永遠の一瞬
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とりあえずシーラもおとなしくなったから、オレは再び車を動かした。山のふもとまで降りて市街地に近づくと時刻は既にお昼に近い。朝食は遅かったけど、量をあまり食べなかったから、けっこう空腹だ。シーラリクエストのゴージャスなランチを求めて、市街地を抜け、更に別の高地を目指していった。
「そんだけ泣いたら腹も減っただろ。昼は肉料理でいいか?」
オレの隣で、シーラはけっこう長い時間泣いてたんだ。泣き止んだかと思ってチラッと見るとまた泣き出す、みたいに。体調も少し悪いのかもな。滝のしぶきをかぶって冷やしたりしてなければいいんだけど。
オレの言葉にまた何か文句を言おうとしたけど、さすがに空腹だけは隠せないらしくて、腫れた目をウェットティッシュで押さえながら言った。
「肉料理って、どんなの?」
「まあ、焼肉だな。牛とか羊とか」
「ひつじ? ひつじで焼肉するの?」
「嫌なら豚もあると思うけどね。そのへんは行ってから決めればいいし。それでいいね」
またいろいろ言われても面倒だから、オレは強引にそう決め付けて、看板を辿っていった。小さな牧場の隣にある屋外レストランの、ほとんど整備もされてない駐車場に車を停めて、真っ赤な目をしたシーラといっしょに丸太のテーブルにつく。平日だからそれほど客も入らないのだろう。だだっ広い店内にはオレたちのほかにカップルが一組いるだけだった。
てきとうに注文を済ませてシーラを見ると、少し気分が明るくなったのか、あたりをきょろきょろ見回していた。
「あっちの方に牛がいるよ。あとで見に行ってもいい?」
牛肉を食べた直後に牛と戯れる、ってのもちょっと怖い気がするけどな。あんまりそういうことにはこだわらないんだろう。少なくともあんな泣き方をしてるシーラを見るよりは明らかに気が楽だった。
オレは軽く生返事をして、運ばれてきた肉を鉄板の上で焼き始めた。
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牛と羊をたらふく食べて、牧場の牛と戯れ、シーラに記念写真を撮ってやったあと、すっかり機嫌を直したシーラを連れてホテルに戻ってきていた。と、ちょうど出かける間際だったタケシと遭遇する。これからタケシは、昨日のオレと同じように、川田ビル潜入の情報集めに向かうわけだ。
「ただいま、タケシ。本部の報告してる暇ある?」
「ねえけどしねえままでいるには深刻だ。今、金庫に入れといた。本部はオレたちに仕事をよこしたぞ」
本当なら、作戦進行中に本部が別の仕事を入れてくることはありえない。その本当の深刻さはタケシにも判らないものだ。もしかしたらタケシやシーラを危険にさらしてしまうことになるかもしれない。
「断わってくれなかった訳はないよね。何か言ってた?」
「上からの命令の一点張りだ。作戦開始は今の作戦終了後で構わないって言われたら、オレに断わる口実はなかった」
「判った。……悪かったね、タケシに頼んじゃって」
「かまわねえよ。それより、お前ならもっとうまくできたかもしれねえ」
「オレでも同じだったさ。……念のため、シーラには内緒にしといて」
「判ってる」
そう言ってタケシは部屋を飛び出していった。もしかしたら時間ギリギリまでオレを待ってたのかもしれないな。やっぱりめんどくさがらないでオレが本部に行くべきだった。
オレが直接見ていれば、少しは奴らの考えていることが判ったかもしれない。
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組織はいつも、オレを狙っている。オレを脅威と感じている。それがなぜなのか、正確なところはオレにも判らない。だけど、組織はオレが幼い頃から何度もオレを狙ってきた。偶然を装ったり、敵対する組織を装ったりしながら。
オレの何を脅威と感じるのか判らなかったから、オレはいつでも平凡で、成績もそれほどよくない、優秀といわれるスターシップとはかけ離れた存在になろうと努力してきた。絶対タケシよりもいい成績は取らなかった。組織に敵対するような行動も言動もしなかったし、オレが知りえたことも表に出さないように、タケシにもシーラにも何も話さないまま、大人になった。
だからタケシは何も知らない。オレが狙われていることも、オレが知っているあらゆることも。
もしもそれを話したら、今度はタケシが狙われてしまうことになるはずだから。
―― オレは金庫を開けて、タケシが入れておいた2つ目のファイルを取り出した。
その仕事の意味は見る前から判っていたけれど、ファイルをひと通り読んではっきり判った。この仕事はオレたちの逃走経路を特定するためのものだ。次の仕事が決まっていて、その仕事が割に急を要する仕事だった場合、逃走後の潜入場所は次の仕事場に近い場所を選ぶのが普通だから。
今回の川田ビルの仕事から、この計画は決まっていたんだろう。オレは前に川田ビルに侵入したことがある。報告書は本部に上げてあるから、ビル内からの脱出経路もある程度見当がつく。これだけ用意周到に狙われて、もしも気付かなかったとしたら、オレは本部の思惑通り偶然を装って消されていたことだろう。
だけど、これだけ用意周到に狙われたら、気付かない方だってどうかしているし、これまで生きてこられなかったと思う。
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ファイルを再び金庫にしまって、オレはほとんど乾きかけていた服を脱いだ。シーラとのデートを切り上げて帰ってきたのは、濡れた服を着替えてシャワーを浴びるためだ。今ごろシーラもシャワーしてるんだろう。別にシーラの入浴シーンを見たいとは思わないけど、それなりにスタイルもいいし肌のきめも細かいから、シャワーの水滴をはじく若い身体はさぞかし綺麗なんだろうな、とは思う。
熱めのお湯を簡単に浴びて、髪と身体を拭いて、備え付けのバスローブだけを着けて今度は金庫から今回のファイルを取り出した。その間に挟んであるシーラが作ったリストを広げて、ファイルと照らし合わせながら別の紙に書き写していく。途中、バスローブから部屋着へと着替えたけど、それだけで、オレはほとんど休みなくその作業を続けていった。集中してたせいだろう。ノックの音に気付いたのは、ほとんど蹴飛ばしてるとしか思えない盛大な音に変わってからだった。
だいたいの作業は終えてたから、オレはすばやくリストとファイルを金庫にしまって、部屋のドアをあけてやった。もしかしたらオレを心配してたのかな。シーラの表情はあせりと不安が見えて、少し泣きそうにも見えた。
「悪い、着替えてた」
「……だったら返事くらいしなよ。ルームサービスのコーヒーに何か入ってたかと思うじゃんか」
「お前が廊下で騒いでる方がよっぽど危険だよ。とにかく入れ」
シーラを部屋に入れると、オレはひと通り廊下を見回して、扉を閉めた。シーラはソファまで歩いていって、どっかりと腰を落とす。チームのメンバー以外の人間がいるときはもっとエレガントに振舞うこともできるんだけどね。男の中で育ったせいか、シーラは言動も行動もどこか男っぽい雰囲気がある。
オレもソファに腰掛けて、タケシがテーブルに忘れていったタバコに火をつけた。
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「タケシは出かけてるの?」
「1度帰ってきたみたいだね。オレが帰ってきたときにはもういなかったけど」
「調査に行ってるんでしょ? あたしは行かなくてもいいの?」
「必要があればそう言う。とりあえず今回はオレとタケシで何とかなりそうだ。ホテルは? 予約しといてくれた?」
「いつもの通り3ヶ所予約入れといたよ」
「あと2ヶ所ばかり追加しといて」
「……判った」
どちらかというと、チームの中でのシーラの役割は、いわゆる後方支援といったところだ。逃走経路を確認したり、機材を調達したり、ホテルの予約を入れたり。だけど別にシーラの能力を低く見てるわけじゃない。シーラの変装能力はオレたちの中ではトップだったし、演技力だって教官の太鼓判が出るくらいだ。
シーラに調査を担当させれば効率がいいことくらい判ってる。だけどオレはシーラを調査に参加させたくはなかった。1つはシーラが単位を取っていないことがあるけど、理由はもう1つある。シーラの演技力は、完璧な分、著しく精神を消耗させるんだ。
オレくらい気楽にいろいろできる子ならいろいろさせるのも勉強なんだけどね。まあでも、オレが過保護なのは言うまでもないか。ほんとはシーラには普通の女の子の普通の人生を歩んで欲しいと思う。好きな男の傍で、好きな男の子供を産んで、幸せに過ごして欲しいと思う。
オレがタバコを1本吸い終えて、灰皿に押し付けると、それを待っていたようにシーラは言った。
「サブロウ……サブロウはどうしてあたしに隠し事ばっかりするの?」
正面からシーラに見つめられて、オレはほんの一瞬視線を泳がせた。
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油断した。ほんの一瞬、タバコに気を取られた。シーラは嘘を見破るテクニックも勉強してる。判ってたから今まではオレもぜったい油断なんかしなかったのに。
シーラには判ったはずだ。オレが彼女に嘘を言っていたこと。
「オレが隠し事をするのが気に入らない?」
打つ手がないから、オレも開き直るしかなかった。まさかシーラとこんな形で対決する羽目になるとは思わなかったけど。
「プライベートのことは何も言わないって約束したよ。だけど、仕事のことは別だと思う。確かにあたしは半人前だけど、本部の命令まで隠す理由はないと思う。……タケシと会って、聞いたんでしょ? 本部はなんて言ってきたの?」
ああ、そうか。シーラの部屋はオレたちの隣で、エレベーターに近い。たぶんタケシが出て行くドアの音と足音を聞いたんだろう。それに、さっきほど慌ててなければ、タケシがタバコを忘れていくなんてありえない。
……ダメだ。今のシーラに嘘を重ねることなんかできない。シーラはオレの嘘を全部見破る気だ。そしておそらく、嘘は全部見破られるだろう。
あきらめて、オレは金庫から2つ目のファイルを取り出した。
「降参。君にはかなわないよ。……これがタケシが本部から受けてきた指令だ」
シーラが手を伸ばしてファイルに触れようとしたところ、意地悪のつもりはなく、オレはファイルを移動させた。
「表紙だけだ。中身は見せない」
「……ほんとなの? それって、次の仕事?」
「嘘は言わないよ。オレにそれを伝えるためにタケシはオレを待ってた。タケシにも聞いてみるといい。君はオレよりタケシを信じるんだろうから」
シーラはしばらく信じられないような表情でファイルを見つめていた。誰だって信じられないだろう。作戦進行中に本部が次の仕事をよこすなんて。
だけど、だからこそ、シーラは信じる。オレが隠そうとしていたのがこれだけなのだと。
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しばらくの沈黙のあと、シーラは言った。
「……あたしに動揺して欲しくなかった?」
理由は、シーラの方がつけてくれた。確かにそれもある。他の理由の方が大きかったけど。
「この仕事は進行中の作戦が完了してから手をつければいいことになってる。だったら今の仕事が終わってから話しても問題ないだろ」
「あたしの方がサブロウに言いたいよ。……もっとあたしを信用して」
「判った。君は確かにオレたちのチームメイトだ」
ファイルを金庫に納めながら、オレは神妙に言う。これからは少し過保護は改めよう。そして、シーラに対して2度と油断しない。
「中は? 見せてくれないの?」
「それは作戦上の必然でね。今回の作戦を遂行するに当たって、君にはこのファイルに影響されてもらいたくないんだ。それは信用するとかしないとかとは別問題なの」
「……でも、タケシは知ってるんでしょ?」
「もしも本部に出向いたのがオレだったら、たぶんタケシにも見せなかった。だから正直、タケシが影響されるのはオレも怖いんだ」
それは本当だったから、シーラも納得しただろう。少し笑顔を見せる。タケシと同列に扱われたことが嬉しかったのかもしれない。
「あ、こんなこと、タケシには言うなよ」
駄目押しに、秘密めいた仕草で指を立てて笑って見せたから、シーラはすっかり機嫌を直していた。これでしばらくはシーラの癇癪に悩まされることはないだろう。
ほんと、シーラを扱うのはけっこうスリリングで、だけどうまくいったときの快感は癖になりそうな気がした。
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夕食まではまだ時間があったから、オレは今回の仕事のファイルを広げて、シーラが立てた作戦を確認した。オレとタケシの侵入経路から、実際に仕事をして脱出する際の脱出経路。ひとつひとつ詳細にシーラに説明させて、確認して、頭の中で繰り返し辿っていった。シーラが立てた作戦は、オレが機材のリストを見て想像したものとほとんど同じだった。ただ、微妙に違っている部分もあったから、そのたびにオレはいちいちシーラに確認して、記憶していったのだ。
その中で、大きく変更を加えなければならないのが逃走経路だ。シーラが想定した経路はいくつかあって、最終的には当日決めなければならないのだけど、あのファイルを受け取ったことでオレの作戦はかなりの変更を余儀なくされてしまったのだ。
「なんだかサブロウはあんまりピンとこないみたいだね」
シーラが言う通り、オレは自分を守る逃走経路をまだ図りかねていた。確かにあのファイルにはオレを惑わせるだけの効果はあったらしい。
「予約したのはどのホテル?」
「サングロリアと、ウォーターハットと、菊姫荘、かな」
「お前、完全に趣味で選んだな」
「悪い? 潜入先なんてどこもたいして変わらないじゃん。それだったら楽しい方がいいよ」
「ああ、君は悪くないよ。君の言う通りだ。潜入先のホテルなんてどこもたいして違わないし、楽しい方がそりゃいいに決まってるよ」
「サブロウまたあたしのことバカにしてるー」
実際おもしろい選び方だった。なんたってサングロリアと菊姫荘じゃ、直線100キロは離れてる。
だけどどちらにせよオレがピンとくるようなホテルじゃなかったのは確かだ。
「あと2つ、趣味で選んで、予約は当日入れてくれる? 土曜日だからちょっと大変かもしれないけど」
「……うん、判った」
シーラはまた少し不審に思ったようだったけれど、オレがあのファイルの内容を知っていることで、なんとなく納得したみたいだった。
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1度部屋に戻ったら外に出るのもなんとなくおっくうになって、結局夕食はホテルのレストランで摂ることにして、オレとシーラは部屋を出た。ホテル内ではタケシが一緒にいることも多いから、2人っきりで食事をするときも、恋人同士のような雰囲気は出さない。しいて言えば暇な大学生のお気軽旅行ってとこか。男2人に女1人だと、そのへんはちょっと怪しいかもしれないな。
魚メインのコース料理を頼んで、向かい合わせに座って、ワインで乾杯。シーラは外見は割に大人っぽいから、未成年に見られる心配だけはないのだ。
「このワイン、あんまり甘くない」
「そう?」
「あれがおいしかったな。北海道で飲んだいちごのワイン」
「ああいうのはワインて言わないだろ。ほとんどジュースだったじゃないの」
「また行けるといいな、北海道」
オレたちの仕事で北海道に行くなんて、一生に1度あるかないかだと思うけどね。よっぽど運がよくなきゃ無理だって。
「北海道は無理だけど、あのワインがもう1度飲みたいんだったら取り寄せてあげるよ。確か製造元はメモしてあると思ったから」
「ほんと?」
「代金引換でホテルに配達してもらえたらね」
「なんか、サブロウがあたしに優しいと気持ち悪い。でも嬉しい。ありがとう」
別に、いいんだけどね、優しい男だと思われたい訳じゃないから。
シーラの胸元に安っぽく光るペンダントを眺めて、自分がシーラに与えることのできる優しさの値段を推し量ってみる。
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早くタケシに戻ってきてもらいたかった。シーラと2人で過ごしているといつも思う。タケシはどう思うのだろう。オレとタケシは互いにバランスを取っていて、オレはタケシがいないといつも不完全な気がする。
シーラがいなくてもあまり感じない。オレはタケシをすごく頼りにしていて、シーラをもてあましているのかもしれない。
不思議だと思う。タケシもシーラもずっと一緒にいて、違うのはシーラが女だって、ただそれだけなのに。
もしかしたらオレは、タケシよりシーラより、ずっと子供なのかもしれない。
レストランで食事をしてる間もなんとなく落ち着かなくて、少し余分にワインを飲みすぎたかもしれない。自分がどこか遠くの方で会話をしているような、ちょっと現実離れしたような感覚があった。人目の多いところではさすがにシーラもオレに絡んできたりはしないから、少し調子が狂ってるのかもな。食事を終えて、部屋に戻ってからも、シーラと交わしている会話はほとんどオレの表面を滑っているような感じだった。
いつの間にか、オレはソファでうたた寝をしていたらしい。目がさめたのは、タケシがドアを開けた気配を感じてからだった。
「お帰りタケシ。ご苦労さん」
それだけ声をかけて横を見ると、シーラがオレにもたれてうたた寝しているのが見えた。さっき、シーラが眠っちゃったから、動くに動けなくていつの間にかつられたんだな。化粧をしていないシーラは少し疲れたようにも見えたけど、でも綺麗で、王子のキスを誘う眠り姫みたいだった。
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