真・祈りの巫女
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神官のローグはもう壮年と言っていい年齢だったけど、なぜか独身のままで、ずっとこの共同宿舎に住んでいる。怪我や病気のことにすごく詳しかったから、神殿のみんなに頼りにされてるんだ。でも、ローグ自身もあまり身体が強い方じゃないらしくて、山道を降りることは無理みたい。ずっと結婚しないでいたのもそんな理由があったからなのかもしれない。
ライの治療を終えたローグは、あたしを部屋から廊下へ連れ出していた。
「ライはどうなの? あたしが会っちゃいけないくらいひどいの?」
たぶん、村にも怪我を治療できる神官は降りてるはずなんだ。それなのにライがローグのところに運ばれてきたってことは、きっと下では治療できないくらい、ひどい怪我だってことだから。
そんなあたしを安心させるように、ローグはにっこり笑ったの。
「大丈夫だよ、祈りの巫女。命に別状はないから会うこともできる。ただ……怪我の状態についてはまだ本人に聞かれたくなくてね」
「本人に、って……。ライはまだ話ができないのよ」
「子供は大人の話を理解できるよ。あんまり甘く見ないことだ。 ―― リド、痛み止めの量は大人の4分の1だからね」
ちょうど薬を持って通りかかったリドにそう伝えて、ローグはまたあたしに向き直った。
「全身の擦り傷はたいしたことなくて、内臓にも異常はない。ただ、右足がひどい。ベッドの下敷きになったらしくて骨が砕けてるんだ。このままだと一生自分の足で立って歩くことは難しいな」
ローグの口調はそれまでとほとんど変わらなくて、言われた言葉の内容とのギャップがありすぎて、あたしはすぐに理解することができなかった。
「……ベッドの下敷き……?」
「これは聞いてなかったかな。ライは寝室のベッドの下にいたんだよ。もちろん自分で入り込んだ訳がないから、おそらく異変を感じたマイラがとっさにベッドを持ち上げて、その下にライを放り込んだんだ。本能的な行動だったんだろうな。家は影に踏み潰されてしまって、完全に崩れ落ちたけど、ベッドの下にだけはわずかな空間があったんだ。だからライは助かったんだよ」
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マイラの家は影に壊されて、そのあと影がマイラの家を乗り越えたんだって、あたしは守護の巫女に聞いた。リョウは足跡を見て、影はものすごく体重が重いって言ってた。ふつうのベッドは底があいた箱のようなもので、女性1人の力じゃぜったい動かせないくらいしっかり作ってある。だから影の重さでも完全には壊れなかったんだ。マイラはそれを1人で持ち上げて、ライをその下に隠したの……?
「祈りの巫女、人間はいざとなると、普段では想像もできないようなことをやり遂げることができるんだ。こういうのを奇跡というんだろうね。マイラはライに、母親として精一杯の事をしたと思うよ。だから、あとはライが自分の力で乗り越えていかなければならないんだ」
あたしはもう何も言えなくて、ローグの淡々とした声を聞いているだけだった。
「あんな小さな子には酷な話だね。……祈りの巫女、このままライに会わずに帰ったとしても、だれも君を責めたりしないよ」
ローグには、あたしの心が震えていることが判ったのだろう。ここにくるまであたしは何も考えてなかった。ただ、あの小さなライに会いたいって、それだけだった。痛みを堪えるライを少しでも慰められたら、って……。あたしには、ライの痛みなんてぜんぜん判らないのに。
ライは一生歩けないかもしれない。ライにそんな苦しみを与えたのは、ライを産み出したあたしなんだ。マイラは母親として精一杯のことをライにしてあげた。あたしだって、ライにできる限りのことをしてあげなければいけないよ。
あたしがライにできるのは、ライのために祈ることだけ。
「ローグ、部屋に入っても平気?」
ローグはにっこり笑ってあたしを部屋へ導いてくれた。
―― ベッドの上のライは痛み止めで少し落ち着いたみたい。目尻に涙の名残は浮かべていたけれど、もう声を上げてはいなかった。視線を泳がせていたライに近づいて覗き込むと、ライはあたしを見つけたみたい。しばらくじっと見つめていて、やがて静かに目を見開いていく。あたしはなんとか微笑みを浮かべることができて……。
その時、ライは再び目に涙を滲ませて、まるで火がついたように大きな声で泣き始めたの。
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あたしを見つめて、ふと何かに気がついたように、ライは泣き始めた。すごく大きな声を上げて、動かない身体を捩るようにしながら。理屈もなにもなく、あたしはライの心の動きが判ったような気がしたの。ライはしゃべれないから、もしかしたら違うのかもしれないけど、あたしには確かにライの気持ちが伝わってきたんだ。
今まで、ライはずっと現実じゃないところにいたんだ。まわりは知らない大人ばかり。身体が痛くて、動くこともできなくて、そんなライをいつも助けてくれるマイラはどこにもいなくて。小さなライはきっと、夢と現実の区別がついていなかったんだと思う。悪夢を見て泣いていたら、マイラはそっとライを抱きしめて、悪夢の中から救ってあげていたのだろう。
ライはあたしの顔を見て、これが現実だってことを知ったんだ。いつもライの現実の中にいたあたしがここにいたから。それと同時に、いつも助けてくれるマイラやベイクが、既にライの傍にはいないんだってことが判ったの。もう2度と現われることがないんだって。だって、こんな現実に放り出したまま、2人がどこかに行ってしまうなんてこと、ライは今まで経験したことがなかったんだから。
小さなライを抱きしめてあげたかった。だけど、全身包帯だらけのライはあまりに痛々しくて、触れたら壊してしまいそうで、あたしにはどうすることもできなかった。
「これだから、子供は侮れないだろう? まだ大人みたいに自分をごまかすことを知らないからね。衝撃がぜんぶそのまま傷になっちまう。……でも、大丈夫だよ。この子は強くならなければ生きられない子だから、ちゃんと乗り越えられるから」
そう言ったローグにも、あたしが感じたライの心の動きは伝わっていたみたいだった。
「強くなければ、生きられない子……?」
「そう。神様がたくさんの試練を与える子は、生まれながらにしてそれを乗り越える力を持ってるんだ。ライは強くなるよ。……祈りの巫女、君もね」
神様は、乗り越えられない試練を与えたりはしない。それは、昔リョウがあたしに言ってくれた言葉でもあったんだ。
「ライは必ず歩けるようになるわ。お願い、ローグもそう信じていて」
ローグの微笑みに見送られながらあたしはライの病室を出て、廊下で誰にも気付かれないように、そっと髪飾りに触れた。
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宿舎の神官はみんな忙しくて、それでも断片的に話を聞いたところ、今は守護の巫女と聖櫃の巫女が村に降りているらしかった。普通の時なら、村の人が死ぬと亡骸を神殿に運んで葬儀をして、また村に戻って埋葬をする。でも今回はそこまで手間をかけられないんだ。日が落ちる前に村で葬儀をしてそのまま埋葬してしまうのだと、神官の1人は教えてくれた。
タキが戻ってくるまでの間、あたしは神殿でライのために祈りを捧げていた。ライの苦痛を和らげて、災厄に砕かれてしまったライの足をできる限り元に戻してあげるために。
祈りを終えて神殿の扉を出ると、村から戻ってきたタキが、あたしの祈りが終わるのを待っていてくれたんだ。
「お疲れ様、祈りの巫女」
「タキこそ疲れたでしょう? わがまま言ってごめんね。ちゃんとご飯食べた?」
「ご飯? ……ああ、実家に寄って食べてきたよ。ついでにいろいろ話もできたからちょうどよかった。これ、頼まれてた名前」
そう言って、タキはあたしに1枚の紙を渡してくれたの。その中には、人の名前のほかに亡くなった人との関係なんかがびっしりと書き込まれていたんだ。
「ありがとう。これからさっそく祈るわ」
「少し休んでからの方がいいよ。オレも村で聞いてきたことがあるから、休憩しながら少し話をしよう」
タキが案内してくれたのは、神殿の下にある書庫の作業場の1室だった。ここで作業する神官はいつもは10人前後いるのだけど、今日は日常の仕事はぜんぶお預けになってるから、書庫の方に2、3人が出入りしているだけで静かだった。
タキが話し始めるよりも早く、あたしは切り出していた。
「マイラたちのお葬式が村で執り行われるって聞いたわ」
「ああ、もうそろそろ始まる頃じゃないかな。なにしろ今回は1度に12人も亡くなって、棺を神殿に運び上げているだけの余裕がないからね。それに、亡骸の損傷がかなり激しいんだ。夏の最中だし、早く埋葬してあげないとかわいそうだから」
「あたし、マイラに会いたいの。マイラに最期のお別れをすることはできない?」
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「祈りの巫女は残念に思うかもしれないけど、亡骸がもう普通じゃないから、会わないでいてあげた方がマイラにとってもいいことだと思うよ。それに……君は聖櫃の巫女じゃない、祈りの巫女なんだ。たとえ親しくしていた人の葬儀でも、こんな時に神殿を空けてまで参列するのは難しいよ」
あたし、自分でも判っていたことだったけど、タキに言われて改めて自分の責任を思い知らされた気がした。あたしはショックだったけど、だからこそタキだってすごく言いづらかったはずなんだ。それなのにタキははっきり言ってくれた。リョウはタキにやきもちをやくけど、あたしはタキのような人も大切にしなければいけないんだ。
「ごめんなさい、タキ」
「いいよ。気持ちは判るから。今が非常事態だってことで、神殿の決まりもいろいろ変わってきてる。村でも今日は日常の仕事をしている人はあまりいなかったよ。食料や日用品を扱ってる人たちは荷造りを始めていて、たぶん今日の夕方には貯蔵庫に収めにくると思う。運命の巫女が今夜また影が襲ってくる予言をしたから、協力して壊れた家の廃材を集めて西の森の入口に囲いを作ってるんだ。あと、村のあちこちに見張りのやぐらを立てたりね。村のみんなも頑張ってるよ」
そうか、災厄と戦ってるのは、神殿やリョウたち狩人だけじゃないんだ。村のみんなも自分ができることを精一杯やってる。あたしは独りじゃないんだ。それが判っただけでも、タキに村へ行ってもらってよかったと思ったの。
「それとさっき聞いたんだけど、広場の避難所はとりあえず今日中に1棟完成するらしいよ。これ、ベッドが作ってなくて、その代わりに床をしっかり作ってあるから、隙間なく布団を敷いてその上にみんなで寝るんだって。部屋がないらしいんだ」
タキの言うことは不思議で、あたしにはぜんぜん想像がつかなかった。
「……部屋がないの? ベッドも?」
「そう。本当に寝るためだけの建物なんだって。建物1つが大きなベッドになる感じかな。オレにもあんまりよく判らないけど、誰かが昔の書物から図面を引っ張り出してきたらしい。布団が揃うのが今日の夕方で、でも今回家を失った人はみんな自分で行き先を決められたみたいだから、最初に入るのは村の子供たちになりそうだって言ってた。ひとまず子供だけ先に避難させておくつもりらしいよ」
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今回の災厄で死んだ人の中にも、子供が何人か混じってた。子供が死んで親が助かった家もあった。子供が死ぬのはすごく悲しいもの。もしも子供だけでも避難させられたら、親はどれだけ安心できるだろう。
「その避難所には何人くらい入れるの?」
「大人だと12、3人で、子供で20人くらいかな。今は村の西側にある家の子供たちを優先的に入れることになってるみたいだよ。でも明日からはたぶん、きこり以外の人たちも避難所作りを手伝ってくれるから、割と早いうちに村の子供たち全員避難できるようになるよ。まあ、守護の巫女が言ってたように、必ずしも神殿が安全な場所とは限らないけどね」
「……そうね」
神殿が安全な場所だなんて保証はない。それに、村人全員が避難できる訳じゃないんだ。村の人たちにとっては、村は生活に必要な大切な場所。避難するだけではダメなんだ。影を追い払って、2度と村に近づかせないようにしなければならないんだ。
あたしの祈りで、影を村から追い払うことができるのだろうか。
それとも、リョウたち狩人が影を倒すことができる……?
「ねえ、タキ。村の人たちは影がどんな姿だって言ってた?」
タキはちょっと不思議そうにあたしを見た。
「どんな、って。……守護の巫女が言ってた通りだよ。夜明け前だったから誰も姿は判らない。影のようなものしか見えなかったって」
「何かに似ていたとか、そういうのはない? 例えばムカデを大きくしたように見えたとか」
「いや、たぶんムカデには見えなかったと思う。なにしろ大きくて、そういえばどこが頭でどこが尻尾なのかがよく判らなかったようなことは言ってたよ。とにかく大きいとしか。……それがどうしたの?」
「あのね、その影を見た誰かに、影にふさわしい名前をつけて欲しいの。大きなムカデに見えたのなら大ムカデとか」
タキはあたしがムカデをしつこく例に出す理由が判っていなかったんだろう。首をかしげる仕草をした。
「前にも言ったわよね。あたしが祈るためには、名前が必要なの。誰が見ても納得できるような名前か、影の本当の名前が」
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もしも影の本当の名前が判れば、あたしの祈りが神様に通じる限り、影を追い払うことができる。例えば昔の文献にその姿と名前が記してあったとしたら、あたしはすぐにでも影を追い払う祈りができるんだ。でも、この村の人はたぶん、影を1度も見たことはない。だから影の本当の名前を知ることはできないんだ。
だけど、たとえ本当の名前じゃなくても、みんなが一目見てふさわしいと思える名前なら、あたしの祈りは通じるかもしれないの。だって、どんな生き物だって最初は名前がないんだもん。人間だってそう。親は産まれた子供に新しい名前をつけて、周りの人たちが名前と子供の姿を一致させて、それで初めてその子はその名前を持った人間になるんだ。
「影の本当の名前か。……オレが姿を見ることができたら、書庫にある本をぜんぶ漁ってでも探すんだけど」
「本当の名前じゃなくてもいいの。ううん、本当の名前がいちばんいいのだけど、例えば村の人たちがそれを見て、ごく自然に呼び始めた名前とか。ただの影や、災厄や、適当な名前ではダメなの。その姿に近ければ近いほど、あたしの祈りは神様に届きやすくなるの」
タキは腕を組んで考え込んでしまった。
「うーん、適当に名づけた名前じゃなくて、その影にいちばんふさわしい名前か。……とりあえず誰か1人でもちゃんと姿を見ないことには、どうにもなりそうにないな」
影はまた今夜現われる。でも月明かりしかない夜では、昨日と同じように誰もはっきりとその姿を見ることはできないだろう。
「難しいのは判ってるわ。今すぐじゃなくてもいいの。もしも村の人たちが自然に影の名前を呼び始めたら、すぐにあたしに知らせて。それまでは名前のことは誰にも話さなくていいわ。……守護の巫女にも内緒にしておいて欲しいの。きっとこのことを知ったら、守護の巫女はあたしのために早く名前をつけようとしてしまうから」
もしかしたらあたしは、このことをタキにも話すべきじゃなかったのかもしれない。一瞬だけそう思ったけれど、でもタキはあたしが言ったことをすごく正確に理解してくれたんだ。
「判ったよ。オレは誰にもそれを話さないで、もしも自然に出てきた名前があったら、その名前をいち早く祈りの巫女に知らせる。同時に、村の人が見た影の姿がどんなだったか、その情報を集める。それでいいんだね」
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タキと一緒に神殿に戻ると、扉の前にはまたセトが立っていたんだ。タキと書庫で話していた時間はそれほど長くなかったから、このわずかな間に運命の巫女がやってきたことになる。
「偶然ねセト。今日2回目だわ」
「いや、偶然でもないんだ。さっき祈りの巫女がここを出て行くのが見えたから、また運命の巫女が未来を見るって言ってね。今日だけで5回目だよ。さすがに心配だな」
「未来が見えないの?」
「家が影に襲われる場面は見えるらしいけど、場所がはっきり判らないんだ。祈りの巫女は? また村の人のことを祈りにきたのかい?」
「ええ、タキが被害に遭った人たちの家族の名前を調べてきてくれたの。それと、ライのことを」
「ライか。……運命の巫女にとっても他人事じゃないんだ。彼女の足も、子供の頃の怪我が原因だって聞いた」
そういえば、運命の巫女もほんの少し足を引きずって歩く。運命の巫女もつらいことがたくさんあって、それを乗り越えてきた人なのかもしれない。
それほど待つこともなくて、やがて運命の巫女は神殿から出てきた。運命の巫女は朝会ったときよりも更に憔悴して見えて、あたしもセトと同じように少し心配になってきたの。
「運命の巫女、大丈夫?」
「ええ、大丈夫よ。心配は要らないわ。……セト、神託の巫女はどこにいるかしら。確かめたいことがあるの」
運命の巫女はどこか上の空で、声をかけたのが誰なのかも判ってないみたいだった。
「たぶん、宿舎か書庫の方か……」
「書庫にはいなかったわ。あたしたち、今書庫から出てきたばかりだから」
「それじゃ宿舎の方かもしれないな。ありがとう祈りの巫女。……運命の巫女、段差に気をつけて」
セトに支えられて石段を降りていく運命の巫女を見送りながら、あたしは彼女が見た未来のことが気になって仕方がなかった。
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もしかしたら、神殿で葬儀を行わなかった理由の中には、聖櫃の巫女があたしや運命の巫女の邪魔をしないようにという配慮もあったのかもしれない。だって、運命の巫女は既に5回も未来を見るために神殿を訪れて、あたしも今回で4度目だったから。タキが調べてきてくれた人の名前は20人を超えていたから、あたしはその1人1人について神様に祈りを捧げて、ライのことをもう1度祈って、最後に村の災厄が早く終わるように祈ったの。運命の巫女は既に今夜影が現われることを予言している。それを変えることはできないかもしれないけれど、それを最期にこの災厄を終わらせることはできるかもしれないから。
人を癒す祈りは、祈ってすぐに効果が現われる訳じゃない。でも癒しの速さを増すことならできる。今の神様の気配は、自分自身を必死で励ますあたしの決意を映して、あたしに諦めるなと言ってくれているみたいだった。
かなり長い時間を祈ることに費やしてしまったから、扉を出ると既に日が傾きかけていた。神殿前にはたくさんの村人たちが集まっているみたい。石段を降りていくと、あたしに気付いて人ごみの中からタキが駆け寄ってきたの。
「祈りの巫女、お疲れ様。さっきガラス職人のオキが山を降りていったところなんだ。確か祈りの巫女の父親だよね」
あたしはちょっと驚いてしまった。父さまが神殿にきてたの?
「そうよ。でもどうして?」
「工房で作った品物を避難させにきたんだよ。少し待っててくれるように言ったんだけどね。仕事の邪魔をしちゃいけないからって、すぐに帰っていった。今からだともう追いつかないかな」
タキの様子であたしは、タキがあたしと父さまをなんとか会わせようと力を尽くしてくれたことを知った。
「ありがとう、タキ。でもいいわ。父さまも仕事中だもの。本当にありがとう」
「いいの? だってこれからまたいつ会えるか判らないよ」
「父さまがあたしと会わないことに決めたんだもの。それでいいのよ。本当にありがとう、タキ」
「……オレがもうちょっと引き止められたらよかったんだけどな」
タキはすごく残念そうで、あたしも残念に思ったけど、でもそれも仕事に厳しい父さまらしと思ったの。
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神殿の前に来ていたのは、父さまと同じような村の職人たちで、ほかに荷物運びを手伝ってくれた人たちもいたからかなりごった返しているように見えた。みんな今夜のことを不安に思っていて、神官や巫女が通るたびに呼び止めていろいろ話を聞いているみたい。避難所の方にも布団が運ばれてきていて、避難してきた村の子供たちがはしゃぎながら大人のお手伝いをしている。めったに神殿にくる機会のない子供たちは、見るものすべてが珍しいらしくて、あちこち駆け回って笑い声を上げていた。無邪気な子供たちの様子は、そこだけまるで平和な風景を切り取って貼り付けたように見えて、緊張した空気をふっとやわらげてくれていたの。
「聖櫃の巫女はまだ戻ってないんだけど、さっき守護の巫女が守りの長老の宿舎に戻ってきたよ。オレはちょっとだけ顔を出してきたけど、影がどこに潜んでるかもまだ見つからなくて、現状にほとんど動きはないみたいだった。それから運命の巫女と神託の巫女が揃って長老宿舎へ入っていって、それきりまだ出てきてないんだ。よかったらオレ、もう1度行ってみるけど」
タキは、あたしが祈りを捧げている間も、本当に忠実に役目を果たしてくれてるみたいだった。
「あたしも行くわ。運命の巫女の予言が気になってたところだったの」
「疲れてない? 災厄は今日だけじゃ終わらないんだから、今からあんまり無理をしない方がいいよ。そのためにオレがいるんだから」
「タキもよ。あんまり無理はしないで。これから先、あたしはタキがいなかったらものすごく困ってしまうんだから」
けっきょく2人とも行くことになって、守りの長老宿舎の扉前まできたの。中からは話し声が聞こえていたんだけど、タキが扉をノックすると不意に静かになる。そのままタキが扉を開けて、中を覗きこんでちょっと驚いた。中には守りの長老、守護の巫女、運命の巫女、神託の巫女と、それぞれの巫女の担当になっている神官がいたのだけど、みんなびっくりしたようにあたしを見つめていたから。
「……祈りの巫女、祈りが終わったのね。お疲れ様」
守護の巫女がそう言って作り笑いを浮かべる。まるで、内緒話を見つかって、それを必死でごまかそうとしているみたい。
「あの、……ごめんなさい。なにか大切な話の途中だったのね。また出直してくるわ」
あたしが言うと、守護の巫女はふと姿勢を正して、今度は作り笑いじゃない本物の笑顔を見せて言った。
「いいえ、ちょうどよかったわ。祈りの巫女にも話しておかなければならないことだから」
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