白虎隊士の名前表記便覧(漢字、よみ等)


名前の漢字表記、読み方が二通り以上ある白虎隊士(同年代の子も含む)の一覧です。漢字・読み方ともに、これが絶対正しい!とするものではありません。当サイトでは、主に一般的とされる表記を採っています。年齢は戊辰時(数え年)のもの。

名前 別表記 名前の読み方 備考 年齢
安達藤三郎   あだち とうざぶろう 生家は小野田家。藤三郎は四男で、安達姓を名乗っている。これは小野田家に縁故ある姓か? 17
有賀織之助   ありが おりのすけ
あるが おりのすけ
宗川虎次著「補修 會津白虎隊十九士傳」では「あるが」、「要略 会津藩諸士系譜」では「ありが」となっている。 16
飯沼貞吉 加納貞吉 いいぬま さだきち
いいぬま ていきち
飯沼氏の先祖、織田信長の嫡孫・岐阜中納言秀信公に仕えた飯沼小勘平(家禄四千石)の正室が岐阜加納公の娘であったことから、飯沼家の次男以下が加納姓を名乗ることがあったのでは…と推測。

名前の読み方は「さだきち」が一般的。「ていきち」とするのは神崎清著「少年白虎隊」。研究・解説書にも「ていきち」説を採るものがあるが、原典が示されておらず、不明。
飯沼家では「さだきち」と呼んでおられると聞きましたので、当サイトでも「さだきち」に統一しています。
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池上新太郎   いけがみ しんたろう   16
石田和助   いしだ わすけ   16
石山虎之助   いしやま とらのすけ 実家は井深家。  16
伊東悌次郎   いとう ていじろう 飯盛山の墓碑には17歳と刻まれているが、隣家に住んでいた山本八重の話を信じるなら、15歳。 15
17
伊藤俊彦   いとう としひこ   17
井深茂太郎   いぶか もたろう
いぶか しげたろう
名前の読み方は二種類。「もたろう」とするのは神崎清著「少年白虎隊」。「しげたろう」説は星亮一氏の著書等。 16
篠田儀三郎 篠田義三郎 しのだ ぎさぶろう 「義三郎」とするのは中村謙著「白虎隊事蹟」、永岡清治著「舊夢會津白虎隊」。 17
酒井峰治 酒井峯治 さかい みねじ 「戊辰戦争実歴談」にて本人が「時に年16歳」と書いているが、満年齢か数え年なのか不明。←書かれた年代が特定できない為 16
17
鈴木源吉   すずき げんきち 16歳説を採るのは神崎清著「少年白虎隊」。宗川虎次著「補修 會津白虎隊十九士傳」では17歳。 16
17
津川喜代美 津川潔美 つがわ きよみ 実家は高橋家。

「喜代美」説は飯盛山の墓碑、宗川虎次著「補修 會津白虎隊十九士傳」、二瓶由民著「白虎隊勇士傳」、神崎清著「少年白虎隊」。
「潔美」とするのは中村謙著「白虎隊事蹟」、早川廣中著「真説・会津白虎隊」。慶応4年8月11日付け兄宛書簡(白虎隊記念館蔵)の署名も「潔美」となっている。
16
津田捨蔵 竹岡捨蔵 つだ すてぞう
たけおか すてぞう
竹岡姓とするのは二瓶由民著「白虎隊勇士傳」と中村謙著「白虎隊事蹟」。宗川虎次著「補修 會津白虎隊十九士傳」に「房州竹ヶ岡の御固め地に生まれた故に竹岡捨蔵と証したと云う説がある」との記述あり。

16歳説を採るのは神崎清著「少年白虎隊」。17歳説は上記「補修 會津白虎隊十九士傳」。
16
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永瀬雄次 永瀬雄治
永瀬雄二
ながせ ゆうじ 飯盛山の墓碑には、永瀬雄治と刻まれている。
「雄次」説は宗川虎次著「補修 會津白虎隊十九士傳」、二瓶由民著「白虎隊勇士傳」、中村謙著「白虎隊事蹟」、神崎清著「少年白虎隊」等多数。
「雄二」とするのは永岡清治著「舊夢會津白虎隊」。
16
西川勝太郎   にしかわ しょうたろう 同じ三礼塾二番組だった山川健次郎が「しょうたろう」としているので、読みは正しいと思われる。 16
野村駒四郎   のむら こましろう    17
林八十治   はやし やそじ   16
間瀬源七郎   ませ げんしちろう   17
町野久吉   まちの きゅうきち
まちの ひさきち
多くの資料には「きゅうきち」とふりがなが付いているが、時々「ひさきち」となっているものもあり、不明。永井宿郷土館(群馬県利根郡新治村)の方々は「ひさきち」と呼んでおられました。

16歳説は飯盛山の碑および「補修 會津白虎隊十九士傳」。17歳説は伊倉昌三談「三國峠戊辰戦争に於ける町野久吉氏戦死の實相」等。
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簗瀬勝三郎   やなせ かつさぶろう 三礼塾二番組で同窓の山川健次郎が「かつさぶろう」としている。 17
簗瀬武治 簗瀬竹次 やなせ たけじ
やなせ たけはる
「武治」説は飯盛山の墓碑、宗川虎次著「補修 會津白虎隊十九士傳」、神崎清著「少年白虎隊」等。
「竹次」とするのは二瓶由民著「白虎隊勇士傳」と中村謙著「白虎隊事蹟」。漢字の読みからすると、「たけじ」が正しい可能性が高い。
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【付記】 現代では、人名の漢字を間違えるのは大変失礼なこととされますが、当時は読み方が合っていれば漢字そのものには大して執着しなかったようです。

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