学生生活

大学入学当時の校舎

神奈川大学では学業はもとより、ゼミを中心とした学友関係が卒業後も続き楽しい大学生活を過ごす。









我が神奈川大学は’97年についに東京箱根間往復大学駅伝競走大会で悲願の総合優勝を果し、翌年98年と連続制覇する。
その後YKKの戦国駅伝を展開するまでにいたる。
がしかし、'01年(第77回)は常連優勝校の順大も健闘しているため上位入賞に苦戦するであろう。
その結果第1区の順位は2位につけたが、その後の順位は伸びず往路は第12位で来年度のシード9位との差は1分33秒で復路に期待する。
翌日の復路は前日とは一転して8・9・10区では区間順位3位の力走が続き復路順位3位総合成績5位となる。
来年期待できる成績を残す。


2001.5.26
母校を卒業してから35年を経過し、ゼミ仲間も現役で活躍していたり、また、ハッピーリタイアーで自分の生活を満喫している方も居り、近況状況も含めゼミ仲間の再会を恩師とともに母校同窓会館にて行う。
 35年経過しますと学生気質も変わるとともに大学校舎も新校舎へと建設中で変わりつつあります。
 学内見学では箱根駅伝の優勝の盾と優勝杯が展示され後輩の活躍に改めて感動する。
 その後中華街で現在の近況を報告しあい、また、思い出に浸りながらひと時を過ごし、次回の再会を約束する

変貌した本館
箱根駅伝優勝盾と優勝杯


2002.1.2〜3神大箱根駅伝往路優勝したが!

正月恒例の箱根駅伝では我が母校の神大は往路に優勝にかけた布陣を引き上位を保ち5区では1分13秒の差をつけられ3位で襷を引き継ぎ2年生の吉村に託して箱根路を追走する、10km地点で2位の早稲田大に追いつき引き離し、16キロメートルでは遂に1位の駒大迫り箱根の最高地点の871mでは引き離しに掛かり、箱根ゴールでは23秒の差をつけて3度目の往路優勝を果す
復路では23秒の差でスタートするが、箱根の下り6キロメートルで駒大に抜かれ、その後も他校の実力選手と神大の駒不足もあり結果的に総合6位となる。
昨年総合5位で今年は6位では結果的には昨年より悔しい思いであります。
この悔しさをばねに来年は総合優勝を期待したい。

祇園で遊ぶ 2003.2.22
大学を卒業して37年となりますと第一線で活躍されていた同期の者たちもハッピーリタイヤしたり、後継者育成指導などで、大半の方は第一線を退いている方々が多くなっております。
これまで働き蜂のような仕事から解放され余裕もできるようになりました。
今回、京都でゼミ仲間と恩師を囲み京都の夜を楽しむ機会ができた、ライトアップされた庭園を眺めながらの京会席と舞妓さんとの語らいで時間を過ごすし、これまでの人生の疲れを癒すことができましたひと時でありました。
京都市内の観光も特別公開寺院では国宝の襖絵や仏像などを見学したり、説明を聞き歴史を再認識することもできました、人生の思い出の一ページとなる。
これも京都ホテルに勤務している同期のゼミ仲間が段取りと心温まる配慮で感謝、感謝であります。
高台寺

第81回箱根駅伝シード権を確保2005.1.2-3
箱根駅伝ではここのところシード権は取っているが低迷している、それも最終区の10区で順位を下げて神大OBとしてはもっと頑張ってもらいたいと思っているところであります。今回は安心して応援したいと思っていたが、スタートから波乱含みで、一区から四区まで13位で五区の山登りで2年生の森脇選手が奮起され順位を10位まで上げる。
復路においては一時8位まで順位を伸ばすが、各校ともに実力伯仲で最終区を11位の早大と1分4秒差をつけて10位で主将内野選手が襷を受けて大手町を目指す、早大の追い上げで品川八ツ山橋で一時5秒差に迫られるが主将としての意地とシード権のかかった「天国と地獄」の順位であるため最後の奮起で22秒差をつけてゴールに倒れこむ。
下馬評どおり総合優勝は「駒大」の4連覇で幕を閉じたが、来年はもっと安心して応援できるぐらいの順位を期待する。

後方から追い上げる早大、逃げる「神大」内野選手
(テレビ画面より「天国と地獄のシード権争い」)