真・祈りの巫女
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再び祈りを終えて神殿を出ると、山の陰になっていた神殿の敷地にも日が差し始めていた。神殿前広場で小屋を作っていた人たちも今は休憩していて、石段を下りてよく見ると食事をしているのが判った。それで気がついたの。あたし、日の出の頃に起きて朝から2度も祈りを捧げているのに、まだ朝食すら食べてなかったんだ。
「祈りの巫女、神様にお祈りするのは終わったのかい?」
休憩していたきこりの1人に声をかけられて、あたしはそちらに顔を向けた。まだ若そうなきこりの声はあたしをからかっているみたい。たぶん、あたしが神様に祈って願いを聞き届けてもらえるって、信じてないんだ。村に降りるとそういうからかいの声は時々聞くことができたから、あたしはすっかり慣らされていた。
「ええ。村の災厄が1日も早く過ぎ去ってくれることを祈っていたの。みんなも困ったことがあったらなんでも言ってちょうだいね」
「オレはこのところ嫁さんがガミガミうるさくて困ってんだ。それも祈りの巫女が祈ったらおとなしくなるのか?」
「なると思うわ。今は忙しくて村へ行けないけど、事がぜんぶおさまったらまた山を降りるから、その時にゆっくり話を聞かせて」
そう言ってあたしがにっこり笑うと、若いきこりはちょっと拍子抜けしてしまったみたい。他のきこりが口を挟んでくる。
「祈りの巫女、朝飯がまだなんだろう? さっきから若い巫女がしょっちゅう神殿を覗きにきてるよ」
「そうそう、何ていったかなあの娘は。まだ独り身ならぜひ弟の嫁にしてやりたいんだが」
「さすがにあの年頃じゃもう決まった男がいるだろ? さっき一緒にあの宿舎に入っていったぜ。……お、噂をすれば」
きこりが指差した祈りの巫女の宿舎を見たら、ドアからカーヤが出てくるのが見えたの。あたしはちょっと驚いたけど、きこりのみんなにお礼を言って作業場を離れると、カーヤもすぐにあたしに気がついて近寄ってきた。
「ユーナ、お疲れ様。お腹が空いたでしょう? 食事の用意はできてるわ。宿舎に来て」
「ありがとう。……でも、いいの? 中で恋人と過ごしていたんでしょう?」
あたしが気を遣って言うと、カーヤは一瞬だけ意味が判らないみたいに視線を泳がせた。
「なに言ってるのよ。中にいるのはリョウよ。ユーナの祈りが終わるまで引き止めるのたいへんだったんだから」
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カーヤに促されて宿舎の扉を開けると、テーブルの椅子に腰掛けていたリョウが振り返った。立ち上がったリョウはあたしに微笑みかけてくれる。その顔を見ただけで、あたしはなんだか胸がいっぱいになって、カーヤがそのまま出て行ってしまったことにも気がつかないくらいだったの。
「ユーナ……」
リョウが広げた腕に飛び込んで、胸に顔をうずめて、あたしは込み上げてくる涙を抑えることができなくなっていった。優しく抱きしめてくれるリョウの腕に、今まで硬く閉ざしていた感情が溶かされていくみたい。自分でも訳が判らなくなるくらい泣きじゃくった。祈りの巫女の責任も、恥ずかしさも、何もかも忘れてリョウにすがりついていたの。
「マイラ……リョウ、マイラが……」
「ああ、判ってる」
「どうして……? だって、すごく、幸せだったのよ。昨日はあんなに幸せで……」
「ユーナ、……ユーナ!」
リョウはずっとあたしを抱きしめていて、名前を呼びながら背中をなでてくれる。それだけであたしは安心して、まるで子供のように手放しで泣くことができたの。だって、あたしはマイラのために泣きたかったんだもん。ずっと我慢しながら笑ってた。そうしていなかったら、あたしは悲しみに押しつぶされてしまいそうだったから。
今、リョウがここにいなかったら、あたしは泣けなかった。ただのユーナに戻れなかった。リョウ、今だけでいいから傍にいて。この扉を出たら、あたしはまた必ず祈りの巫女に戻るから。
「……リョウ、ごめんなさい」
小さく呟いて顔を上げると、リョウはそっと近づいて、頬の涙にキスをした。
「オレが傍にいるときは我慢しなくていいよ。ここにいるユーナは祈りの巫女じゃない。たった1人、オレが愛する女だ」
リョウの言葉を聞いて、あたしはまた再び涙が込み上げてきていた。
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マイラのためにたくさん泣いた。
あたしがシュウを死なせてしまったせいで、たくさんの悲しみを背負ってしまったマイラのために。
マイラ、あなたは本当にあたしを許してくれていたの?
シュウ、あなたは本当に、あたしを許してくれていたの……?
リョウの胸を涙でぐっしょり濡らして、リョウが貸してくれたハンカチで鼻をかんで、台所で顔を洗ってようやく落ち着いてきた。カーヤが言っていた通りテーブルには朝食の用意がしてあって、あたしの席とリョウの席に一人前ずつ置いてある。お腹は空いているはずだけど、なんだか胸がいっぱいで食べられる気がしなかった。あたしが泣いている間ずっと立ったままだったリョウも、顔を洗って戻るとあたしを椅子に促して自分も椅子に腰掛けていた。
「カーヤが神殿の炊き出しからオレの分も用意してくれたんだ。ユーナも朝食はまだだろう?」
「……炊き出し?」
「ああ。今神殿にはたくさん人が出入りしていて、神官のほとんどは自分の食事を用意する暇もなく働いてるから、巫女が協力していつでも誰でも食べられるように炊き出ししてくれてるんだ。ほら、小屋を作ってるきこりたちにも」
そうか、あたしにはタキが専門についてくれたから、カーヤはあたしの世話をする代わりにそっちの仕事を任されたんだ。
「タキはどうしたかな。さっき村へ行ってくれるように頼んじゃったの」
「自分の食事の世話くらいできないような男は男じゃない。炊き出しはここだけじゃないからどこかで勝手に食べてるだろ。……ユーナ、オレと一緒にいるときは他の男のことは考えるなよ」
リョウはちょっと乱暴にあたしの髪をかき混ぜて、拗ねたみたいに視線を外してしまった。あたし、リョウがすごくかわいく見えて、思わず笑顔が漏れていたの。それで気がついた。たくさんの悲しみがあって、たくさん泣いたけど、リョウがいるだけであたしは笑顔になれるんだ、って。
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「リョウ、タキにやきもちやいてるの?」
どちらともなく食事を始めながら、あたしはリョウに言った。
「悪いか? 独り身の神官なんかユーナに近づけたくない。そいつ、変えられないのか?」
「無理よ。名乗り出てくれたのはタキだけど、決めたのは守護の巫女だもん」
「名乗り出たって……。やっぱりそいつユーナのこと……!」
リョウは本気でそんなことを言っていて、あたしちょっとびっくりしちゃったよ。だって、今は村の非常時で、これから先どんな災厄がくるのかぜんぜん判らないのに、リョウが考えてるのは現状にまったくそぐわないことだったんだもん。
「タキはこんな時にそんなこと考えたりしてないよ。それにタキはあたしの事なんかなんとも思ってないと思うし」
「いや、男の考えることなんか誰だろうが大差ない。ユーナ、誰もいない狭いところでそいつと2人っきりになったりしちゃ、ぜったいダメだからな!」
最近になって判ってきたことなんだけど、リョウはけっこう嫉妬深いみたい。でも、いつもはこんなにはっきり口に出したりしないんだ。なんとなく機嫌が悪くなって、あたしが気付いてどうしてだろうって考えると、そのときの話題がタキや村の男の人のことだったりする。いつもと違うリョウに戸惑って、だからあたし、他のことはもう何にも考えられなかった。村の災厄のことも、マイラのこともぜんぶ忘れて、リョウをなだめるだけになっちゃったんだ。
「あたしとリョウが恋人だって、タキは知ってるもん。2人でいたって何もないよ。ずいぶん前も書庫で過ごしたけど変なことはぜんぜんなかったわ」
「そいつがユーナにだけ親切なのが気に入らない」
「タキは誰にでも親切よ。あたしにだけじゃないもん」
「ユーナがそうだから心配なんじゃないか。おまえはぜんぜん判ってない。これからオレはまたユーナの傍にいられなくなって、そいつがずっと傍にいるようになって、それがどんなに心配なことか」
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リョウの言葉であたしも気付いた。そうか、リョウは村の狩人だから、影の正体を探るためにまた村に降りなければいけないんだ。今別れたら、今度いつ会えるのかなんて判らない。本当は今ごろはもう村へ行ってなければならなくて、でもだからこそカーヤはリョウを引き止めて、あたしとリョウを会わせてくれたんだ。
「リョウ、……これから村へ行くの?」
あたし、もしかしたらちょっと不安な顔をしていたのかな。リョウは我に返ったみたいにあたしの顔を見つめて、微笑んだの。
「マイラを殺した影を探しにね。うまく狩れるかどうかは判らないけど、せめて居場所だけでも判ってないと、村の人たちは安心して眠れないから」
村の安全を守るのも、リョウたち狩人の大切な役目なんだ。普通の獣だったらリョウはぜったい負けたりしないって信じてるけど、家を押しつぶすくらい大きな獣なんて、狩人が何人いても狩れるかどうかなんか判らないよ。
「リョウ、お願いだから無理はしないで」
「正体も判らないうちからそうそう無茶はしないよ。昨日出た影は1匹だけみたいだし、今は村人を襲ったりもしていないようだから、居場所を探して警戒するくらいかな。心配しなくても大丈夫だよ」
リョウはそう言ったけど、あたしは心配で、知らず知らずのうちにリョウの袖を掴んでた。今この手を離したら、リョウと2度と会えない気がして。
「今朝オレは夜明け前に起きたから、村に起こったことをぜんぜん知らなかったんだけど、昨日仕掛けた罠を見て1度戻った時に騒ぎを聞いてね。影の足跡も見てきたよ。ユーナはどんな足跡だったか聞いてる?」
あたしの顔を覗き込んで、微笑みながらリョウは話し始めたの。そんなリョウはちょっとだけ興奮気味で、でも気負いはなくて、まるで日常の狩りの話をしている時みたい。あたしは返事をしなかったのに、リョウは勝手に解釈して続きを始めたの。
「かなり大きな獣なのは間違いないんだ。道の幅くらいの横幅で、遠くから見ると肩幅くらいで2本、引きずったような足跡がずっと続いていて、でも近くで見ると引きずった跡じゃないんだ。細かい足がいくつもあって、同じ間隔でちょこちょこ歩いたみたいに見える」
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「その足跡の1つ1つもけっこう深く掘り込まれてるから、体重はかなり重い獣だ。オレは大きなムカデみたいな生き物を連想したけど、目撃した人の話だとムカデよりずっと背が高くて、身体もムカデほど長くない。すごく大きな唸り声を上げて、通ったあとに変な匂いが残ってたらしいよ。オレが行ったときにはその匂いはなくなってたけどね」
リョウは手振りを交えてそう話してくれたのだけど、あたしにはその足跡すら想像することができなかった。
「今までそんな足跡を村の周りで見たことはなかったんでしょう? その獣はいったいどこから来たの?」
「足跡は西の森から現われて西の森に消えてる。沼のあたりで途切れてるから、最初は沼から出てきたのかと思ったんだ。だけど、それだけ大きな獣が沼から出てきたとしたらあたりが沼の水で濡れるはずなのに、下草は踏み潰されてるけどぜんぜん濡れてないんだ。まるで空中から現われて空中へ消えたみたいに。そんな重い獣が羽を持って空を飛ぶとは思えないから不思議なんだけど」
守護の巫女の話を聞いたときにも思ったけど、今回現われた獣は、あたしたちの常識からものすごくかけ離れた生き物みたい。守護の巫女が影と言ったのも判る気がするよ。本当に、影みたいに現われて、影みたいにいなくなっちゃったんだ。
「リョウ、影は今夜もう1度現われるの。さっき運命の巫女がそう予言したのを聞いたわ」
「オレも聞いたよ。場所は判らないみたいだから、今夜は狩人が村のあちこちに散らばって見張りをすることになってるんだ。影が現われたら村の人を家から遠ざければ、家をつぶされても命を助けることはできるからね」
そう、か。影は人を襲わなかったから、家から離れさえすれば命だけは助かるもの。
リョウが意外に落ち着いて見えるのは、そうやってちゃんと次の手段を考えていたからなんだ。
「それからね、ユーナ。……オレは朝のうちにオキに会ってきたよ」
「父さまに?」
リョウはちょっとだけ言いづらそうに表情を硬くした。
「今夜は約束を守れなさそうだから、そのお詫びにね。……オキは、ユーナのことを頼む、ってオレに言ってた。ユーナには、家のことは心配しないで、村のことを1番に考えなさい、って」
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父さまはちゃんと判ってくれてる。あたしは祈りの巫女だから、村のことをいちばんに考えなければいけないんだって事。あたしの実家は西の森からは少し離れていて、通りからも少し奥まってるから、今回のような災厄ではそれほど危険な場所じゃない。それでもやっぱり心配だもの。もしもあの影が空を飛ぶような生き物だったら、どこに住んでいても危険に違いはないかもしれないんだ。
「……判ったわ。これから父さまに会うことがあったらそう伝えて」
「必ず伝える。……そういえばオミがね、父さんと母さんのことはオレに任せとけ、って。けっこう生意気なこと言ってたよ」
あたし、そう言ったオミの得意そうな顔を想像して、ちょっと吹き出しちゃったよ。
「オミが? あの子頼りになるの?」
「まあ、小さくても男だからな、あいつは。今でも気持ちだけは一人前なんだ。……もっと大人になると判る。そのうちそんなセリフは軽々しく口にできなくなるよ」
オミの話をしながら、リョウは自分のことを言っているのかもしれないって、あたしは思ったの。だけど、あとから思えばそれであたしはごまかされてしまったんだ。このとき、あたしはもっとリョウを追及して、父さまと交わした会話のことをきちんと訊くべきだったって。リョウがあたしに言いづらい何かを隠してるって、あたしはちゃんと感じていたのに。
「ユーナ、食事はもういいの? ちゃんと食べないとこれから先持たないよ」
リョウに言われて、あたしは残っていた食事を何とか詰め込んだ。食事が終わったらリョウはきっと出かけてしまうから、できるだけゆっくり、でもリョウを心配させないようにできるだけ早く。
「リョウは? もう行っちゃうの?」
「ユーナが眠ったらね。カーヤに言われてるんだ。ユーナを寝かしつけるように、って」
「寝かしつける、って。あたし眠くなんかないよ。それに、あたしはもう子供じゃないもん。そんな言い方しないで!」
リョウは笑いながら、でも半ば強引に、あたしをベッドまで引っ張っていってしまったの。
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あたしの宿舎は部屋が3つあって、それぞれの部屋にベッドが合計4つ置いてある。1つはあたしがふだん寝起きしている部屋で、1つはあたしが勉強に使っている部屋。その2つの部屋には1つずつのベッドがあって、カーヤが使っている部屋にだけ2つのベッドが置いてあるんだ。これから先、あたしの世話係の人数が増えたり、若い巫女が修行にきたりしたときには、空いているベッドがいつでも使えるようにしてあるの。今回リョウがあたしを連れてきたのは、勉強部屋にある方のベッドだった。
「どうして? あたしの部屋は隣なのよ」
「ここじゃ眠れない?」
「ううん、そんなことないわ。遅くまで勉強した時はズルしてここで寝ちゃうこともあるから」
「だったらいいだろ? ……オレもね、ユーナの生活空間ていうか、直接そういうところに入るのにはちょっとだけ抵抗があるんだ。まかり間違って変な気を起こさないとも限らない」
なんだか今日のリョウは本当にいつもと違っていて、あたしは驚くと同時に少し嬉しかった。今が非常事態だからなのかな。リョウは少しだけ興奮していて、だから無意識のうちにふだんと違う行動を取ってるのかもしれない。
いつもよりも素直なリョウは嬉しくて、ちょっとかわいくて、だからリョウの言う通りあたしはベッドにもぐりこんでいた。
「ねえ、リョウ。あたしが眠れなかったら、リョウはずっとここにいてくれるの?」
リョウはあたしの勉強机から椅子を引いてきて、枕もとに座ってあたしの顔を覗き込んでいる。リョウの表情は優しくて、でも少しだけ戸惑っているようにも見えた。
「ずっと一緒にいたいけどね。でも、約束してるから行くよ。ごめんね、ユーナ」
「ううん、リョウは悪くない。リョウのことをみんな頼りにしてるんだもん。あたしが独り占めしちゃいけないんだ」
「ユーナ、目を閉じて」
あたしが言われたとおりに目を閉じると、リョウはそっと近づいてきて、まぶたにキスをした。それから頬に触れて、そっと、唇にキス。リョウの息が近すぎて、ちょっとドキドキして、あたしは上手に呼吸することができなかった。
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「ユーナ、……オレのユーナ」
耳元、すごく小さな声でリョウはささやいている。優しくて、気持ちよくて、なんだか眠くなってくるみたい。そういえばあたし、昨日はほとんど寝てなかったんだ。自分の名前はすごく耳に心地よくて、それだけで子守唄を聞いているような気分になるの。
「ユーナ、オレがいなくても、他の男と浮気するんじゃないぞ」
そんなことしないもん。声を出して返事をしようと思ったけど、なんだかうまく伝わる気がしなくて、あたしはわずかにうなずくことで答えた。
「どうしてかな。何回約束してもらっても安心できない。オレはいつも不安で、ユーナがどこかへ行っちまいそうで怖いんだ。ユーナに会うたびに怖くなる。嫌われてないか、もうオレのこと好きじゃなくなってるんじゃないかって」
リョウ、どうしたの? 今日のリョウは本当に変だよ。なにをそんなに不安に思っているの? あたし、リョウを不安にさせるようなこと、今まで1度もしたつもりないのに。
目を開けて、あたしに覆い被さるように頬を寄せていたリョウを、あたしは両手で抱きしめた。
「リョウ、大好き……」
リョウはちょっと驚いた感じで身じろぎした。まるでこの一瞬、あたしがここにいるってことをリョウは忘れていたみたい。
「あたし今までたくさんリョウにそう言ったもん。でも、今のリョウがいちばん大好き。離れていて不安になったら思い出して。あたしが今までリョウに言ったたくさんの大好きと、今の大好きのこと。……あたしも思い出すから。リョウがくれたたくさんのキスと、こうして抱きしめてくれた腕のこと」
言葉の途中から、リョウはあたしを抱きしめて、首筋に顔をうずめていた。リョウが不安に思っていることをぜんぶ受け止められたらいい。きっとリョウにはたくさんの不安があって、あたしに見せてくれるのはそのうちのほんの一握りにしか過ぎないと思うから。
これからずっと、リョウのことを抱きしめてあげたい。怖いことなんかなにもないよ、って。
リョウがかわいくて、愛しくて、まるで大きな子供を持った母親のように、あたしはリョウを抱きしめていた。
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少しだけ眠って、目が覚めた時、あたしは祈りの巫女に戻っていた。勉強部屋の窓から差し込む光の角度で、既に午後になっていることが判る。1度自分の部屋に戻って髪を直して、リョウからもらった髪飾りをつける。そう、リョウはいつでもここにいるんだ。あたしの髪をなでて、ユーナ頑張れ、って言ってくれるの。
宿舎の扉を出て、見知った顔を探しながら神殿前広場にくる。お昼寝の前に見たときには土台しかできてなかった小屋は、あたしが眠っていたわずかな間にほとんど完成したんじゃないかってくらい出来上がっていたの。この分だと今日中に1つは完成しそう。きこりのみんなは、家を失った人たちができるだけ早く快適に過ごせるように、すごく頑張ってくれているんだ。
あたしはタキを探しに神官の共同宿舎へ行くと、扉の前でちょうど出てくるところだった神官と行きあった。
「あ、祈りの巫女、目が覚めたの?」
「ええ。タキを探しているの」
「タキはまだ戻ってないけど、ライが運ばれてきてるよ。中にいるからよかったら会っておいで。オレはこれから薬草を取りに行かなきゃならないから、一緒に行ってあげられないけど」
ライがここにきてるんだ。あたしは神官にお礼を言って、開けてくれた扉から中に入った。宿舎の中は少しざわついていて、食堂で薬の調合をしていた神官のリドにライの居場所を聞いて、あたしは廊下を中へと進んでいく。行ってみたら場所を聞くまでもなかった。その部屋はドアが開いたままで、中からは神官たちの声と、ライの小さな泣き声が聞こえていたから。
「 ―― 痛いよなぁ、ライ。だけどもうちょっとで終わるからなー。あと少しだけ我慢しろよ。男の子だろう?」
中には3人の神官がいて、そのうちの1人がライを励ましながら治療をしていたみたいだった。入口近くにいた神官があたしに気付いて会釈してくれる。治療が終わるまでは邪魔をしないように、あたしはうしろから静かに見守っていたの。
やがて、治療をしていた神官が立ち上がって、それを合図に入口にいた神官が近づいていって、あたしのことを知らせてくれたみたい。振り返った神官はあたしに微笑んで、ハンカチで手を拭きながら近づいてきた。
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