永遠の一瞬



 みんなで、わになって、おゆうぎをしていた。
 ぼくのとなりには、シーラがいて、シーラのとなりに、タケシがいる。
 てをつないで、まわりながら、おうたをうたった。
 いつもとおなじ、ぽかぽかとあたたかくて、ねむってしまいそう。
 だけど、ぼくはまどのそとに、みたんだ。
 ようちえんの、もんのまえに、おおきなトラックがとまった。
 そのにだいから、なんにんかのおとなが、ならんでかおをだした。
 てに、きかんじゅうを、もってた。

 ぼくは、はんたいがわのおともだちの、てをはなした。
 それから、ならったばっかりのたいじゅつで、シーラをたおした。
 そのあと、タケシもたおした。
 ふたりともびっくりしたけど、ぼくはふたりのうえに、かぶさった。

 すぐに、すごいおとがして、まどのガラスがわれた。


「……いいかげんに起きろよサブロウ」
 その、野太い声が、いつものオレの目覚し時計だ。寝返りを打ちながら伸びをして、枕もとの時計を探る。7時38分。確かにそろそろ起きる時間だな。
「おはよう、タケシ」
「早くねえよ。8時にはシーラがくるぜ。着替えの情けねえ姿、あいつに見られてもいいのか?」
「まあ、いまさら見られて減るモンじゃないけどね。ああ、そんなに睨むなって。起きるよ。起きるから」
 ベッドから跳ね起きて、タバコを吹かしてオレを睨みつけるタケシの前を通り過ぎると、オレは着替えを始めた。タケシは身長はオレとさほど変わらないのに、横は明らかにでかく、ごつくて巨大な男だ。そんな奴がプカーとか煙を噴きながら睨みつけている姿は実に怖い。子供の頃から一緒に育っていなければ、一目見て付き合いを考えるところだ。
「朝から不健康だね。何本目よ」
「さあ、数えてねえ。少なくとも片手じゃねえかな」
「お前と一緒の部屋じゃこっちが肺ガンに侵されそうだ。やっぱりタケシが一人部屋のほうがいいかもね」
「で? お前とシーラが同部屋か? そんな危険な」
「オレは何もしないよ」
「バーカ。そんな心配してねえよ。オレはサブロウがシーラに襲われねえか、それを心配してるんだ。……まあ、お前がいいなら好きにすりゃいいけどよ」
 確かに、オレがシーラに襲われる確率は、オレがシーラを襲うよりも、明らかに高いような気がした。


「……判りました。喜んで肺ガンにならせていただきます。オレにも1本くれる?」
「勝手に吸えよ」
 着替えを終えたオレは、テーブルに置き放してあったケースから1本取り出して、くわえて火をつけた。未成年の喫煙が身体に及ぼす影響を知らないわけではないけれど、オレはそれほど長生きするつもりもないし、おそらくできないだろうから、あまり気にしなかった。どう考えたって肺がんで死ぬより先に、他の理由で死ぬ確率の方が高いのだ。
 しかし、タケシはどうしたって18歳の未成年には見えないけどな。付け加えるなら、オレは19で、奴よりも1つ年上なんだ。
「サブロウ、昨日整理した資料、どこにある」
「ああ、どこかな。昨日寝ながら眺めてたから」
 オレはベッドの方へ行って、バインダーにはさんだ資料を探した。もしかしたら見ながら眠っちまったのかもしれない。ベッドの裏へ回ると、枕もとの奥にそれらしきものが落ちているのが見えた。
「やっぱりここだ。タケシ、悪いんだけどベッド動かすの手伝ってくれるか?」
「……相変わらずだな。だらしねえ」
 文句を言いながらもタケシは手伝ってくれて、オレはベッドの隙間からバインダーを拾い上げた。タケシに手渡すと、歩きながらパラパラとめくった。
「川田ビルは前にも入ったことがあるからそれほど調べる必要はなさそうだな。決行はいつにする?」
 そう、タケシが聞いたのは、単にオレがリーダーだからだ。決行の日はほとんど決まっている。できるだけ早く見つかりにくい、週末土曜日の夜。
「シーラがきてからな。……のんびりしてる暇ないじゃん。とりあえず顔だけでも洗っとかないと、シーラに何言われるか」
 ほとんどとぼれてしまったタバコを灰皿に押し付けて、オレは洗面所に向かった。


 顔を洗って、簡単に髪を撫で付けていると、シーラはやってきた。
「サブロウ、ちゃんと起きてる? タケシおはよう」
「ああ」
「サブロウは?」
「洗面所にいる。そろそろくるだろ」
 声が聞こえたから、オレは適当なところで切り上げて、洗面所から顔を出した。
 それまで、さんざんシーラのことを悪し様に言ってきたけれど、オレはシーラのことはかなりかわいいと思う。というか、シーラは美人だ。タケシと同じ18歳で、普通にしていればちょっと綺麗な女の子なのだけれど、化粧をして服装を替え、それなりの表情をすると、シーラは絶世の美女になる。だけど今日はただの打ち合わせだけで、外に出る予定はなかったから、シーラは化粧もせず男物のチェックのシャツとGパンをはいて、長い髪を肩にたらしたままオレたちの部屋に現われていた。
「おはよう、シーラ。今日も美人だね」
「おべっかなんか信じないよ。サブロウは口うまいんだから」
「おべっかじゃないって。君は世界一の美人だよ」
「判った、言い直すよ。 ―― ほんとのこと言われたってあたしぜんぜん嬉しくないよーだ」
 どちらかといえばぶっきらぼうな、男のようなしゃべり方で、シーラはそっぽを向いた。オレがからかっていることを判ってるから、そういうやりとりを本気に取るようなことはしないのだ。まだまだ子供だと思う。姿はすっかり育って、誰もが振り返るような美人なのだけれど、そして本人にはそういう自覚もあるのだけれど、シーラはオレの前では昔とぜんぜん変わらない子供だった。
 すごく、かわいいと思う。オレは彼女に世界で一番幸せな女の子になって欲しかった。


「シーラ、タケシ、決行の日を決めたよ。3日後の土曜日、深夜11時だ」
 オレが言うと、2人とも一瞬表情を硬くした。だけどそれほどの緊張感はない。この程度の仕事ならば、過去にいくらでも成功させてきた。そのうえ、川田ビルは以前に別件で侵入したことがある。わりに楽な仕事の1つだった。
「役割分担は? このあいだと同じ?」
「ああ、変更の必要はないだろ。タケシが配電関係で、オレが実行係。シーラは逃走経路の確保だ。細かい打ち合わせは当日するとして、前日までに必要な機材をピックアップして本部に取りに行かないとね。……タケシ、シーラ、2人で頼むよ」
「判った」
「サブロウは?」
「オレのことは気にするな。その日はちょっと野暮用がある」
「……まさか、デートだったりする?」
「当たらずとも遠からず、だったりして」
 オレが言うと、シーラが怒ったように口を尖らせた。それには構わず、オレはファイルを閉じた。
「シーラ、隅から隅まで読んでおいて。……隅から隅まで、だぞ」
 オレの駄目押しに、シーラは本気で怒ったらしい。ファイルをオレに叩きつけて言った。
「今度は誰だよ! しょうこ? まさえ?」
「だから気にするなって。ノーコメント」
「信じらんない! 仕事より女を取るなんてサイテー!!」
「悔しかったらお前も彼氏作ってみろよ。ちょっとそこらで笑顔の1つでも振り撒けば引っかかる男はいくらでもいるぜ」
「サブロウなんか大っ嫌い!!」
 怒り狂って、それでもファイルだけはしっかり掴んで、シーラは部屋を出て行った。


 タケシがタバコに火をつけて、ふうっと、ため息のように吐き出した。シーラがいなくなるととたんに静かになる。彼女はオレたちの中で、よく言えばムードメーカー、悪く言えば騒音メーカーだ。
「なんだってああいう言い方をするんだ」
 責められているとは思えないけれど、やっぱり責めてるんだろうか。タケシの低い声は、その辺の見極めがけっこうむずかしい。
「いや、単におもしろくて」
「いいかげんほんとのことを言ってやったらどうだ? あいつだってもう大人だろう。そのくらいの必要悪は理解できる年齢だ」
 自分の年を棚に上げてよく言うよな。タケシだってシーラと同じ18なんだ。
「なぐさめてやれば? お前の優しい心に胸を打たれてクラッとくるかもよ」
「やだね。めんどくせえ」
 そういうのをめんどくさがってるようじゃ、女なんかモノにできないって。タケシの奴も本人が思っているほど大人じゃないんだ。そういうオレも大人かどうかなんて判らない。……まあ、シーラよりははるかに大人だと思えるけど。
「判ってるんだろ? シーラの気持ち」
「タケシの気持ちなら知ってるけどね」
「あくまでシラを切るか。……まあ、好きにすりゃいい。どうなったってオレは知らねえ」
 立ち上がって、灰皿にタバコを押し付けて、タケシは部屋を出て行った。おそらくシーラの部屋に行ったのだろう。
 なんだかんだ言っても、タケシは人一倍優しい男だし、誰よりもシーラを好きなんだと思う。


 オレたちは、ある組織に所属している、いわゆる秘密工作員だ。幼い頃からの一貫教育によって、3人1組のチームに育て上げられる。まあ、簡単に言えば組織的な集団泥棒のようなものだ。主に産業スパイのようなことをやっていて、企業同士の過当競争に茶々を入れて、報酬を稼いでいる。
 オレたちのような3人組をまとめてスターシップと言うのだけれど、そのほとんどは組織員の2世だ。オレの両親も組織の一員で、どうやら組織を裏切って殺されたらしい。そんなことは公にはされないし、オレがそれを知っている方がおかしいのだけれど。事実、タケシもシーラも自分の両親が誰なのかは知らない。
 スターシップ、チーム名レヴァンス、リーダーサブロウ。それがオレだ。本部からファイルを受け取って、指示どおりの仕事をこなし、その報酬は自分の命。オレたちは、仕事をすることで、組織から自分の命を買っているのだ。
 そんなこんなでまあ、内情はかなり過酷なのだけれど、それなりに楽しんでやってるといっていいんだろうな。ほとんど1年中ホテルに滞在していて、遊んでいるようなものだし、時々仕事しちゃ、命がけの綱渡りを楽しんでる。真面目にやってたら気が狂う。組織の上の連中は、オレが両親のように裏切るかもしれないって、いつも目を光らせているから。
 いつまで持つ命かなんて判らないけど、これがオレの生きている世界なんだ。


 ルームサービスに電話をして食事が届く間も、タケシが帰ってくる気配はなかった。当然1人分しか注文していないから、オレは勝手に朝食を摂り、歯磨きをして、ベッドに寝転がった。食事を1人で摂ったのは別にタケシに意地悪をしている訳じゃない。万が一オレたちの正体がバレていて、食事に毒でも入っていたとしたら、全員一緒に倒れてはその後の証拠隠滅すらできない状況になりうるからだ。
 オレはリーダーだから、一番最初に食事をすることに決めている。まあ、オレの寝起きは悪いから、オレより先にタケシがレストランで食事を済ませている時の方が、はるかに多いのだけど。
 ベッドに寝転んだのとほぼ同時に、電話のベルが鳴った。
「はい、……はい、はい、……今日ですか? ……判りました。すぐに伺います。1時間くらい見ていただければ。……はい、では」
 オレは受話器を置かないで、すぐに内線番号を回した。
『はい』
「シーラ? タケシそっちにいる?」
 シーラのむっとしたような気配が伝わってくるようだ。
『あたしじゃダメなわけ?』
「いや、別にいいけど。そんじゃ、タケシに伝えてくれる? オレ、これからちょっと出かけてくるから」
『今日はどこにも出かけないって言ってたじゃない。どこに行くの?』
「そんなの別に訊くことないって」
『なんだよ! あたしに言えないようなところなの?』
「そうなの。子供には判らないところ」
  ―― ガチャン!!
 耳元で盛大な音をさせて、電話は切られていた。


 すぐに軽くシャワーを浴びて、髪をセット。ラフ目のスーツに着替えて、ネクタイを締めた。姿見でひと通り点検をする。オレは長身でタケシほどごつくないから、そういう格好をすればけっこう見られるスタイルになる。ホストクラブにでも就職すればナンバーツーくらいにはなれそうな容姿だ。
 車のキーを持って、地下の駐車場に向かった。自分の車のキーを開けて運転席に座る。と、背後にわずかな気配を感じた。オレは1つため息をついて、振り返らないで言った。
「そんな隙間に隠れてないで出て来なさい」
 あきらめたのか、ルームミラーにシーラの姿が映った。
「どうして判ったんだよ」
「判るさ。お前の気配くらい判らないでどうする」
 オレたちはそれぞれの車の合鍵を互いに持ち合っているのだ。当然、シーラもオレの車のキーを持っているし、オレも2人の車のキーは持っている。
 オレは再びドアを開けて、シーラに声をかけながら降りた。
「鍵、かけとけよ」
 そう言って、オレはタケシの車が駐車されている方に向かった。この際しかたがないからタケシの車で我慢しよう。
「ちょっと! 待ってよ! ……なんで! このドアなんで開かないんだよ!!」
 後部座席にはチャイルドロックって機能がついてるんだよ。外からは開くけど、内側からは開かないんだ。これがタケシなら間違いなくロックを確認してから乗り込むんだけどね。シーラはそこまで頭が回らないらしい。
「……信じらんない!」
 信じられないのはこっちだ。オレはタケシの車に乗り込むと、エンジンをかけた。


10
 あまり時間もなかったから、オレはすぐにタケシの車を発進させた。すると、背後でエンジンをかける音が聞こえる。まさか自分の車のエンジン音を聞き間違えはしなかった。シーラの奴、運転席に移動して、オレの車を動かしたのだ。
「……誰か、助けてくれよ」
 ひとりごちて、駐車場を抜け、一般道に入る。少し遅れてシーラも出てきていた。まさかこんなところでカーチェイスをする羽目になるとは。いったい何が気に入らないんだあいつは。
 オレはスピードを上げて、さして多くもない車の間をすり抜けた。シーラの奴も、かなり危なっかしい運転でそれでもピッタリとついてくる。オレはなんとかシーラを巻こうと更にスピードを上げて、シーラも必死でついてきて、2台の車の攻防はしばらくの間続いた。だけど、このまま続けてたら間違いなく事故る。オレじゃなくてシーラの方が。
 あきらめて、オレはスピードを落とし、ウィンカーを出して路肩に停車した。シーラもついてきて、オレの前方に車を止めた。
 オレは車を降りて運転席のドアを開け、シーラを引きずり出した。
「どうしてオレの邪魔をするわけ?」
 オレが怒っているのが判ったのだろう。上目遣いでシーラはオレを見上げた。
「サブロウはあたしに何にも話してくれないじゃないか。あたしだってチームの一員だよ。サブロウが何をしてるのか、知る権利はあるはずじゃない」
 そう言われてしまうと、オレも弱いところがある。確かにシーラの言うことは大部分で正しいから。


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