真・祈りの巫女
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オミが話してくれたことを、あたしはきちんと考えることができなかった。どう考えていいのかが判らなかった。……たぶん、オミ自身が苦しかったんだ。だからオミは、自分の苦しみから逃れるために、あたしにこの話をしたの。でも今のあたしにはオミの言葉をきちんと受け止める準備ができてなかった。リョウが死んだ今、あたしはこの話をどう受け止めたらいいのか、ぜんぜん判らなかったの。
オミ。あたしの弟。ずっと小さな頃から傍にいた、あたしの家族。今、あたしはあなたが煩わしい。父さまと母さまが影に殺されるところを間近で見て、心と身体に大きな傷を負って、死の恐怖の苦しみや身体の痛みと必死に戦っているあなたが。
オミ、あなたが大好きよ。……でもあたしは独りぼっちだ。母さま、いつもみたいにあたしを助けて。あたしがこれからどうすればいいのか、誰かあたしに教えてよ ――
―― リョウ、苦しい……
「ユーナ……?」
その時、宿舎の扉が開く音がして、間もなく部屋に飛び込んできた人がいた。カーヤだった。
「ユーナ! ……よかった……!」
あたしはカーヤの言葉に反応することすらできなかった。ずっと椅子に腰掛けたままだったあたしの様子を注意深くうかがったあと、カーヤはオミに向き直ったみたい。
「オミ、無理なお願いをしてごめんなさい。本当にありがとう」
「いいよ。それよりユーナが……。オレ、余計な話をしすぎたかもしれない。様子がおかしい」
カーヤがもう1度あたしを振り返った。あたし、またカーヤに心配かけてるよ。しっかりしなくちゃ。
「ユーナ……? どうしたの? 大丈夫?」
あたしは椅子から立ち上がって、なんとか顔を上げることができた。
「大丈夫よカーヤ。……オミのことをお願い。また、めんどうをかけるけど」
そのままオミの病室を出ようとした時、あたしはカーヤに呼び止められた。
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「ユーナ、朝食にするんでしょう? 今スープを温めるわ。実はね、さっきそこで守護の巫女付きの神官に言われたの。会議を始めるから、名前のついた巫女は食事が終わったあと、守りの長老宿舎に集まるように、って」
カーヤはあたしにそう話しながら、さりげなくあたしを食卓まで誘導していった。食卓のあたしの席には既に朝食が用意してある。さっき、自分でカーヤに頼んだはずなのに、今はぜんぜん食欲がない。並べられた食事がおいしそうに思えなかった。
「会議が始まるのね。……ごめんなさいカーヤ、せっかく作ってくれたけど、あたし今食べたくないの。会議まで時間もあんまりないみたいだから、これからすぐに行くわ」
「それはダメよユーナ。守護の巫女は「食事が終わってから」集まるように言ったんだから。遅刻するのはかまわないけど、食事を抜くのは許さないって、そう言ったそうよ。たぶんもうじきタキがくるけど、ユーナが食事を終えるまで、あたしは一歩もこの宿舎から出さないつもりでいるからね。諦めて食べるのよ」
話しながらカーヤはスープを温め終えて、お皿をテーブルに並べてくれたの。胸が重苦しくてぜんぜん食べられる気がしなかったけど、あたしは食卓に座って、スープを口に運んだ。……ぜんぜん、食べられると思ってなかった。でも、程よく温められたスープを口に含んで、飲み込んだとき、あたしはそのスープをおいしいって感じたんだ。喉を通って身体の奥まで染み渡った1口のスープ。もっと欲しがっているようにお腹が鳴って、あたしはそれがすごく悲しかったの。
あたしの身体が生きようとしている。リョウはもういなくて、祈りはぜんぜん通じなくて、未来に希望なんかひとかけらもないのに、あたしの身体はまだ生きてる。おいしいものを食べればおいしいって感じる。どうしてリョウがいないのにスープがおいしいの? あたし、そんな自分がものすごく悲しくて、知らず知らずのうちに涙を流していたの。
「ユーナ! ……どうしたの?」
「……おいしい」
あたしはそれきり何も言えなくて、無言のまま泣き続けた。泣きながら、少し冷めた野菜炒めとリゾットを口に運んで。
「泣きなさい、ユーナ。……理由なんかなんでもいい。ムリヤリ理由を見つけてでいいから、できるだけたくさん泣くのよ」
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泣きながら、あたしは1口食事を口に入れて、泣いて、飲み込んだ。だからテーブルの上の食事をぜんぶ食べるのに、すごくたくさんの時間をかけなければならなかった。無言で食事するあたしを、カーヤはずっと見守ってくれていたの。食事の途中でタキがやってきたけど、カーヤが何か合図でもしたのか、宿舎の中へ入ってくることはなかった。
食事が終わるまで、あたしは泣いていてもいい。食事が終わったらあたしはまた祈りの巫女に戻らなければならなかったけど、守護の巫女は食事が終わってから集まるようにって言ったんだもん。食事している間はあたしはただのユーナなんだ。そう、泣くのを許してもらっている気がして、ゆっくり1口ずつ食事を詰め込みながら、泣きながら、あたしはいろいろなことを考えていたの。
カーヤ、あたしが今泣いている理由が、たぶんあなたには判らないね。でも、カーヤはいつもあたしのことを心配してくれる。あたしがいなくなれば必死で探してくれる。あたしの弟だから、オミを優しく世話してくれる。さっきは判らなかったけど、きっとカーヤはオミに頼んでくれたんだ。もしもあたしが帰ってきたら、できるだけ引き止めておいて欲しい、って。
そして、訳も判らず泣いているあたしを見て、その時間を守ろうとしてくれる。迎えに来たタキを遠ざけて、あたしが泣くことを許してくれる。カーヤ、あなたは優しいね。だからあたし、あなたの料理で泣くことができたのかもしれない。
オミ、苦しいよね。身体中が痛くて、目を閉じると父さまと母さまの死に様が浮かんで、いたたまれなくなるよね。それでも、あたしの傍にいるって言ってくれた。あたしのことを心配して、必死になって引き止めてくれた。……リョウのことを考えるとまた涙が出てくるよ。あの時はリョウのために泣くことができなかったのに。
リョウ、あたしのことを好きだって言ってくれたリョウ。あたし、もしかしたらあなたの運命を変えちゃったのかもしれない。リョウは本当は、あたし以外の人と結婚するはずで、そうしていたらもっと長生きできたのかもしれない。あたしがリョウを好きになったから、リョウがあたしを好きになってくれたから、リョウの運命は変わってしまったの……?
……もしかしたら、リョウは父さまと話をして、自分があたしの結婚相手じゃないことを知って、ショックを受けたのかもしれない。たとえその時ショックじゃなかったとしても、少しでも認められようと焦って、影に向かっていったのかもしれない。
間違いなくリョウは、あたしがリョウを好きになったから、こんなに早く命を落とすことになってしまったんだ。
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リョウ、あたし、リョウが傍にいてくれればそれだけでよかったの。影なんか倒せなくたって、周りの人にひどいことを言われたって、最悪リョウと結婚できなくたってよかった。ただ、リョウが生きていてくれさえすればよかったよ。だって、リョウが死ぬことよりも辛いことなんて、あたしにはないんだから。
リョウがいないのに、あたしはどうして村を守れるの? どうして村のために祈りを捧げることができるの? だって、村を守る意味なんてもうないよ。リョウがいない村を守ったってなんにもならないじゃない。
―― 最後の1口を食べ終わると、不思議にあたしの涙は止まっていた。
顔を上げるとカーヤが見つめている。あたしは涙をぬぐって、そのまま無言で台所に顔を洗いに行った。巫女の会議に行かなきゃ。たぶんタキが宿舎の外で待ってるはずだもん。顔を洗い終えて、カーヤが差し出してくれた手ぬぐいて顔を拭いて、やっと少しだけ笑みを浮かべることができた。
「ごちそうさま、カーヤ。行ってくるわ。オミのことよろしくね」
「え、ええ。任せて」
逆にカーヤは不安そうに返事をした。あたしはもうそのことは気にしないで、扉を出て、外に所在なく立っていたタキを驚かせた。
「待たせちゃってごめんなさい。もうみんな集まってるでしょう?」
「ああ、たぶんほとんど集まったと思うけど……大丈夫なの?」
タキはあたしを心配してくれてるみたい。そういえば、さっき宿舎に帰ってきたとき、あたしはタキに別れの言葉も言わなかった。あの時タキはきっと、カーヤに頼まれてあたしを探しにきてくれてたんだ。あの時のこと、あたしはあんまり覚えてないけど、あたしが訳の判らないことを言ってたからずいぶん心配させちゃったよね。
「心配させてごめんなさい。でも大丈夫よ。あたしは祈りの巫女だもの」
タキはちょっと不安そうな表情を返してきて、それはあたしの中でさっきのカーヤの顔と重なった。
心配は要らないって、ちょっとタキに微笑んで、あたしは急ぎ足で長老宿舎へ向かったの。
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守りの長老宿舎へノックをして入ると、既に4人の巫女と担当になっている神官たちは集まっていた。会話の邪魔をしないように空いている席に腰掛ける。ひと通り顔を向けると、みんな一様に疲れた表情であたしを見返した。たぶんあたしも同じような顔をしてるんだろう。
昨日の影の襲撃での被害状況を話し終えた守護の巫女は、最後に亡くなったのがリョウ1人だったことを付け加えて、あたしに言った。
「祈りの巫女、あなたには本当に気の毒なことだったわ。……死者の魂が安らかなる事を」
「……ええ、ありがとう」
他のみんなも、次々にあたしに向かって哀悼の意を表してくれる。たぶんみんな、正直あたしに何を言ったらいいのか判らなかったんだろう。形式的な言葉を簡単に述べただけで、すぐに目を伏せてしまう。逆にあたしはみんなを心配させないように、必死になって顔を上げていた。
「狩人のリョウの働きで、影の1つを倒すことができたわ。南の草原に死骸があって、ようやく私たちは影の姿を見ることができたの。今朝早く神官の1人が簡単な絵を書いてきてくれたわ。……これが、村を襲った影の正体よ」
守護の巫女が1枚の紙をテーブルの上に広げた。その絵を全員が覗き込む。この絵は、たぶん急いで書かれたようで、本当に簡単な線でしか書いてなかったのだけど……。
影は、ものすごく奇妙な形をしていた。
パッと見たとき、最初は紙のどちらが上なのかがよく判らなかった。よく見ると隣に大きさを測るための人型が書いてあって、高さだけでも人の1.5倍くらいはあったの。身体が全体に四角張った感じで、どちらが前なのかも判らないくらい。四角張った身体の上の方に少し飛び出したコブのようなものがあって、たぶん前だと思われる方には何か細長いものが縦についている。これが頭だとするとあんまりにも平たすぎるから、これはもしかしたら腕の一種なのかもしれないけど、だとしたら頭はどこなんだろう。……以前タキが言ってたことを思い出した。影は頭も尻尾もよく判らなくて、とにかく大きかったんだ、って。
その絵を覗き込んでいたほかの巫女たちも、あまりに異様な姿に何も言えなくて、部屋の中はしんと静まり返っていた。
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ある程度じっくり絵に見入っていた巫女と神官たちは、そのうち顔を上げて互いに目を見合わせてざわめき始めた。あたしも隣にいたタキに意見を求めるような視線を投げかけたけど、タキも困惑したように首を振るだけだった。いったいなんて言ったらいいんだろう。影は、動物というよりはむしろ昆虫のようで、でも昆虫より遥かに「人が作った何か」に似ていたから。
それとも、大きいからそんな風に見えるだけなのかもしれない。例えばあたしたちがよく知っている小さな虫も、大きく拡大した絵を描いてみたら、ぜんぜん違ったものに見えるのかな。
ざわめきが大きくなると、それを制するように守護の巫女が再び口を開いた。
「これは簡単なスケッチで色をつけてないのだけど、これを描いたセリの話だと、影は全体に黄色か、オレンジに近い色をしているそうよ。部分的には黒や銀色、あるいは透明なところもある。表面に光沢があるから、まるで昆虫を大きくしたようにも見えるって。……この絵は影を横から見た姿を描いているのだけど、見る角度によってまったく違う姿をしているらしいわ」
そうか、セリもやっぱりこれを見て昆虫を連想したんだ。でも、この絵だけではとても名前を付けることなんてできそうにないよ。影をこの目で見てみたい。そう、あたしが口に出すよりも早く、神託の巫女が言った。
「守護の巫女、この影を直接見たいわ。私が見て触れれば何かが判るかもしれないもの」
神託の巫女は生まれた子供に触れて、その子が持っている運命や宿命を予言する。それは別に子供に限った能力じゃないから、未知の生物に対してだって有効かもしれないんだ。ただ、死んだ生き物の予言をできるって話は聞いたことがなかったけど。
「それは無理よ。今この巨大な生き物は動かないけど、本当に死んだかどうか、私たちには確かめる術がない。もしも神託の巫女が近づいた途端に生き返りでもしたら、私たちはあなたを失うかもしれない。そんな危険なことは許可できないわ」
あたしは驚いて守護の巫女を見た。守護の巫女は、影が死んだことを信じていないの? リョウが、自分の命と引き換えに、影を倒したのに。もしも影が生きていたら、リョウは無駄に死んだことになる ――
あたしは自分でも抑えきれない苛立ちを感じて、知らず知らずのうちにそう口にしていた。
「あたしが影に会うわ! そうすれば生きてるかどうか確かめられる。 ―― 影は、あたしの命を狙って村にきたんだから」
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その場が一気に緊張したことがあたしにも判った。びんびんに張り詰めた空気と視線があたし1人に集中している。その空気は恐ろしいくらいで、あたしはこのあいだ村の人たちに囲まれた時よりも更に鋭い恐怖に襲われたの。でも、あたしの心の中の苛立ちは、その恐怖だけではけっして萎えることはなかった。
「影は言ってたわ。祈りの巫女を殺せ。祈りの巫女の匂いを消せ、って」
恐怖をねじ伏せてそう口にしたとき、あたしは自分がその恐怖に打ち勝ったことを知った。すっと、頭の中が澄んだようになって、物事のあるべき姿が見えたような気がしたの。その「感じ」はすぐに去ってしまったけれど、あたしの中に1つの答えを残していった。
リョウが倒した1つの影。あたしがその影の前に姿を現わせば、確かめられることがある。もしも影が動かなければ、リョウが村のために精一杯戦って、立派に死んでいったことが証明できる。動ける影があたしを直接殺せるこのチャンスを逃すはずがないもの。影が本当に死んでいれば、リョウの死は無駄じゃなかったって、守護の巫女に胸を張って言うことができる。それに影が死んだことが判れば、村の人が持っている「影が生き返るかもしれない」という不安を消すことだってできるんだ。
そして、もしも影が動いたら ――
影が生きていることが判ったら、リョウの死が無駄だったことも立証されてしまう。だけど、その時はもう、あたしはここに生きている人じゃなくなるんだ。影はあたしに襲ってきて、間違いなくあたしを殺してしまうだろう。そして、あたしが死んでしまえば、影が村を襲う理由だってなくなるかもしれないんだ。
あたしはリョウのところへ行ける。もう、リョウがいない世界に独り取り残されなくてもいいんだ。影はあたしを殺せばきっと満足してくれるよ。だって、影の目的はあたしを殺すことだけで、けっして村を破壊することじゃなかったんだから。
あたしは、祈りの巫女の責任を放棄することなく、リョウと同じ世界に行くことができる ――
「……説明して、祈りの巫女。それはどういうことなの? 影があなたになにかのメッセージを残したの?」
少し遅れて、ようやくその緊張状態から抜け出した守護の巫女が、あたしに訊いた。
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災厄に祈りを捧げていた時神殿で見た光景を、あたしは守護の巫女に話し始めた。神様の意識に寄り添いながら、意識を拡大して、やがて影の意識を捉えたこと。その邪悪な意識が「祈りの巫女を殺せ。祈りの巫女の匂いを消せ」と繰り返していたこと。2度目の災厄の時の祈りで、あたしはその臭気にあてられたように気を失って、記憶をなくしてしまったこと。あたしの祈りがまったく影に通じなかったことと、影が言う「祈りの巫女の匂い」というのが、おそらくマイラや両親やリョウの存在だったんだってこと。
影の目的は、祈りの巫女を滅ぼすこと。だから、あたしさえいなければ、影が村を襲うことはないんだ。もしも今南の草原にいる影の前に姿をあらわしたら、影はあたしを殺そうとするだろう。もしも影が死んでいなくて、ただ眠っているだけなのだとしたら、影はあたしの存在を感じて目を覚まして、あたしを殺して去っていくだろう。
「悪い賭けじゃないと思うわ。影が生きているかどうか確かめられるし、万が一生きていたとしても、あたしが死ねばもうこの村を襲うことはないもの。……死んでいれば安心して神託の巫女が近づくこともできるし」
「……祈りの巫女、あなた、それを本気で言っているの……?」
あたしの言葉が終わった時、怒りを押し殺した声色で守護の巫女が言った。
「私に、あなた1人を犠牲にして……あなた1人だけを影の前に差し出せって、そう言ってるの? それをあなたは本気で言うの!」
そう言ってテーブルを叩いた守護の巫女は、顔を真っ赤にしていた。握ったこぶしは震えていて、それでも怒りを昇華できないでいるのが判る。しばらくは誰もが圧倒されていたけれど、やがてテーブルの端の方にいた神官が声を出した。
「……それは本当なのか? つまり……影が祈りの巫女だけを狙ってるっていうのは。もしもそれが本当だとしたら……」
「黙りなさい! ほかのみんなもよ。このことは誰にも、たとえ家族であってもぜったいに言わないで。もしもそんな噂が村に広まったら、祈りの巫女が影の前に引き出されるか、西の森の沼に放り込まれるかもしれないわ!」
あたしは守護の巫女の怒りに染まった顔をぼんやりと見上げながら、そういうこともあるんだ、って思ってた。確かに、あたしが西の沼に飛び込んだら、それも1つの解決方法かもしれない、って。
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これ以上、あたしが生きていても仕方がないよ。祈りは通じなくて、なのに影はあたしを狙ってくる。今のあたしは災厄を呼び寄せるエサ以外のなにものでもないもん。少しでも村の人の役に立つなら、影に殺されて死んだ方がいい。
今のあたしにはもう何もないから。あたし、これ以上生きていても仕方がないから。
「守護の巫女、私も祈りの巫女の意見には賛成できないわ。祈りの巫女が影に殺されて、それでも災厄が収まらなかったら、それ以上打つ手がないもの」
そう言ったのは運命の巫女だった。親友の言葉は、守護の巫女にも気力を与えたみたい。守護の巫女は運命の巫女を振り返った。
「今のところ未来はどのくらい見えているの?」
「4日先よ。その間、新たに影が現われる兆しはないわ。その先のことはまだ見えないけど……みんな、思い出して欲しいの。私たち巫女は最初の影が現われる前、おそらく何らかの形で異変を感じていたんじゃないかしら。私はあの夜はまったく眠れなかったわ」
運命の巫女の言葉で、あたしもマイラが死ぬ前の日のことを思い出そうとした。……あの日、あたしはリョウとの結婚話がいよいよ現実になるって、そのことで興奮して眠れなかったんだ。でも、もしかしたらそうじゃなかったの? あたしはあの日、影の襲来を予感して、それで ――
「そういえば私もそうよ。村に子供が生まれるのはまだ1月も先の予定なのに、なんとなく予感がして、あの夜は家へは帰らずに宿舎に泊まることにしたの」
「私もだわ。夕方急に気分が悪くなって、宿舎に横になって……」
神託の巫女と聖櫃の巫女が次々に言った。そうだ、あの朝、あたしは普段ならいるはずのない神託の巫女に起こされたの。いつもは村にある自分の家に帰ってしまうはずなのに。
「つまり、たとえ運命の巫女に未来が見えなくても、私たちはある程度危険を予感することができるのね。あの時は全員、その予感の意味が判らなかったけれど、今なら判る。これから先同じ予感を感じたら、すぐに私に知らせてちょうだい」
「祈りの巫女、私にはまだ未来がはっきりと見えないのよ。でもそれは、未来がまだ祈りの巫女を必要としている、って証でもあるの」
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未来が、あたしを必要としている? 今のあたしは祈りを神様に届けることすらできないのに。
「歴代の運命の巫女の物語を読んでいると、ときどき同じことが書いてあるわ。本来運命の巫女は、自分が生きている間の未来なら、おおよそ見ることができるのよ。でもたまに見えなくなるときがあって、それはほとんどの場合祈りの巫女や命の巫女が生きている時代なの。……あなたにも読ませてあげられるといい。そうすれば判るのに。本当の意味で村の未来を作っているのは、祈りの巫女と命の巫女なんだ、ってことが」
運命の巫女は1度言葉を切って、続けた。
「村に危機が訪れて、でも今までは1度も村が滅びるようなことはなかったわ。運命の巫女は未来が見えなくて、ずいぶん辛い想いをしたものだけど、でもみんな、祈りの巫女が必ずなんとかしてくれるって希望を持ってたの。……あなたには辛いことかもしれない。でも、ここであなたが死んだら、おそらく間違いなく村は滅びるわ。今は祈りが届かなくても、祈りで未来を変える力があなたには必ずあるの。だからお願い、自分を信じて。私も少しでも未来を見てあなたの手助けができるようにするから」
運命の巫女はそう言ってくれて、あたしはその気持ちが嬉しかった。でも、今は自分を信じることも、未来を信じることもできなかった。だって、リョウはもういないんだもん。これから先、どんなにあたしが頑張ったって、あたしにとっての未来はもうないんだから。
「運命の巫女、あなたはリョウが死ぬ未来も見えていたの?」
あたしの言葉に、運命の巫女はさっと顔を曇らせた。
「……見えていなかった、といえば嘘になるわね。私にそれが見えたのは、3回目の影の襲来を予言したあの時だけど」
「だったらどうして教えてくれなかったの! だって、あの時なんでしょう? 2回目の災厄の前の会議で、みんながここに集まってた。誰も何もあたしに教えてくれなかった。父さまや母さまのことも、リョウのことも、みんな知ってたのにどうしてあたしに教えてくれなかったの!」
あたしに何かを隠しているように、みんな無言で、守護の巫女だけが作り笑いで話してた。あの時に教えてくれてたら、あたしはぜったいにリョウを村へ帰したりしなかった。何か違う原因でリョウが死んだとしても、それならなおさら少しでも長い時間一緒にいたのに。
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