真・祈りの巫女



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「 ―― 安心してリョウ。あなたのことは必ず守る。そう、約束するから」
 話している間、リョウはほとんど表情を変えなかったから、あたしはリョウがあたしの話をどう受け取ったのか推察することができなかった。話し終わっても、リョウは安心した表情は見せなかった。あたしの言葉を信じられないでいるのかもしれない。
「話はだいたい判った。……食事をもらえるか?」
 リョウの口調はそれまでと変わらなかったのに、リョウのその言葉で重苦しい空気が一気に吹き飛んでいた。
 食事の介助はミイに任せて、あたしはうしろでずっと2人の様子を見守っていた。リョウは昨日よりも遥かによくなっていて、身体を起こすのを手伝ったりお皿を取ってあげたりするほかは、ぜんぶ1人でできるようになっていた。今朝から普通の食事に戻したのに、食べるのもすごく早かったの。この分ならタキの予想よりもずっと早く立って歩けるようになりそうだった。
 食後、あたしは気になっていたことをリョウに尋ねた。
「リョウ、さっき、ミイを見て何かを思い出したの? ミイのことを覚えているの?」
「いや。……ただ、似てる人を知ってたような気がした。それだけだ」
 リョウは話したくないように目をそらしたから、あたしもそれ以上は訊くことができなかった。
 あたしとミイはそれきりリョウの寝室を出て、今度は2人だけで自分たちの食事を摂ったの。リョウの看護についてタキに言われていたことをミイにも伝えて、それが終わると自然に雑談になった。このところあたしはまったく外に出ていなかったから、村の様子についてミイはいろいろ話してくれたんだ。災厄がまだ去っていないから、村の復興はぜんぜん進んでいなかったけど、その代わりに西の森の出口あたりに大きな堀を作る作業を進めているんだって教えてくれた。
 ミイは、リョウの両親のことを気にしていた。リョウの両親はリョウが生きていることを知らないから、今でもリョウが死んだ悲しみに暮れている。ミイはずっとその様子を見てきたから、せめてこっそりとでも会わせてあげたいんだ。それに、両親を見れば、リョウの記憶も戻るかもしれないって。ミイの気持ちはよく判ったけど、神殿でのリョウの立場が決まるまでは誰にも話すことはできなかった。
 食後タキが迎えに来るのを待ちながら、あたしは理由の判らない不安感と戦っていた。


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 神殿までの坂道を上がりながら、タキは少し緊張した面持ちで話してくれた。
「昨日宿舎に戻ってすぐに、オレは守護の巫女に呼び出されてね。祈りの巫女のことをいろいろ訊かれたんだ。祈りの巫女は前回の会議の日は宿舎に帰ってない。そのこと自体はまあ、恋人を亡くした直後でもあるし、守護の巫女も黙認してたんだ。オレがついてることも判ってたから、特に居場所を詮索することもしないでオレに任せてくれていた。だけど、そのあと祈りの巫女はいっこうに帰ってこないし、オレも薬や包帯、食料なんかを調達するようになっただろう? そのことが原因で、神官たちの間で変な憶測が飛び交うようになったらしいんだ。
 昨日の午前中に呼び出されたときには、いずれすべてを話すから少し待って欲しいって言って、守護の巫女もそれ以上は訊かないでくれたんだけど、夜はもうそんな曖昧な対応じゃきかなくてね。詳しくは言ってくれなかったんだけど、どうもオレが薬を調達していることで、祈りの巫女が自殺を図った、なんて噂も出始めたらしい。だから……君に相談しないで悪かったんだけど、オレは昨日守護の巫女に、狩人のリョウが生き返ったことを話したんだ」
 聞きながらあたしは、タキがあたしのことでずっとたいへんな苦労をしていたことを知った。きっと、今話してくれた以上に、タキはいろんな人にいろんなことを言われてきたのだろう。そのたびにずっとごまかしてるのって、ものすごく辛いことに違いないよ。でも、タキはあたしやリョウの前では、そんな素振りは少しも見せなかったんだ。
「ごめんなさいタキ。本当に迷惑をかけちゃって」
「オレのことはいいんだけどね。でも、そんな訳で守護の巫女はすでにリョウのことを知ってるんだ。なにしろことがことだから、守護の巫女も騒ぎを大きくしたくないって言ってね。祈りの巫女にはできるだけ誰にも姿を見せないで、直接守りの長老宿舎にくるように伝えて欲しいって言われたんだ。話も守護の巫女と守りの長老の2人だけで聞くって ―― 」
 森の道を出た時、タキは神官宿舎の裏手に回り込んで、長老宿舎の裏口へあたしを連れて行ったの。あたしはそこに裏口があることは知ってたけど、今までここから出入りしたことなんてなかったんだ。タキがノックをすると、ややあって守護の巫女が扉を開けてくれた。あたしを見て困惑の表情を浮かべた守護の巫女に、あたしは自分がどんな表情をしたらいいのか判らずにいた。


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 守護の巫女と守りの長老を前に、あたしは今までの経緯を話し始めていた。リョウを失って悲しんだこと。その悲しみがいつしか憎しみに変わっていったこと。それでも諦めきれなくて、神殿で祈りを捧げながら「リョウを返して欲しい」と思ってしまったこと。その心の叫びに、神様は答えてくれた。神様はあたしに「願いをかなえる」と言って、怪我をしたリョウを神殿へ連れてきてくれたんだ。
 あたしを見てあたしの名前を呼んで、そのあと気を失ってしまったリョウを、タキとランドが協力して家まで運んでくれた。それから丸1日リョウには意識がなかった。でも、目が覚めたとき、リョウは記憶を失っていたんだ。最初リョウはあたしを警戒していたけど、タキと話してからは普通に会話してくれるようになった。そして、これはタキも知らないことだったけど、リョウはミイを見て「似てる人を知ってたような気がした」って言ったんだ。
 あたしが話している間、守護の巫女も守りの長老も、ときどき合いの手を入れるほかはほとんど黙ったままだった。そこまで話したあと、しばらくの沈黙があって、守護の巫女がようやく口を開いたの。
「問題がいくつかあるわね。……祈りの巫女、私の、守護の巫女の役割がどういうものか、あなたには判る?」
 それは誰でも知っていることで、今更改めて考えるまでもないことだった。
「村を守って、村の平和を保つことだわ」
「ええ、そうよ。私は現在においてはこの村を守って、将来にわたって村の平和を保たなければならない。これから先私が死んで、新しい守護の巫女が引き継いでいくけれど、今の私にはその先の未来にも責任があるの。今日を乗り切ればそれでいいというものではないわ。それは、判ってくれるわね、祈りの巫女」
 あたしはそこまで守護の巫女の役割について考えたことはなかった。新たな驚きがあったけど、でもそれを口に出すことはしないで、小さくうなずくだけにとどめた。
「問題の1つは、これは1番大きな問題と言っていいのだけど、あなたが自分の願いを神様に祈ってしまったことだわ。神殿が祈りの巫女に自分の祈りを禁じているのは、祈りの巫女がその力を私欲に利用するのを防ぐため。自分のためになされた祈りは、他人のためになされる祈りよりも、遥かに大きな力を発揮する。そんな大きな力を手にした人間ほど危険なものはないのよ」


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「私は、あなたが正しい心を持ってることを知っているわ。今回は恋人を失った悲しみのあまり過ちを犯してしまったけれど、いつものあなただったら祈りの力を自分のために利用したりはしない。それは確かよ。でも……怒らないで聞いてちょうだいね、祈りの巫女。人間というのは変わるものだわ。これから先、あなたがまた悲しみに襲われたり、憎しみに囚われたりしたとき、同じ事を繰り返さないとは限らない。自分の力ではどうにもならない欲望を抱いた時、祈りの力を利用しないでいられるとは限らない。なぜなら、あなたは既に禁忌という枠を踏み越えてしまったのだから。1度その一線を越えた人間が、これから先ぜったいにその線を踏み越えないでいられると信じることはできないのよ」
 守護の巫女が言っていることは正しいことだった。その正しさが判るから、あたしは自分のおろかさに涙が出そうだった。あたしは神殿の信頼を失ってしまった。1度過ちを犯したあたしは、2度と信じてもらうことはできないんだ。あたしが生きている限り、守護の巫女には不安が付きまとう。守護の巫女はずっとその不安を抱えていかなければならないんだ。
「守護の巫女、守りの長老。お願い、あたしを殺して。そうすれば不安は消えるわ」
 あたしのその言葉にも、守護の巫女は表情を変えなかったの。大きく息をついて再び口を開いた。
「昨日、タキに話を聞いたあとに守りの長老とも話したのだけど。……私は村の将来にも責任を負っているって、さっき話したわね。もしもここであなたを殺したら、12代目の祈りの巫女が禁忌を犯した記録を将来に残してしまう。それは村の将来にとってはよくないことなのよ。なぜなら、祈りの巫女が必ずしも正しい心を持っている訳ではないのだという前例を作ってしまうし、これから先同じ過ちを犯した祈りの巫女が現われた時、自分が殺されることが判っていたら、罪を隠そうとして逆に取り返しのつかないことになってしまうかもしれないわ。だから、あなたを殺すことだけでは、私の未来の不安を消すことはできないのよ」
 あたし、正直言って自分の過ちがこれほどのものとは思っていなかった。最悪の場合でも、あたしが殺されればすべて終わると思ってたの。でもあたしが死んだだけじゃ終わらないんだ。あたしは、未来の祈りの巫女にも、悪い影響を残してしまったんだ。
「タキ、歴史上11人の祈りの巫女の中で、禁忌を犯した祈りの巫女はいた?」
 突然、守護の巫女に話を振られて、タキはずいぶん驚いたみたいだった。


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「ええっと、確か禁忌を犯したことで罰を受けた祈りの巫女はいなかったはずだよ。ただ……2代目のセーラは、恋人ジムの命を延ばしてる。その祈りが誰の願いとして神様に聞き届けられたのかは判らない。だから、彼女はもしかしたら、自分の願いとしてジムの寿命を延ばす祈りをしたのかもしれない。そのあとすぐにセーラは死んでしまったから真相は判らないけど」
「つまり、記録としては存在してないけれど、禁忌を犯した可能性のある祈りの巫女はいた訳ね。……祈りの巫女、私は昨日、同じことを守りの長老にほのめかされたわ。つまり、あなたが犯した罪を、歴史の上で抹殺してしまうこと」
 このとき、うつむいたままだったあたしは、守護の巫女の言葉にハッとして顔を上げた。あたしの頭の中にランドの言葉が甦ったの。あたしが自分のことを祈ったのがいけないのなら、その証拠を消してしまえばいいんだ、って。
「歴史の上で抹殺、って。……まさかリョウを ―― 」
「そうね。リョウが2番目に大きな問題であることは間違いないわ。私が守護の巫女でなければ、ランドと同じ意見を主張したでしょうね。でも、あなたを殺すことができないのに、リョウだけを殺したら、それこそあなたがなにを始めるか判ったものではないわよ。そのくらいのことは嫌でも想像がついてしまう。……話を整理するけど、第1の問題は、祈りの巫女が自分の願いを祈ったことであって、リョウが生き返ったことではないわ。だから、祈りの巫女がリョウを生き返らせる祈りをしたその理由が、祈りの巫女自身のためでなければいいのよ。他にその祈りを正当化させる理由さえあれば。……正直言ってこれは難しいわ。よほどの理由がなければ、祈りの巫女が自分の婚約者を生き返らせたことを正当化することはできないもの」
 つまり、リョウを生き返らせたことについて、リョウに生きていて欲しいというあたしの願望をしのぐほどの理由が必要なんだ。誰でも納得できるような理由が。でも、リョウが生き返って村が得することなんて、あたしには考えつかないよ。もちろん、リョウは生きていればこれから一生村のために尽くしてくれるだろうけど、それだけではリョウだけを生き返らせた理由になんかならないんだ。
「そして、第2の問題。これは第1の問題にも絡んでくるのだけど、生き返ったリョウが果たして何者か、ということね。このリョウがもしも本物なら、第1の問題もクリアできる可能性があるわ。なぜなら、以前のリョウは祈りの巫女の右の騎士だったのだから。彼が右の騎士で、これから先影を追い払うために力を尽くしてくれれば、それが祈りの巫女がリョウを生き返らせた正当な理由になるのよ」


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 あたしは、この問題が意外に簡単に片付きそうな気がして、かなり大きな希望を持った。だって、リョウは本物なんだもん。今は記憶がなくて、怪我をして動けないけど、記憶が戻って怪我が治ればリョウはまた村を救うために力を尽くしてくれる。そりゃあ、リョウが影と戦うのはすごく心配だけど、リョウには1度影を倒した実績もあるから、祈りの巫女としてのあたしがリョウだけを生き返らせようとしたってぜんぜん不思議じゃないよ。そう思って、あたしが微笑みを見せると、なぜか守護の巫女はもっと厳しい表情をしたの。
「祈りの巫女、あなたはリョウが本物だと思うのね。記憶が戻ると信じてるのね」
「リョウは本物よ。だって、神殿では間違いなくあたしの名前を呼んだんだもの。それに、ミイに会って少しだけでも思い出したみたい。きっと記憶がないのは一時的なことで、すぐにすべてを思い出すわ」
「そうね。祈りの巫女が言う通り、すぐに思い出すかもしれないわ。でも、これから先なにも思い出さないかもしれない。リョウが自分のことを思い出さなければ本物であるとは言えないわ。影に操られた偽者かもしれない」
「本物よ! だって、守護の巫女は知らないから。今のリョウは、リョウが子供の頃によく似てるの。怒った時のリョウにも。誰にも判らなくたってあたしには判るの!」
「祈りの巫女、私は理論的な話をしているの。だから感情的にはならないでちょうだい。……私は、村の将来も守らなければならないけど、村の現在も守らなければならないわ。もし今を守れなかったら、いくら将来を守ろうとしても意味はないのよ。だから、もしもリョウが村のためによくないものなら、たとえ将来のためにならないのは判っていても、あなたとリョウをともに殺すこともありうるわ」
「……」
「誤解しないでちょうだい。私は、リョウが偽者だと決め付けている訳ではないわ。ただ、リョウの記憶が戻るまで何日か、あるいは何年かかかるのかもしれないけど、それほどの時間を待つだけのゆとりは今この村にはないのよ。だから手っ取り早く確かめさせてもらうわ。リョウが何者で、私たちにとってどんな運命をもたらす存在なのか」
 あたしは、守護の巫女の強い姿勢に押されて、もう何も言うことができなかった。
「神託の巫女をリョウに会わせる。彼女がリョウに触れて読み取った予言の内容で、今後のことを決めさせてもらうことにするわ」


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 守護の巫女の行動は迅速で、タキはずいぶん戸惑っているみたいだった。たぶんタキは守護の巫女がこんなに強力な姿勢に出てくるとは思ってなかったのだろう。不安そうな視線をあたしに向けて、神託の巫女を呼ぶために長老宿舎を出て行った。タキがその場から去ったあと、守護の巫女もいくぶん緊張をといて、微笑さえ浮かべてあたしを振り返ったの。
「祈りの巫女、いろいろときついことを言ってごめんなさい。さぞかし嫌な思いをしたのでしょうね」
「ううん。守護の巫女が言ってることはぜんぶ当然のことだもの。……あたしの方こそごめんなさい。感情的になっちゃって」
「無理もないわ。あなたは1度、婚約者を村のために犠牲にしてしまったんだもの。再び生き返ったリョウを命がけで守ろうとするのは当然だわ。……個人的にはね、あなたが元気になったことは私も嬉しいの。早くリョウの記憶が戻って幸せな結婚ができることを望んでいるわ。ただ、私は守護の巫女だから、リョウの復活を手放しで喜んであげられない。なくしていた祈りの力が戻ったことも」
 そう聞いて、あたしも初めて気がついたの。今までずっと、あたしの祈りは神様に届いてなかった。影を退けようとしてもぜんぜんうまくいかなかった。それなのにあたし、リョウの祈りだけはちゃんと神様に届けることができたんだ。あたしの力が上がったの? だから神様はあたしに声を聞かせてくれたの?
 それとも、その祈りが自分の願いだったから、強すぎる祈りだったから届いただけ……?
「祈りの巫女ユーナよ。そなたの祈りは神に届いていなかったのではないのだ」
 ずっと黙ったままあたしたちのやり取りを聞いていた守りの長老が、唐突にその重い口を開いた。守りの長老はめったに口をきかないから、その言葉は突然で、声をかけられるといつも驚いてしまうの。
「守りの長老、それはどういうこと? 神様は今までもずっとあたしの祈りを聞いてくれていたの?」
 あたしが守りの長老を見つめてじっと返事を待っていると、やがて再び語り始めてくれた。
「神の理を人が解することはかなわぬ。たとえ人に、祈りが届いておらぬように思われたとしても ―― 」
 あたしも、守護の巫女も、守りの長老の言葉を一言も聞き漏らさないように、息さえ潜めた。
「 ―― 自らの祈りの力を侮ってはならぬ。祈りは、この世にあるすべてのものを超える。……天すら動かすのだ」


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 それきり、守りの長老は2度と語ってくれなかった。すぐにタキが神託の巫女を連れて戻ってきたから、あたしは心を残しながらも、あわただしく長老宿舎をあとにしたの。4人でリョウの家までを歩きながら、守護の巫女が神託の巫女に簡単な説明をして、リョウの予言を読み取って欲しいと告げた。神託の巫女はあまりのことに少しだけ動揺を見せたけれど、やがて心を決めるように言ったの。
「大人に関する予言は、生まれたばかりの赤ん坊ほど純粋なものが得られる訳ではないわ。年を重ねれば重ねるほど、魂の本来の形が見えにくくなってしまうの。でも……リョウはまだ確か19歳よね。そのくらいなら見えるものも多いと思う」
「それで構わないわ。極端なことを言ってしまえば、リョウが右の騎士であることさえ確かめられればいいの。それは本人に記憶がなくても可能でしょう?」
「ええ。むしろ記憶がない方がいいくらいだと思うわ。ただ、私は記憶のない人を見たことなんてないから、それが予言にどんな影響を与えるのかは判らないけど」
 守護の巫女は気が急いているのか歩幅も大きくて、ただでさえ長身の彼女が大股で歩くと、あたしや神託の巫女ではついていくのがやっとだった。ほとんど考える暇もなくリョウの家に到着して、まずはあたし1人で家の中に入る。これだけはあたし譲れなかったの。だって、リョウは周りに対する不安をすべて払拭できた訳じゃないんだもん。神託の巫女がリョウに触れることについてなんの説明もしないでいることなんて、あたしはしたくなかったから。
 ノックをして扉を開けると、ミイの明るい声が寝室の方から聞こえてきた。声が途切れないところを見るとノックの音に気づいてないみたいね。あたしは家に入って、再び寝室の扉をノックしたの。その時やっとミイが気づいて、中からドアを開けてくれた。
「あら、ユーナ。ずいぶん早かったのね。神殿のご用は終わったの?」
「ううん、実はまだ途中なの。……ちょっとリョウと話したいのだけど、いいかしら」
「ええ、もちろんよ。外は暑かったでしょう? 今、お茶を入れるわね」
 あたしは一瞬、外で待っている3人のことを思ったのだけど、まずはリョウにその話をするべきだったからミイには何も言わなかった。ミイと入れ替わりに寝室に入る。リョウはあたしを見て、少しだけ緊張したみたいだった。


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 少しの間、あたしは話し掛けるきっかけがつかめなくて、さっきまでミイが座ってた椅子に腰掛けてリョウを見つめていた。リョウも今は上半身を起こしていて、不審そうにあたしを見つめてる。さっきまでミイとどんな話をしてたんだろう。あたしはまだリョウとはほとんどまともな会話をしていなかったから、そのことがちょっとだけ気になったの。
「……ごめんなさい、リョウ。お話の邪魔しちゃって」
「いや、別にたいしたことは話してない。あの、ミイの旦那のランドとかっていうのも狩人で、俺の仲間なんだってな」
「ええ、そうよ。リョウとランドはとても仲がよくて、最初にあたしが神殿でリョウを見つけたとき、タキと一緒にリョウをここまで連れてきてくれたの。それからもリョウのことはずっと気にかけてくれてるわ。ほら、リョウがタキと話していたとき、あとから入ってきた人よ」
「……ああ、判った。あいつか」
 リョウがそう言って、あたしがまたしばらく言葉を失ってしまうと、おもむろにリョウが息をついて言ったの。
「……で、何なんだ? 俺になにか頼みごとでもあるのか?」
 あたしが驚いて返事をできないでいると、リョウは続けた。
「俺はおまえにはずいぶん世話になってるらしいからな。俺にできることなら協力してやる。……なにか、俺のことで問題が起きてるんじゃないのか?」
 リョウはずっとあたしのことを見つめていて、だからもしかしたらあたしの表情を見て、それで察したのかもしれない。あたしはそんなリョウの心遣いをすごく嬉しく感じたの。だって、記憶を失うまでのリョウは、いつもそうしてあたしが言いづらいことも聞き出してくれたんだもん。たとえ記憶がなくても、リョウはリョウ。あたしのリョウはちゃんと残ってるんだ。
「たいしたことじゃないの。ただ……リョウが何も思い出してないから、守護の巫女はリョウが今までのリョウと同じだって、信じてくれないの。だから、それを確かめたいって、今家の前まできてるの。……リョウ、神託の巫女がリョウに触れることを許してくれる?」
 リョウは、あたしの言葉にあまり表情を変えることはしなかった。


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「言葉の意味がよく判らない。おまえは祈りの巫女なんだろ? 守護の巫女と神託の巫女ってのは何だ? この村の責任者か?」
 そうか。リョウはそんなことも忘れてるんだ。あたしはできるだけリョウが判りやすいように説明しようと思った。
「村のことはね、神殿にいる巫女と神官が司っているの。神官の最高位が守りの長老で、巫女で同じ位置にいるのが守護の巫女。この2人が村のことをいろいろ考えて、村をいい方向へと導いているわ。あたしは村の平和を神様に祈るためにいる祈りの巫女で、神託の巫女というのは、村に新しい子供が生まれたときに誕生の予言をする巫女なの。子供に触れて、その子が持っているさまざまな運命や宿命を予言するわ。ほかに聖櫃の巫女と運命の巫女がいて、聖櫃の巫女が村の神事を取り仕切って、運命の巫女は村全体の未来を見るの」
「その、神託の巫女っていうのが、俺の誕生の予言をしたいんだな?」
「そうなの。……記憶を失う前にリョウが持っていた宿命と同じものを、今のリョウが持っていることを確かめたいの。そうすればリョウが本物だってことが判るから」
 リョウは少しの間考えているように見えた。でも、それもほんの少しだけで、再び顔を上げてあたしに言ったの。
「触れるだけなら構わない。……どうやらその儀式がなければ、俺はこの村で生かしてもらえないようだからな」
「そんなこと! もしも守護の巫女がリョウになにかしたらあたしがリョウを守るわ!」
「おまえの細腕には期待してない。自分のことは自分で守るさ。……連れてこいよ、守護の巫女と神託の巫女を」
 そう言ったリョウはすごくそっけなくて、さっきちょっとだけ以前のリョウを感じて喜んだ分また涙が出そうだったけど、でもリョウが許してくれたからあたしは2人を連れに部屋を出たの。
 食卓まで行くと、外にいたはずの3人がミイのお茶を飲んでいるところだった。あたしは驚いて立ち止まってしまって、それに気づいたミイが声をかけてくれた。
「ユーナ、お連れがいるのなら先に言ってくれればよかったのに。今あなたにもお茶を持っていくところだったのよ」
「話が終わったのね、祈りの巫女。それで、リョウと話はついたの?」
 あたしがなにか言うよりも早く守護の巫女が言ったから、あたしはうなずくことで答えた。


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