真・祈りの巫女
91
まるで感情をどこかへ置き忘れてきたみたい。マイラが死んだとき、あんなに悲しんでいた自分が、まるで他人のように思えるの。村へ行って、葬儀に出席したら、あたしは両親の死を悲しむことができるのだろうか。心が重かった。もしも悲しむことができなかったら、あたしはいったいどうすればいいんだろう。
自分で自分が理解できなかった。この災厄が起こる前、あたしの傍にはいつもリョウがいて、なにかあったら自然とリョウに相談していたの。リョウ、あなたは今のあたしをどう思うの? リョウに会いたい。リョウに会って、いつものように心の中をぜんぶリョウに話したいよ。
それともリョウは軽蔑する? 両親の死を悲しむことができないあたしを。未だに涙の1滴も流すことができないあたしを見て、リョウは冷たい人だって思うのかな……。
あたしは冷たい人なのかもしれない。だって、父さまと母さまの葬儀に行くっていうのに、今あたしが考えているのって、村に行けばリョウに会えるかもしれないってことなんだもん。あたしには、父さまと母さまを悼む気持ちなんて、少しもないんだ。
坂道の森を抜けた時、タキは葬儀が村の広場で執り行われることを教えてくれた。その場所はほぼ村の真ん中で、年に1度の祭りが行われる時にはその会場にもなったりする。村の東側から入って通りを歩いていくと、忙しそうに仕事をする村の人たちがふいに仕事を止めてあたしを見る。でも、いつもみたいに親しく声をかけてくれる人は誰もいなかった。遠巻きに見つめて、あたしが通り過ぎるまでじっと黙っているだけだった。
すごく優しい村だったのに。たった2回、災厄に襲われただけで、村人の心まで変わってしまった。今みんなの心にあるのは神殿への不信感。それはそのまま、祈りの巫女への不信感なんだ。
そして、あたしは見たの。災厄に襲われて無残な姿をさらす壊れた家を。踏み潰されて瓦礫になった家の残骸と、そのあと火事で燃えてしまった、黒い廃墟を。
「……あれはロンの家だよ。母親と幼い子供が犠牲になった。……祈りの巫女、急がないとそろそろ葬儀が始まるよ」
タキの呼び声で自分が呆然と立ち止まってしまったことに気づいて、促されるままあたしは再び歩き始めた。
92
村の広場での合同葬儀に、あたしは死者の親族の1人として参加していた。そこには今回亡くなった19人それぞれの親族や親しい友人たちがおおぜいきていたから、広場は参列者でごった返しているように見えたくらい。実家の近所に住んでいる人たちもたくさんいて、あたしの顔を見て思わず涙を流したのは生前の母さまといちばん仲がよかったフーミ。遠巻きにしているのは血縁のない人たちで、その中にはランドの奥さんのミイもいた。
仮ごしらえの祭壇の前で聖櫃の巫女が葬儀を進行する。19人の遺体はみな棺に納められていて、表面に書かれた文字の中にはあたしの両親の名もあった。聖櫃の巫女が1人1人の名前を呼んで、文字が読めない村の人たちのために棺を指し示すと、そのたびに参列者からすすり泣きが上がってそれぞれの棺に献花を行う列ができた。
やがて父さまと母さまの名前が呼ばれて、手にした花をあたしが最初に棺に捧げる。棺の蓋は閉じられていて顔を見ることはできなかった。他の棺もほとんどが閉じられたままになっているんだ。たぶん遺体の損傷が激しいからなんだ、って、呆然とした頭であたしは思ったの。
1輪の花を捧げて、神殿以外の場所で行う簡式の祈りを父さまと母さまに捧げる。その時だった。背後の気配に顔を上げると、あとから献花にきたリョウがあたしを見下ろしているのが見えたんだ。
「リョウ……」
苦しそうな、少し戸惑っているような、リョウの表情だった。まるであたしにかける言葉を失ってしまったかのように、唇をきつく噛んで。
「リョウ……きてくれてありがとう。忙しいのに……」
「……ユーナも。よくこられたね」
「守護の巫女が許してくれたの。……守護の巫女の母さまも亡くなってるのよ。でも彼女はこられなかった……」
リョウは何も答えずにあたしの肩を抱いた。気を落とすな、って言ってくれているみたい。
でも、あたしの気持ちは複雑で、リョウの腕の中で涙を流すこともできなかった。
93
今回、かろうじて葬儀を行うことはできたけれど、さすがに埋葬まで行う時間はなかった。3回目の災厄は日没直後にやってくるから。棺は広場に並べたままで、村の人たちは今度は自分が神殿に避難するため、すぐに自宅へと散っていった。本当はあたしもすぐに神殿に戻らなければならなかった。だけど、聖櫃の巫女はあたしに声をかけずに1人で神殿へと戻ってしまったから、残されたあたしとリョウの2人は、広場の片隅でほんの少しだけ話すことができたんだ。
本当はリョウもすぐに行かなければならないのだろう。たぶん、あたしの両親のために無理して葬儀に参列してくれたんだ。周りに人がいなくなった時、リョウはあたしを力強く胸に押し付けるように抱きしめたの。
「ユーナ……ごめんユーナ! オレがついてたのにこんなことになっちまって……」
そう、か……。リョウはあたしの両親が死んだことで責任を感じてるんだ。あたしがオミに対して責任を感じているように。震える手で抱きしめてくれるリョウが愛しくて、あたしはリョウの背中に腕を回した。
「リョウが悪いんじゃないよ。だって、あたしはあの時ずっと祈ってたんだもん。……リョウだって聞いたでしょう? 村のみんな、あたしの祈りが神様に通じなかったって、噂してたでしょう?」
リョウが動きを止めて、あたしは自分の想像が間違ってなかったことを知った。村についてからはあたしに面と向かってそんなことを言う人はいなかったけど、影が好き放題村を蹂躙したから、みんなあたしの噂をしていたんだ。
「……もっと、オレがちゃんと影を食い止められてたらよかったんだ。そうしたらユーナを悪く言う奴なんか1人もいなかったのに」
リョウはあたしを抱きしめるのをやめて、顔を覗き込んだ。
「今夜は必ず奴を食い止める。おまえの祈りを本当にする。もうぜったいにユーナに辛い思いなんかさせないから」
その言葉であたしも気づいたの。リョウはあたしの両親のことだけで責任を感じてたんじゃないんだって。あたしがみんなに悪く言われたから、その責任も自分にあると思ってるんだ。あたしの祈りがちゃんと神様に通じなかったから。
違うよリョウ。あたしの祈りが通じないのは、あたしの力が足りないからなの。リョウが悪いんじゃないよ。
そう、言葉に出す前に、いつの間にかランドがあたしたちに近づいてきていたの。
94
「リョウ、あんまり無粋なことは言いたくないが、そのくらいにしておけ。ユーナが神殿に帰れなくなる」
そう、ランドが声をかけてきたから、リョウも気づいたみたい。リョウがうしろを振り返ったから、あたしもランドを見て、その向こうにタキが遠慮がちに立ち尽くしているのを見つけたんだ。
日はだいぶ低くなってきていて、ランドが言う通り、今帰らなければ日没までに神殿にたどり着けないかもしれなかった。
「そうだな。……ユーナ、引き止めて悪かったね。タキにも謝っておいてくれる?」
そう言ってリョウがあたしから離れていく。……このまま別れたくないよ。あたし、リョウに話したいことがまだたくさんあるの!
「リョウは悪くない! あたしの祈りが通じないのはあたしが悪いの! だからリョウが悪いんじゃないよ!」
「ユーナ……」
「だから自分の責任だなんて言わないで! あたし、もっともっと一生懸命祈るから……」
違うよ。こんな話をしたいんじゃない。リョウには他に話さなければいけないことがあるのに ――
リョウはちょっと悲しそうに微笑んで、判ったというように片手を挙げた。そして、ランドと一緒に歩いていく。うしろ姿を見送りながら、あたしはずっと違うって思っていたの。本当に話したいのはこんなことじゃないんだ、って。だけど、あたしはいったいリョウに何を話したかったのか、それは最後まで判らなかった。
タキに促されて、あたしは神殿への道を歩き始めた。もうのんびり歩いていられる余裕はなかったから、2人とも黙ったまま、できるかぎり早足で坂道を登っていく。神殿前広場にはもう村人のほとんどが集まっていたから、タキは人波をかき分けてあたしを神殿まで誘導してくれたの。石段を登っているとき、守護の巫女があたしに気づいて声をかけながら近づいてきた。
「祈りの巫女、もうすぐ日が沈むわ。今更言うまでもないけど、あなたは昨日と同じようにまた祈りを捧げてちょうだい。さっき運命の巫女が未来を見て、明日から何日かは影が現われないことが判ったの。その先のことはまだ判らないけど、ひとまず今夜が最後よ」
守護の巫女にうなずいて、あたしは神殿の扉を開けた。今度こそ、あたしの祈りを神様に届けなくちゃいけない。
だから、その時にはもう、リョウとのことは頭の中から消え去っていた。
95
祈りの道具はカーヤがすべて用意していてくれた。前回と同じように祈りの準備をすすめて、呼吸を整えながら神様との距離を近づけていく。神殿の外ではたくさんの人たちがいてかなりざわついていたけれど、集中力が高まるにつれてまわりの音は聞こえなくなってくる。代わりに神様の気配が近づいてきて、あたしは神様に助けられながら、しだいに意識を拡大していった。
村にはもうほとんど人がいなくなっていたから、あたしが拾う小さな意識はたぶん村に残った狩人たち。その中にはリョウもいるはずだけど、神様に寄り添うあたしにはもう、リョウを見分けようという気持ちはなくなっている。村に残る気配はいくぶん緊張していて、日没までのわずかな間にその緊張感は高まりを見せてくる。
やがて、日が落ちるのとほぼ同時に、西の森から邪悪な気配が押し寄せてきた。
今度こそ祈りの力を神様に届けなければならない。あたしは神様の気配に同調するように、邪悪な気配を退けて欲しいって、必死で祈りの力を注いだの。だけど神様は答えてくれない。神様にはあたしがここにいることが判っているはずなのに、それなのにあたしの祈りにはまったく答えてくれないんだ。
―― どうして? なぜ神様はこたえてくれないの……?
あたしは祈りの巫女。人々の思いを神様に届けて、その願いをかなえるのがあたしの役割。あたしはこの災厄に対抗するために、神様によって命を授けられた。それなのに、どうして今この時、神様はあたしの祈りを聞き届けてくれないの?
それとも、神様の力でもどうすることもできないくらい、影の力は巨大なの……?
邪悪な気配は村の西側から徐々に侵攻してくる。以前よりも速度が遅いのは、きっと村を破壊しながら進んでいるから。村全体に拡散したあたしの意識は、影の邪悪な臭気にあてられて、目眩のような感覚に襲われた。前回のとき、あたしはきっとこの臭気のせいで意識を失ってしまったんだ。だけど今回は気を失う訳にはいかないんだって、ぐるぐる回る意識をしっかりつなぎとめようとした。
影の意識が流れ込んでくる。邪悪な気配は1つの言葉を繰り返し紡いでいた。
―― 祈リノ巫女ヲ殺セ ――
影の声を聞いたその時、あたしは今まで忘れていたことを、はっきりと思い出したんだ。
96
影の声に波長を合わせていたあたしには、やがて西の森から2つ目、3つ目と現われる影の声がすべて聞こえてきていた。
―― 祈リノ巫女ヲ殺セ。祈リノ巫女ヲ滅ボセ
―― 祈リノ巫女ノ匂イヲ探セ
―― 祈リノ巫女ハ我ラノ世界ヲ滅ボス。祈リノ巫女ノ匂イヲスベテ消シ去ルノダ
村が破壊されていく。その様子を、あたしは呆然と見守ることしかできなかった。……思い出したの。前回の時、あたしがなぜ意識を失ってしまったのか。
あたしはあの時、影のこの声を聞いたんだ。祈りの巫女に対する敵愾心。祈りの巫女を滅ぼすために、影たちがこの村に来たんだ、ってこと。村は、あたしが存在するせいで、影たちに襲われることになったんだ!
父さまも母さまも、あたしが生まれたせいで死んでしまった。もしもあたしが生まれなかったら、村はずっと平和なまま、父さまも母さまもマイラも誰も死なずにいられたんだ。
あたしはあの時、この声を忘れるために記憶を閉ざした。父さまと母さまの死を頭の中から必死で追い出そうとした。なぜなら、父さまと母さまの死をはっきりと知覚した時、あたしは影の声を思い出して自分の罪の意識に飲み込まれてしまうから。
父さま、母さま、もしもあたしが生まれなかったら、あたしを育ててくれなかったら、2人ともこんなに早く死なずに済んだ。
マイラ、もしもあたしが生まれなかったら、シュウはあたしを助けるために死ぬこともなくて、親子3人でずっと幸せに暮らせた。
オミ、あなただって、あたしの匂いを消すために現われた影なんかに、両親と若い貴重な時間を奪われずに済んだよ。
ライだってそう、あたしがマイラのために祈りを捧げなかったら、一生を不自由な身体で過ごす必要なんかなかったのに ――
村のみんながあたしを恨みに思うのもあたりまえなんだ。だって、あたしが生まれていなかったら、影に家を壊されることもなく、大切な人を失うこともなく、命や自由を奪われることだってなかったんだから。影があたしを狙ってこなければ、村はずっと平和なままで、影の恐怖におびえながら暮らすこともなかったんだから。
あたしが村のみんなを不幸にする。村に不幸を呼び込むあたしは、生まれてきちゃいけない祈りの巫女だったんだ。
97
村に現われた影は、手当たりしだいに村を破壊して、でもほんの短い時間いただけですぐに引き上げていった。本当に一瞬の出来事だったし、村人は全員避難していたから、ほとんど被害は出ていなかったと思うくらい。3体現われた影のうち、2つの影は西側の建物を少し破壊して、1つはなぜか南の草原の真ん中あたりにいた。影たちが言った「祈りの巫女の匂い」という言葉をあたしは正確に理解できた訳じゃないけど、草原は時々花を摘むために訪れた場所だから、影はもしかしたらあたしの残り香のようなものをこの草原に感じたのかもしれない。
今回もけっきょくあたしは神様に祈りを届けることができなかった。影が早く引き上げた理由は判らないけど、少なくともあたしの祈りが通じたからじゃなかったの。神様はずっと傍にいて、あたしの心の声を聞いていたはずなのに、唯一の願いをかなえてくれはしなかったんだ。あたしがあの時一瞬だけ神様の力を疑ったからなのかもしれない。神様は最後に神様を信じなかったあたしに対する罰として、村を影の思うようにさせてしまったのかな。
今は、神様を疑う気持ちはない。ただ、自分が何もできないことに絶望するだけだ。
どうして祈りの巫女は生まれてくるの? 守護の巫女も神託の巫女も、あたしが村の人たちを幸せにするためにいるんだ、って言ってた。小さな頃からあたしはそう聞かされて育った。だから一生懸命修行して、いつかみんなのために役に立てる祈りの巫女になろうって思ったの。祈りの巫女は、本当は人々を幸せにする巫女のことじゃなかったの?
祈りの巫女は来るべき災厄を退けるために生まれてくる。みんなはそう言ったけど、本当は祈りの巫女が生まれたから、災厄がやってくるんじゃないの?
あたしは、村の人たちを不幸にするために、この村に生まれてきたんじゃないの……?
村を救うために、あたしはなんの力にもならなかった。それでも影たちは「祈りの巫女が我らの世界を滅ぼす」と言った。まるであたしが生きていた痕跡を消すように、マイラや両親を殺して村を破壊した。 ―― あたしに影の世界を滅ぼす力なんかないよ。だって、こんな小さな村すら守ることができない、神様に願いを届けることすらできない祈りの巫女なんだから。
どのくらい、あたしは考えていたんだろう。不意に神殿の扉が開く気配がして、あたしはうしろを振り返った。
98
神殿の扉が開かれて、誰かが入ってくる足音がして、またすぐに閉じられた。その一瞬で現実に引き戻されたあたしは、自分が思っていたよりもずっと長い時間、独りで考え事をしていたことに気がついた。並べられたろうそくはすべて消えていたし、扉が開かれた時に一瞬だけ飛び込んできた外の様子は、それほどたくさんの人がいるようには感じなかったから。たぶん村の人たちは守護の巫女との約束を守って、影がいなくなったことを知るとすぐに村へ帰っていったのだろう。
入ってきたのは、たぶん男の人だろうって雰囲気で判ったけど、ろうそくの火が消えた神殿では顔を見ることができなかった。天窓から月明かりが差し込むけど、今は扉付近は陰になっていて、輪郭がぼんやりと見えるくらいだったの。誰だろうって、まだあまりはっきりしない頭であたしはいぶかしんだ。でも、その人が声を出したから、すぐにあたしの疑問は解けた。
「ユーナ……」
ランドだ。ランドの声ならあたし、子供の頃からよく知ってたから、すぐに判ったの。でも、そこで新たな疑問が浮かんだ。どうしてあたしの祈りが終わって真っ先に入ってくるのがランドなの? 本当だったら、最初にここへくるのはタキかカーヤのはずなのに。
ランドからはあたしの姿がはっきり見えたのだろう。ゆかに直接座り込んだあたしに近づいてきて、膝を折った。……どうしたんだろう。月明かりが届いたせいでランドの顔は表情までよく見えるようになったけど、それはまるでいつものランドとは違う、何かに怯えているようにすら見えたから。
いつも、あたしをからかったり、時には叱咤してくれた。思ったことをほとんどぜんぶ口にする人で、今まで何かを言いよどむことなんか1度もなかった。しだいにあたしもランドに巻き込まれてしまったみたい。沈黙に耐えられなくて、あたしは言ったの。
「ランド……。どうしたの? 何かあったの……?」
ランドはあたしを見つめたまま、大きくて無骨な狩人の手をあたしの肩に置いた。
「ユーナ、落ち着いて聞いて欲しい。……オレは、おまえがこれから先もしっかり生きていける奴だって、信じてるから……」
不安を抱えたまま、あたしがうなずくと、ランドはゆっくりと言った。
「……リョウが死んだ。ついさっき、まるで影と刺し違えるみたいにして ―― 」
言われた言葉を、あたしは理解することができなかった。
99
空気が、普通じゃないんだって思うの。だって天井の窓から満月に近い月明かりが斜めに差し込んできていて、ちょうどあたしとランドとの間に突き刺さってるようなんだもん。月の光が鋭く空気を貫いているんだから、その空気が人の言葉をちゃんと伝えられなくたってぜんぜん不思議じゃない。だから、ランドが言った言葉と、あたしが聞いた言葉が、同じ言葉であるはずなんかないんだ。
あたしはいったい何を聞き間違えたの? ランドは本当は何を言いにきたの? ……そうだ、ランドがここにいるんだから、きっとリョウだって近くにいるよ。守護の巫女はこのあとしばらく影が現れないって言ったんだもん。狩人だってもう休んでいいはずなんだ。それなのに、リョウはどうしてあたしに会いに来てくれないの?
「リョウは? ……ランド、リョウはどこにいるの……?」
まるで込み上げてくる感情を抑えるみたいに、ランドは顔を伏せた。
「村の……南側の草原だ。今、狩人の仲間が何人かで、影の足の下から引っ張り出してる……」
言葉の途中でランドはうめきを漏らして口を抑えた。あたしの肩に置いた手に力が入って、肩に食い込んできそう。ランドの言ってること、あたしよく判らないよ。どうしてリョウを一緒に連れてきてくれなかったの?
「リョウに会わせて。ランドの話じゃ判らないもん。ランド、リョウがいるところに連れて行って」
「ダメだ! ……おまえに会わせる訳にはいかねえよ。あんな……。ユーナ、リョウはもう人間じゃねえんだ。……損傷がひどいなんてもんじゃねえよ! リョウだって、おまえにあんな姿を見られるなんてこと、望んでる訳がねえ……」
ランドは必死で自分を押さえ込んで、でもどうしても抑えきれなくて、苦しそうに身体を折ったままうめきつづけた。
「あいつ、無茶しやがって。影がどんな生き物なのかまだ判ってねえってのに、独りで向かっていきやがって……。あっという間だった。悲鳴を上げる暇もねえくらいあっという間で、影の足に巻き込まれて、そのあと身体がバラバラになっちまって ――
確かにあいつは影を1つ殺したよ! だけど、あいつの命と引き換えなんて、そんなバカな話あるかよ!」
……リョウ、なんとか言ってよ。ほら、ランドったらひどいよ。リョウがバラバラになっちゃったとか言ってるよ。あたし、判ってるんだから。ランドはあたしをからかいにきて、リョウはきっとそのへんに隠れてて、あたしが本気にするのを笑って見てるんだ、って。
100
あたしがランドの手を振り払うしぐさをすると、きつく掴んでいたことに気がついたのか、ランドははっと手を離した。あたしはそのまま立ち上がって、ランドを置いて歩き始めたの。
「リョウ、リョウ、どこにいるの? 隠れてるの? ……もう、いいでしょう? 出てきてくれてもいいでしょう?」
今、出てきてくれるんだったら許してあげるよ。あんまりにもひどい冗談で、ぜんぜん笑えなかったけど、でも許してあげる。きっとリョウがやろうって言い出したんじゃないと思うもん。こういうのを考えつくのっていっつもランドで、リョウは引き込まれて乗せられてるだけだったもん。
あたしが神殿の扉の前まで来て、扉を開けようとするよりも早く、ランドがうしろからあたしを捕まえた。
「ユーナ、やめろ。……リョウはもういない。探してももうどこにもいないんだ!」
「嘘。ランドはいつもあたしをからかってばっかりだったもん。いつまでもランドの嘘に引っかかるほど、あたしは子供じゃないよ。……リョウ、そこにいるんでしょう? 判ったからもう出てきて?」
まるで、あたしのその声が聞こえたみたい。外側からゆっくりと扉が開かれて、そこには遠慮がちに立つ誰かの姿があったから。
「リ……タキ。……ローグ……?」
外からの月明かりでかろうじてそれだけが判った。タキは、あたしの姿を見ると凍りついたように動けなくなってしまって、そうと察したローグがタキの脇を抜けて神殿に入ってくる。あたしも今ローグがここへくる意味が判らなくて、見つめて微笑んだローグを呆然と見上げているだけだったの。
「祈りの巫女、今日はいろいろあって疲れただろう? 今タキに聞いたけど、巫女の会議なんかはぜんぶ明日に回されたから、君ももう帰っていいそうだよ。よく眠れる薬をあげるから、一緒に宿舎に帰ろう。カーヤも心配してるよ」
そういえば、今は扉も開け放たれているのに、しんと静まり返ってる。神殿のみんなもそのほとんどが休んでしまっているんだ。
「……でも、ローグ。リョウは? あたし、リョウに会わないといけないの」
「リョウは村で眠ってる。だから祈りの巫女も今日はゆっくり眠るといいよ。あとのことは明日、目が覚めてから話そう」
―― 以下、中半へ続く ――
扉へ 前へ 次へ