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from bookland 197号
17年前、1985年の3月にジオジオは開店しました。あれもしたい、これもしたい、と思いつつ結局
まだ出来てないことがたくさんあって愕然としてしまいます。
オヤジは53才になりましたが、ジオジオは
17才の青春まっ只中で自分探しのまっ最中という訳にもいかず、そろそろ”迷走”にも終止符を打たなければ
ならないのですが、操縦者に問題があるのか、いつもルートを外れてばかりです。
毎月書いているこの
「from BOOKLAND」も本来なら205号のはずですが、開店前に「マイナス1号」というのを配ったので、開店の
3月には本来なら1号とすべきとところを「0号」としたので2回目が1号となったり、同じ号数を2ヶ月
続けたりと、まさに”迷走”の連続です。時には気合の入った内容もある(と自分では思っている)のですが、
明らかに手抜き、紙の無駄使い、森林破壊の元凶と思われるのも多く、恥ずかしい限りです。他人に自分の文章が
読まれるというのは、自分の裸を見られるよりも恥ずかしいという気がします。
オヤジの本棚には「文章読本」とか「悪文」という類の本が何冊かあります。が、全然役に立っていません。
なるほどよは思うのですが、それによって文章がうまくなるということはないのでしょう。
『文は人なり』と言いますが、人間の出来、不出来が文章に表れるにちがいありません。
なにはともあれ、書く仕事ではなく売る仕事でよかったとつくづく思っています。もっとも
売る仕事も迷走中ですから喜んでもいられません。
話は変わりますが、先日、携帯電話は持っていないという方と話したときに、携帯電話というのは「その気」
になれば(もしかしたらその気にならなくとも)位置や会話を第三者が知ることが出来ると聞きました。
よくスパイ映画などに出てくる発信機で車を尾行するというのと同じ原理だと思います。ということは、逆に
持っていない人間は、人々の動向を知りたい側にとって不都合な人間ということになりかねない訳です。
今や電話というよりも情報端末機という機能を持った装置ですから、近い将来、すべての個人情報が入った
1台を必ず持たなければならない...なんて日が来ないとは限りません。「携帯不携帯罪」なんかもできるかも
しれません。
かつて「国民総背番号制」が提唱されたことがありました。その時は、「ICカード」の
ようなアイデアだと思ったのですが、位置までつかめるとしたら、誰と会った、というような事もわかるはずです。
便利さに目を奪われると思わぬ落とし穴が... とオヤジは考えるのですが、考え過ぎでしょうか。
2002年4月 もとはる