真・祈りの巫女



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 宿舎の中に気まずい、なんともいえない空気が漂っていた。守護の巫女は笑顔だったけど、他の巫女や神官はまるで呼吸をしていないみたいに静かで、どうしていいのか判らないように互いに視線を交わしている。あたしとタキも無言で、守護の巫女が勧めてくれた椅子に腰掛ける。うっかり音を立てたら空気にひびが入りそう。そんな中で、守りの長老だけがいつもと同じ、無表情な中にも優しさを含んだ雰囲気を醸し出していた。
 なにか内緒の話をしていたのは間違いないみたいだった。それがあたしに関係あるのか、ないのか、それは判らないけど。
「さっき、祈りの巫女が神殿に入る前に、運命の巫女が未来を見たの。その中でいくつか判ったことがあるわ。まず、今夜あの影が再び襲ってくる正確な時刻が判ったの」
 あたしはただ黙って、守護の巫女が話す声を聞いていた。
「今日は7月14日、つまり満月よ。この満月がいちばん空高くなる時に影は村に襲ってくる。村の狩人たちには既に伝えてあって、この時刻には村全体を見張ってもらうことになってるの。ただ、残念ながらその『場所』はまだ判ってないわ」
 守護の巫女がそう言った瞬間、ほんの少しだけみんなの雰囲気が変わった気がした。
「村の人たちにも、できるだけこの時間帯には起きているように指示をしてあるわ。祈りの巫女、あなたも、この時間に合わせて神殿で祈りを捧げて欲しいの」
「……ええ、判ったわ。被害を最小限にとどめるように、影ができるだけ早く去っていくように祈ればいいのね」
「今回は家が壊されるだけじゃなくて、どうやら火災が起きるようなの。だから火災の被害も食い止めて欲しいわ。もちろん火を消し止める用意もしてあるけど」
 今まで、あたしが覚えている限り、村で火災が起きたのは1回だけだった。どこかの工房から火が出たんだけど、そのあたりは他にもいくつかの工房が立ち並んでいたから、けっこう被害が大きかったんだ。ふつう家と家の間はそれほど近くないけど、風にあおられればすぐに燃え移ってしまう。加えてそれが真夜中の火災だったら、現場の混乱は想像できないものになるだろう。
「それからもう1つ。……運命の巫女は、災厄が明日の夜も襲ってくる予言をしたの。明日の日没直後に」


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 運命の巫女が見える未来は、既に決まってしまった未来。今日のあたしはずっと神殿で祈りを捧げてきた。この災厄が、この先もう2度と訪れないように、って。今回運命の巫女が予言した3回目の災厄は、それまで見えなかった未来だから、ほんの少し前までは決まっていなかったんだ。それが決まってしまったということは、あたしの祈りが神様に届いていなかったことを意味している。
 みんながあたしに内緒で何を話していたのかが判ったの。もしかしたらこれだけじゃないかもしれないけど、少なくともその1つは、『あたしの祈りでは、この災厄が起こる以前に阻止することはできない』ってことだったんだ。
 被害を最小限に食い止めたり、影ができる限り早く去っていくように祈ることはできる。でも、決まってしまう前の未来を変える力は、あたしにはないんだ。
 祈りの力が足りない。あたしには、災厄を阻止する力がない。未来を変える力も……。
  ―― 絶望してる暇なんかないよユーナ! だって、この村には祈りの巫女はあたししかいないんだから!
 不意に押し流されそうになる自分を何とか立て直して、あたしは髪を直すふりをしながら1回だけ髪飾りに触れて、顔を上げた。
「明日のことは明日考えるわ。今夜月がいちばん高くなる時、神殿で祈りを捧げればいいのね。その他にあたしがしなければならないことはあるの?」
「他のことは何も心配しなくていいわ。今夜のこの時間、あなたにできる限りの祈りを捧げてちょうだい。……これが本当の戦いの始まりなのよ。私たち人間の知恵と力、あなたの祈りと、災厄の力のどちらが強いか。私たちがどれだけ被害を最小限に食い止められるのか、今夜が最初の勝負になるのよ。できることならその時間まで身体を休めるといいわ。今日は疲れたでしょう?」
 そうか、昨日の災厄は日時を正確に予言できなかった。だから、今夜が初めての真っ向勝負になるんだ。
 タキを伴って、あたしは守りの長老の宿舎を出た。けっきょく最後まで守護の巫女以外誰も一言もしゃべらないままで、その雰囲気に巻き込まれたように、宿舎を出てからもタキは無言だった。たぶんタキには判らなかったんだろう。守護の巫女の話の中で、あたしがどうして絶望したのか。みんなが何をあたしに隠そうとしていたのか。
 でも、本当はあたしも判ってなかったんだ。みんながあの時、とうとう何も言わずにあたしに隠し通してしまったことがあることを。


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 タキとまた真夜中会う約束をして、宿舎に帰るとテーブルに夕食の用意がしてあった。カーヤはまだ忙しいみたいで帰っていない。1人分だけ用意された食卓で、あたしはほとんど初めて、独りだけで食事をしたの。それから部屋に帰って日記をつける。今日の出来事はすごくたくさんあって、詳しく書いていたら時間もかかったのだけど、なんとかぜんぶ書き終えてあたしはベッドに入った。
 考えても仕方がないことは判っていたけど、あたしは考えずにはいられなかった。あたしの祈りは未来を変えることができないんだ、ってこと。この災厄が起きる前も、あたしはずっと村の平和を祈ってきた。その祈りはほぼ毎日欠かしたことがなくて、だから祈りが届いていたら最初の災厄がやってくることだってなかったはずなんだ。あたしが今まで村の人のために祈ってきたこと、それはほとんど叶えられてきてる。だから祈りの力がまったく届かない訳じゃない。
 あたしの祈りの力が足りないんだ。村の人の願いを叶えることはできても、未来を変えることはできないんだ。
 神託の巫女は、あたしが常に人の運命を変えているんだって言ってた。だから未来を変えることができるかもしれない、って。……神託の巫女、あたし、未来を変えることができないよ。あなたがあんなにあたしに期待してくれたのに。
 人の寿命を延ばす祈り。セーラが命をかけて祈った時、終わるはずだったジムの命は存えた。もしもあたしが命をかけたら、村の未来を変えることもできるの……?
 祈りの巫女は、その時代に必要とされて生まれてくる。あたしはこの災厄のために生まれてきたんだ。だから、ぜったい、この災厄を退けることができるはず。だって、神様はそれができると信じて、あたしにその役割を授けてくださったんだから。
 災厄が去った時、あたしは生きていないかもしれない。それを思うと怖かった。怖くて、あたしは自然にその名前を口にしていた。
「リョウ……」
 こんな風に名前を呼んだことなんかなかったよ。リョウ、今何をしてるの? 見張りの準備で忙しいの? ほんの少しでも、あたしのことを思い出してくれてる?
 1度外して引き出しにしまった髪飾り。もう1度取り出して、あたしは握り締めた。リョウが傍にいてくれることを感じたくて ――
  ―― お願い。リョウにも、誰にも頼らないで、独りで戦う勇気をください。


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「 ―― ユーナ、そろそろ真夜中になるわ」
 眠りに就いていたあたしを目覚めさせてくれたのは、カーヤのその声だった。目を開けると部屋のドアを開けてカーヤが覗き込んでいる。あたりは静かだったけど、たぶん宿舎の外にはたくさんの巫女や神官がいるのだろう。静けさを装った緊張感が部屋の中にも届いてきているようだった。
「カーヤ……。ずっと起きていたの?」
「ええ、なんだか緊張して眠れなくて」
「朝からずっと働き通しだったじゃない。あたし、もう目がさめたから、少し眠った方がいいわよ」
「……そうね、あたしはこれからしばらくはすることがないから、もし眠れそうだったらそうするわ。……ユーナ、食事は?」
「時間ありそう? だったらいただくわ」
 カーヤはあたしの食事を用意してくれていたから、タキがくるまでの短い時間で詰め込んだ。やがて遠慮がちに宿舎の扉がノックされて、ひと眠りしたらしいタキがやってくる。
 迎えに来たタキと一緒に神殿前に行くと、守護の巫女がほかの巫女や神官たちを集めて、いろいろ指示を出しているところだった。みんな声を落としていて、まるで影に聞かれるのを恐れているみたい。
 あたしの姿を見て、守護の巫女はいつもの笑顔を見せた。
「祈りの巫女、こんな真夜中にご苦労様」
「守護の巫女もよ。……ちゃんと眠ったの?」
 夜目でそれほどはっきりとは見えなかったけど、守護の巫女はあたしには少し疲れているように見えた。
「私はいいのよ。あなたのように神様に祈りを捧げる訳じゃないもの。祈りの巫女、あなたはきちんと睡眠を取ってちょうだいね。ほんの少しでも時間があったら、食べて、眠るのよ」
 精神が充実していないと、神様に祈りを届けるのは難しい。だから、きちんと食べてきちんと眠るのも、あたしの大切な仕事なんだ。


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 名前がある巫女の中では、この真夜中に起きているのは守護の巫女とあたしだけだった。ほかのみんなは宿舎で眠っているのだろう。見上げると、空の真ん中に丸い月が白い光を放っている。満月の夜はかなり明るいから、もしかしたら今夜は影の姿が少しは見えるかもしれない。昨日の夜明け前は月が沈みかけていたんだ。今日は月影を邪魔する雲もほとんど見あたらなかった。
「異変はまだ起こってないの?」
「村と上の星見やぐらに神官を配置して、影が現われたらすぐにここにも知らせがくるようにしてあるわ。今のところはまだ何も起こってないようよ。……そろそろ予言の時刻になるけど」
 あたしは山の頂き近くにある星見やぐらのあたりを振り仰いだ。ちょうどその時、やぐらの方が少し光った気がしたの。どうやらそれが合図だったみたい。神官のセリがすぐに守護の巫女の近くにきて、耳打ちするような小声で言った。
「守護の巫女、最初の合図だ」
「判ったわ。セリは次の合図を待ってて」
 セリが再びもとの場所に戻るのを見送ることもしないで、守護の巫女はあたしに向き直った。
「祈りの巫女、祈りの準備はできてる?」
「ええ、大丈夫よ」
「そう、それじゃ、祈りの巫女は神殿に入って祈りを始めてちょうだい。2回目の合図は予言の時刻。そして3回目が、村に影が現われたことを知らせる合図になってるの」
 あたしは、タキと一緒に石段を上がって、1度だけあたしの肩を叩いたタキに微笑み返して、独りで神殿の扉の中に入った。
  ―― 神殿の中は、周囲の緊張を映してか、ピンと張り詰めた空気に満たされている。
 あたしは用意してきたろうそくを並べて、祭壇の奥にある聖火を順番に移していく。祈りの所作はいくつかあって、今現実に起きている出来事についての祈りはそれほど頻繁に行われる訳じゃないんだ。そんな稀な動作を辿っているのに、不意に過去にも同じような出来事があった気がしたの。自分がそう感じた理由は判らなかったけれど、今は余計な考えを振り払って、あたしは祈りの力を高めていった。


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 心の位置が神様に近づいていくと、逆に感覚の方は自分の身体から離れていく。心が肉体の支配を受けなくなって、しだいに感覚の密度が薄くなるよう。意識が少しずつ散らばっていって、まずは神殿全体を覆って、扉の外にいるタキ、石段の下にいる守護の巫女、何人かの神官たちの意識があたしの意識に紛れ込んでくる。意識はそれからも拡散を続けて、やがては村全体を覆うほどになっていった。この頃になるともう、あたしは自分がユーナであることを忘れているんだ。そんなあたしの意識を覆うように、神様の気配が寄り添っているのが判る。
 あたし自身の感覚は希薄で、村のすべてを正確に読み取ることはできないけれど、村人たちが不安な一夜を過ごしていることは伝わってくる。かなり多くの人々が眠れずにいるのは明らかだった。あたしは傍らに神様の気配を感じながら、人々の不安を少しでもやわらげられるようにと訴える。神様は言葉を発することはないけれど、あたしの意識を読み取って、理解してくれる。祈りの巫女は人間と神様とをつなぐ掛け橋になるんだ。あたしが村の人たちの思いを神様に届けることで、神様は初めて、村の人たちの心を知ることができるんだ。
 やがて、月は完全に空の真ん中へやってくる。
 その時、村の西の方から、今まで存在しなかった邪悪な気配が現われた。
 邪悪な気配が移動していくと同時に、近くにあった村人の心が不安から恐怖に変化していく。あたしは神様に恐怖の感情を伝えながら、その邪悪な気配を一刻も早く退けてくれるよう、神様に訴える。あたしには神様の感情を読み取ることはできないけれど、その気配はあたしの心を映したように、焦りに満たされていた。西側から北へ進路を移した邪悪な気配が次々と人々の感情を飲み込んでいく。
 あたしの願いは神様に届いていない。やっぱりあたしの力では、この災厄を退けることができないの……?
 人々の恐怖の感情が強くなって、あたしはそれを必死で神様に伝えた。それなのに邪悪な気配が動きを止めることはなくて、北側から今度は東に向かって徐々に進攻してくる。その時、別の気配がまた西の方に生まれたんだ。2つ目の邪悪な気配は、素早く東に向かって進んで、やがて南側から村の中心部へと切り込んでいく。
 恐怖に満たされた人々の感情は、既に村全体を覆い尽くすほどに膨れ上がっていた。


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 意識を取り戻したとき、あたしはタキに上体を抱き起こされて、顔を覗き込まれていた。
「 ―― 祈りの巫女……。よかった、気が付いたね」
 あたりは暗くてタキの顔があまりよく見えなかった。どうして自分がそんなところにいるのかが判らなくて、無意識に周囲を見渡してみる。神殿の祭壇の前、灯したろうそくは半数が消えていて、かなりの時間が経っていることが判る。あたしはここで祈りを捧げていたんだ。祈りの最中に眠ってしまうなんてこと、今まで1度もなかったのに。
「……タキ、あたし、寝てたの……?」
 身体を起こしながら言うと、タキはちょっと困ったような顔をした。
「寝てたっていうか、オレは気を失ってるんだと思ってたけど。……寝てたの?」
 確かにタキが言うとおり、気を失っていたって方がずいぶん感じがいいみたい。タキには曖昧にごまかして、立ち上がろうとしたらちょっとだけふらついたんだ。なんだかすごく疲れてるよ。タキはあたしが立ち上がるのを助けてくれて、それからも隣で支えながら扉の方に歩いていった。
「ねえ、タキ。あたしがここに入ってから、どのくらい経ってるの?」
 今までは気が付かなかったけれど、神殿の外はかなりたくさんの人が行き交っているようで、喧騒がここにも届いてきてる。タキは少しだけ言いづらそうに目を伏せた。
「……村が影に襲われて、それからしばらくして影が去っていったあと、村の火事をぜんぶ消し止めて、行方の判らない人の名前が神殿に届くくらいには。……祈りの巫女、君はずっと祈っていたのか?」
「ええ。少なくとも2つ目の影が村に来たところまでは。そのあとのことがあまりよく思い出せないの。いつもの祈りの儀式ではこんなことはないのに……」
 ふと、タキは足を止めて、あたしに肩を貸すのをやめた。
「だったら、君はまだあのことは知らないんだね。……その、2つ目の影がいったい何をしたのか」


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 扉の向こうから人々の声が聞こえてくる。ひときわ声を張り上げているのは誰かの無事の知らせか、誰かが死んだという知らせを持ってきた人。この騒ぎでは、宿舎には1人も眠っていられる人はいなかっただろう。
「タキ……どうしたの? なにか悪い知らせなの?」
 今、口を閉ざして黙り込んでいる神官は、この村にタキ1人だけだったかもしれない。
「あたしの祈りは何の効果もなかったの? ……昨日よりももっとたくさんの人が死んだの?」
 覚えてる。あたしの祈りが、ぜんぜん神様に通じなかったってこと。再び影がこないように、影が早く村を去っていくように、必死で祈りを捧げたのに。その祈りは通じるどころか、更に影の数が増えてしまったんだ。
「……祈りの巫女、君はどうして2つ目の影のことを知ったの? 祈りを捧げていても村のことが判るの?」
「判るわ。それがどんな姿をしているのかは判らないけど、村を襲った邪悪な気配のことは判ったの。それがどうしたの?」
 タキはまるで時間を稼いでいるみたいだった。あたしに言いづらいなにかを話すのを、できるだけ先に伸ばそうと。
「……最初に現われた影は村の北側に移動していった。狩人たちは村の人たちに知らせると同時に、その影を追って北の方に集まっていったんだ。だから、そのあとにやってきた2つ目の影には万全な構えができてなかった。……狩人たちを責めることはできないと思うよ。彼らだって、まさか影が2つ現われるとは思ってなかったんだ」
 タキの言うとおりだと思う。だって、運命の巫女は、今夜影が2つ現われるとは予言しなかったのだから。
「2つ目の影の行動は完全に村の人の背後を突いてしまった。気が付いたときには道をものすごい速さで東へ向かっていて、引き返した狩人たちは誰も追いつけなかったんだ。そのまま東へ向かった影は、まるで目的を持っているようだったって村の人は言ってた。……祈りの巫女、影は、君の実家を跡形もなく崩してしまったんだ」
  ―― 一瞬、意味が判らなかった。
 タキはあたしの視線を受け止めることはせずに、ともすれば聞き逃してしまいそうな小さな声で、そう言った。
「君の父親と、母親。2人が死んだことが確認された。……影の下敷きになって」


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 あたしはすぐに駆け出して、神殿の扉を開けて外に飛び出した。いったいあたしは何を探していたんだろう。周りで忙しく動き回る人たちに紛れ込んで、その中に父さまたちがいないかどうか、きょろきょろしていたの。そんなことをしたって、ここにいる人たちの中にあたしの家族がいるはずなんかなかったのに。
 まだ夜明けにはかなり時間があったのに、神殿の周りはたいまつが灯されて、ふだんよりもずっと明るくなっていた。それでも怪我人の搬入に忙しい神殿の人々は、あたしが誰なのかすら気づいていなかった。恐怖と不安にあたしは混乱していて、自分が何をしているのかも、何をどうしたいのかも判っていなかった。うろうろ動き回って、ようやく村への坂道を降り始めようとしたとき、うしろから誰かに腕をつかまれたんだ。
「ユーナ! おまえ、なにやってるんだ!」
 捕まれた腕を返して、あたしは無意識にその誰かから逃れようとしていた。
「落ち着け、しっかりしろよおまえ! 今うしろからオミを乗せた担架がくるところだ」
 ふっと、あたしは我に返ったみたい。気がつくと神殿を出たときからの記憶がすっぽり抜けていて、目の前には必死の形相のランドが立っていたんだ。
「ランド……」
 あたし、力が抜けたようにランドの胸に倒れ込んでいた。ランドはあたしを受け止めて、やさしく抱き寄せてくれる。そのままあたしは少し泣いたような気がする。自分がどうして泣いているのか、それすらも判らないで。
「ユーナ、両親が死んで悲しいのは判る。……だけど今は泣くな。もうじきオミがくるんだ」
 あたしが顔を上げると、いつのまにかタキも近くにいて、あたしの様子を見守っていた。
「オミは……オミは助かったのね。生きてるのね!」
「ああ、生きてる。だけど全身の怪我はひどいんだ。しかも目の前で両親を失ったからな、かなりショックを受けてる。……ユーナ、おまえはあいつの姉さんだろう? おまえはあいつのためにしっかりしてやるんだ」


70
 もしかしたらあたしは、自分の両親が死んだことを必死で頭の中から追い出そうとしていたのかもしれない。できるだけ意識の上にのぼらせないように、無意識の中に封じ込めていた。ランドが言った一言で、あたしは意識を向ける別の対象を見つけたの。だからあたしはまるでしがみつくようにオミのことだけで頭をいっぱいにしようとしたんだ。
「オミはどうしたの? やっぱり家の下敷きになったの?」
「ああ。追ってくる影から逃げている途中で崩れた建物の下敷きになった。だけどその現場を見てた人がいてな、すぐに助けられたんだ。……おまえの両親の話を聞いたか?」
 あたしが首を振ると、ランドはチラッとタキを見て、それからまたあたしに向き直った。
「影はおまえの家を壊して、家から飛び出して逃げた両親を執拗に追いかけたんだ。まるで初めから狙ってたみたいに。……オミが崩れた建物の下敷きになって、そのあとすぐにオキたちは影に踏み潰された。その、一部始終を、オミは見ていた」
 前のとき、影は人を襲ったりしなかった。今度の影は人を襲うような生き物だったの? それとも……それがあたしの両親だったから、影は人を襲ったの……?
 父さまと母さまは、あたしの両親だったから、影に狙われてしまったの……?
「祈りの巫女」
 タキが声をかけて、あたしの思考を遮ってくれた。
「ちょっと気になることがあるから、オレはいったん宿舎の方へ行ってみるよ。祈りの巫女は広場の方にいてくれる?」
「……ええ、判ったわ」
「ランド、あなたは祈りの巫女のことを……」
「ああ。ユーナのことはオレに任せておけ。大丈夫だ」
 そう言ってタキが走り去って、あたしとランドもタキのあとを追うように神殿に引き返していった。ランドに肩を押されて歩いている間も、あたしはいったい自分が何を考えたらいいのか、まったく判らずにいた。


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