永遠の一瞬
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作戦会議の後、オレにとっての朝食、2人にとっての遅めの昼食を、ホテルのレストランで摂ることにして部屋を出た。ここもシーラが選んだホテルなだけあって、全般的に食事がおいしい。その他の娯楽施設なんかはあんまりないんだけどね。シーラはそれが物足りなかったらしいな。次の潜入場所にシーラが選んだのは、そういう施設がわりに充実したホテルばっかりだった。
4人がけの丸テーブルに腰掛けて、てきとうに注文を済ませて顔を上げると、タケシがオレの顔を見てニヤニヤしていた。
「なによ」
「いや……シーラの張り手もかなりの威力だな」
どうやらオレの顔はそうとう腫れてるらしいな。今日は誰に顔を見られるわけでもないから、多少変形してたとしても構わないんだけど。
「そのうち1度体験してみろよ、半端じゃなく痛いんだからな」
「オレはお前ほど女心に冷淡じゃねえよ」
「なんだよ2人とも。あたしだってサブロウがあんな事しなかったら怒ったりしないんだからね」
あんなこと、って、オレは実質何もやってないんだけどね。
だけどシーラにとっては何もしなかったことの方が気に入らないみたいだ。ったく、面倒っていうか、手間がかかるっていうか。
女として扱ってもらいたいならもう少し大人になればいいじゃないよ。……とはいっても、シーラが大人になる方が、オレは困ったりするんだけどね。
シーラにはいつまでも子供のままでいて欲しいって、オレは思ってる。大人になんかならないで欲しい。恋も何も知らないまま、いつまでもオレの傍にいて欲しい。その方がどれだけ楽だっただろう。
「そういや、シーラはおねしょがなかなか直らなかったよな。何歳まで一緒に謝りに行ってたっけ」
オレが言うと、シーラは真っ赤な顔をして無言でオレを殴った。さすがに顔面平手は目立つから、拳固で頭と肩を数発ずつ。
フォローのつもりか、タケシが言った。
「シーラ、お前は知らねえだろうけどな、サブロウは最近1回やってんだ。だから最高年齢はサブロウの方が上だぜ。安心しな」
おいおいタケシ! あんまりオレのメンツ潰すようなこと、気軽にシーラに話すなよ。確かこのことはシーラに内緒の約束だったはずだぜ。
「そうなの? だったらぜんぜんあたしのこと言えないじゃない。ずるいよ」
「そのくらいサブロウが抱えてる精神的重圧はすごいんだ。……大人に扱ってもらいてえんなら少しは察してやれ。お前が見てるサブロウがすべてじゃねえんだ」
そのタケシのフォローにはどうコメントしていいか判らなくて、オレは何も言うことができなかった。
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4歳の頃に見たそのデータがオレを変えた。今でもすべて覚えている。あの頃判らなかったデータの意味は、成長していく過程で少しずつ理解していった。あの頃に戻りたいなんてオレは思ってない。あのデータに出会わなかったら、オレはシーラとチームを組むこともなかっただろう。
今の時間を守るためなら何でもできると思った。
「サブロウ……今の話ほんとう?」
「……タケシ、約束は守れよ」
「シーラを下着にしたお前が悪い」
なに根に持ってんだよタケシ。お前、暗いぞ。
「本当なの? ちゃんと答えてよ、サブロウ」
……まあ、振ったのはオレなんだけど、なんで今ここで寝小便の話なんかしなけりゃならないのかね。
とは思ったけど、どうにもシーラがあきらめる気配がないから、仕方なくオレは答えていた。
「まあね、オレも生きてるし、そういうこともあるでしょ。 ―― 判ったらこの話はおしまい! 飯を食え!」
たぶんオレは何かが足りないのだと思う。シーラを怒らせたり、タケシを口ごもらせたり、そういうシチュエーションが通じなくなる瞬間を恐れてる。生きることに真面目に取り組んだらオレの何かが崩れる。本心を見せたら最後、すべてを話してしまう気がする。
ほんと、タケシがシーラに告白して、シーラを夢中にさせてくれたら、なにもかもよくなるのに。
だけどタケシにオレの気持ちを察して欲しいと思うのもオレのわがままだな。何も話さないですべてを判って欲しいなんて、虫が良すぎるって。
シーラと目を合わせるのが怖くて、ずっと下を向いて食べることに集中してた。そうして、あらかた食事が片付いたところで、オレは言った。
「タケシ、部屋にグラスあった?」
「ああ、何かあっただろ。……今日は早いな」
「場所が遠いからね、早い方がいいと思って。酔っ払い運転はして欲しくないし」
「到着まではオレに任せろ。お前は車の中で少し寝ておけ。……今日は少し変だぜ」
判ってる。オレは今日は変だし、その理由も知ってる。本部がどんな手を使うのか、まだ見えない。
いずれ訪れる、この時間が終わる瞬間を待つ恐怖に、オレはいつまで耐えることができるだろうか。
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怖いと思うことはたくさんある。オレはずっと狙われ続けているから、仕事をすることそのものもすごく怖かったし、極端な話、部屋の外に出ることすら怖いことがある。食べるのも寝るのも、生きていること自体が怖かった。だからいつも考えないようにしてる。感受性のレベルが恐怖を敏感に感じるあたりまで落ちないように、気楽にいいかげんに過ごすようにしてた。
タケシがシーラを捕まえてくれたら、少なくともシーラの視線への恐怖はなくなるんだ。もしもほんとにそうなったらオレはたぶん淋しいだろうけど、そんな淋しさよりも安心感の方がはるかに大きい。タケシにはそのへんが判らないんだろう。たぶん思ってもみないんだろうな。オレやシーラの気持ちに遠慮してるその優しさが、オレ自身の恐怖をあおってるだなんて。
それとも、もしかしたらタケシも同じなのか……?
「 ―― サブロウ、なに考えてんだ」
部屋に戻ってきて、ベッドの上で考え事をしてたオレの目の前で、手をヒラヒラ振りながらタケシが言った。見るとシーラが既にテーブルにグラスとシャンパンを用意してる。そうだな、考えてる場合じゃないか。少なくとも狙われてるのはオレだけで、組織はまだシーラとタケシを必要としているんだ。
だからオレ以外に危害が及ぶような作戦は取らない。シャンパンに毒を入れるとか、ワゴン車に爆弾を仕掛けるとか。たぶん、失敗するのも覚悟でオレだけを狙ってくる。タケシやシーラを教育する前の幼い頃みたいに、全員いっぺんに片付けるようなことはしないはずだ。
「ちょっとね、イメージトレーニング」
「あの作戦に何か不安があるのか?」
「作戦に文句はないよ。前のときもうまくやったしね。……それじゃ、始めよっか」
そう言ってベッドから降りて、オレはグラスを取った。
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タケシとシーラもそれぞれグラスを取り上げた。目の高さに掲げる。
「目標は川田ビル4F、プラズプランニング社のコンピュータ内にある機密文書。 ―― タケシ、オレが死んだらシーラを頼むね」
スターシップのメンバーは、死んでも何も残らない。だから心を残すことだけが許されていた。これはオレたちが心を残すための儀式だ。タケシがうなずいたのを確認して、オレはシーラに向き合う。
「シーラ、オレが死んだら遺灰はエーゲ海の海岸に ―― 」
「行ける訳ないでしょ! んもうっ! たまには真面目になれ!」
ハイハイ、すみませんでした。
「次、タケシ」
「ああ。……サブロウ、シーラのことをちゃんと見てやれ」
タケシの科白はいつもこんな感じだ。
「いつでもちゃんと見てるよ。……お前に言われなくてもね」
「シーラ、オレが死んだらオレのことは忘れろ」
「……忘れる訳ないだろ。……なんでいつも2人ともあたしが出来ないことばっかり言うんだよ……」
そうかもしれないね、シーラ。だけど、それがオレたちの願いなんだ。君には世界で一番幸せになってほしい。死んだ人間になんか囚われないで、笑顔でいて欲しいんだ。
「シーラ」
「あのね、あたしたちはぜったいに死なない。サブロウも、タケシも、あたしも、誰も死なないで戻ってくるの。だから遺言なんかしない。2人とも、死んだら許さないかんね!」
そうだな、オレが死んだら、あの世でシーラに殺されかねない。
シーラの言葉もいつもと同じなのだけど、その言葉は今のオレにはすごく心強く響いた。
「だそうだ。 ―― それじゃ、作戦成功を祈って、乾杯」
2人は唱和して、オレたちはシャンパンを飲み干した。
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深酒にならない程度にシャンパンで宴会をして、たわいない会話でリラックスできるようにした。そのあと、オレはワゴン車の鍵を受け取って、2人を置いて部屋を出る。目的は機材の確認だ。だけど、本部が用意した車に変な仕掛けがないかどうか、そのチェックの方が重要だった。
必要ないとは思ったけど、一応外見もひと通り確認した。そのあと運転席のドアを開けて、内側から他のドアに仕掛けがないかどうかチェック。念のため全部開けてみてドアの内部もチェック。ドアを閉めてから、本命の盗聴器のチェックを始めた。
盗み聞きってのは、たとえそれが盗聴器越しだろうがなんだろうが、感覚でなんとなく判るもんだ。ドアのチェックを始めたあたりからチクチク人の気配を感じてたから、オレは直感を頼りに盗聴器を探した。これにかなり時間をかける羽目になった。信じられないことに、オレが見つけられただけで15個もあったんだ。
シガレットプラグや方向指示器の中にあるのなんかは取り外したら走行にも影響が出るし、そもそもオレは取り外す気はなかったから結局そのまま置いておくしかないんだけど、車の中のほとんどを網羅したこいつらはまるで走る盗聴器だ。車ってのはよっぽど仕掛けのしやすい代物らしい。これ、ぜったいタケシも気付いてるぞ。下手したらシーラだって気付いてる。いったいどういうつもりでこういう事をやってるんだ本部の連中は。
―― オレだけじゃないのか? 奴ら、タケシやシーラも始末するように、方針を買えたのか?
オレは機材のチェックを大急ぎで終えて、部屋に戻った。
「ただいま、タケシ」
部屋の中ではタケシが荷物を片付けていた。このホテルに滞在するのは今日までだ。おそらくシーラも自分の部屋で荷物を片付けてるんだろう。
「ああ」
「なんだよあれは。オレはあんなモン持ってこいなんて書かなかったぜ」
「オレに怒るんじゃねえよ。……たぶん、お前が本部を信頼してるのと同じくらい、本部もお前を信頼してるんだろうぜ」
「……なるほどね。確かに計算は合うか」
2、3個なら何とでもできた。偽の情報を流して撹乱させるくらいのことは。だけど15個もあったらタケシと必要な情報交換すら出来ない。……いや、そうでもない、か。
「どうする。レンタカーでも借りるか?」
「それも考えたけどね、でも、いいよ。今回はこれでいこ。そうとう胸糞悪いけど作戦に支障はないし」
そうなんだ。敵が本部である以上、作戦に支障が出るような方法はとらない。それさえ抑えれば奴らがなにを狙ってるのかが判る。シーラとタケシは盗難品の運搬に必要だ。だから奴らの狙い目は、オレがビルから脱出して車に乗り移るまでと、車を降りてホテルに入るまでの2ヶ所に限られる。
「サブロウ、……たぶんシーラも気付いてたぜ」
どうやら、無事に仕事を済ませたとしても、オレにはまたシーラとの対決が待ってるらしい。
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オレは着替えをして、今日使う衣装を用意したあと、タケシと一緒に荷物の整理をした。タケシの車は本部に置いてきてるから、荷物は今日のうちにオレの車に運び込んでおく。それだけの作業を終えると、時刻は6時を回った。
「ちょっと早いけど出ようか」
「ああ、そうだな。シーラを呼んでくる」
夕食は途中で時間を見計らって摂ることにしてたから、タケシは何も言わずにシーラを呼びに部屋を出て行った。今日は土曜日だから、道路の状況も普段とは違うだろう。でもまあ、決行の時刻はあくまで目安で、多少前後したとしても構わないんだけどね。あんまり遅れるとセキュリティ会社に疑われるけど。
タケシに連れられて部屋に入ってきたシーラを見て、オレは一瞬息をのんだ。
「……何度見ても馴れないな。シーラ、君はほんとに、世界一の絶世の美女だ」
今日のシーラはばっちり化粧をして、着ているものも割に身体の線がはっきり出たいいセンスのパンツ姿だったから、いつものシーラとはまるっきり別人みたいだった。タケシの方も割におしゃれに決めてるから、2人並ぶとほとんど美女と野獣だ。……って、別にタケシをバカにしてる訳じゃないぜ。タケシくらい個性が強くなかったら、今のシーラと並んだらぜったい霞んじまうだろう。
「そーお? でもいまいち髪が決まってなくない?」
「完璧じゃない部分がひとつもなかったらかえって変だよ。 ―― うん、これなら大丈夫。目立ちまくること間違いなし」
「よかった」
かくいうオレはそれほど個性的でない、平凡な平服を着てたりする。だからシーラとタケシの傍にいると霞みまくってる訳だ。この服装は現場到着までのもので、だからシーラの美女振りを見られるのもそれまで。もったいないといえばそうなんだよね。
シーラの荷物を持って駐車場まで行って、車に荷物を運び込んだあと、オレたちは例の盗聴ワンボックスに乗り込んだ。運転席はタケシで、助手席がシーラ。オレは濃い色のスモークのかかった後部座席でのんびりさせてもらう。盗聴器があると思うとそれほど神経は休まらないだろうけど。
「少し眠れよ」
タケシが振り返って言ったから、オレはわざわざ助手席に乗り出して、シーラの耳元で言った。
「そこの美人のお姉さん、オレがゆっくり眠れるように、添い寝でもしてくれませんか?」
真っ赤になったシーラに思いっきり殴られて、オレは昏倒した。
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「 ―― サブロウ、起きてるか」
声をかけられて目をあけると、あたりは既に真っ暗で、ワゴン車は駐車場に止まっていた。
「ああ、……今起きた」
「先に入ってるぞ」
「OK」
タケシとシーラが車を降りて、腕を組んで店に向かって歩いていくのが見えた。場所は国道沿いのイタリアンレストランだ。車は店からは直接見えない駐車場の1番隅の方に停めてある。
それから15分くらい待って、オレは車を降りた。レストランの中に入ると、時間がずれてるせいかそれほど客は多くなかったのだけど、その数少ない客たちの視線はほとんど窓際のテーブルに座るタケシとシーラに注がれてた。
ウェイトレスですらオレが入ってきたことに気付かないくらいだ。これだけ2人が目立ってくれれば、オレがこの店に来たことなんか誰も覚えてないだろう。
大急ぎで食事をして、2人より先に店を後にする。車に戻ってしばらく待つと、2人が食事を終えて戻ってきていた。運転席にタケシ、助手席にシーラ。すぐに車を発進させて、暗闇の国道を走り出す。と、シーラが座席を倒して、そのエレガントな服装にはまるでそぐわない仕草で後部座席に乗り込んできた。
「サブロウ、先に着替えさせてくれる? なんか肩こっちゃって」
「なんでよ。もったいないじゃん、絶世の美女なのにさ」
「だったら今度からサブロウが女装しなよ。その方がぜったい目立つよ」
ハハハ、確かにね。今のオレが女装するとどう見てもオカマにしか見えないから、タケシと並んだら目立つこと間違いないだろうね。
これでも身長が伸びる前ならけっこう美人だったんだけどな。変装の単位を取るためには女装も必要だったから、一応ひと通りのことはやった覚えがある。タケシの女装はちょっと許せないものがあったけど。
シーラに場所を譲って助手席に移動してしばらく。服装を変え、化粧を落とし、別の化粧を施したシーラはまた別人と化していた。含み綿で顔の輪郭も変わってるから、もう18歳の女には見えない。20歳台くらいの平凡な男に変わっていた。
「タケシ、今どのへん?」
声も少し男っぽく作ってる。暗闇の中でなら、よっぽど何時間も接していないことには、シーラを女だと見破ることはできないだろう。
「あと20分くらいだろう」
「先にオレが着替えとくよ。シーラ、交代して」
再びオレは後部座席に移動して、今度は目立たない作業着に着替える。オレの作業着は平凡な会社員風の黒の背広だ。そのあと運転をシーラに交代して、タケシが配電工風の服装に着替えた。
国道から交差点を曲がって、徐々に川田ビルに近づいてゆく。いよいよだ。
もう1度装備を確認して、オレは気持ちを引き締めた。
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シーラが車のスピードを落として、やがて静かに停車した。助手席からタケシがほとんど音を立てずに滑り出してゆく。再び走り出し、2回角を曲がって、表通りで停車。その間に助手席に移動していたオレは、誰にも見られていないことを確認したあと、素早くビルの玄関前に立った。
昨日作っておいた合鍵で硝子扉を開け、防犯装置が働いていないことを確認して中へ。入口の温度センサーは気にしないで通過。背広の内側につけてある小型マイクに声を入れた。
「シーラ、聞こえるか?」
間もなく、シーラからの反応があった。
『聞こえるよ』
「待機場所は予定通りか?」
『変わってない。安心して』
「了解」
たぶんシーラも判ってるんだな。盗聴器をはばかってか、余計なことは一切言わなかった。
「タケシ、首尾は」
『機材の設置は終わった。こっちは任せろ』
「了解。頼りにしてるよ」
そんな会話を交わしながらまずは2階への階段を上がった。上がり切ったところにも温度センサーがついている。それも通過して、階段からフロアへの扉の鍵を開ける。ここまで行くとセキュリティ会社に自動的に通報がいくことになってるんだ。
思った通り、通路から壁を隔てた会社の電話が鳴り響いた。オレはその会社に入る鍵は持ってない。しばらく通路で待ってると、4回ほど鳴ったところで電話が取られたのかベルの音が消えた。
この電話を取ったのはタケシだ。タケシはこのビルの配電室に潜入して、電話回線をすべて手持ちの機械に繋げてるんだ。
タケシが電話を終えた頃を見計らって、オレは通路からの窓ガラスを開け、ビルの外へ顔を出した。
そこはビルとビルの間で、隣のビルとの隙間は僅か50センチほどしかない。そんなところに窓があるのも変だけど、たぶんこのビルが建った頃は隣はビルじゃなかったんだな。今回のシーラの狙い目が、実はここなんだ。下から這い上がるのはオレには無理だけど、ここからなら水道管が通ってるから、隣のビルとの隙間に身体を寄せて4階まで伝うことが出来るんだ。
オレは水道管に命綱を絡ませて、少しずつ上っていった。2階分の落差は約6メートル。とりあえず鍛えてはいるけどタケシほどじゃないからな。体重に機材の重さがプラスされてることもあって、辿り着くまでにかなり体力を消耗することになった。
4階通路の窓は、オレの催眠術が成功した証か鍵はかかってない。身体を滑り込ませて、いよいよ目的のプラズプランニング社に入った。
目的のコンピュータの電源を入れて、僅かな明かりを頼りに、オレは持ってきた機材を繋ぎ始めた。
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ここまでは完璧だ。すべてが予定通りに運んでたし、本部が動く気配もない。仕事自体は簡単な方で、機材の接続作業に3分、ファイルのダウンロードに約5分、片付けて脱出するのに3分、侵入からだと合計15分程度で完了する。この程度の仕事なら過去にいくらでも成功させてきた。オレたちはそれほど優秀じゃないし、年齢的にも熟練というほどのスターシップじゃないから、本部もややこしい仕事は回してこないんだ。本部が1番恐れてるのは、仕事に失敗して逮捕されたメンバーから組織の全貌が漏れることだったから。
オレが運んできた機械にはすでにコンピュータのパスワードが記録されてて、接続さえ誤らなければ自動的にダウンロードを始めてくれる。オレは機械の表示を確認して、作業が順調に進んでることを知った。記録が完了すればあとはこの機械を本部に持ち帰るだけだ。解析その他は本部が勝手にやってくれる。
やがて機械が止まって、オレは接続を外す作業にかかった。それもすぐに終わって、きた道を脱出する。ドアに鍵をかけ、窓を開けて水道管に取り付く。その時だった。突然右腕に痛みを感じたオレは水道管から手を離してしまったのだ。
落ちてゆくのは一瞬だったはずなのに、ずいぶん長く感じた。すぐに腰の部分が引かれてぶら下がる格好になる。命綱がなければ地面に叩きつけられて命はなかったかもしれない。だけどそれどころじゃなかった。右腕から全身に渡ってすさまじい激痛にみまわれたから。
「っくっ……そぉ……」
落ちたせいで間近になった2階の窓に滑り込んで命綱を外した。廊下に寝転がるようにして腕を見る。突き刺さっていたのはボウガンの矢だった。たぶん毒が塗ってある。そうじゃなければたかがボウガンがこんなに痛いはずはない。
「……タケシ……」
異変に気付いたのだろう。タケシからのいらえはすぐにあった。
『どうした、サブロウ、しっかりしろ!』
「……撤収……何分だ……」
『撤収だな! 1分で完了する』
「窓の……下……」
『判った! 待ってろ、すぐに行く!』
タケシを待っている間、オレは落ちた血液を衣服でぬぐった。こんなところに証拠を残す訳にはいかない。身体は既にかなり熱を持ってるらしくて、ドクドクと早い鼓動に震えてる。痛みに気を失いそうだ。だけど今は矢を抜く訳にもいかない。タケシ、早くきてくれ。
『サブロウ! どこにいる!』
声はマイクに入った。タケシはたぶん窓の下にいる。確かめもしないでオレは窓枠を乗り越えた。
―― どさ……。
さすがに窓を閉めることは出来なかった。
タケシはオレを肩に背負って引きずるように歩き始めた。何も訊かない。黙ってオレを受け止め、シーラに指示を与えながら車までの道のりを急いだ。オレは気が気じゃなかった。狙撃手がオレにとどめを刺すために再びボウガンを発射して、それがタケシに当たるかもしれなかったから。
だけどその心配は単なる杞憂に終わって、タケシがオレを後部座席に運び込んだあと、ワゴン車は発進していた。
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「 ―― サブロウ、サブロウ、なんでサブロウが……」
シーラはほとんど泣きべそをかきながらハンドルを握る。タケシは素早くオレの袖を破り、肩を縛ったあとボウガンの矢を抜いた。オレの全身に激痛が走って血液が噴き出す。少しは毒が流れてくれるといいんだけど。
あんまり長い時間正気を保っていられる自信はなかった。本部はオレの脱出経路を予測してか、あの50センチのビルの隙間からボウガンで狙ってきた。銃にしなかったのは即死させたくなかったからだろう。奴らの思惑通り、オレはタケシに連絡して現場を脱出することに成功した。
「シーラ、運転を代わるからサブロウを手当てしてやれ!」
今のシーラの運転はかなり危険だ。タケシはそれに耐えられなくなったんだろう。走りながらタケシが運転席に移って、シーラが後部座席にやってきた。
「サブロウ! しっかりして! すぐに手当てするから!」
男の化粧をしたシーラの顔は涙でぐちゃぐちゃだ。それでも手早く救急箱を用意して、オレの腕に消毒液をかけてくれる。毒の傷みで既に飽和状態のオレには消毒液の痛みなんて微々たるものだ。そろそろヤバイかもな。一般人よりも多少毒への抵抗力はあるつもりだけど、ボウガンの毒は間違いなく致死量を越えてるはずだ。
考えろ。本部はここまでやったんだ。だったら間違いなく次がある。確実にオレを殺せる手を打ってくる。そのチャンスはホテルの駐車場から中に入るまでの僅かな区間だ。潜入先のホテルを悟られたらオレの命は終わる。
「サブロウ、サブロウ」
シーラが泣きながらオレの胸をゆする。大丈夫だシーラ。オレはまだ生きてるよ。
「シーラ。予約したホテルはどこだ!」
タケシの言葉にためらいながらもシーラは答えた。
「えーとね! サングロリア、ウォーターハット、菊姫荘、新月、と、センチュリー!」
センチュリー?
「判った!」
タケシが目的地を定めたようにスピードを上げた。タケシが決めたホテルがどこなのかは判らない。だけど目的地はセンチュリーだ。シーラが選んだセンチュリーは、ルートセンチュリーじゃない。センチュリーヴィラの方だ。
オレは目を見開いてシーラを見た。そして、何とか笑って見せる。かなり歪んではいたけど、笑ったことは伝わっただろう。残った左手で唇に手を当て、シーラを黙らせたあと、腕を伸ばしてバックミラーの前に指文字を作った。
気付いてくれ、タケシ。オレが生き延びられるとしたらここしかないんだ。シーラが選んだ遊び心いっぱいのホテル。奴らの裏をかけるのは、シーラの気まぐれだけなんだ。
その先、どうなったのか、オレは知らない。
毒にむしばまれたオレの身体は、意識を保つことが出来なくなっていた。
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