そもそも

ここは、「KAN KOHEN」結成までのいきさつをご紹介するページです。


2000年 出会い  しーななさん、六弦くん、NKJは個々に”5150JAPAN(日本で一番のVHサイト、現在お休み中)”に出入りし、メインBBSに書き込みつつも、ひたすら悶々とする日々を過ごしていた。ところが、この5150JAPANに「地域限定掲示板」ができる。それぞれ、「中国地区」の掲示板への書き込みが中心になり、おたがい岡山に在住する「おじさん」と判明。
 そうこうしているうち、「5150中国書き込みメンバー」で広島でのOFF会開催。多数の参加者で大いににぎわったそうな…。しーななさん、六弦くんが参加。
 岡山在住のVHファンが多数いることに確信を得た六弦くんは、「第1回爆音会イン岡山」を密か(?)に計画するも、2000年内には実行できず…。
2001年 誕生  年開けて2001年。水面下で計画が進んでいた「第1回爆音会イン岡山」。場所は岡山市内某所。しーななさん、六弦くん、NKJの3名でしめやかなるうちに開かれ、2次会の飲み屋さんでも自慢のブツを出しての生音爆音会。店員さんも苦笑い…。
 広島からも同じ穴の狢を呼んだり、何回かの爆音会を重ねた後、しーななさんがその悶々に我慢しきれず、六弦くん、NKJにメール。「バンドしませんか?」しかしながら、その3人はエディ担当。しーななさんの苦慮の末、しーななさん・六弦くんが曲に応じてGとBを交代、NKJがVo&G。しかし、曲が落ち着くまでNKJはVoに専念することに。太鼓はしーななさんの知り合いのKeyがやるとのこと。
 そして誕生日。忘れてしまったが、しーななさんによると6月22日らしい。市内某所での、4人そろっての練習。
 それ以降、場所を転々としながら、深夜におよぶ練習。当然、おじさんたちにはちとキツイ。ミョーなハイテンションの中、「バンド名どうするよ?」という問いかけに「$%ン @−レン」とか「#&ン *ーレン」とか…。言うたびに「クックックッ」というこれまたミョーな笑いが…。これ以後、「魔の時間帯」とよばれる、不思議な時間をおじさんたちは共有するのであった。
 何回かの練習をこなし、レパートリーが6曲くらいになったある日、しーななさんが初ライブの話を持ってくる。主催はしーななさん関係の某職場の某音楽サークルの発表会(?)。未だバンド名が決まらないまま、練習を続ける。
 記憶が定かではないが、健康診断で長年肝機能に疑いのあるNKJが、「KAN KOHEN」ってのは?とメールで送ったものの、何の反論もなかったのでそのまま決定。今でも「ワシが決めた」と思っているNKJ…。
 そして12月末。岡山市内某所地下のライブハウスにて初ライブ。いい気になる。
 
2002年 そして  年開けて2月。これまたしーななさんのお仲間関係ライブ。お客さんが同世代の身内が多くて、変な緊張感なし。ノッていただけました。さらに調子に乗ってしまう…。

 そして、結成からずっと叩いていたアルAが仕事の関係で転勤。そこにしーななさんの後輩、アルOくんが参加。まだまだ若いものの、おじさんたちに新しい笑いを吹き込んでくれる(練習時間の半分は彼との世代を越えた交流…ったく最近のわかいもんは…)。


 今のところ、およそ月2回くらいで市内某所のスタジオで練習。練習したからには誰かに聞いてもらいたい、見てもらいたい。そんなおじさんたちの欲望は果てしなく続く…。

 9月にも身内関係でライブ。いい気になりすぎて、飲み過ぎでのステージ。まだまだだね(ホンマモンは飲み過ぎてもきっちり…んっ?)。

10月9日
 NKJ、30歳代最後の日、このウェブページを一般の方にも公開(後悔…)

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