サイパン&テニアン グロット
シーショア ダイビングツアー
SAIPAN  戦争の歴史 サイパン オプショナルツアー
-サイパン テニアン グロット ダイビングツアーTOP- -海の旅サイパンINDEX- -海の旅☆ダイビング水中写真旅日記-
サイパンのオプショナルツアー 戦争の歴史ヒストリカルツアー
サイパンの オプショナルツアー「戦争の歴史ヒストリカルツアー」8時40分ホテルに迎えのワンボックスカーが来ます。
お客は私達2名と、息子を連れた父親2名の計4名。これにガイドの日本人の女性とドライバーが付きましたから贅沢。
最初の画像は、サトウキビを運んでいた列車。1922年から1944年まで、サイパンとテニアン島に松江春治と言う人が
砂糖工場を立て、繁栄していました。砂糖工場を作った松江春治の像が、戦争の戦火を逃れ今もサイパンに残ってます。
サトウキビ列車の向かい側に、戦時中使った病院跡が残っています。今もサイパンで現役の病院だそうです。
建物はドーム型の洒落た造りです。病院は戦時中、赤十字の旗を立てていたために戦火を逃れたそうです
サイパン(彩帆)神社跡、サイパンは漢字でこんな字を書いていたのですね〜!石碑の傷は戦時中の銃撃の跡。

後ろに見えるのは、サイパンで戦った軍人を祭っている香取神社。天皇・皇后両陛下の訪問で新しくなったそうです。
次は戦争中のサイパンの刑務所跡に行きました。ここの囚人は終戦ですべて解放されたそうです。
1944年(昭和19年) 6月15日アメリカ軍が、ここサイパンに上陸した日が 刻まれていました。

その時上陸したアメリカ軍人が記念に刻んだ物だそうです。これを見ると時間が止まっているようですね。
サイパンには戦争の傷跡がいたるところに残っています。戦時中の戦車ですが、現在の戦車に比べると小さいです。
昔のサイパン飛行場跡にあった、機関砲・・・後ろに見えるのは、現在のサイパン国際空港の管制塔です。
戦争中は、旧サイパン飛行場から日本に向かってB29爆撃機が出撃したそうです。そしてテニアンから原爆が・・・
戦時中の旧サイパン飛行場、火薬庫の中から見た画像です。暗い戦争の歴史から今の明るい平和があるのだな〜
とつくづく考えさせられました。そしてサイパン北部の海岸にあるトーチカです。本物の要塞を見るのは初めてです。
トーチカの中から外を見ると、のどかな光景がありました。この景色を見ていた兵隊さんは戦いたくなかったでしょうね。
このトーチカのある海岸から、遠くにバンザイクリフ(バンザイ岬)が見えます。
アメリカ軍に追詰められた住民や日本兵が「バンザイ!」 と叫びながら岬から身を投げたことはあまりにも有名です。

悲惨な戦争でしたが先輩たちが、この平和な世界を築いてくれたからこそ、私達が世界中でダイビングを楽しめのだ
と言うことを、忘れてはいけないと思いました。ちょっとこんなマジな私は似合わないですかね。
戦争の歴史ヒストリカルツアーも終了し、ホテルに向かいます。
その途中で 築80年の日本家屋があるということで見に行きました。

まだ現役で、人が住んでいるそうですから驚きです。
窓のガラスなんかも80年物だそうです。
日本の技術は昔からすごかったのですね〜
少し、しんみりとなりながらホテルに戻り軽くランチを取りました。
飛行機の出発時間は17時ですが、手荷物検査に時間が掛かると
言うことで13時30分にバスの迎えが来ます。

サイパンの悲惨な歴史に、向い合う事が出来良かったと思います。
皆さんもサイパンに来た時は、戦争の歴史オプショナルツアー
とてもお勧めです。
家の中のサイパン! 今回の家の中のサイパンは、お馴染みのマカダミアナッツのチョコレートと、
あまり薦めるので買ってしまったココナツチップ、そしてダイビングサービス シーショアさんのTシャツ
サイパンの夕食は 多国籍料理 E'sY kitchen サイパン テニアン グロット ダイビングツアー (シーショア) -2005年 海の旅ダイビング総集編 INDEX-
Copyright (C) uminotabi All rights reserved -海の旅☆ダイビング水中写真旅日記-
リンクはどのページも自由ですが、写真の転載利用はお断りします。