赤い砂の大地


 第4話 ガイの狂走
 
 

 裕の悪魔は二日目に入った。段々苦しくなっているようだった。僕は裕の額の汗を、ときどきカザムノでふきとっていた。熱がでているようだった。
「裕、裕」
「そんな顔をしなくても死んだりしないよ。ルマは強いんだ。筋肉が弱くなる分、耐える力が強くなっていくから、渉が思うよりきっと、何倍も強くなっているはずだから」
 そういうと、裕はまた少しほほえんだ。苦しいときに笑う必要なんてないと思った。でも、それが裕の満足につながっているのだと、僕は少しづつ判り始めていた。
 その時、近くで人間の気配を感じた。僕は気配を消しながら、ゆっくりと振り返った。
「ピジョン=ブラッド」
「渉、デルタ=裕。ここで会えて良かった」
 褐色の髪、透き通った赤い瞳。僕は懐かしさを覚えていた。六十日ぶりの再会だった。
「僕達が生まれて二度目に会う人間がピジョン=ブラッドだったなんて」
「渉、デルタ=裕が苦しそうだ」
僕は裕に視線を移した。裕の様子は先ほどとあまり変わったところはなかった。
「裕、ピジョン=ブラッドだよ」
「見えるところにつれてきて」
裕の言葉を聞いて、ピジョン=ブラッドは僕達の方に歩いてきた。僕の隣に膝まづいて、裕を覗きこんだ。裕は薄目を開いて、ピジョン=ブラッドに笑いかけた。
「ピジョン=ブラッド。神様を見てきたの?」
「見てきたよ。話が聞きたい?」
「いい、あとで。どこかで渉と話してきて。僕は眠りたい」
 そういうと、裕は再び目を閉じた。僕とピジョン=ブラッドは立ち上がって、少し風下に向かってあるいていった。裕が見えるところで、僕達は腰を下ろした。
「まさかまだこんな所にいるとは思わなかった。遅れているな」
「僕達はどのくらい遅れている?」
「十日くらい。でもまだ取り戻せる。僕も協力する。聖地までは三十日の距離だけど、僕は一度通ったから道をまちがう心配はない」
 思ったより、僕達は遅れていないようだった。もしもきっかり三十日で歩ければ、予定より三、四日ほどの遅れで済む計算だった。
「一緒に歩いてくれるの?」
「デルタ=裕が良ければ、と言いたいところだけれど、そうのんびりしたことは言っていられないんだ。ここから十日ほどの距離のところに、大きな群れがいる」
「リグの? それともマトナ?」
「それならまだいいんだ。群れは人間だ。二十人ほどのガイだけの群れだ」
 ガイの群れ。僕はその群れの意味を、たった一つだけしか考えれれなかった。
「裕を狙っているのか?」
「子供を残したい思いは誰だって同じだ。そのなかには、最初から一人で生まれてきたものや、途中でルマをなくしたものもいる。ルマを得ることに、誰もが真剣だ。おそらく無事に通り抜けることは出来ない」
「セイルやロエラは……」
「無事だった。彼らは数人の一対たちと一緒に通り抜けたらしい。この辺りで知りあった一対たちと共に行動していたから」
「イッツイ……?」
「ガイとルマを合わせて、聖地ではそう呼んでいた。言葉は聖地で生まれる。それよりも、渉やデルタ=裕には、行動を共にすべき一対たちがいない。僕が一緒にいなければ、渉はデルタ=裕を奪われてしまう」
 もしも裕を奪われたら、僕には生きている意味がなくなってしまう。もしも僕が死んでしまったら、裕は僕以外の人間の子を産むのだろうか。ルマはそうやって生きてゆくのだろうか。僕のことも忘れて。
「セイルに頼まれたのか?」
「それもある。だけど、僕の意志でもある。僕のことを尊敬するといったのは、あとにも先にも渉だけだったから」
「ピジョン=ブラッドは僕の親友だ」
 ピジョン=ブラッドは僕を見つめて、そして、にっこりと笑った。
「それじゃ、親友から忠告だ。ガイ達を殺せよ」
「食べられないものは殺せない」
「彼らはお前を食べられなくても殺すつもりだ。デルタ=裕のために殺せ。それに、死んでも無駄にはならない。ルギドとルミノクがすべて掃除してくれる」
「判った」
 風がそよいでいた。風が、裕の血の臭いを運んできていた。裕は僕の子供を産みたがっている。僕のために苦しみに耐えようとしている。僕には、裕の気持を無にするようなことは、到底できる訳がなかった。
 裕の血の臭いに誘われて、近くでルギドが顔を出した。僕達はそのルギドを狩るために立ち上がった。
 たくさんの獣の血で汚れてしまった、鈍く光るチェルクを握り絞めて。

「迂回することは出来ないか?」
「それは出来ない。ガイの数は多い。僕はいろいろなところを歩きまわって、ガイの数を調べた。そのなかで一番少ない群れが今向かっているルートにいるんだ。群れと群れの間を通ろうとしても、必ず見つけられて、悪くすると両方の群れを相手にすることになる」
 裕の悪魔が去ってから、三日くらい歩いたところだった。今回の裕の悪魔はいつもより強く、裕は四日間動くことが出来なかった。風景は砂地に戻っていた。ガイの群れのいるところが同じような砂地ならば、隠れることは出来ないと思った。
「ピジョン=ブラッドはすごい。僕達と初めて会った岩山から草原まで六十日で、草原から聖地までの往復が六十日。それを六十日で歩くことだけでも大変なのに、そのほかに、神を見たり、セイルと話したり、群れを調べたりしていたんだ。とっても信じられない」
 裕は歩きながら、小柄なピジョン=ブラッドを振り仰いだ。ピジョン=ブラッドは、ちょっと困ったような顔をした。
「別にたいしたことじゃない。身体は小さいけど、人並みの体力はあるんだ。デルタ=裕も一人なら出来るよ」
「僕も、ただ裕とよんでいい事にする」
「ありがとう。それじゃ裕、渉も。僕の話を聞いて。ちょっと不安に思える作戦だけど」
 僕と裕は、ピジョン=ブラッドを囲んだ。僕達二人が、デールやルターから話を聞く時の体勢だった。
「例えばだけど、裕が悪魔を迎えているとき、渉が狩りにでかけたまま帰らなかったらどうする?」
裕は少し考えたけれど、はっきりといった。
「暫く待って、そのあとは聖地へ向かうよ。誰かの子供を産む」
「それが当たり前だ。それで、変な話で悪いんだけど、ルマは一人の子供しか産めないけれど、ガイは二人のルマに子供を産ませることが出来るんだ。もし僕が裕ならば、セイルの子供を産もうと考えるだろう。そうやって生まれた子供の方が、全く他人の子供を産んだときよりも、生き残る確率が高いからだ」
 僕はだんだん話が見えてきていた。それは裕も同じだった。
「僕に一人でガイの群れまで行けっていうの?」
「それでガイたちが争いを始めてくれれば万々歳だ。一人残ったガイならば、僕と渉とでたおすのはたやすい。たとえ争いを始めてくれなくても、そのあと僕達が通るのは簡単だ。ガイなんだから。裕は折りを見て助けだす」
 確かに不安な作戦だった。でも、裕が素直にガイたちの誰かの子を産むといえば、殺されてしまうことはないだろう。
「裕さえよければ僕はいいと思う」
「渉がいいのなら僕も」
「それじゃ僕は先を見てくる。この辺りにはまだマトナがいるから気をつけて」
 そういうと、ピジョン=ブラッドは走って行った。僕は、僕達を無事に聖地に送り届けたあと、ピジョン=ブラッドがどうして生きてゆくのか心配だった。ピジョン=ブラッドが一人のルマと知り会えればいいと思った。

 暫く前から、砂の感触が変わっていることに気付いていた。ピジョン=ブラッドに、これが土なのだと教わった。その土のある一点で、ピジョン=ブラッドは足をとめた。
「裕、ここからは一人で行くんだよ」
 裕は僕を振り返った。泣きそうな顔をしていた。
「必ず僕を助けに来て」
「必ず、まちがいなく助ける」
「奴等に見つけられてもそういう顔をしているといい。裕は渉と離れ離れになってしまって、心細いんだ。本当はセイルかロエラの子を産むつもりだけれど、これから守ってくれるガイがいるなら、そいつにすべてを任せようとも思っている。だから、もしそこにいるガイのうち、誰かを選べといわれたら、一番強そうなのを選ぶんだ。もし戦いになったら、巻き込まれないように少しはなれるんだよ。それも、聖地と逆の方向に。聖地に逃げたら、そのまま逃げられると勘違いされる恐れがあるから。素直なルマだと思い込ませるんだ」
一つ一つ言い聞かせるように、ピジョン=ブラッドは語った。
「それから、身体を見せたり、触らせたりしてはいけない。すぐに助けに行くつもりだけれど、もしかしたら少し遅れるかも知れない。それでも、逃げようと思わないで。身体の具合が悪いとか何とかいって、少し遅れてくれればいいから。さあ、干し肉を全部置いていって。裕は今まで、ルミノクとルギドだけを食べてきた事にしてね」
 準備がすべて整って、裕は僕達に背を向けた。そして、振り返った瞬間、僕のなかにいい知れない不安が広がった。僕は思わず駈けよって、裕のからだを抱き締めた。
「必ず助けに行く。それまで無事でいて」
「渉……僕は行くよ」
 こうして僕達は、生まれる前から数えて初めて、離れ離れになったのだった。

 それから暫くの時間を待った。長い時間だった。そして、ピジョン=ブラッドの判断で聖地に向かってあるいてゆくと、かなり歩いたところに、ガイたちの死体がたくさん転がっていた。
「裕はいないな。とりあえずは成功だ」
 この死体のなかに裕がいたら、僕は何よりまず、ピジョン=ブラッドを絞め殺していたことだろう。まだルミノクもルギドもいないところを見ると、裕が去ってからそんなに時間がたってはいなかったはずだ。これならばすぐに追い着ける。そろそろ裕の眠る時間だった。やさしいガイならば、すぐに裕を眠らせてくれることだろう。ピジョン=ブラッドはそこまで計算していた。
 それからまた暫く歩くと、前方に煙が立ち上っているのが見えた。どうやら裕たちにまちがいないようだった。
「良心的なガイだ。火をたいていたらここにいることがすぐに判るじゃないか。考えなしな事だ。ほかにもガイの群れはたくさんあるっていうのに」
 ピジョン=ブラッドは一通りなじったあと、僕に言った。
「僕が先に行く。たぶんこのガイは、ほとんど戦わずに裕を手にいれたんだ。そういうガイは逆上して裕を殺しかねない。僕一人で戦いを挑めば、僕は小さくて弱そうだから、勝てる気になるかも知れない。僕が戦っている間、隙を見て裕をつれて逃げろ。もしかしたら、ほかのガイの群れが見つけているかも知れない」
「判った。ピジョン=ブラッドはどうする?」
「片つけてからすぐに追い掛ける。一日くらいは歩きつづけて、見通しのいいところで火をたかずに休んでいてくれ。それで僕が追い着かなかったら、二人だけで聖地へ」
 ピジョンブラッドはそれ以上はなにも言わず、立ち上がって裕たちのところへ行った。僕は隠れて、成り行きを見守っていた。いつでも飛び出せるように、チェルクを握り絞めて。
 ピジョンブラッドが近づいてゆくと、ガイはすぐに立ち上がった。体格はピジョン=ブラッドとほとんど変わらない。短いチェルクを、しっかりと握り絞めていた。
「そのルマは、お前のルマじゃないな。その方がもらい受けるのに罪悪感が少なくて済む」
「裕はオレのルマだ。このルマはオレの子供を産むと言った。去れ」
 僕には判らない言葉がいくつかあった。でも、それよりも、このガイが裕のことを裕と呼ぶことに、僕は耐えられなかった。
「裕というのか。どうだい、裕。僕とこのガイと、どちらを選ぶ」
「僕は強いガイがいい」
「だそうだ。さあ、戦え。このルマを守りたければ」
 その時だった。たくさんの足音が突然近づいてきたのだ。僕はびっくりして後ろを振り向いた。ガイの群れだった。
「渉、早く!」
振り返ると、ピジョン=ブラッドはガイにとびかかっていた。僕は飛び出していって、裕の手首を握り絞めた。そのまま、あとも見ずに走りだした。群れはどうやら、僕達の姿を発見して、近くまでは気配を消してきたらしかった。僕は後ろを見てはいなかったけれど、すぐ近くに迫っていることは判った。僕は裕を守らなければならなかった。たとえ、裕一人だけでも。
「裕、逃げろ」
「渉!」
僕は立ち止まっていた。振り返って、ガイたちの群れをにらみつけた。ガイたちは僕の前で止まって、戦闘体勢をとり始めた。
 僕に襲いかかるガイたちを、僕は恐れなかった。身をかわしながら致命傷を与えてゆく。
そこには、人間を殺してしまう罪悪感も存在しなかった。相手を殺すことと、裕を守ること以外、すべて消え去っていた。
「渉ーっ」
裕の声。僕は横目で裕の声のする方を見た。裕は二人のガイに襲われていた。僕は目の前にいた二人を倒して、裕の方に走りよった。後ろから、ピジョン=ブラッドも走ってきていた。
 裕を奪いあう、二人のガイ。裂ける裕の服。僕は背を向けていたガイの身体にチェルクを切りつけた。そして、もう一人のガイにとびかかったとき……
 最初のガイのチェルクは、裕のおなかにつき刺さっていた。ガイは僕を狙っていた。その間に裕が割り込む格好で。
 裕は鮮血をしたたらせて倒れた。その時僕の身体にほとばしった感情は、僕自身にさえ判らないものだった。僕は力の限り叫んだ。叫びながら、二人のガイを次々と刺し殺していった。
「裕!」
 倒れている裕。僕は抱き起こした。引き裂かれた服の間から、裕の滑らかな肌が露にな っていた。傷からあふれでる鮮血が、カザムノの服と、土に吸われた。そのなかで、裕は力なく目をあけた。
「裕……。生きて」
「僕はもう生きられない。渉の子が産めない」
「傷がなおれば産める。頼むから生きて」
「渉の子供が産みたかった。僕は母になりたい」
「頼むから死なないで。僕には裕しかいないんだ」
 この時僕には判っていた。裕は死ぬのだと。だけど認めたくなかった。奇跡を望んだ。もしも聖地に神がいるのなら、裕に奇跡をと祈った。僕の命のすべてをかけて、裕に命をと祈った。
 やがて裕の身体は冷えていった。傍らに、ピジョン=ブラッドが立ちつくしていた。裕に奇跡が起こらなかった全ての責任が、ピジョン=ブラッドにあるような気がしていた。
「ピジョン=ブラッド。神を知っているのなら裕を生き返らせて」
「僕が知っているのは聖地にある神の象徴と、それに仕える神の代理人だけだ。彼らに人間を生き返らせることは出来ない」
「君でもいい。裕を生き返らせて」
「僕は考えうるだけの精一杯のことをやった。渉、君は諦めなければならない。裕はもう帰ってはこない」
「僕は諦められない。僕も裕も、聖地で子供を作るために生きてきたんだ」
「その想いがガイの群れを生み、裕を殺したんだ。渉、君が諦めないというならば、同じようになればいい。誰かのルマを奪って」
「そんなこと、裕が許さない」
 それでも、僕は諦められなかった。今までの裕の苦しみと子供への想いが、僕の心を引き裂いていた。僕は死んでもよかった。裕だけが生き残ればよかったと思った。
「渉、これを飲んで」
「これはなに?」
「毒薬だ。さ、飲んで」
 ただの水だと思った。僕はそれを飲み干した。すると、急速に眠気がさして来るのが判った。やっぱり毒薬だったのかも知れない。
 裕にあえるのなら死んでもいいと思った。気を失う直前、僕のまぶたの裏で、裕が清らかにほほえんでいた。
 
 

トップへ     前へ     次へ