赤い砂の大地


 第5話 束縛の扉
 
 

 目覚める前、僕は夢を見ていた。僕達はまだおさなかった。デールとルターに旅の話を聞いて、心をおどらせていた。その後ろで見守るように立っていたもう一人の僕は、わくわくしながら話に聞き入っている僕と裕を見ながら、旅にでてはいけないと叫びつづけていた。その旅で裕は死ぬのだと。僕は心が死んでしまうほどに悲しむのだと。
 然れど、僕の言葉は届かなかった。それでも、僕は叫びつづけていた。
 目を覚ましたとき初めて、僕は眠っていたのだと気付いた。一瞬、裕が死んだことも夢のなかのことで、目覚めた僕を、裕の瞳が迎えてくれるような気がしていた。しかし、僕を迎えたのは裕の瞳でも、砂のクラプトでもなかった。四方に広がる、まっ白い何かだった。
 回りが白すぎて、僕は一瞬、神の国かと疑った。僕の目の前は四角かった。少し膨らんだ四角に見えた。でもそれは僕の目の錯覚だと判った。上の方はきれいな長方形だった。
 身体を起こしてみると、僕は長方形の箱の上に乗せられていた。身体にはカザムノより薄い皮が掛けてあった。回りを見回して、僕はどうやら、まっ白い長方形のなかに閉じ込められているのだということが判った。
 ここが何処なのか、僕には判らなかった。聖地には白い塔があって、その中の白い洞窟で、第四世代は生活するのだと聞いたことがあった。僕がいるのはもしかしたら、聖地の塔の中なのかも知れないと思った。
 白い岩肌には長方形の裂け目があった。そんなものは僕にはどうでもよかった。だけどその裂け目がすうっと横に動いて、人間が一人、入ってきた。僕の知っている人間だった。
「ピジョン=ブラッド……」
 僕は感情のこもらない声で言った。ピジョン=ブラッドは、ちょっと髪をかき上げた。
「そんな名前だったか。あのプログラムをしたのは、二十年も前だったからな。忘れていた」
ピジョン=ブラッドは変わっていた。年老いたリグのような、まっ白な髪になっていた。そのほかの外見は、全く変わっていなかった。年老いた様子もなかった。ただ、空と同じ色の皮を身にまとっていた。
「ピジョン=ブラッド。裕は」
「裕は死んだ。お前は知っているはずだ」
「ああ」
裕は死んだ。僕の目の前で、僕に抱かれて死んだ。それは事実だった。嘘であればいいと思ったけれど、あれが嘘だったとは、いくら僕でも思えなかった。
「デルタ=渉。僕はお前には何から話していいか判らない。お前はこことは全くかけ離れた環境で育ったんだ。全てを理解するのに、お前にはたくさんの時間をかけなければならないだろう」
 僕にはピジョン=ブラッドのいうことはさっぱり判らなかった。だけど、ピジョン=ブラッドの様子はさっきから少しおかしかった。僕には判らない言葉をときどき使っていた。白い髪のピジョン=ブラッドは、僕があのときまで一緒にいたピジョン=ブラッドとは、まるで別人のように思えた。
「まず教えておかなければならないのが、お前自身が実験体だったということだ」
『実験体トハ作ラレシモノ。ソレラハ作リタリシ者ノ意志ニヨッテノミ存在ヲ許サレル』
実験体という意味を、僕は明確に理解した。それがなぜなのかは、僕には判らなかった。
「お前は僕の所有する実験体だ。全ての権限は僕にある。お前の実験の目的の一つは、惑星クラプトの環境と生活様式、それに、文化に順応させることだった。まずは、この書類の三個所にサインをするように」
 僕にはピジョン=ブラッドのいうことが半分以上理解出来なかった。だけど、ピジョン=ブラッドが実験体と言った瞬間、これが僕のあるべき姿なのだと納得出来た。それは不思議な感覚だった。
「サインとはどうすればいいんだ」
「名前を書けるな。名前を書くのが嫌ならば、適当な記号でもいい。この先サインをしろと言われた時に、同じ記号を書いてくれさえすれば」
ピジョン=ブラッドにわたされた、不思議な色の出る棒で、僕は言われたところにサインをした。
「それには何が書いてあるんだ」
「お前は十年間僕に拘束され、その間は僕の言われたとおりに行動する。僕の質問には必ず答える。そのほかは自由な行動をとれる」
「十年間とは何だ」
「三千六百五十二日のことだ。それ以降はお前の好きなように生活できる」
三千六百五十二日の長さは、僕には想像つかなかった。髪をかき上げたピジョンブラッドを見て、僕は彼が片目を隠していることに気がついた。でもそんな事は興味も湧かなかった。
「契約も済んだことだし、僕の話を聞いてもらうよ。……まず、ここは地球というところだ。お前のいた惑星クラプトとは生態系がよく似ている。二百年――七万三千五十日ほど前、地球の文明は既に老年期を迎えていた。そして同じころ、惑星クラプトも壮年期に入っていた。年老いた文明は新しい文化と接触しなければ、そのまま滅びてしまう。それは地球のあらゆる文明を見れば判ることだった。
 地球の人類は、新しい星を求めて、宇宙へ旅立とうとしていた。二十世紀の終わりだった。その時、不幸な災害が星全体を覆った」
 判らない言葉を想像で補いながら、僕はピジョン=ブラッドの話しを理解しようとしていた。
「地球は宇宙へ旅立つための力を失った。年老いていた人類は、全ての気力や覇気をも失っていた。もはや人類は、文明なしでは生きられなかったのだ。そのあとに残ったのは、一握りの精神力ある人間と、たくさんの赤ん坊だった。その赤ん坊たちを治めようとしたのが、偉大なる指導者、葛城達也だった」
 その時ピジョン=ブラッドは、自分でも知らずに崇拝者の目をしていた。
「葛城達也は文明回復に力を注いだ。そして同じ時期、僕達の気付かないところで、もう一つの歴史が幕を閉じようとしていたのだ。
 惑星クラプトは地球の片方だった。地球が宇宙の旅をして、惑星クラプトにたどり着いたとき、両方の文明は新たな時代を迎えるはずだった。しかし、地球は旅立つことが出来なかった。地球よりもおさなかった惑星クラプトは、それから百年もたたずに滅びてしまったんだ」
「滅びた? 僕の星が?」
 僕は愕然としていた。もう、ないというのだろうか。僕の育った赤いクラプトは。
「正確にいえば、惑星クラプトにいた知的生命だけが滅んだんだ。かの星は変わった生態系を持っていた。まず、自転周期と公転周期が全く同じだった。これは太陽に向けている面がほとんど移動しないことを意味する。昼と夜を持たない。それから、かなりはっきりとした楕円軌道。公転周期を約七十年とすると、七十年周期で生態系が循環していったんだ。冬には生態系が太陽に近づき、夏になると太陽からはなれる。夏は生態系のドーナツ化現象が起きる。太陽の関係で、風が太陽に向かって吹く。だから砂や水は中央に集まる。中央部分は次第に盛り上がってゆく。中央には雨が大量に降り、地下水は地方に向かってながれる。
 僕がこの星を見つけたのは五十年ほど前だった。聖地とよばれる白い建造物に残っていた記録をよんで、僕の血は騒いだ。この歴史を再現出来ないかと、そう思ったんだ」
「それならばなぜ、裕を殺した。裕は僕の全てだった。せめて裕に子供を生ませてくれたなら」
「惑星クラプトが滅びたのはなぜだと思う。意味もなく人間同士で殺しあったからだ。お前には百五十七の実験が課せられている。実験体一つには莫大な研究費がかかるんだ。人間同士が殺しあうことの悲惨さを、お前は学ばなければならなかった。それともう一つ」
 ピジョン=ブラッドはすっと目を細めた。すると、僕の回りが全て変わっていった。
 それは懐かしい風景だった。僕と裕、それから、デールたちが暮らしたクラプトだった。
「ルター! 裕!」
 僕は駆け出してゆこうとした。それを、一つの声がさえぎった。
「待て、渉。ここにはルターも裕もいない。ここはもとの部屋だ。僕達はお前の五感をだましてこの映像を作り上げている。この世界にあるものは、全て映像なんだ」
 また、何の前ぶれもなく、風景はもとに戻っていた。僕は目の前のピジョン=ブラッドにつかみかかっていた。
「ピジョン=ブラッド。これは一体何だ!」
「これがお前がいた世界だ。映像の人間を持ってくる訳にはいかないだろう。だから殺した。殺さなければならなかった」
「裕は、存在しなかったというのか」
「その通りだ。裕もデールやルターも、ピジョン=ブラッドも存在しない。全ては幻だ。 だが、裕を殺したのはガイの群れだけど、裕を死なせたのはお前だ。あのときお前がちゃんとしていれば、裕を死なせることは僕にも出来なかったはずだ。それだけは本当だ。僕が恨まれる筋合いの話じゃない」
 僕は今本当に、ピジョン=ブラッドを憎いと思った。僕の裕を殺したことじゃない。幻の世界に僕を置いたことでもない。その幻の全てを僕の前から消し去ったこと。僕の世界の全てを奪ったことだ。幻であるならいっそ、幻の世界で一生を終えさせてほしかった。それがかなわぬならばせめて、裕が子供を産んだあと、僕を引き戻してほしかった。裕の願いだけでもかなえさせてやりたかった。その裕が幻でも、その願いが幻であっても、僕の裕がしあわせになってくれていたなら、僕はどんな運命でも喜んで受けただろう。それが、僕が愛した幻の裕の、たった一つの願いだったのだから。
 裕はピジョン=ブラッドの作った幻だった。僕はたとえ幻でも、裕と出会えたことを嬉しく思う。裕を愛したことを誇りに思う。僕はピジョン=ブラッドと契約した。これからも僕は、裕の思い出だけで生きてゆけるような気がしていた。
「裕をこの世に産みだしてくれたことだけ、ピジョン=ブラッド、君に感謝している」
 ピジョン=ブラッドは、僕が決心を固めたことを喜んでいるようだった。
「その十年間の契約を僕が全うしたとき、僕を再び幻のなかに帰してほしい」
「それは出来ない。あれは金がかかる。だけど例えばお前がどこかで働いて、金を持ってきたとしたら考えてもいい」
「それじゃあ、惑星クラプトに送り届けてはくれないだろうか。君が出かけるついでに」
「あの星までいける宇宙船はないんだ。僕は精神だけを飛ばしていってきたのだし。それに、たとえそんな宇宙船があったとしても、惑星クラプトまでは百光年以上ある。生きている間にはたどり着けないだろう」
「それじゃあ、どうすれば僕の世界を取り戻せる」
「渉の気が変わらなかったら、催眠術でもかけてやるよ。好きな夢を永久に見られるさ。それから、もし気が変わったときのために言っておく。実験体だけで作っている革命組織がある。その気になったときには紹介してやるから、革命でも何でも起こしてくれるといい。若い力は地球に必要だから、大歓迎だ。そのための実験なのだから」
 ピジョン=ブラッドは、言うだけのことは言ったと思ったのか、それとも、僕に考える時間を与えようと思ったのか、そのまま長方形の裂け目から出ていった。
 ピジョン=ブラッドは、地球の指導者を愛しているのかも知れないと思った。彼を愛していたから、彼のために僕を作った。それがピジョン=ブラッドの生き方なのかも知れない。ピジョン=ブラッドは、地球の指導者に愛されて、やがてルマに変わってゆく……?
 僕は寝転がって目を閉じた。たくさんのことが頭を横切った。僕の裕。僕が死なせてしまった、僕の裕。その笑顔を、僕は思いだすことが出来る。初めて裕を抱き締めた日。初めて裕にキスした日。少しづつルマに変わっていった裕のからだも、その時の裕の嬉しそうな顔も。悪魔におかされた裕を、僕は初めて愛していると感じた。ルミノクでも愛するかと聞いた裕を、僕はかわいいと思った。裕の存在の全てがいとおしかった。僕達は夢見た。生まれてくる子供のことを。新しく生まれてくる命をその体内で育めることを、裕は一番の喜びと感じていた。そんな裕を、僕は羨ましくさえ思った。
 もっと裕を抱き締めたかった。もっと裕と長い時を過ごしたかった。たくさんのことを語り合って、たとえ眠る暇なんかなくても。裕のからだに触れて、暖かさを確かめて、抱き締めて、キスをして。裕の身体はきれいだった。そんな喜びを、もっと。
 幻以外ではありえなかったのかも知れない。僕の裕があまりにきれいだったから、神が妬んで奪っていったのかも知れない。だとしたら、裕は今でもいるのだろうか。聖地の神の回りで、僕を見て笑っているのだろうか。声を殺して涙する僕を、いつかは迎えてくれるかも知れない。その暖かい腕のなかに。
 白い石の壁は、まるで僕を束縛しているかのように、無慈悲にそこに存在していた。この壁は、僕の実験者であるピジョン=ブラッドの、束縛の証なのだと思った。目の前にいるときも、いないときも、僕を縛り付けようとする、権力の象徴なのだと思った。三千六百五十二日間の僕が、この白い壁の中に存在する。広いクラプトの中でリグを相手に戦ってきた僕は、この白い壁と戦うことは出来ない。壁と戦うことは出来ない。
 そう考えてふと、僕は別の可能性に気がついた。壁と戦うことは出来なくても、人と戦うことなら出来るかもしれない。僕がもっと力をつけて、この壁を突破するだけの知恵を備えることが出来るようになれば、あるいは十年よりももっと早く、この壁の中から出ることが出来るようになるかもしれない。僕のこれから得る力は、この壁よりも、強大なものになるかも知れないじゃないか。
 僕は今まで、聖地で子供を作るためにいきてきた。僕はそのために生まれ、そのために死ぬのだと信じていた。だけど、もう裕はいない。これから一人でいきてゆかなければならない僕は、新しい目標を持たなければ。
 そして僕は、これからずっと、この新しいクラプトで暮らさなければならないのだ。新しい生き方は、新しいクラプトを知らなければ出来ない。僕の最初の目標は、この白い洞窟と、ピジョン=ブラッドの幻影から開放されること。
 ああ、僕は――
 僕は決して、裕を忘れない。だけど、裕のことが生き甲斐だった僕は、新しい生き甲斐を見つけて、裕と決別するだろう。その旅立ちの儀式は、赤いクラプトではなくてこのまっ白な洞窟で。さっき寝ていたときに頭の下に敷いていた皮を丸めて、チェルクの代わりに持って。
 僕の旅立ちをみつめるのは裕。僕は目を閉じて、裕の、ルマの微笑みを思い浮かべた。裕が、いつまでも僕を見守ってくれるように。
 僕のまぶたの裏で裕は、満足そうに笑っていた。
 そんな気がした。
 
 


 
 

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