第10話 ”彼女の選択”
−1−
■2162年4月7日
エルファルド要塞からゼナン側に後方25キロ地点(現時点での最前線)。
ゼナン軍第507空軍基地〈ブリッケン〉
エルファルド要塞が陥落してから、ここブリッケン・ベースをはじめ同ライン上に
位置する複数の基地では慌ただしい日が続いていた。事実上の最前線基地となったために
戦線の再編成作業が行われているのだ。
戦力の補充だけでもかなりの手間がかかっている、エルファルド要塞と同等の防御効果を
欲するならば航空戦艦が3ケタは必要だろう・・・それだけ、あの山岳要塞は巨大であり
強力であった。
たとえ巨大過ぎて、要塞の全ての機能を生かす事が物理的に不可能だったとしても、
いや、だからこそ十分過ぎるほどに本来の目的(戦線の維持・敵のけん制)を
果たしていたと言える。
しかし、その要塞はいまや敵の手に落ちた。
撤退の際に重要区画は爆破処理したものの、その他の部分はそのまま残さざるを得ず、
少し手を加えれば(侵攻のための)中継施設としてなら十分に使えるだろう。
戦力の整備が終われば、エスバニアがかの要塞を足がかりにして攻めてくるのは
ひをみるより明らかだった。
■同基地内、サブコントロールルーム
普段は使われる事は無く明かりも落とされたこの部屋で、一人の初老の男が通信システム
を使って何事か話をしていた。
男はトーマス・フランク中佐。ゼナン軍技術開発研究部の技術将校であり、現在は
ESTIシステム実験部隊の責任者として戦線に身を置いていた。
彼と向かい合うディスプレイには、本来ならば通信相手の顔が表示されるはずだが、今は
真っ黒の画面に『SOUND』の文字が打刻され、スピーカーから聞こえる声に合わせて
グリーンのボリュームバーが上下しているだけだった。
顔の見えない声が告げる。
『それでは貴官は、あの未完の兵器を使うべきだと言うのかね?』
「お言葉ですが、〈蛇〉はすでに完成しています、閣下もテスト結果はご覧になった
はずです」
少しばかり険悪な雰囲気が場を包んでいる。
『ああ、見せてもらったよ。確かにあれは強力だ、恐ろしいくらいにな。だが不安も残る、
現時点では〈蛇〉は100%の能力を発揮できないのだろう?
・・・まるでクイーン抜きのチェスだな、それでは本末転倒だ』
「たとえ100%でなくとも、エルファルドを再制圧する程度なら可能です」
『〈エデン構想〉を考案したのは貴官だろう、技術者は完璧を求めるものだと
思っていたのだがな?』
フランク中佐の表情が歪む、彼にしか分からない皮肉なのだろう。
「・・・だからこそ申し上げているのです。エルファルドが落ち、ゼナンが侵攻の危機に
晒されているこの状況では、〈エデン計画〉の進捗にも影響が出ます」
『フム、うまいことを言うが・・・報告は受けているよ、ESTIシステム実験部隊、
戦果が落ちているそうだな?』
「ぐっ!」
『〈蛇〉を使って捲き返しを図ろうと言う腹づもりか?
・・・まあいいさ、なんにせよエルファルドの問題は早急に処理せねばならんのだからな』
「それでは、許可していただけるので?」
『・・・ああ、見せてもらうとするよ。君の言う、楽園へと至る道を』
ディスプレイがブラックアウト、通信終了。
−2−
ブリッケン・ベースのエプロン(戦闘機駐機場)には、戦線の再編成に伴い補充された
部隊の戦闘機や物資が、格納庫に納まりきらずに雨ざらしになっていた。
その中に一機だけ、他の機体とはシルエットを異にする機体がある、Az−11r[E]
〈トーネード・プラス〉である。
エルファルド要塞から撤退したゼナン技研実験飛行部隊はここ、ブリッケンに身を寄せていた。
先の戦闘で損傷した〈トーネード・プラス〉は、専属スタッフの不休の努力で修理を
終えていた。日の光の中、各坐姿勢で影を落とす鋼鉄の人型・・・。
そしてその機体に貼り付き、一人黙々と微調整作業をこなす、腰まで届く銀髪の女性・・・、
〈トーネード・プラス〉のパイロット、フォウリィ・クリスティア中尉である。
彼女はその手を休めると、自身の機体を仰ぎ見て目を細めた。
思い出すのは、あの要塞での戦い、その最後のシーン・・・、致命的な損傷を負った
E−9〈アルバトロス〉と、その機体を捨てコクピットから這い出ようとするパイロットの姿。
「くそっ!」
〈トーネード・プラス〉の表面装甲に拳を打ちつける。結局のところ、彼女はヤサカ少尉を
殺さなかった。自分に辛酸を舐めさせた相手だからこそ、あんな「虫の息」のところに
止めを刺しても全く意味がなかったのだ。
結果、ろくな戦果を挙げられず逆に損傷を負い、撤退・・・・という醜態をさらしていた。
自分を押し流そうとする今の状況に歯噛みする。自分の思惑を無視した流れに強い苛立ちを
感じる。このままではいけない、このままでは、わたしは―――。
「機体の調整かね、中尉?」
背後からの突然の声、振りかえらずとも誰だか分かる、クリスティア中尉は不快そうに
眉をひそめた。
一拍を置いて、本心を悟られぬよう表情を正してから振りかえる。
「はっ、関節部のトルクバランス補正を行なっておりました、中佐殿」
目の前に立っていたのはこの実験部隊の責任者、フランク中佐。
数々の兵器や技術を生み出した人物で、クリスティア中尉のESTIシステムも彼の手に
よって開発されたものだ。
そういった意味では、彼はクリスティア中尉の「親」とも言える存在だったが、
彼女は、この目の前の男を嫌っていた。
「ご苦労・・・だが、これだけは言っておく。ここ最近の戦果の低迷は機体のコンディションに
よるものではない、貴官に問題があるのだ」
「っ・・・、はい・・・」
「『生みの親』である私に、これ以上恥をかかせないでくれたまえよ。それに、今後も
このような状態が続くようなら『廃棄』もあり得るということを忘れるな。以上だ」
フランク中佐は一方的に告げるとこの場を去っていった。
「くっ・・・」
残されたクリスティア中尉の表情がみるみる歪んでゆく。
「何が・・・生みの親だっ!!」
ESTIシステムの被検体として遺伝子デザインされ、人工的に生み出されたとはいえ、彼女にも
精子と卵子の提供者・・・つまり遺伝上の父母は存在する。
フランク中佐が自らを指して『生みの親』と言ったのは、『ESTIシステムの開発者』という
意味合いからだった。そしてクリスティア中尉は、それが気に入らない。
「自分の体面のことしか考えていない!結果を出せなければ棄てるだと!?それが『親』の言う
セリフか!!」
搾り出すような声で、決して声高ではないが、叫ぶ。
「私は道具じゃない!気に入らなくなったら棄てられてしまうような道具じゃないっ!!」
断じて違う。
他人からいいように使われるだけの存在ではない。
誰にも『私』は渡さない。
クリスティア中尉は自身の愛機を見上げる。彼女の半身とも言えるダークグレーの騎士。
唯一信じられる存在を。
−3−
ブリッケン・ベース、その中央コントロールルーム内に警報が響く。
色めき立つ室内、基地司令の声が飛ぶ。
「どうした!敵か!?」
「はっ!いえ、エプロンに駐機していた戦闘機が一機、無断で起動しています。スクランブル
シーケンスに入っている模様!」
「何処の馬鹿だ!?」
「技研の実験部隊の機体です。Az−11r[E]〈トーネード・プラス〉・・・確認しました!」
「なんだと!?」
基地司令のものとは違う、別のひときわ大きな声が割って入る。ゼナン技研、フランク中佐の声だ。
司令が眉をひそめる・・・、あまりこの部屋で騒いでほしくない。
「ライブ映像入ります!」
正面の大スクリーンに、現場近くの監視カメラが捉えた映像が映し出される。
ホワイトとダークグレーの戦闘機、右手に25mmアサルトライフルを持ち、左腕で携行型
ミサイルランチャーを抱えている。腰部には予備の弾薬カートリッジ、両脚部にはミサイル
コンテナ・・・。
映像を見る限り、全てのウェポンベイに武器を装備している・・・フル装備状態だった。
「中佐!これはどういうことですか!?」
基地司令が強い調子でフランク中佐にせまる。実験部隊の指揮系統は独立しているため、
状況を正確に把握するためには必要な行為だった。
「私だって知らん!・・・おい!〈トーネード・プラス〉と繋げ!!」
近くの通信オペレーターに勝手に命令を飛ばすフランク中佐。
基地司令は胸中で「くそったれ」と罵ると、声を張り上げる。
「当該機に停止警告!守備隊をまわせ!包囲して待機、反抗した場合は少々手荒にしても構わん!
必ず取り押さえろ!!」
それを聞き咎めたフランク中佐が食ってかかる。
「私の機体に傷をつけるつもりか!?許さんぞ!!」
「・・・通信、繋がりました!」
フランク中佐は基地司令を睨みつけると、近くのマイクを手に取った。
「中尉!聞こえるか!?すぐに機体を停止しろ!!」
『・・・・・・』
返事は無い、ジェットエンジンの吸気音が僅かに聞こえるのみ。
「何を考えている!?中尉!!」
『・・・中佐は、これ以上恥をかかせるなとおっしゃいましたね・・・、
廃棄もあり得る・・・とも』
その声には、感情がこもっていない。
「ああそうだ!恥の上塗りはたくさんだ!!だから機体を停止しろ!命令だ!!」
少しの沈黙の後、彼女の返事。
『いえ、それは出来ません。中佐には私の力を見ていただきます』
「なにを・・・っつ!?」
通信機を介してではなく、大気を伝って直接耳に届く、ジェットエンジンの咆哮。
『・・・私に傷を負わせたあいつを、叩き落として来ます』
〈トーネード・プラス〉のコクピットの中、モニターの薄明かりに照らし出される
クリスティア中尉の表情はきつく・・・危うささえ感じさせるほどに引き結ばれていた。
『そうさ、あいつを墜とせば・・・、もう一度、自分の力を誇示する事が出来れば・・・!』
そうすれば、こんな惨めな思いは味わわずに済む。
『遺伝子細工の人形』などと蔑まれずに生きていける。
・・・それは、彼女の思い込みに過ぎない。
敵機を何機墜としたところで、自分の出自や、その境遇を変えることは出来ない。
今もこの場を押し切れば、自分に不利に働きこそすれ、有利な位置に立てることなど
決して無い。
だが・・・、脳裏をよぎる幾つもの光景が、彼女を駆り立てる。
来る日も来る日も、ボロボロになるまで続けられた訓練の日々。
始めて実戦に出た時の恐怖。
『味方』ではあるが『仲間』ではない人達の、異物を見るような眼。
そして、彼女と同じように被検体として人為的に生み出されながら、不適合と判断され
次々と『廃棄』されていった姉妹達・・・。
クリスティア中尉は、その紅い双眸を細める。もう後には引けない、誰が引くものか。
激しく絡み合い、ぶつかり合う感情が、正常な判断能力を失わせていた。
自分を打ち負かしたあの敵を討つ・・・、ただその一点に妄執する。
今や自身と一体となった〈トーネード・プラス〉を包囲する基地守備隊の戦闘機・・・
その数、5。
クリスティア中尉は、口元を薄く笑みの形に歪める。
ジェットエンジンが、凶悪な咆哮を上げた。
−4−
その日、ブリッケン・ベースに駐屯していた兵士達は、にわかには信じられない
出来事を目の当たりにすることとなった。
無断で起動し、基地守備隊の戦闘機5機に包囲されるホワイトとダークグレーの機体・・・、
〈トーネード・プラス〉はその包囲を叩き、一筋の雲を引きながら大空へと消えていった。
ジェットエンジンの出力を一気に最大まで上げた〈トーネード・プラス〉は、ホバリング
状態になると同時、正面の3機に左手に持ったミサイルランチャーを全弾リリースし弾幕を
張ると、背後の1機に後ろ手にアサルトライフルの25mm弾を撃ち込む。
間発入れず、背後にいたもう1機に弾切れになったミサイルランチャーで裏拳を叩き込み
頭部を潰すと、破損したランチャーを棄て、再度正面に向き直る、
後方2機、機能停止。
初撃から立ち直った残る3機が攻撃、レーザーカッターを使用しての近接戦。
〈トーネード・プラス〉はその全てを紙一重で回避すると、すれ違い様に同じくレーザー
カッターを振るう。1機が見えざる刃に切り裂かれ機能停止。
残る2機がリアタック、レーザーカッターを振り上げ、左右から挟み撃ちにしようとする。
〈トーネード・プラス〉急加速、右から来る敵機がレーザーカッターを振り下ろす前に
懐に入り込み、アサルトを発砲、腰部貫通、機能不全。
もう満足に動けなくなったその敵機を盾にして最後の1機の攻撃を防ぐと、アサルトを発砲、
その弾丸が敵の頭を吹き飛ばす。
基地守備隊最後の1機が膝をつくと、〈トーネード・プラス〉は周囲を睥睨し、天高く
消えていった。
残された一筋の軌跡は南を―――エルファルドを指し示す。
「ぜ・・・全滅です」
中央コントロールルーム内、戦闘の詳細をモニターしていたオペレーターが報告する。
しかし、誰も答えない。室内はしんとしている。
「し、信じられません・・・、戦闘開始から、僅か30秒足らずで・・・」
〈トーネード・プラス〉は・・・、クリスティア中尉は、相対した5機の戦闘機を僅か
二十数秒で叩き伏せた。
一部始終を見ていた室内の全員は、ただ唖然とするばかりだった。
「・・・いや、ボヤボヤするな!やられた連中の救助、それとすぐに動ける機はあの実験機を
追跡しろ!!急げ!!」
いち早く立ち直った基地司令の指示が飛ぶ、全員が慌ただしく動きはじめる。
「ふ・・・、ははは・・・」
基地司令は喧騒に紛れて聞こえてくる笑い声に気付き、そちらを見やる・・・、そこには
右手を顔面に押し当て、うそ寒くなるような笑みを浮かべるフランク中佐の姿があった。
「はっ、はははは!そうだ、それでこそ私のムスメ!私が創った兵器っ!!」
室内の全員が、彼を見ていた。
「・・・私の、かわいいバケモノだ・・・」
−おわり 第11話へエンゲージ−
[Return]