真・祈りの巫女



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  ―― 夢を、見ているんだと思うの。
 きっと目が覚めたら、あたしは3日前、マイラに会いに行く日の朝に戻ってる。ライと幸せな時間を過ごしているマイラの顔を見て、その足で母さまに会いに行って、いつものようにマティの酒場でリョウと待ち合わせて、神殿までの道をデートする。もちろん巫女たちの会議でも変わったことは何もなくて、神殿前広場にも避難所なんかないんだ。平凡で、優しくて、幸せな毎日がずっと続いていくの。
 リョウに会ったらあたしは言うんだ。ゆうべ、村が災厄に襲われて、リョウが死んじゃう夢を見たんだよ、って。リョウはいったいなんて答えるだろう。きっと、ちょっと怒ったように「どうしてオレが死ぬんだよ」って言って、そのあとあたしを抱き寄せながら「ユーナを残してオレが死ぬ訳ないだろう?」って言ってくれる。あたしに微笑みかけて、安心させてくれる。これは夢だから、父さまや母さまが死んだのも、リョウが死んだのもぜんぶ、本当のことじゃないんだよ、って。
 そして、その翌日にはリョウがあたしの両親に会うから、いよいよ結婚の話が現実になるんだ。14歳の時に気持ちを確かめ合って、15歳の時に婚約のしるしの髪飾りをもらった。あたしが16歳になって、リョウが20歳になるまでずっと待ってた結婚が、とうとう現実のことになるの。
 これは、悪夢だよね、リョウ。リョウはぜったいあたしを残して死んだりしないよね。
 だって、リョウは約束してくれたんだもん。オレはずっとユーナのそばにいる、って。これからもずっと、オレはユーナを守っていく、って ――
  ―― 目が覚めたとき、あたしは自分が涙を流していることに気がついた。夢を見ながら泣いてたみたい。あたし、そんなに悲しい夢を見てたのかな。こんなこと初めてだったから、あたしはちょっと驚いて、ベッドから身体を起こした。
 顔、洗わなくちゃ。そう思って立ち上がろうとしたら、なんだかうまく足に力が入らなかったの。ベッドの下に崩れ落ちるようにしゃがみ込んでしまって、その衝撃でふっと、昨日の夜のことを思い出したんだ。
 そう、ローグがいたの。あたしの肩を何度も優しく叩きながら、繰り返し「落ち着いて、祈りの巫女」って言ってた。不思議な香りのする飲み物を飲ませてくれた。あたしが、今は何もかもを忘れてゆっくり眠れるように、って。


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 なんだか頭が痛かった。目がかすんで、うまく身体のバランスが取れなくて、まるで現実にいるんじゃないみたい。頭の中がうまくまとまってくれないの。とにかく顔を洗いに行かなくちゃならなくて、そのために立ち上がらないといけないのに、風景に靄がかかったみたいで上手に立ち上がれないから、周りをちゃんと見るために顔を洗いたいの。でも、それってなんだかすごく変だよ。ちょっと面白くて、あたしは声を上げて笑った。
 もしかしたらあたし、半分おかしかったのかな。たぶんあたしの笑い声を聞きつけたんだろう。ゆかに座り込んだまま笑い続けていたあたしは、突然誰かに抱きしめられたの。笑うのをやめて、声を聞いて、それがカーヤだってことに気がついた。
「ユーナ……! お願いユーナ、しっかりして!」
 声は震えていて、あたしにはカーヤが泣いていることが判った。
「リョウは死んだのよ。あなたを残して死んじゃったの! ユーナ、お願い、リョウが死んだって認めて。リョウのために泣いてよ……」
 カーヤ、どうしてそんなことを言うんだろう。リョウが死んだって、あたしは昨日ランドに聞いたよ。それなのにどうしてカーヤは泣いてるの? ……そうか、カーヤ、リョウのことが好きだったもんね。カーヤが泣いててもあたりまえなんだ。
 あたし、ものすごく混乱してるみたい。リョウはどうして死んだんだろう。あたしの両親に結婚を許してもらうつもりでいて、でも両親が先に死んじゃったから、リョウは天国まで結婚の許しをもらいに行ったの? だったら、両親が許してくれたら、リョウはまたあたしのところに帰ってきてくれる?
 リョウを探しに行かなくちゃ。でもその前に顔を洗わないといけないわ。今はカーヤに抱きつかれて、ただでさえバランスが取れないのにますます立てなくなっちゃってる。やだ、なんだかすごくおかしいよ。もしもカーヤも立てなくなっちゃってたら、あたしたちずっとこの部屋でしゃがみこんでるしかないじゃない!
 そうだ、確か昨日ローグが言ってたんだ。今日は巫女の会議があるんだって。もちろんあたしも出席しないといけないわよね。だって、あたしはこの村にたった1人しかいない、祈りの巫女なんだもん。
 頭の中がぐちゃぐちゃで、けっきょく何ひとつできないまま、あたしはカーヤの胸に顔をうずめていた。


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「ユーナ、どうして黙ってるの? しっかりして。あたしのこと判る?」
 カーヤがあたしの両肩を掴んでゆすぶったから、ようやくあたしはカーヤを見上げることができた。
「ええ、もちろん判るわ。カーヤでしょう?」
「……どうしてなの? リョウが死んだのにユーナ、どうして笑うの?」
 カーヤに訊かれて、でもあたし、自分がなぜ笑ってたのか、そもそも自分が今笑ってたことすら、自分で判らなくなっちゃってた。……そうだ、あたし、立ち上がろうとしてたんだ。顔を洗いたかったし、それに巫女の会議に出席にないといけないんだもん。
「カーヤ、あたしを台所まで連れて行ってくれる? 顔を洗いたいのになぜか立てないの」
「……ええ、判ったわ。あたしの肩につかまって」
 そうしてふらふらしながら台所まで行って、リョウがくれた髪飾りを直して落ちてこないように止めたあと、顔を洗ってやっと少しだけ落ち着くことができたんだ。
 カーヤが差し出してくれた手ぬぐいを使って顔を拭いて、心配そうに見守るカーヤに、あたしは微笑んで見せた。
「髪を直さなきゃ。昨日あのまま寝ちゃったから、ぐちゃぐちゃになってるでしょう?」
「……そうね。あたしも手伝ってあげるわ」
「ありがとう、カーヤ。……今、どのくらいの時刻? もう会議が始まっちゃう頃?」
 カーヤと一緒に再び部屋に戻って、鏡の前に座ると、カーヤはうしろからあたしの髪を梳ってくれた。
「まだそんな時間じゃないわ。早い人は宿舎で朝食を摂ってると思うけど、昨日までみんな働き詰めだったから、まだ寝てる巫女の方が多いくらい。会議にはタキが迎えにきてくれるから、心配は要らないわ。……ユーナ、もう少し寝ていてもいいのよ」
「いいわ。もう起きちゃったもの。それよりお腹がすいちゃったみたい。朝食の支度をしてくれる?」
 そういえばあたし、昨日は村に降りてすぐに祈りを始めちゃったから、夕食も食べてないんだ。カーヤはずいぶん心配そうにあたしを見ていたけど、あたしがそれほど落ち込んでないって判ったのか、髪が整うとすぐに朝食の支度を始めてくれた。


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 カーヤが朝食の支度をしている間、あたしは昨日書けなかった日記を書いていたの。一昨日の日記は真夜中の災厄がくる手前で終わっていたから、それからあとの2回の災厄について、あたしは記憶を辿った。……なんだかすごく昔のことみたい。父さまと母さまが死んで、まだ1日ちょっとしか経ってないのに。
 神殿で祈りを捧げたこと。あたしの祈りがぜんぜん通じなくて、影の声と臭気にあてられて気を失ったこと。両親の死と弟オミの負傷。翌日の村人たちとの確執と、午後から両親の葬儀でリョウに会ったこと ――
 そうだ、あたし、リョウに会いに行くんだ。
 誰か言ってたよね、リョウは村で眠ってる、って。もう誰だったか覚えてないけど、リョウが村で眠れるところっていったら、実家かランドの家だ。カーヤ、まだ朝早いって言ったけど、もしもリョウが眠ってたら目が覚めるまで待ってたっていいもん。婚約者なんだから、そのくらいのわがまま許してもらえるよね。
 あたしは部屋を出て、ちょうど炒め物をしていたカーヤのうしろを通って、宿舎の外に出た。カーヤが言ってた通りまだ巫女のほとんどは眠ってるみたいで、いつもなら誰かしら声をかけてくるのに、あたりには人っ子1人見あたらなかった。あたしはまだ少し頭痛がしていて、うっかりすると木の根に足を取られそうで、だから慎重に山道を降りていったの。リョウはまだ眠ってるかもしれないんだもん。少し時間がかかるくらいの方がちょうどいいかもしれない。
 そうして、かなり村近くまで下った時だった。不意に、あたしはうしろから腕をつかまれたの。
「祈りの巫女!」
 驚いて振り返ると、うしろにタキが青ざめた表情で立っていたんだ。
「タキ……どうしてここに?」
「オレのセリフだよ。祈りの巫女、いったいどうしたんだ? どこへ行こうとしてるんだ?」
「リョウに会いに行こうと思ってたの。……もしかして、もう巫女の会議が始まっちゃうの?」
 タキはあたしの答えに、しばらく言葉を失ってしまったみたいだった。


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 タキはずいぶん急いで山を降りてきたみたいで、少し息が弾んでいた。髪もずいぶん乱れてるから、もしかして寝起きのままなのかな。タキはいつも身なりをきちんと整えてる人だから、たまにそういう姿を見るとおかしいみたい。リョウなら髪に木の葉や小枝が絡まっててもなんとも思わないのに。
 絶句していたタキは、やがて呼吸を整えて、あたしの背中を押すようなしぐさをした。
「とにかく戻ろう。カーヤね、君が突然いなくなったって、血相変えてたよ。どうしてカーヤに何も言わないで出てきたんだい?」
 そうか、そうよね。あたしがいきなりいなくなっちゃったら、カーヤだって心配するよ。あたしはタキに従って山道を戻り始めた。
「ごめんなさい。……でもね、あたし、急にリョウに会いたくなったの。タキはリョウがどこにいるのか知ってるの? たぶん、実家かランドの家だと思うんだけど」
 タキはこの時、わざわざあたしの手を握り直して、そのまま強く手を引いて歩き出したの。まるで、もうぜったいに逃がさないぞ、って決意してるみたい。
「祈りの巫女、昨日ランドが言った言葉を覚えてる? ……リョウは、影の1つと刺し違えて死んだんだ。身体は影につぶされてバラバラになって、見てもリョウだと判らないくらいに変形してる。だから君に会わせることもできないんだ、って」
 覚えてる……よ。だけど、リョウは言ったんだもん。ずっとあたしの傍にいる、って。リョウがあたしとの約束破ったりするはずないよ。
「リョウは、あたしの傍からいなくなったりしないもん。だってあたしはリョウと結婚するのよ。リョウが20歳になったら結婚する約束をしたの。まだリョウは20歳になってないの。それなのに、リョウがあたしの前からいなくなる訳ない……」
「たとえどんな約束をしてたとしても、リョウが死んだのは事実なんだ。生きている人間は、自分がいつ死ぬかなんて判らない。人の寿命を決めるのは神様で、神託の巫女以外の人間がそれを知ることはできない。だから未来を約束することがあっても、それがどんなに信頼できる約束でも、守られないことだってあるんだ。……祈りの巫女、リョウはもう20歳にはならない。彼の人生は昨日で終わったんだ。オレも祈りの巫女も、彼が存在しない時間を生き始めてしまったんだよ」


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 知らず知らずのうちに、あたしは足を止めてしまっていた。
 この時、あたしは初めて、人が死ぬということを理解したのかもしれない。今までだって、あたしの周りにはたくさん、死んでしまった人がいたの。あたしが覚えている限りでは、最初に死んだのはシュウ。でも、シュウが死んだときにはあたしはたったの5歳だったし、すぐにシュウが生きていたこともすべて忘れてしまったから、12歳で再び思い出した時もそれほどの衝撃は受けなかった。
 マイラが死んだとき、あたしはリョウの胸でたくさん泣いた。マイラの幸せが失われたことが悲しかった。その悲しみは、あたしの悲しみじゃなかったんだ。マイラはさぞかし無念だっただろうって、そうマイラの心を察することで流れた涙だったの。
 両親の死を、あたしは拒否した。認めてしまえば自分の生まれてきた意味すら失ってしまうから。……あたしはリョウの死も拒否したかったのかもしれない。だって、リョウが死んだのは、間違いなくあたしのせいだったんだから。リョウは、村が襲われたあの時村にいた、唯一「あたしの匂い」がする人だったの。
 リョウは、もう、20歳にはならない。これから先のあたしの時間の中に、リョウはもう存在することができない。人が死ぬことの意味ってこういうことだったんだ。昨日、リョウの時間は永久に止まってしまって、だから未来をどんなに探しても、リョウを見つけることはできない ――
 今、どんなに必死になって探したって、あたしがリョウを見つけることはできないんだ。リョウは昨日よりも前の時間にしかいない。そして、今日を生き始めてしまったあたしには、もうぜったいにリョウを見つけることはできないんだ。
 あたしが1日生きると、昨日はおとといになる。あたしが生きれば生きただけ、リョウが遠くに行っちゃうの。あたしは昨日の時間にリョウを置いてきちゃったんだ。そして、リョウがあたしを追いかけてきてくれることは、永久にない。
 人が死ぬってこんなことだったの? あたしの、リョウに満たされていた心の中、そのすべてがいきなりもぎ取られてしまったみたい。今までリョウがいた場所、リョウと一緒に歩いた道も、この先リョウがいる場所になることはぜったいにないんだ。どこへ行っても、そこはリョウのいる場所じゃない。昨日リョウがいた場所にはなっても、今日リョウがいる場所にはならないんだ。
 タキの手を振り払って、あたしはふらふらと歩き始めた。タキはもう強引にあたしの手を捕まえることはしなかった。


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 この道、リョウと最後に登ったのはいつだったかな。そう、確かマイラとライに会いに行って、そのあと母さまに翌日のことを頼みに行ったとき、思いがけず父さまやオミに会うことができて、その帰り道だった。あの日はいつもよりも人の通りが多くて、あんまり落ち着いて話ができなかったんだ。まだあれからそんなに経ってないのに、ずいぶん昔のことだったような気がする。
 その、ほんの1日前だよ。リョウが具体的に結婚の話を進めるから、あたしの両親に会いたいって言ったのは。あたしすごく嬉しかった。それまでちょっとだけ不安に思ってたけど、でもこれからはもう何も心配することはないんだ、って。
 幸せな、すごく幸せなはずのあたしの未来。これから長い時間、ずっとリョウと一緒に築き上げるはずだった、あたしの未来。いったいあたしはどんな悪いことをしたの? まるであたしの未来を邪魔するように現われたあの影たち。あたしはあなたたちにどんなひどいことをしたっていうの……?
 歩いているうちに、いつしかあたしは自分の宿舎へとたどり着いてたみたい。無意識にノックをして、扉を開ける。テーブルには朝食の用意ができてたんだけど、なぜかカーヤはいなくて、あたしは台所を通り過ぎて自分の部屋に帰ったの。机の上には書きかけのままの日記が広げてあって、あたしはさっきこの日記を書いている途中で部屋を出ちゃったんだってことを思い出した。
 あたし、何やってるんだろう。日記は祈りの巫女の大切な仕事なのに、それを途中で放り出して。
 巫女の日記は、巫女が死んだあと神官が物語に起こしてくれる。あたしの日記はあたしが死んだあとに物語になって、ずっと未来の祈りの巫女が読んで勉強するんだ。でも……もしも村に未来がこなかったら、この災厄で村そのものが滅びちゃったら、今あたしが日記をつけることってなんの意味もないんだ。もしも、この村に未来がなかったとしたら ――
 ありえない話じゃないよ。だって、あたしの祈りはぜんぜん影に通じない。襲撃のたびに影の数は増えていて、3回の襲撃でやっとリョウが影を1体倒すことができただけ。それも、リョウが自分の命と引き換えに、やっと倒してくれたんだ。これから先もっと影が増えていったら、狩人にどれだけの犠牲が出るかなんて判らないよ。
 村は、滅びるかもしれない。歴代11人の祈りの巫女と、3人の命の巫女が、命をかけて守り通してきた村が。
 影に狙われたあたしは、リョウの未来だけじゃなく、村の未来すら奪ってしまうかもしれないんだ。


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 例えばもし、あたしが影の前に立ちはだかって、この命を捧げたら、影たちは村を壊すのをやめてくれる?
 もしも影があたしを殺すだけで満足して、それ以上村に何もしないのなら、あたしは影に命をあげてもいいよ。だって、あたしの未来にはもう、リョウはいないんだもん。あたしがいちばん欲しかったリョウとの幸せな未来は、これから先どんなことをしたって手に入れることができないんだもん。
  ―― ユーナ
 不意に、声が聞こえた気がしたの。ドキッとしたのは、その声がまるであたしの考えを責めているように聞こえたから。あたしはキョロキョロあたりを見回して、それから精一杯耳を澄ました。
「ユーナ」
 それははっきりと現実味を帯びた声で、しかも壁の向こう側から聞こえてきたの。あたしはすぐに立ち上がって隣の部屋に行った。ずいぶんいつもの声と違ってしまったけど、それがまぎれもなくオミの声だって判ったから。
「オミ、どうしたの? なにか欲しいの? それともどこか痛むの?」
 オミの病室に入って、ベッドの顔を覗き込みながら、あたしはオミに声をかけた。オミのことを忘れてた訳じゃないけど、昨日は両親の葬儀から帰ってすぐに神殿に入ってしまって、部屋にたどり着く頃にはもう遅い時間だったから、あたしはまだオミに葬儀の様子を話してすらいなかったんだ。相変わらずオミは包帯だらけだったけど、少なくとも包帯は取り替えられていたし、顔色が昨日よりもずいぶんいいみたい。あたしがいない間、カーヤやローグがちゃんとオミの看病をしてくれていたんだ。
「何もいらない。さっきカーヤが水と薬をくれたから、痛くもない」
「そう、それはよかったわ。……カーヤはどこに行ったのかしら」
「ちょっとね。ユーナ、そこの椅子に座って。父さんと母さんの葬儀に行ってきたって。話を聞かせて」
「うん、献花と、最後の祈りを捧げてきたわ ―― 」
 言われた通りに椅子に腰掛けて、あたしはオミに葬儀の様子を話し始めた。


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 父さまと母さまの棺に花を供えたこと。最後の祈りを捧げたこと。そのあとうしろにリョウが立っていたことを話し始めたとき、あたしは声を詰まらせてしまった。そんなあたしの様子をオミは察したようで、話の先を促すことはしなかった。
「ユーナ、オレ……、リョウが死んだなんて、信じられないよ」
 信じられない。それが、今のあたしにもいちばんぴったりくる言葉だった。リョウが死んだって、その現実だけはどうにか理解できたけど、でもぜんぜんリョウがどこにもいないだなんて思えないの。ふっと気を抜いたら、またあたしは思ってしまいそう。リョウは昨日までとまったく同じように、村で他の狩人と一緒に村の人々を守ってるんだ、って。
「昨日と逆になっちゃったけど、あの時ユーナがオレの傍にいてくれたように、オレもユーナの傍にいるよ。だから、悲しみを我慢なんかしなくていいよ。涙をぬぐってあげることはできないけど、ずっと傍にいてあげることはできるから」
 オミがそう言ってくれて、あたしはそんなオミの気遣いを嬉しく思ったけど、でもオミの前で泣くことはできなかった。それはここにいるのがオミだからじゃなくて、きっと誰の傍にいても、あたしは泣くことができないんだ。リョウが死んだのにあたしは泣けないの。普通、恋人を失った女の子は声を上げて泣き続けるよね。悲しくて、さびしくて、回りに誰がいたってそんなこと思いもしないで手放しで泣くのが普通だよ。
 あたし、冷たいの? リョウが死んで悲しくないの? ……判らない。自分が悲しいのかどうかすらあたしには判らない。リョウの亡骸にすがって声を上げて泣いている自分の幻が見える。……そうか、あたしはリョウの亡骸を見ていないから、幻の自分のようにリョウの死を受け止めることができないのかもしれない。
 自分の幻の中に引き込まれそうになったあたしは、再びオミの声で現実に引き戻された。
「ユーナ、オレが最後にリョウに会ったのは、あの時だよ。ほら、最初に現われた影がマイラを死なせて、ユーナが家にこられなくなった日」
「……リョウから聞いたわ。約束が守れなかったお詫びに行ってきたんだ、って」
「そんなに長い時間はいなかったんだけどね。オレは仕事に行く支度をしながら、父さんとリョウとの会話を少しだけ聞いていたんだ」


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「朝、出かける直前で、オレの支度が整うまで父さんは食卓で母さんと話してた。ちょうどマイラの訃報が届いたばかりで、母さんはオレたちが出かけたらすぐにマイラの家の様子を見に行くことにしてたんだ。そんな時リョウがきて、ほんのわずかの間だけだったけど、父さんと話をしていった」
 どうして突然オミがそんな話を始めたのか判らなかった。でも、あたしは自分のことで精一杯で、オミのことまで追及する気力がなくなっていた。なんとなくオミと話をするのが煩わしかった。胸が詰まったように苦しくて、重くて、今は何も考えたくない。
 これ以上、父さまやリョウのことを聞いてどうするの? 昨日までとは違うのに。あたしはもう、リョウにも父さまにも何もしてあげられないのに。
「オレも忙しかったから内容をちゃんと訊いた訳じゃないんだけど、たぶんリョウはユーナとの結婚を父さんがどう思ってるのか、訊きにきたんだと思う。その時オレには、父さんが言ってた一言だけが聞こえてきたんだ。『リョウ、君は神様が決めたユーナの結婚相手じゃないかもしれない』って」
 ……あたし、オミの言ってることがあんまりよく判らなかった。リョウは、あたしの結婚相手じゃない……?
「オレはその言葉が気になって、あとで仕事場に向かいながら父さんに聞いてみたんだ。その場では父さんは何も教えてくれなかったけど、作り置きの品物を神殿に届けた帰り道で少しだけ話してくれた。 ―― ユーナのような特別な運命を持った人は、神託の巫女が行う誕生の予言でもそれほど多くの未来は見えないんだって。ユーナが生まれたとき父さんたちが聞いた予言は『この子は祈りの巫女になる』って、ただ1つだけだったんだ。それと、ユーナの未来があまり見えないのと同じように、ユーナとかかわりの深い人の運命も正確には見えない。だから、リョウはユーナと結婚する可能性もあるけど、もしかしたら違うかもしれないって、父さんは言ってたんだ」
「……」
「でも、ユーナがリョウのことをあんなに好きなんだから、2人が結婚することが正しいんだろう、って。 ―― ユーナ、オレ、残酷なこと言ってるかな。でもオレ、ユーナにこのことを話さなきゃって、父さんが死んでからずっと思ってたんだ。せめてオレが死ぬ前にユーナに伝えておかなきゃって」


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