真・祈りの巫女
81
オミにタキを紹介して、今のところ欲しいものも具合の悪いところもないことを確認したあと、タキとカーヤは部屋を出てあたしをオミと2人きりにしてくれた。オミはまだ声を出すのがつらくて、それに少し頭がボーっとしているみたい。もしかしたら明け方ローグが飲ませてくれた薬がまだ効いてるのかな。ゆっくり視線を動かしながら、周囲の様子や自分の身体の具合を確かめていたから、あたしはしばらく黙ったままオミの様子を注意深く見つめていたの。
すごく、長い沈黙だった。オミはやっとあたしを見て、そして言ったんだ。
「ユーナ。……父さんと母さん、死んじゃった……」
あたし、オミの身体は包帯だらけで手を握ることもできなかったから、唯一怪我をしていない右の頬に触れた。
「あたしがいるよ! オミにはあたしがいる。これからずっと傍にいるから」
「……ユーナ、ありがと。……でも、母さんと父さんは死んじゃったんだ……。ほんのちょっと、すぐちょっと前まで生きてたのに、瞬きするくらいの間に、もう父さんじゃなくなって……」
オミの表情がゆがんで、声を詰まらせて、目から涙があふれていった。涙はすぐに零れ落ちて包帯に吸われていく。あたしはハンカチで頬をぬぐってあげることしかできなかったんだ。オミが見てきたものと同じものを見たいなんて思わなかった。
なんだか心が凍り付いてしまったみたい。目の前で涙を流しているオミが、すごく遠い存在に感じたの。オミの目の前で死んだのは、紛れもなくあたしの両親だったのに。
オミは涙を止めることができなくて、あたしのハンカチはすぐにぐっしょりになってしまった。
「あたしがいるよ。……オミの傍にはあたしがいる」
「……ユーナ、……ユーナはオレの願いも聞いてくれる……?」
あたしがうなずくと、オミは涙を浮かべたまま、あたしの目を見ていった。
「あいつを……あの化け物……村から追い出して。もう2度と、村の誰も踏み潰さないように」
あたしは、もう1度うなずくことしか、できなかった。
82
まだ泣き続けているオミを部屋に残して食卓に戻ると、カーヤとタキとが椅子に腰掛けたまま、疲れた表情で黙り込んでいた。あたしが目を向けるとわずかに微笑みかけてくれる。2人とも、昨日から今日にかけていろいろなことがあって、かなり打ちのめされてしまったみたいだった。
「ユーナ、オミは?」
「うん、大丈夫。……少し独りになりたいみたいだから、頃合いを見て声をかけてあげてくれる?」
「判ったわ。ユーナは? 少し休まなくて大丈夫?」
「まだ休んでなんかいられないの。オミと約束したから」
あたしが祈りの道具を準備していると、タキが椅子から立ち上がって言った。
「外が少し騒がしいな。祈りの巫女、先に行って様子を見てくるよ」
「え? いいわ。あたしも一緒に行く」
そうして2人で宿舎を出ると、神殿前広場にかなり多くの村人が集まっているのが判ったの。ほとんどが男の人ばかりだったけれど、中には子供を連れた女の人もいる。彼らは何かを取り囲むようにしていて、中心にいる誰かに何かを訴えているみたいだった。
タキと顔を見合わせて近づいていくと、そのうちの何人かがあたしに気づいた。
「祈りの巫女だ!」
「なに? 祈りの巫女だって?」
その叫びに気づいた人たちがあっという間に近づいてきて、あたしを取り囲んでしまったんだ。
「祈りの巫女! あんた本当に神殿で祈ったのか? 祈りが神様に届くってのは嘘じゃないのか?」
「あいつのせいでうちの畑はめちゃくちゃになっちまったんだ。早くあの化け物を追い出してくれよ!」
「今夜もまた現われるんだろ? あんたの祈りで追い返すことはできないのかよ!」
あたしはただ呆然と、人波から必死でかばってくれるタキの背中にしがみついていることしかできなかった。
83
突然の怒声にさらされて、あたしはただの一言も声を出すことができなくて、タキが人々を落ち着かせようとしているのをうしろからうかがっていた。その様子に気づいて、今まで人波の中心にいた守護の巫女が、必死で人々をかき分けて近づいてくる。あたし、こんなに怒った人たちに囲まれたことって、生まれて初めてだったんだ。最初は判らなかったけれど、だんだん事情が飲み込めてきて、守護の巫女があたしの隣にたどり着く頃にはある程度状況を理解することができた。
みんな怒っているけれど、その心の中には不安を抱えている。不安で仕方がないから、怒ることでなんとかバランスを取ろうとしているんだ、って。
「やめなさい! 祈りの巫女にはなんの決定権もないわ! 彼女はこれから神殿に祈りに行くところなのよ。それを邪魔するのは村の平和を遠ざけることになるのよ!」
守護の巫女のよく通る声を聞いて、人々の怒声は一瞬だけ静まったように見えた。
「オ、オレは朝からここにいるが、祈りの巫女が出てきたのは今が初めてだぞ! 真剣に祈ってない証拠じゃないのか!」
「そうだそうだ! 村の平和を祈るのが祈りの巫女の仕事なんだろ?」
「オレたちは巫女や神官を遊ばせるために毎日命がけで働いてるんじゃない! こういうとき身を削ってでも村を守るのが巫女の役目じゃないのか!」
まるで、あたしが知っている村とはまるで違う村に来てしまったみたい。1つの声が上がると周囲からたくさんの同調する声が続いて、あたしはもう何も考えることができなくなってしまった。耳をふさいで逃げてしまいたかった。だけど、既に人々に囲まれてしまっていたあたしには物理的にも不可能だったし、今ここで逃げ出す訳にはいかないんだって、震える足をなんとか踏みとどまらせたんだ。
「今きこりたちが全力をあげて避難所を作ってるわ! でも、この狭い場所に村人全員を避難させるのは無理なのよ。そのくらいのことが判らないあなたたちじゃないでしょう?」
「だからさっきから言ってるんだ! 避難所なんかどうだっていい。ただ、影が現われる時刻に全員ここにいさせてくれればいいんだ!」
どうやら、さっきから守護の巫女と村の人たちがもめているのは、今夜の災厄の避難についてらしかった。
84
今夜日が沈んだ直後、みたび影が襲ってくる。その時刻、神殿の敷地の中に村人が全員避難することは不可能じゃない。今まで影はそれほど長い時間村にとどまってはいなかったもの。影が去ってからみんなが村にもどって眠ることはできるはずなんだ。
神殿の敷地の中に、起きている村人を一定時間避難させることは可能なんだ。眠っている村人は無理だけど、起きている村人なら。だって、あたしの襲名の儀式が行われた3年前、ほとんどすべての村人が神殿前広場に集まっていたんだから。
あたしは村の人たちを言葉で煽ってしまうのを恐れて、視線で守護の巫女に訴えた。守護の巫女もあたしの視線の意味には気づいたみたい。だけど何も言わずに目を伏せて、あたしとタキの肩を叩いた。
「道をあけてちょうだい。祈りの巫女が神殿に入るわ。村の平和を祈るためよ。判るでしょう?」
それまで成り行きであたしに怒りをぶつけていた村の人たちも、今はあたしが祈ることがいちばん大切なんだって、判ったのだろう。タキがあたしの手を引いて歩き始めると、その場所にいた人たちが渋々道をあけてくれる。あたしが人ごみを抜けている間に再び守護の巫女を責める声があちこちから聞こえてきて、でもそれに答える守護の巫女の声はもうあたしには聞き取ることができなかった。
神殿の扉を開けて、中から閉ざした時、あたしはやっと息をつくことができたんだ。
「祈りの巫女、大丈夫? 怪我はない?」
あたしがうなずくと、タキもほっと息をついた。
「いきなりで驚いただろう? 少し気持ちを鎮めるといいよ。……やっぱり先に様子を見にくればよかったな。次からは気をつけるよ」
あたし、筋違いだってことは判ってたけど、目の前にはタキしかいなかったんだもん。タキに訴えるしかなかったんだ。
「どうして? どうして守護の巫女は村の人たちを神殿に避難させてあげないの? だって、村の人たちがいる場所くらいならここにあるじゃない!」
「そうだね。今ちょっと会話を聞いただけだけど、オレにも村の人たちの主張の方が正しいと思ったよ。ただ……現実には難しいだろうな。せめてもう少しみんなが冷静だったらよかったんだけど」
タキの言葉は歯切れが悪くて、あたしはそんなタキにほんの少しだけ怒りを覚えた。
85
「……どういうこと? どうしてタキは難しいと思うの?」
「うん、ちょっと待って。オレも今考えをまとめてるところだから。……まず、村の人たちが必ずしも身1つできてくれるとは限らない。何かしらの生活必需品や、食料なんかを持ってくる可能性がある。それはたぶんどんなに規制しようとしてもできないだろうね。誰か1人がそうしたら、他のみんなも競ってそうするだろうし、結果として神殿の敷地の中では全員を収容することができなくなる」
……たぶんそうなるだろう。影に家を壊されると思えば、みんなぜったい持ち出したいものがあるもの。家を壊されたあと何日か生活できるだけのものは残したいと思うに違いないよ。みんなが家のものをぜんぶ持ってきたら、いくら神殿が広くたって収容しきれない。
「入れなかった人には周りの森の中に散らばってもらったら?」
「まず間違いなく不満が出るだろうね。どうして自分たちが森の中で、他の人が敷地の中なのか、って。まあ、今回は短時間のことでもあるし、仮に不満が出なかったとしても、全財産持って家を出てきた人たちは災厄が去ったあとすんなり村へは帰らないよ。最初に言い出す人がいて、すぐに全員がここへとどまるって言い始める。だけど、ここには村人全員が寝泊りする場所なんてないんだ」
ああ、そうか。1度村の人を神殿に入れてしまえば、危険な村へは帰りたがらなくなってしまう可能性があるんだ。確かに今の段階では神殿は安全な場所だもん。だけど、やっぱり村人の命の方が大切だよ。たとえ祈りの巫女宿舎がたくさんの村人の避難場所になったって、それでみんなの命が助かるなら。
「そして、家を持っている神官や巫女たちへの不満がつのるだろうね。さっき誰かが言ってたけど、神官や巫女はこの村にとっては農作業をしない厄介者だ。村の人たちの中には、ふだんから神殿に対してそういう不満がある。その不満が爆発したら、数で劣る神殿ではもう村の人を抑えることができなくなるよ。……悪くすれば上の貯蔵庫を占拠される」
―― ちがう! 村の人たちが神殿に押しかけてきたのは、あたしのせいだ。
この災厄が起こる前、村の人たちはちゃんと神殿を認めていた。神官の仕事も、巫女の仕事も、その必要性をちゃんと判ってくれていた。巫女が自分たちの暮らしをよくしてくれてるって信じてた。みんな、それが信じられなくなったんだ。
あたしの祈りが影を追い払えなかったから、祈りになんの効果もなかったから、村のみんなは巫女を役立たずだって思ったんだ。
86
「……タキ、村のみんなを悪く言わないで。……みんなが悪いんじゃないの。ぜんぶ、あたしの力が足りないせいなの」
タキの言ったこと。みんなは神殿に居座るかもしれない。数に任せて貯蔵庫を占拠するかもしれない。だけどそれは、みんなが不安だからなの。そして、みんなを不安にさせてしまったのは、あたしの祈りの力が足りないからなんだ。
「祈りの巫女、何もかもが自分のせいだなんて思わないで。この災厄のすべてを君の力だけで片付けようなんて思わなくていいんだ。しょせん人間1人の力なんてたかが知れてる。祈りの巫女1人に責任を押し付けようなんて、誰も思ってないよ」
タキは、あたしの力が足りないことに気づいていたの? もしかしたら、タキ以外のほかの神官たちも、巫女たちも……?
「今、外で守護の巫女が戦っているのを見たばかりだろう? オレが思うに、守護の巫女はああして時間を稼いでるんだ。たぶん最終的には守護の巫女も村の人たちを受け入れると思う。だけど、その決断を下すのは、影が襲ってくるギリギリの時刻になってからだ」
「……どうして?」
「村の人たちが全財産を持ってこられないようにするためだよ。みんなが身1つのまま避難してくれば、影が去ったあとは自分の家に戻るしかないからね。あとでちゃんと確認してくるけど、ほとんど間違ってないと思う」
そうか、守護の巫女はそうして責任を取ってるんだ。あたしの祈りが神様に届かなかったその責任を。昨日、あたしが守護の巫女に祈りを頼まれた時、運命の巫女はあたしが教えてもらった未来よりも更に多くの未来を見ていたのかもしれない。あたしの祈りが神様に届かないことも、そのせいでこうした騒ぎが起こるってことも、彼女は見ていた ――
―― もしかして、あたしの両親が死ぬことも、運命の巫女は見ていたの……?
そう考えればつじつまが合う。あの時、みんなが何をあたしに隠していたのか。みんな、あたしの両親が死ぬことを、あたしに隠そうとしていたんだ。
人の寿命は決まってる。たとえあの時あたしが両親の死を知っていたとしても、あたしにはどうすることもできなかった。昨日あたしは村のために精一杯祈ったんだもん。たとえ知っていたとしても、あたしにはあれ以上の祈りはできなかっただろう。
いちばん肝心なところで誰ひとり救うことのできない祈りの巫女は、いてもいなくても同じ存在なんだ。
87
ううん、なにもできない祈りの巫女なら、むしろ最初からいない方がずっとよかったかもしれない。最初からいなければ、誰も祈りの巫女に期待なんかしなかった。期待しなければ、絶望することだってなかったんだ。
父さまと母さまが死ぬことだって、なかったかもしれないんだ。
「……タキ、あたしは落ち着いたから大丈夫。少しだけ外に出ていてくれる? 祈りを捧げたいの」
あたしの様子がタキの目にどう映ったのかは判らないけど、タキは微笑を浮かべて、1回だけ扉の方を振り返った。
「ああ、判ったよ。……実はもう1度村へ行こうと思ってたんだ。だけどあの様子じゃ祈りの巫女が独りで外へ出るのは厳しいからな。どうしようか」
確かに、祈りを終えたあたしが神殿の外に出たら、またあの村人たちの傍を通ることになる。タキが心配するのはよく判ったけど、それよりあたしはタキが今なぜ村へ行こうとするのか、そっちの方が不思議だったんだ。まさかあたしがマティの店を気にしてたからじゃないと思う。そんなこと、今ぜったい知らなきゃいけないことじゃなかったし、それよりあたしの傍にいてくれる方をタキは選ぶはずだって、あたしは思い込んでいたから。
タキは、何を置いてもあたしを選んでくれる。そう思い込んでしまうくらい、あたしはタキを信じて、頼っていたんだ。
自分の指が無意識のうちに髪飾りをなでていたことに、その時あたしは気づかなかった。
「祈りはそんなに長くないと思う。タキにも休んで欲しいし、村へ行くのを少しだけ待ってくれればいいわ」
「そう、だね。……判った、そうしよう」
タキが何かを決心したようにそう言って、そのあと笑顔で手を振って神殿の扉を出て行ったから、いくぶんほっとしたあたしは祭壇に向きあって祈りの準備を始めたの。
いつもの祈り。ろうそくに聖火を移して、螺旋を辿りながら神様との距離を近づけていく。目を閉じて手を合わせると、神様の気配が間近に感じる。タキに教えてもらった名前を神様に伝えながら、傷を負った彼らができるだけ早く癒されるようにと祈りを捧げる。
あたしに寄り添う神様の気配は、何か大切なものがぽっかり抜けてしまっているような、ひどく心もとない感じがした。
88
このときタキが何を考えていたのか、あたしは祈りを終えて神殿を出たところで半分だけ知ることになった。神殿前広場は、あたしが神殿に駆け込んだ時とは、また別のざわめきに満たされていたんだ。周囲を取り囲んだ村人たちは戸惑った様子で互いに顔を見合わせている。あたしの顔を見て更に戸惑った表情を見せて、頼んでもいないのに人ごみの中心へと道をあけてくれたの。
あたしは少し不安に思いながらも、村の人たちがあけてくれた道を通って、騒ぎの中心に歩いていった。そして、そこで守護の巫女とタキとが言い争いをしているのを目の当たりにしたんだ。
「 ―― 祈りの巫女だって人間なんだ。人並みに悲しいこともあれば、傷つくこともある。そりゃあ、彼女には神殿での役目がいちばん大切なんだってことはオレにも判るよ。だけど1人の女の子としての感情を犠牲にして ―― 」
その時、タキはあたしがすぐ傍にいることに気づいて言葉を止めた。状況がさっぱりわからなかった。タキはどうしてこんなところにいるの? 守護の巫女にいったい何を訴えていたの?
タキが言葉を切ったことで、守護の巫女もあたしの存在に気がついていた。
「祈りの巫女、ちょうどいいところへきてくれたわ。あなた、村へ降りたいって、タキに言ったの?」
「祈りの巫女は何も言ってない! オレが勝手に ―― 」
「タキには訊いてないわ。祈りの巫女、どうなの?」
守護の巫女の口調はそれほどきついものではなかったけど、目はけっして笑っていなくて、あたしは足がすくむような感じがした。周りの村人たちの視線もあたしに集中していた。今は静かだけど、あたしが一言言ったらまたさっきの怒声が浴びせられそうで、あたしはそれが怖かったのかもしれない。
「祈りの巫女である自分が神殿を離れられないのは、あたしがいちばんよく判ってる。だって、あたしの役目は村のために祈ることだもの。村に降りようなんて1度も思った覚えはないわ。だから、もちろん口に出してもいないわ」
あたしがそう言ったとき、周りの村人たちが急に静かになって、物音1つしなくなったの。
そして、その一瞬の沈黙のあと、不意に村人たちの気配が変わって口々に何かを叫び始めたんだ。
89
本当はこのとき、あたしは少しだけ嘘をついていた。だって、あたしは昨日タキに言ったんだもん。マイラのお葬式に出たいんだ、って。タキにたしなめられてからは1度も口にしなかったけど、心の中ではやっぱり思ってたことがある。
村に降りて、それきり1度も顔を合わせていないリョウ。たった1人のあたしの恋人。あたし、リョウに会いたい。本当はすぐにでも村に降りていって、リョウに会って思いっきり抱きしめてもらいたい、って。
だけどあたしは祈りの巫女だから、神殿で祈りを捧げるのがあたしの仕事だから、村のために頑張って狩人の役目を果たしているリョウに会いに行くことなんかできないんだ。リョウだって家にも帰らないで頑張ってるのに、あたしだけわがまま言うなんてできないよ。
周囲のざわめきが一瞬途絶えて、そのあと誰かが叫んだ。そして、周りの人たちが援護するように、異口同音に叫び始めたんだ。
「その神官の言う通りだ! 祈りの巫女を村へ行かせてやってくれ!」
「そうだ! 祈りの巫女だって人の子じゃないか! 家族を悼む気持ちはオレたちと同じだろ!」
「両親をいっぺんに失って、その葬式にも出られないなんて、そんなバカな話があるかよ!」
そう聞いて、あたしは初めて、タキと守護の巫女が何を話していたのかを知ったの。タキ、あたしのために守護の巫女に掛け合ってくれてたんだ! あたしを、今日村で行われる父さまと母さまの葬儀に出席させて欲しい、って。
成り行きを見守っていたあたしを見て、守護の巫女は大きなため息をついた。そして、笑いかけてくれる。
「……判ったわ。祈りの巫女、支度しなさい。葬儀が始まるまであまり時間がないわ」
「ありがとう守護の巫女。さあ、祈りの巫女、行こう!」
村の人たちがあけてくれた道を、タキがあたしの手を引いて宿舎まで歩いていく。その間あたしはずっとあっけに取られたままだった。やがて宿舎に飛び込んだタキが不意に椅子に崩れ落ちたから、それであたしはすごく驚いたの。タキはまるで糸が切れたみたいに食卓のテーブルに突っ伏してしまったから。
「カーヤ、悪いけど水を1杯頼む。……あぁ、怖かった。まだ足が震えてるよ」
そんなタキはおかしくて、意味不明の視線を向けるカーヤを尻目に、あたしは久しぶりに声をあげて笑ったんだ。
90
このときのタキの行動は、あたしを両親の葬儀に出席させてくれただけじゃなくて、さまざまな効果を生み出していた。あたしが神殿に入る前、異常に興奮していた村の人たち。彼らは、あたしも村の人となんら変わるところのない1人の人間だってことを思い出して、ずいぶん冷静になってくれたみたい。守護の巫女が災厄で母親を亡くしたことをいたわる気持ちにもなってくれたから、守護の巫女の方も安心して譲歩することができたの。神殿の敷地には何も持たずにくるという条件を出すことで、守護の巫女は村人全員の避難を認めた。
急いで支度してタキと村への坂道を歩きながら、周りに人がいない時に少しだけ話をしたの。あたしがタキの心遣いにお礼を言うと、タキは坂道で転ばないように自分の足元を見ながら答えてくれた。
「オレ自身は何か効果を狙った訳じゃないんだけどね。ただ、祈りの巫女にも1度村の様子を見てもらいたくて、だけどその許可を守護の巫女にもらうためにはあの場で交渉するしかなくて。多少守護の巫女の時間稼ぎに協力できたら、みたいな気持ちはあったんだけど、正直言って村の人たちの反応までは考えてなかったんだ。ほんと、守護の巫女はすごいと思うよ。あれだけ高ぶってた人たちの感情を祈りの巫女への同情心に変えちゃったんだから」
もしかしたらタキは少し照れていたのかな。自分はきっかけを作っただけで、事態を収拾したのはぜんぶ守護の巫女の功績だって、しきりに強調していた。村までの道はふだんよりもずっと人の行き来が多かったから、タキとそれほど多くの話をすることもできなくて、だから会話が途切れた時あたしはふと自分の思いに沈みこんでいたの。タキが父さまと母さまの葬儀に参列させてくれたのはすごく嬉しかったけど、あたしはまだ両親の死をちゃんと整理することができなかったから。
あの時、カーヤはあたしが両親の死を悲しんでないって言ってた。盗み聞きだったからあたしは聞き流してしまったけど、今葬儀に向かう道を歩きながら振り返って、あたしはカーヤに少しの怒りを覚えた。でも同時に、カーヤの言うことも間違ってないかもしれないって思うんだ。あたしの中に、確かに両親の死を悲しめない何かが存在しているのが判る。
両親のこと、あたしは大好きだった。ずっとそばにいて慈しんでくれたんだもん。何か悲しいことがあって泣いていたらそっと抱きしめてくれた。あたしが危険な目にあったときには心から無事を喜んでくれた。自分が愛されているんだって、いつも感じていた。そんな両親が死んだら悲しいはずなのに、そうと聞かされてからあたしはぜんぜん悲しむことができなかったんだ。
扉へ 前へ 次へ