永遠の一瞬
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「シーラの奴、サブロウによっかかって寝てるのか。おい、シーラ、起きろ!」
「ああ、起こさなくていいよ。たぶん生理が近いから体調悪いんだ。寝かせといてやって」
タケシの中にはチーム内の序列みたいなものがしっかりとあって、どうやらシーラはリーダーのオレよりもかなり下に位置しているらしい。だから3人でいるときには何があってもまずオレを優先させる。シーラが見ているときはオレに対しては絶対服従だし、オレに迷惑をかけるようなことをするとまず徹底してシーラを怒る訳だ。
そういう姿勢はなかなか立派だと思うし、オレ以外の人間がリーダーならもう少しやりやすいんだろうけど、何しろリーダーがずぼらでいいかげんだからね。中間管理職ばりのタケシも大変だろうと思う。
「……お前、よくそんなこと判るな」
「シーラはね。近くなると狂暴で泣き虫になるからすぐ判る。……どれ、時間も遅いし部屋に戻って寝た方がいいだろ」
そう言って、オレはとなりのシーラを抱き上げた。中身は子供でも抱き上げればかなり重い。って、別に太ってるわけじゃないんだろうけどね。軽々と、とはいかない。
「重いだろ。オレが運んでやる」
「もう遅いよ。それよりドア開けて。早くしないと落っことしそうだ」
あわててタケシが開けてくれたドアを通って、オレは隣の部屋までシーラを抱きかかえて運んでいった。タケシは部屋の明かりをつけたところで戻ってしまったから、そのままベッドに横たえて、途方にくれる。まさかこのままって訳にいかないよな。Gパンのままじゃ寝苦しいだろうし、だいたいシーラは寝るときブラを付けてるのか外すのか。部屋が違うからそういう細かいことまで知らないんだよな。
しょうがないから、靴下とGパンだけ脱がせて、ブラはホックを外すだけにして、その上から布団をかけたあと、オレは部屋に戻った。
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部屋ではタケシが既に着替えを済ませていて、テーブルに資料を広げて情報をメモしていた。立て続けに何本か吸ったらしく、視界が白く曇ってて、タケシが煙を吐く勢いに空気清浄機が追いついてない。何か嫌なことでもあったのかもな。タケシはそういうのをめったに表に見せないから、実際タケシがどういう調査をして情報を仕入れてくるのか、オレにもよく判らないようなところがある。
「それ、明日シーラと一緒にもらってきて」
タケシがたまたまリストを手にしていたから、オレはそう声をかけた。タケシはまじまじと見つめ、少しおかしな顔をする。言いたい事は判る。オレが作ったリストは、機材があまりにも多いし、それをすべて使って侵入するような経路は非効率極まりないだろうから。
「お前にはこれだけの数が必要なのか?」
「まあ、そういうことかな」
「……そんなに本部は信用できねえか、サブロウ」
ああ、そうか。タケシが本部のスパイで、オレの行動を監視してる可能性だって、ゼロじゃないんだ。そんなあたりまえのことに初めて気付いた。だからってタケシを疑ったりしないけどね。タケシを信頼できなくなるくらいなら、ひとおもいに殺された方がマシだ。
「答えに困ることを平然とよく言うね、お前も。だけどまあ、信頼度が100パーセントかって言われたら違うとしか答えられないし、だからって0パーセントでもないよ。タケシだってそうだろ?」
「少なくともお前は、侵入経路を悟られたくねえってくらいには本部を疑ってるってことか」
「もう1枚のシーラが作った方のリストも見といてくれる? たぶん実際に使うのはこっちの機材だけになると思うから」
オレが言うと、タケシはそれ以上、この件については触れなかった。
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翌朝、オレは襟元を掴まれて強引に引き上げられる衝撃で、唐突に目を覚ました。
「てめえが悪い! サブロウ、シーラに謝れ!」
「いいよタケシ! サブロウとケンカしないで!」
「お前は黙ってろ」
目を見開くと、久しぶりに見る激怒したタケシの顔があった。まだ頭が現実についていってないらしい。いきなりタケシが怒り出す理由がよく判らなかった。
「サブロウ、昨日シーラに何をした」
……オレ、何かしたか? 昨日の行動を思い返してみるけど、シーラと食事をしたくらいで、タケシに怒られそうなことはやった覚えはないんだけど。強姦しようかと思っただけでやらなかったはずだし。
いまいち夢と現実との距離感がつかめなかったから、余計なことは言わないように、オレは黙ったままでいた。
「タケシ、もういいから。……たぶんサブロウにはたいしたことじゃなかったんだよ。それならあたし、気にしないから」
オレの襟を掴んだタケシの拳がぶるぶると震えてる。今にも殴りかかってきそうな感じだ。そんなタケシにぶら下がるように必死に抑えてるシーラの姿も見える。オレは両手を降参の形に上げた。
「……殴るなよ。顔に傷でも作ったらあけみさんに嫌われちまう」
「てめ……! シーラを泣かせておきながらぬけぬけと……」
「オレが何したってのよ。まずそこから説明してくれないかな」
さすがに今オレを殴っちゃまずいってくらいの理性はあるらしくて、タケシは胸元を掴んだ片手を引いて、オレをベッドから引きずり落とした。
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とっさに受け身を取ったのだけど、それはほとんど無駄に終わった。タケシは自分でも体重をかけてオレを床に押し付けたから、オレは自分の体重とタケシの体重と、2倍の衝撃を背中に受けることになったんだ。息が詰まった。ほんと、こんなにタケシを怒らせたのは久しぶりだ。
「昨日、部屋でシーラの服を脱がせたんだってな」
……あ、なるほど。タケシが怒ってる理由がなんとなく判ったわ。
「脱がせたのはGパンと靴下だけだぜ。その下は触ってねえよ」
「それだけじゃねえだろ」
「ブラのこと? 寝苦しくないように背中のホックを外しただけじゃねえ。全部外した方がよかったのか? それなら次は覚えといてそうしてやるよ」
そのとき、オレの言葉に傷ついたらしいシーラが部屋を駆け出していくのが見えた。タケシは勢いよく振り返って心配そうに見送ってる。シーラは自分の部屋に帰ったらしく、隣の部屋のドアが閉まる音が聞こえた。
「タケシ、チャンスだぞ。今行ってシーラに告白して来い。あの様子なら成功の確率はかなり高いはずだぜ」
「てめえは……シーラがなんで傷ついたのか、判ってねえのか!」
「スネもワキも処理してあったし、別にシーラが傷つくようなものは見てないけどね。あ、そういやあの傷がまだ残ってたぜ、自転車練習してたとき転んで小石が突き刺さったひざっこ」
タケシはだいぶ落ち着いてきたらしくて、オレの言葉にため息を1つついた。必死で自分を抑えたんだろう。そういう意志の強さがオレがタケシを尊敬している理由のひとつだ。
「てめえのそういう態度がシーラを傷つけてんだろうが。……サブロウ、お前、シーラのことどう思ってる」
「どうって、別に嫌っちゃいないよ。好きだし、かわいいと思うし、ぜひ幸せになって欲しいと思うね」
「だったら女として見てやれ。シーラはもう子供じゃねえんだ」
「なんでオレにそういうことさせようとするの。そんなにシーラをかわいそうだと思うんだったら、お前がさっさとその想いを告白すれば、それで済むことだろ? シーラを好きなら幸せにしてやれよ。……他の男の事なんか、お前が忘れさせろよ」
オレの言葉をどう受け取ったのかは知らないけど、タケシはオレを押さえつけるのを止めて、部屋を出て行った。
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ベッドの下に倒れたまま、しばらくいた。タケシは真面目だししっかりしてるし、誰よりシーラを大切にしてるから、いつまでもずっとシーラを守って幸せにしてくれると思う。まだオレが小さかった頃、シーラを守れるのはタケシしかいないと思った。だからオレはタケシをチームのメンバーに選んだんだ。その頃タケシがどう思ってたかは知らないけど。
タケシに愛されたら、シーラはすごく自信をつけて、今よりずっといい女になるんだろうな。そんなシーラを永遠に見守っていきたい。いったいどのくらいの時間、オレはシーラの傍にいることを許されるのだろう。
ずっとずっと、シーラの傍にいたい。1年後も、10年後も、50年後も。
タケシの愛情に包まれて、幸せに笑う君を見たいよ。早く気付いてシーラ。オレが選んだ最高にいい男のタケシが、いつも君を見ていること。
オレが、ここにこうしていられるうちに。
さっとシャワーを浴びて、クリーニングから戻ってきたシャツを着て、スーツを身につける。そのほか着替えを2着ばかり袋に詰めて、身支度を整えた。タケシは戻ってこなかった。あのオクテ野郎が勢いで告白してそのままベッドに縺れ込んでるとはとうてい思えなかったけど、そういう可能性も頭に入れて、特に連絡もしないままオレは部屋を後にしていた。
オレの調査は今日が本番で、会わなければならない人物も多かったから、1人1人にそれほどの時間はかけられない。それぞれの人間に合わせて作戦を変え、緊張感を持続させながらオレはまったく違う自分を複数演じつづけた。ホテルに連れ込むのはそりゃ女の方が楽しいけど、今日は男の方が多いからね。あらゆる手管を駆使して、ある人からは鍵の型を取り、ある人からはパスワードを探り、ある人には催眠術をかけて当日の防犯装置を“うっかり”忘れるよう、働きかけた。
すべてをうまくこなし終わる頃には、時刻は既に真夜中を回っていた。ようやくたどり着いたホテルの地下駐車場で、オレはしばらく、自分自身と戦わなければならなかった。
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いつものことなのだけれど、立て続けに違った自分を演じつづけると、元に戻るまでに強烈な反作用が起きる。
まず、自分自身がつかまらなくなる。考えていることがいびつになるっていうか、どちらかというと暗い方面に精神が傾いて、矛盾することや関連性の分からない考えが次々と頭の中に浮かんで混乱する。それらをすべてねじ伏せながら、自分を取り戻していく訳だ。今日はワインの力を借りて、少しでも自分がリラックスできるように、運転席の背もたれを少し倒しながら瓶に口をつけた。
汚い仕事だと思う。人間の弱い部分、小さな恐怖や欲望や、その人間の一番弱いところを探り出して、攻撃して、こちらに都合のいい情報を引き出していく。関わっているとどんどん自分が汚れて歪んでいくのが判る。自分自身の歪みを一番見せ付けられる時だ。これほど嫌な時間はなかった。
今の自分ならためらうことなくシーラを強姦しそうな気がする。想像力とか、理性とか、そういう正の力が働かない。オレがこんな思いをするのはシーラが単位を取らないからだ。シーラにも同じ思いを味わわせて、オレの歪みを見せ付けてやりたくなる。
オレは、誰が思うよりずっと弱いし、悪いし、きたない。
オレがシーラを抱けば、シーラは単位を取る。オレがそう命じれば、シーラは調査に参加する。オレがシーラにそうさせないのは、別にシーラのためなんかじゃないんだ。もちろんタケシのためでもない。オレ自身がシーラを抱きたくないから抱かないだけだ。そう、言葉で自分をねじ伏せながら、ワインを飲みつづけていく。
真面目に考えちゃいけない。もっと楽になれ。考えつづけてたら気が狂う。シーラをいじめて、タケシをからかってたら、そのうちに人生は終わってくれる。
永遠のような人生も、たぶん一瞬で終わってくれるだろう。
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もしかしたらオレが帰るのを待ってたのかもしれない。部屋のドアを開けると、タケシがタバコの火を消して立ち上がるのが見えた。
「ただいまー、タケシ。シーラと寝た?」
「……寝る訳ねえだろ。バカなこと言ってんじゃねえ」
「そーお? だったらオレとSEXしよ」
そう言ってオレがタケシの首に抱きつくと、タケシは少しあわてたようにオレを引き離した。
「お前、また酔ってるな。どのくらい飲んだんだ」
「ワイン2本」
「飲み過ぎだ。自分が未成年だって自覚はねえのか」
「タケシ知ってる? オレは来月ハタチになるんだぜ。1日3箱吸ってるお前に言われたくないよーだ」
アルコールも飲み慣れてないからまだ判らなかったんだけど、どうやらオレはあんまり強くないのかもしれないな。長いフレーズになるとロレツが回らなくなってくる。身体はふらふらするし、タケシにしがみついてでもいないと倒れそうな感じだ。
「ああ、来月になったらいくらでも言わせてやる。とにかく少し寝ろ。話は明日聞いてやる」
タケシは手早くオレのスーツとシャツを脱がせて下着にすると、ベッドに押し倒した。その上から布団をかけて、ベッドの縁に腰掛ける。目を閉じると、オレの額に手のひらを押し当てた。タケシの手は大きくて肉厚で体温が高いのか少し熱い。
「お前の手、熱くて気持ちがいいのな」
「疲れてるんだろ。ゆっくり寝ろ」
「そうする。……タケシ、オレ、タケシのことが好きだ」
「ああ。……判ってる」
「タケシなら、安心なんだ、オレは……」
このときオレは、自分がいったい何を言ってるのか、いったい何を言おうとしているのか、まったく判らずにいた。
だけど、寝ないでオレを待っていてくれて、オレが眠りにつくまでずっと額に手を当てていてくれたタケシの優しさだけは、目がさめてからも忘れなかった。
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土曜日、作戦決行の日の朝、オレはしっかり寝過ごしていた。
もともとオレは夜型なのだけど、作戦前夜は特に夜更かしの傾向があるから、当日朝ちゃんと起きられることなんてめったにない。加えて、この日に限ってはタケシもシーラもオレを起こさないんだ。自分たちはちゃんと起きて支度を整えているのだけど、オレのことだけは起こさないで、たいてい昼までは寝かせてくれた。
という訳で、オレが自然に目を覚ましたのは午前11時半頃で、タケシとシーラはソファに座って作戦の最終チェックをしてるところだったんだ。
「……おはよう、タケシ、シーラ」
オレが目をこすりながら上半身を起こすと、まるでそれを待ってたかのようにシーラがつかつかと歩いてきた。と、何を思ったかいきなりオレのベッドに乗っかってきて、オレの両足の上にどっかりと腰掛けたんだ。
「シー……」
―― バチン!
オレが言いかけたとき、シーラは思いっきりオレの頬を平手で殴った。
「女の子の下着を覗くなんてサイテー! サブロウのスケベ! エッチー!!」
オレが口をはさむ暇なんかなかった。
―― バチン!!
「なんであたしが作ったリストを書き直したりするんだよ! しかもあんな無駄なもんばっかり持ってこさせて! 品物チェックするのだって大変なんだかんね!」
―― バッチン!!!
「あけみっていったい誰だよ! 変な女と付き合って夜更かしして、仕事に悪影響残したら承知しないんだから!!」
おまけにもう1発、計4発ばかり殴って、シーラはオレの胸倉を掴んで睨みつけた。
なんでもいいけど……すごく痛い。
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「シーラ、気が済んだか」
「済まない! あと2、3発喰らわせないとおさまんない!」
「そのくらいでやめとけ。サブロウの取り得はせいぜいそのマスクくらいなんだからな。いくらお前でもそれ以上殴ったら変形しちまうだろ」
タケシとシーラの会話を、オレは呆然と聞いていた。なにやら2人で結託してこういう事になったらしいな。それにしても、オレの取り得は顔だけじゃないと思うぞ。……言い切れないけど。
オレの胸倉を掴んだまま、シーラはオレに凄んで見せる。
「あけみって誰? バーの女? 看護婦? それとも幼稚園の先生?」
「全部ハズレ。あけみさんは図書館のお姉さんです」
「いったいいくつなの」
「本人は27って言ってたけど、たぶん30は超えてるはず。……って、なんでそんなこと訊くのよ」
「なんでだっていいの! その女美人なの?」
「そりゃあ、君に比べたらカカシみたいなモンでしょ。君より美人の女性なんて、世界中探したっている訳ないんだから」
「……嘘じゃないでしょうねえ」
「そんなことで嘘なんかつかないって。君が1番美人で、最高です」
オレが言うと、シーラはやっとオレを解放する気になったらしい。ベッドを降りてソファに座った。タケシの腕に腕を絡ませて言う。
「聞いた? タケシ。カカシだって。……図書館のあけみって女調べて告げ口してやっちゃおうか」
……コノヤロ。
シーラの奴、ほんとにやったらその場でチーム解消してやるからな。
とは思ったけど、もちろんタケシがそんなことを許すはずもなく、オレたちはなんとなくいつもの調子を取り戻していた。
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簡単に顔だけ洗って、オレは2人の向かいのソファに腰掛けた。テーブルには川田ビルの見取り図と、付近の詳細な地図、地域の道路地図なんかが広げてある。全員そろった手順の確認は最初で最後になる。これをおろそかにすると、現場に出てから苦労する羽目になる訳だ。
実は今いるホテルから川田ビルまで、直線距離でも100キロはあるんだ。車で順調に進んだとしても2時間はかかる距離で、土曜の夜だから更にかかる可能性もある。深夜11時に忍び込もうと思ったら、最低でも夜の8時には出ないとならない。実際はもう少し早くなるだろうな。車の運転は、最初はタケシが担当して、近くなってきたらシーラに代わる。
「シーラ、国道からの道をもう1度説明して」
「判った。……国道から伊那の交差点を右折してまっすぐ。踏み切り近くはたぶん混むから、ここ、六道の交差点で左に折れて、しばらく行ったここのT字路で一方通行を右折するの。3つ目を右、道なりに走って、カーブのすぐあとの路地を入ると川田ビルの裏に出るから、ここでタケシを下ろす。そのあと走り過ぎてすぐの十字路を右に曲がって、すぐ右。川田ビルの玄関前までくるからサブロウを下ろす。そのあとあたしは先のチケットパーキングで連絡待ちの予定」
「場所が空いてなかったら?」
「その時は仕方ないからしばらく走ってるよ。……でも、たぶん大丈夫だと思う。前の時もガラガラだったし」
「前に使ったところは避けたいな。できたら反対側で探してくれる?」
「判った」
作戦に使う車は昨日本部で調達してきたワンボックスだ。車種も色も1番出回ってる型で、できるだけ目立たないようになってる。だけど敵が本部なら一発だからな。マークされる確率の方がはるかに高いだろう。
「ま、それでとりあえず現場到着まではいいね。次はタケシ、説明して ―― 」
こんな感じで、オレたちはほぼ2時間をかけて、作戦を確認していった。
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