川で、あたしはリョウが言った言葉が「右の騎士」って聞こえたから、それをリョウに問いただした。そのときリョウは「聞いたことがない言葉だ」って言ったんだ。リョウはあの時、あたしに嘘を言ってたんだ。
 あたしが黙り込んでしまったから、タキとカーヤは顔を見合わせていた。でもあたしは、リョウがあたしに対して嘘をついたことで、頭の中がいっぱいになってしまったの。


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 以前のリョウは、あたしに嘘をつかなかった? ううん、リョウだって嘘をついたことくらいあるよ。大切なことをあたしに打ち明けてくれなかったことも。
 落ち着かなきゃ。こんな小さなことでいちいちリョウを疑っててもしょうがないよ。嘘をつかない人間なんていないもん。リョウのことを信じようって、さっき決心したばかりなんだから。
「村のことはほとんど思い出してないわ。でも、カーヤのことはどこかで見たことがある気がするって言ってた」
 ずいぶん長い時間沈黙してしまったけど、あたしがそう答えたことで、2人ともほっとしたようだった。
「それは光栄だわね。……でも、それならどうして長老に会いに行ったのかしら」
「たぶん村に受け入れてもらったお礼を言いたかったのもあると思う。あたしが席を外す前にリョウが長老にそう言ってたから」
 あたしの言葉は歯切れが悪かったから、その場の雰囲気が少し重くなっていた。あたしはごまかすつもりはなかったんだけど、そんな空気を追い払いたくて話題を変えたの。
「そういえば神殿で運命の巫女とセトに会ったの。あたしちょっとびっくりしちゃって」
「どうして? なにもおかしくないと思うわ。神殿に運命の巫女がいても不思議はないし、セトは運命の巫女の担当なんでしょう?」
 カーヤが明るい声で乗ってきてくれたから、あたしは助けられたような気がした。
「そうなんだけどね。運命の巫女も疲れてたし、たぶんそのせいで気が立ってたんだと思うけど、いきなりセトと口げんかを始めちゃったの。……ねえ、あの2人、昔なにかあったのかな」
 あたしが興味津々、身体を乗り出すと、カーヤとタキは再び顔を見合わせて、やがて思いついたようにカーヤが言った。
「そういえばユーナは見習いのときから修行で忙しかったものね。巫女の噂話なんか知らなくても当たり前だわ。……あのね、ユーナ。運命の巫女がまだ独身だったころ、セトは運命の巫女に告白したのよ。でも、彼女には幼馴染の恋人がいたの」
「それで? セトはふられちゃったの?」
「そ。だからそれきりセトは運命の巫女に頭が上がらないのよ。……今はセトも幸せだし、2人にとってはいい思い出なんじゃないかな」


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