永遠の一瞬



21
 オレたちが宿泊しているホテルというのは、実はかなりいなかで、まあ観光地と言って語弊はないのだろうけど、たいした観光名所も近くには見当たらない。シーラを助手席に乗せて、とりあえずオレはシーラリクエストのマクドナルドを探した。昨日カーチェイスした通りにあったはずなんだ。そんな、かなり怪しげなオレの記憶に間違いはなく、巨大なマクドナルドのだだっ広い駐車場に車を停めて、朝食セットをはさんでシーラと向かい合わせに腰掛けた。
「お前、マクドナルドまで来てなんでホットケーキなんか食ってるの?」
 ホットケーキならホテルでも食えたじゃん。ソーセージエッグマフィンを頬張りながら、オレはボソッと言ってみる。
「いいじゃない。この薄っぺらいホットケーキとハッシュドポテトが食べたかったんだもん」
「いいけどね、オレは。……彼氏ができたらそういうことはするなよ」
「大丈夫だもん。あたしの未来の彼は、サブロウなんかよりずっと優しくてかっこよくて、わがままなんでも聞いてくれるんだから」
 はいはい。せいぜい夢でも見てなさいよ。……タケシだって怒ると思うぞ。わざわざマクドナルド探させられてホットケーキ食われたら。
「どこ行くか決めた?」
 シーラはオレの顔を見つめたまま返事をしなかった。特にどこに行きたいって訳でもないらしい。
「そんじゃ、オレに任せる?」
「うん、任せる。やっぱりデートコースは男の方が決めるのが筋でしょ」
「判りました。お姫様の期待にこたえられるデートコースを組みましょう」
「ランチとディナーはゴージャスによろしく」
 こんなラフな格好で、ゴージャスなディナーが出てくるような店に入れると思ってるのかね。
 別にいいんだけど、シーラはやっぱり子供で、世間知らずで、なかなか厄介な女の子だ。


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 再びシーラを車に乗せて、オレはくねくねした山道の舗装道路を登っていった。さすが付近唯一の観光名所だけあって、車通りも少なくない。すれ違う車のナンバーも半分は他県だ。まあ、平日でもあるし、駐車場に苦労するほどではないだろう。
「ねえ、どこに向かってるの?」
 さっきから何度も看板が出てるはずなんだけどな。仕事中ならシーラもそういうものを見逃したりはしないけど、デートだと思うとあんまり気を回さないらしい。
「この先に滝があるんだよ。小さめだけど垂直に落ちてるからけっこう豪快」
「そうなんだ。滝って見るの初めてかも」
「小学校の遠足で見たでしょ? 白糸の滝とか」
「そうだっけ」
 ……別に、いいんだけどね。小学校の遠足を忘れたって、命に関わるわけじゃないし。
 オレとシーラとは正確には1歳半違いで、学年計算でも1年違うんだけど、オレの学年が1年遅れてるから遠足も修学旅行も全部一緒に行ってるんだ。
 駐車場に車を停めて、滝の全体像を見ることのできる橋の上まで歩いていった。今のところ観光客もまばらだから、のんびりゆっくり見られそうだ。
 それほど大きな滝ではないけれど、間近で落下してゆく水の塊はかなりの迫力だ。周囲の岩に反射するごうごうという音もいい。オレは滝が好きだ。滝には戦いのイメージがあって、そのイメージはタケシに重なるから。
「けっこう高いよ、サブロウ。ちょっと怖いみたい」
「乗り出して落ちるなよ」
「下にも行ってみたいな。濡れそうだけど」
 シーラも気に入ったみたいで、振り返った笑顔はオレには眩しかった。


23
「 ―― あの、すみません」
 声をかけられて振り返ると、観光客風の女の子が2人、カメラを手にしてオレを見上げていた。
「はい?」
「写真、撮ってもらえませんか?」
「ああ、いいですよ。滝をバックにする?」
「はい! あ、これ、シャッター押すだけなんで」
 そう、使い方を説明しながら彼女が手渡してくれたのは使い捨てカメラで、オレは心の中で苦笑しながら少し後ろに下がった。柵から乗り出していたシーラも気付いて、写真の邪魔にならないようにオレの傍に寄ってくる。お決まりのかけ声をかけて写真撮影。2枚ほどシャッターを押して、笑顔で近づいてきた彼女たちにカメラを返した。
「ありがとうございました。……あの、よかったらあたし、シャッター押しますけど」
 どうやらオレたちをカップルと見て気を遣ってくれてるらしいな。まあ、2人で外に出るときは傍からそう見られるようにしているつもりだから、誤解しても彼女たちのせいじゃない。
「そう? ありがとう。でもオレたちカメラ持ってこなかったんだ」
「カメラだったらあそこで売ってますよ。……もし買ってくるんでしたら、あたしたち、待ってますけど」
 ……記念写真か。そういえばあんまり撮ったことなかったよな。
「どうする? 写真撮りたい?」
 オレはシーラを振り返った。シーラは何も言わないでオレをじっと見上げているけれど、目が爛々と輝いていて、訴えているのは明らかだった。もしかしたら今までも、シーラが写真を撮りたいと思った場面はあったのかもしれないな。オレはシーラの頭を1回なでると、彼女たちに笑顔で振り返った。
「ほんとに? 待っててもらってもいいの?」
「いいですよぉ。どうせ暇な女2人旅だしー」
「悪いね。すぐ戻ってくるから、ちょっとだけ待ってて」
 極上の笑顔を振り撒いて、オレは彼女たちが教えてくれたみやげ物屋へと走っていった。


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 みやげ物屋でてきとうな使い捨てカメラと、ちょっとした小物をいくつか物色して急いで会計を済ませ、再び走って橋の上に戻った。シーラは彼女たちに話し掛けられたようで、作り笑顔で対応している。シーラはどちらかといえば内弁慶なタイプだ。他人と本当に打ち解けるのには時間がかかる。でも、打ち解けた風に見せる会話もできるから、初対面の人間がその違いを区別することはできないだろう。
「ごめんね。待った?」
「いいえ、ぜんぜんです。早かったですよ」
「もうちょっと待ってね」
 カメラの封を切って、フィルムを巻いたあと、彼女たちにカメラを渡してようやく柵の前に立った。シーラの肩を抱いて写真撮影。まだ見てはいないけれど判る。オレたちはたぶん、本当に幸せそうなカップルのように、写真に写ったことだろう。
「ありがとう、悪かったね」
「いいえ、こんなことぜんぜん大丈夫です」
「それじゃ、これは心優しい君たちへのお礼」
 カメラを受け取ったあと、オレは2人の髪にみやげ物屋で買ったマスコットをくっつけた。ウサギとクマの形で、手のところがクリップになってるやつだ。2人はちょっと驚いたけれど、嬉しそうで、でも少しすまなそうな顔をして言った。
「そんな、悪いですよ。たいしたことしてないのに」
「いいの。君たちはこの子を喜ばせてくれたから。気にしないでもらっといて」
 そう答えてシーラの髪をなでる。シーラは少し複雑そうな顔をしていた。
「なんか、彼女のことすごく愛しちゃってます?」
「そうみたい。オレ、今この子しか見えないから」
「いいなあ、うらやましい」
 小さなマスコットのお礼を言って、女の子たちは去っていった。横のシーラを覗き込むと、ちょっとすねたような顔でオレを見上げていた。


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「あの子達、サブロウのことかっこいいって言ってた。背も高いし優しいし、あたし、羨ましがられた」
 そりゃあね、そう見られるように行動してる訳だから。そう見せてる限り、オレの寝起きが悪いことも、だらしないことも、ぜんぜん見えないだろうね。
「一緒にいる男がかっこ悪いより数倍いいと思うけど?」
「サブロウって、女の子なら何でもいいんだ。プレゼントまですることないじゃん」
「そんなことですねないの。ほら、これで機嫌を直しなさい」
 そう言って、オレはポケットから出したそれを、シーラの首にかけてやった。小さなガラス玉の、おもちゃのペンダント。彼女たちとは少しだけ差をつけたつもりなんだけどね。
 それは判ったのか、シーラは少し機嫌を直していた。
「指輪も欲しいな! 今度は本物がいい!」
「だーめ! そんなの経費で落ちるわけないでしょ」
「なんだよ! このペンダントも経費で落とすつもりだったの?」
「落とさないよ。これはれっきとしたオレのポケットマネーです。観光地のみやげ物屋のレシートが経費になるかって。……どうするんだ? 滝壷まで行くのか?」
「あ、うん、行く」
 シーラは看板を辿って滝壷までの道を下り始めたから、オレもあとについて歩いていった。途中からシーラは道を外れて、川縁の石を踏みしめて水のあるところまで行こうとしていた。1つのことに夢中になると後先考えないところはほんと、この子らしいというか。
 仕方ないから、オレもついていく。


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「転ぶなよ」
「大丈夫。なんかすごく空気がきれい」
「それを言うなら、水しぶきがつめたい、だろ?」
「サブロウは来なくていいよ。感受性ぜんぜん持ってないんだから」
 悪かったね。どうせオレには君の感受性の豊かさは理解できませんよ。
 だけど危険なのも確かだから、結局オレは滝壷のしぶきが1番激しいところまで、シーラに付き合った。
 シーラはしばらく、落ちてくる水の塊を滝壷から見上げていた。
 オレもこんなに間近で見るのは初めてだ。滝のちょうど真ん中あたりに大きな岩が突き出ていて、その岩に水の流れが割られている。しぶきは霧のようになってもうもうと立ち込めていて、オレとシーラは既にずぶぬれ状態だ。車の中にシャツの着替えか何かあるといいんだけど。
「ねえ、サブロウ。あの真ん中の岩って、もう何百年も前からずっと、水の勢いに耐えてきたんだよね」
「ああ、そうかもな」
「すごいね、ずっと負けないできたなんて。……これからもずっと耐えつづけるのかな。何百年も、何千年も」
「そんなに持たないだろ。水に削られて小さくなってやがては消えちまうか、地震かなんかで落ちるか。だいたい地殻変動で水の流れ自体が変わっちまうんじゃねえの? 何千年も先にはさ」
「……やっぱりサブロウって感受性ゼロ」
「オレにそんなものを期待する方が間違いなんだろ?」
「あたし、サブロウのこと判んない。……みんな、サブロウは優しいって言うよ。学校で同じクラスだった子とかもみんなそう言ってた。でも、そんなの嘘だよ。……ぜんぜん優しくないよ、サブロウなんて」
 シーラの言うことは当たってる。オレは自分が優しい人間だなんて、これっぽっちも思ったことはなかった。


27
 他の人間に向けるのと同じ優しさを、シーラにも向けるべきなのかもしれない。シーラは区別できないのだから。オレが他の女の子に向ける優しさが本物か偽物かなんて。
 どこかにあるんだろうな。シーラに対する誠意とか、そういうものが。
 まあ、どちらかって言えばシーラをいじめたい欲求の方が遥かに大きいと思うけど。
「優しくして欲しい訳?」
「……そんなこと言ってないもん」
「強情だな。優しくして欲しいなら欲しいって素直に言えばじゃん」
「サブロウなんかどうだっていいもん! あたしはすっごく優しい彼氏を見つけるんだから!」
「ああ、そりゃそうだろうよ。君の彼氏になろうとするなら、そうとう優しい男でなければ不可能だ」
「あたし帰る!」
 そう言ってシーラは勢いよく歩き始めたからとたんに足を滑らせた。危ういところで抱きとめたけど、オレが捕まえそこなってたら間違いなく岩に頭をぶつけていたところだ。
「滑りやすいんだからゆっくり歩きなさいよ」
「……ありがと」
「いいえ、どういたしまして、お姫様」
「そんなに子供扱いするなよ」
 いつもなら拳固の1つでもくれるシーラが、今回に限っては振り向きもしない。
 それはなんとなく居心地が悪くて、足場がしっかりするまでの間、オレはからかいの1つも口にできなかった。


28
 シーラをかわいいと思う。
 シーラを守りたいと思う。
 シーラには、世界で一番幸せな女の子になって欲しい。
 シーラの幸せを、永遠に守ってあげたい。

 帰り道、シーラを助手席に乗せて山道を下っていると、オレの携帯電話が鳴り響いた。
「取ろうか?」
「いや、いい。車を止めるから」
 ちょうど坂道の車止めスペースがあったから、オレはその隙間に車を停めて、電話を取った。相手は昨日の女性だ。どうやら金庫の中の番号を見ることができたらしい。
「はい……はい、判りました。どうもありがとう」
 シーラが見守る前で、オレは携帯電話にキスをする。
「……愛しています」
 電話にそう言った次の瞬間、シーラはドアを開けて車から飛び出して行こうとしたのだ。
「やめてよ! 放して!」
 すんでのところで腕を捕まえたけど、シーラは激しく腕を返してオレを引き離そうとする。こんなところで後先考えないで車を飛び出したら危険なんだ。このあたりは走り屋がうようよしてて、通り過ぎる車やバイクはみんなスピードを出してるんだから。
「子供扱いされたくなかったら子供みたいなことはしないの! 追いかけてくオレのことも考えなさい!」
「追いかけてなんか来なくていいもん! どうせサブロウはあたしのことなんかどうだっていいんだから」
「そんなわけないだろ!」
「だったらあたしと一緒にいるときに他の女にそんなこと言うなよ!」
 そう言われてもな。仕方ないだろ、あのキスと言葉が催眠術を解くキーワードなんだから。
 いっそ抱きしめて強姦してやろうか。そう、思わなくもなかったけれど、実際そういう訳にもいかないから、オレは強引にシーラを引き戻して、助手席のドアを閉めた。


29
 反対側の座席のドアを閉めるために、オレはかなり身体を乗り出さなければならなかった。だから、ドアを閉めたあとのオレの体勢は、ほとんどシーラにのしかかっているような格好になる。そんな体勢で腕を拘束して睨みつけているからだろう。シーラは身体を硬直させて、まん丸に目を見開いていた。
「シーラ、オレが交際してる女性について、君にとやかく言う資格はないだろ」
 オレとシーラは、今は恋人同士のように見せているけれど、実際は単なるチームメイトだ。オレが誰と付き合おうとシーラに何か言う資格はないし、オレの方もそうだ。シーラは反論の言葉を捜してる。だけど、けっきょく何も見つからないらしくて、硬直したまま沈黙していた。
「オレのプライベートに口を出すな。それだけは、君にもタケシにも許さない。……判ったな」
「……その人のこと、好きなの?」
「君には関係ない。オレはずっとそう言ってるだろ」
「サブロウは誰が好きなの? あたしよりその人の方が好きなの?」
「……本気で怒るぞシーラ。これ以上踏み込んだらオレは君とはチームを組めない」
 正直、オレは怖かった。シーラがその言葉を口にするのが。
 たぶん、シーラがそれを口にしたとき、オレは彼女の傍にいられなくなるから。
 微妙なバランスが、オレとシーラとタケシの間には存在している。
 そんなオレの、苦しまぎれとしか言いようのない脅し文句は、確かにシーラの心を動かしたようだった。
「……ごめんなさい。もう言わない。……チーム解消したくない」
 今にも泣き出しそうなシーラの表情は、オレには苦しかった。


30
「……泣かないの。せっかくの美人が台無しだろ」
 シーラの頭をぽんぽんと叩くと、泣きかけていたシーラは大粒の涙を流した。
「そんな言い方ずるいよ。……サブロウはあたしのこと、美人だなんてぜんぜん思ってないくせに」
 思ってるよ。シーラより美人なんて、この世の中にいる訳ないとオレは思ってる。ほんとはいるのかもしれないけどね。だけど、今までシーラより美人だと思った女なんて、オレにはいないんだ。
「もっと自信を持ちなさいよ。……高校時代、君に片思いしてた男を、オレは3桁は知ってる。よく告白されたでしょ」
「……うん。でもなんか変な人ばっかりだった。告白できただけで満足です、みたいな」
 そりゃ、そうだろうな。シーラにはタケシが四六時中まとわりついてたから、シーラと付き合うためにタケシと一戦交える気には誰もならなかっただろうさ。
 その頃オレは学校の中ではあまりシーラと仲良くしなかったから、シーラはタケシと付き合ってるんだと思ってた奴はけっこう多かったに違いない。
「そのくらい、君は美人なんだよ。高嶺の花に思われてたんだから」
「そんなの嘘だよ。だって、サブロウはぜんぜんそう思ってない」
「そんなにオレが信じられないなら、タケシにでも聞いてみろって。オレのことは信じられなくても、タケシの言うことなら信じられるんだろ?」
「タケシはサブロウみたく嘘つきじゃないもん」
「だったらためしにタケシと付き合ってみれば? そういうのは別にタブーじゃないし、オレは喜んで君たち2人を応援するよ」
 シーラはまた少し傷ついたようで、目を伏せて、大粒の涙をこぼした。


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