永遠の一瞬



11
 だけど、そこでシーラに負けるってのもなんだしね。
「シーラ、君は必須科目の単位を1つ、まだ取ってないでしょ」
 オレが言うと、シーラは痛いところを突かれたのか、下を向いてしまった。
「しかも受講すらしてない。オレもタケシも2年も前に取ってるし、オレは任意の方も3つばかり取ってあるんだよ。……要するに、君はまだ半人前なの。だから半人前らしく、リーダーの行動には口出ししないこと。いいね」
 シーラは下を向いて顔を赤くしていたけれど、やがてボソッと言った。
「……サブロウが補習してくれたら受けるよ」
「そういうことならタケシに頼むんだね。あいつの方が成績は良かった」
「タケシは任意取ってないもん。……サブロウ、あたしのこと、嫌いなの?」
 顔を上げたシーラは、少し泣きそうな顔をしていた。
「嫌いな訳ないだろ? 何でそんなこと訊くの」
「だって、サブロウはいっつもあたしのこと邪魔にする」
 ……あのなあ。泣きたいのはこっちの方だ。なんだってシーラはこう、オレに絡むようなしゃべり方をするんだ。
「シーラ、オレは君のことは大好きだし、君は美人でかわいいし、魅力的だと思うよ。だから、君がオレの邪魔をしなければ、こんなところでこんな話をすることはないんだ。……判ったね。判ったらオレを行かせて。あんまり時間がないんだ」
 判ったのか、それともほんとは判ってないのか、とりあえずシーラはオレが車に乗るのを邪魔することはなかった。自分の車に乗り込んで、再びエンジンをかける。アクセルを踏んで車を発進させると、背後でシーラの叫ぶ声が聞こえた。
「サブロウの嘘つきー! サブロウなんか大っ嫌い!!」
 ……やっぱり、ぜんぜん判ってなかったらしい。


12
 電話の人物が紹介してくれた女性を車に乗せて近くのホテルまで行く。数時間をそのホテルで過ごしたあと、再び女性を車に乗せて、女性の自宅近くまで送り届けた。ずいぶん長い時間ホテルで過ごしてしまったので、時刻は既に夜に近かった。別れ際に車の中で熱烈な抱擁と濃厚なキスを交わして、せいぜい失礼にならない程度の秒数で引き離したあと、オレは彼女の前で指を鳴らした。
 オレより倍以上年上の女性は、がっくりと首を落として、身体の力を抜いた。
「いいですか。あなたは車を降りた瞬間、オレのことは一切忘れます。今日は1日中、街でショッピングをしていました。オレにも、あの人にも会わなかった。いいですね」
 女性はオレの言葉にこくんとうなずいた。
「ご主人に電話がかかってきたら、どうしますか?」
「……ベッドルームの金庫をあけて……」
「そうです。金庫を開けて、中に書いてある番号を記憶します。そのあと、オレに電話をしますね。電話番号はいくつでしたか?」
「090−****−****」
「はい、けっこう。そのあとどうしますか?」
「……全部忘れます……」
「そう、完璧です。……では、車から降りてください」
 女性はのろのろとした動作で車から降りた。オレは走り去りながら、軽くクラクションを鳴らした。今の一瞬でとりあえず催眠状態からはさめたことだろう。あとは彼女が指示どおりに行動してくれればいい。
 オレは少し遠回りをしながら、シーラとタケシが待つホテルへと車を走らせていった。


13
 部屋に戻ると、タケシが憮然とした表情でオレを睨みつけていた。テーブルには2つ目の灰皿が既に吸殻の山を形成しつつある。その吸殻の山と同じだけ、オレに言いたいことがあるのだろう。
「あーあ、つっかれたぁ。シーラに伝言頼んだの、聞いてくれた?」
 灰皿の上に吸いかけがあるというのに、タケシは新しいタバコに火をつけた。どうやら気付いてないらしい。オレはスーツをベッドの上に放り投げて、灰皿の上にあったタケシの吸いかけを取り上げて、深く吸い込んでみた。けっこうきつい。
「タケシと間接キス、しちまった」
 そのままベッドに寝転がると、タケシは心を決めたのか、そう言った。
「サブロウ、シーラと寝てやれ」
「やだね」
 シーラを好きなのは、オレじゃなくてタケシだ。なんでタケシに頼まれてオレがシーラと寝なきゃならない。
「タケシと寝た方が遥かにマシ」
「オレはそういう趣味はねえ」
「オレだって。女の方がいいさ」
「……シーラだって女だろう」
「シーラは女じゃない」
 オレがいない間にシーラと何があったのかは知らないけど、タケシはずいぶん思いつめてるみたいだった。


14
「シーラがなんで単位を取らねえのか、知ってるだろ」
 なるほど。なんでタケシがこんな話を始めたのか判ったわ。オレもタケシもシーラが取りたくない単位なら取らなくてもいいと思ってる。オレたちはチームだ。できないことがあるなら補い合えばいい。
「ヴァージンだから、じゃねえの?」
「判ってるなら蒸し返すな。てめえは自分で自分の首を締めてるんだぞ」
 シーラが取っていない単位ってのは、要するにベッドの上での技術な訳だ。異性を篭絡させる技が必須で、その他にいくつか任意の単位もある。オレが取った単位の中にはシーラの必須科目もあるから、シーラがその単位を持っていなくても、チームとしてはそれほど困ることはないんだね。……まあ、そのおかげでオレはかなりいそがしい思いをしてるけど。
「だいたいなあ。なんでオレがそんな話を蒸し返したかって、ひとえにお前がシーラをちゃんと見張っててくれなかったからじゃないよ。公道でカーチェイスする羽目んなったオレの身にもなってくれる」
「それは悪かったと思ってる。だけどなあ。オレにだって生理現象もあれば都合もあるんだよ。シーラの見張りだけやってられるわけじゃねえんだ」
「だから言うんだ。 ―― シーラをお前の女にしろよ」
 タケシはおもしろいくらいピタッと、動きを止めた。オレにはシーラと寝ろとかなんとか言いながら、自分が言われるとは思ってなかったんだろうか。
「一度やっちまえばあのじゃじゃ馬もおとなしくなるだろ。オレはひじょうに助かるけどね」
「……オレにはできねえよ。シーラが好きなのはオレじゃねえ」
 そんなの、抱いちまえばそいつが一番になると思うけどね。
 タケシもやっぱり、今の関係を崩すのをどこかで恐れてるのかもしれない。


15
「……サブロウ、サブロウ! なんて格好で寝てんだよ!」
 翌日の目覚し時計は、なぜかタケシの野太い声じゃなく、シーラの甲高い声だった。布団をはがされて眩しさに目を細める。目の前にはちょっと怒ったようなシーラの顔があった。
「ヤダもう! 香水の匂いなんかさせてるな! ワイシャツもしわくちゃにしてー。……さっさと脱ぐ!」
 寝ぼけながら身体を起こすと、シーラは手早くオレのシャツを脱がせにかかった。と、シャツをはがすシーラの手が一瞬止まる。そのあと待っていたのは、脱がされたシャツでの顔面一撃。
「サイッ、テー!!」
 そう叫びを残して走り去るシーラの後姿を、オレは呆然と見送った。まだ少し寝ぼけてるな。部屋を見回すと、相変わらずタケシが吸殻を大量生産している姿が見えた。
「……なんだ……?」
 オレが言うと、呆れたようにタケシが煙を吐いて、自分の胸元あたりを指差した。
「ココ、くっきりとついてる」
 しばらく意味が判らなかったのだけど、それが判ったとき、オレは正直ちょっとあせった。
「やっばー。気をつけてるつもりだったんだけどな。やられたわ」
「昨日の女か」
「明日までに消えるだろうなあ。明日の方が本番だってのに」
 タケシはほんとに呆れてしまったらしく、天井に向かって大きく潮吹きをした。


16
 昨日放り出したはずのスーツはベッドの上から消えていた。オレがそのまま眠っちまったから、おそらくタケシが片付けてくれたのだろう。シーラもタケシもけっこうまめなタチだ。リーダーがずぼらなチームのメンバーは自然にそうなるらしいな。
 ようやく頭がはっきりしてきたから、オレはシャワーを浴びようと立ち上がった。
「さっき本部から呼出し命令があった。出られるか?」
 作戦進行中だろうがなんだろうが、本部は構わず命令を出してくる。別に珍しいことじゃなかった。だけど、いちいち面倒なのも確かだ。
「タケシに頼んでもいい?」
「そう言うだろうと思って返事はしておいた。オレの担当は午後からだったからな。本部の方を午前中に片付けておく」
「頼りになるな。助かるよ」
「シーラが昨日機材のリストアップをやってたから、問題がなければついでに取ってきておく。……明日のお前の担当、少しは回してくれても構わないぜ」
「それはいいよ。シーラを見張っててもらった方が遥かに助かるし」
「まあ、そういうことなら今日はサブロウがシーラ担当だ。あんまりあいつを刺激するなよ」
 シーラ担当、か。タケシも言うことがきついこと。
「……外で動き回ってる方がよっぽど気が楽だね」
 タケシと少しの会話を交わしたあと、オレはシャワーを浴びた。鏡を見ながら昨日のキスマークを軽くマッサージ。腰にバスタオルを巻いて部屋をうろうろしていると、タイミングの悪いところでシーラがやってきた。オレの身体を上から下までジロジロと見回したあと、ソファのタケシの隣に座って、タケシの腕にしがみつくように顔をうずめた。
「タケシ、なんでサブロウはあたしに意地悪ばっかりするのかな」
 今回に関してだけ言うならば、それはまったくの濡れ衣だとオレは思う。


17
 さすがにシーラの目の前で下着を着るのははばかられたから、オレは一度ユニットバスに戻って身支度を整えた。そうして部屋に戻ると、タケシは相変わらず煙製造に忙しく、シーラは恐ろしい目をしてオレを睨みつけていた。
「シーラ、オレのシャツ、どうした? 明日また使うんだけど」
「クリーニング。今日の夜までにできるってさ」
「ありがとう。気が利くね。君はいい奥さんになれそうだ」
「サブロウは娘に嫌われるオヤジになるよ」
 へえ、口ごたえするなんて珍しい。昨日タケシに何か言われたかな。
「シーラ」
 タケシが促して、シーラはテーブルの上に叩きつけるように1枚の紙を置いた。見るとさっきタケシが言ってた機材のリストだ。拾い上げて、ベッドに移動しながら軽く眺める。
「……ごめん、タケシ。やっぱり明日シーラと一緒に行って」
「判った。じゃ、オレはでかけてくる」
「ああ、頼むよ」
「ちょっとサブロウ。何か足りなかった?」
 タケシはシーラの頭を1回なでるようにして立ち上がると、車のキーを掴んで部屋を出て行った。


18
「サブロウ」
 オレはベッドに腰掛けて、シーラの作ったリストを見つめていたから、シーラはソファから立ち上がってオレの隣に腰掛けた。オレが見ているリストをシーラも覗き込む。シーラにしてみれば、自分が作ったリストの是非が気になってしかたがないんだろう。
「何回も確認したよ。変だった?」
「……いや、良くできてる。君にしては上出来」
「なんでそういう引っかかる言い方するんだよ」
「ちょっと黙ってて」
 オレは機材をひとつひとつ作戦と照らし合わせた。経緯を辿って、シーラが選んだ機材を使いながら頭の中で川田ビルに潜入する。内部の構造は前に実物を見ているから、わりとスムーズにシュミレーションすることができた。シーラはオレが考えていた侵入経路よりもずっとスマートな経路を想定していたのだ。
 確かに、この方が機材も少なくて済む。1箇所だけ、多少オレに負担がかかるところがあるけれど、そのデメリットよりもメリットの方が遥かに大きかった。
「このリスト、タケシに見せた?」
「見せてないけど。……変だった?」
「変じゃないって。天才的に良くできてる。君はすばらしく優秀で完璧なメンバーだ」
「なんでサブロウの言い方って、そういちいち引っかかるのかな」
 タケシの作戦じゃない。この作戦は、全部シーラが1人で考えたことだ。
 それにしても、どう誉めようがけなそうが、結局オレの言い方はシーラのお気には召さないらしかった。


19
 オレはリストをファイルにはさんで、備え付けの金庫にしまった。シーラが座っているベッドに寝転がる。今日の予定が昨日に繰り上がっていたから、今日のオレは1日暇だった。シーラ担当だと思えば退屈している余裕はないだろうけれど。
「ねえ、サブロウ。……あたし、必須の単位取った方がいい?」
 オレが昨日蒸し返したからだろう、シーラが訊いてくる。ほんとはずっと引っかかってたのかもな。誰も口に出さなかったから、シーラ自身もその話題を避けてきたのかもしれない。
「タケシは何て言ってたんだ?」
「自分はリーダーじゃないから何も言えない、って。サブロウに訊いてみろって」
 ……タケシの奴。さては面倒なことをオレに押し付ける腹だったな。おかしいと思ったんだ。進んで本部に出向いてくれるなんて。
「……まあ、シーラが単位を取ってくれたら、チームとして作戦の幅は広がると思うけどね。でも、今のままでも支障はないし、いいんじゃない? シーラが無理して嫌な単位を取らなくても」
 確かに酷な話だと思うよ。ヴァージンの女の子に、SEXのイロハをムリヤリ仕込むなんて。
 そういうところは組織の上の方も理解しているらしくて、必須科目とはいっても本人がその気になるまでは履修を猶予される風潮がある。
「……サブロウが補習してくれたら、取れると思う……」
 失敗したと思う。オレは昨日、たとえシーラが事故ろうが何しようが、こういう話を蒸し返すべきじゃなかったんだ。
「それならタケシに頼めって言ったろ?」
「頼んだよ。……だけど、タケシにも断わられたから」
 ……なるほど。それでか。昨日タケシの様子が妙だったのは。
 あのオクテ野郎は、オレがせっかくチャンスを作ってやったにもかかわらず、自分からフイにしてくれたらしい。


20
 オレはベッドから起き上がって、車のキーを取った。
「腹減らない? 朝メシ食いがてらドライブでもしよっか」
 気分を変えるようにオレが微笑むと、シーラの表情が目に見えて明るくなった。
「する! あ、でもあたしお化粧してない!」
「大丈夫だよ。君は今のままで十分美人だから」
「どうしよ。うーん、でも、サブロウの気が変わっちゃったらやだからいいや。バッグだけ持ってくる。待ってて!」
 そうしてシーラが部屋を飛び出していったから、オレはカードキーを持って部屋を出て、そのままエレベーターホールに向かった。エレベーターを待っている間にシーラが追いついてくる。外に出ることが嬉しいのか、ちょっと息を弾ませながらも笑顔だった。
「なにが食べたい?」
「えーとね、ホテルじゃ絶対食べられないものがいいな。……マクドナルドの朝食セット!」
「君は安上がりでいいね」
「なんだよ。どうせあたしはサブロウが付き合ってる女の子みたいにお上品じゃないもん」
「たまにはいいよ。毛色が変わってて」
「……今日は他の娘の話なんかするなよ」
 始めたのはシーラの方だと思うけどね。でもまあ、そのへんの心理も判らない訳じゃない。オレもシーラに対してはそうとう意地悪だ。
「判ったよ。今日は君の行きたいところに連れてってあげるから。希望があるなら何なりとお言い付けくださいませ、お姫様」
 頭をぽんぽんと叩いて、少し子供扱いしたことにまたヘソを曲げるかとも思ったけれど、それは今はたいして気にならないようで、シーラは機嫌を直していた。


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