玉章詠草


春歌


            

山里の小柴をかきに夕露 ほのかに見ゆる花の梅か枝

松島や千島もけさは見えぬ迄 ちかのうらわに立つ露かな


海辺露
     

蜑のたくもしほの煙たちそへて 浪路かすめる春の海原


            

下折しまかきの竹に鴬の 一ふしたかく声きこゆなり

鴬のしらふる声に梅が香を そへてふき入る軒の春風

くれて行春のなごりや惜しむらん 立かへりなく鴬の声


名所花     

櫻さく花の白浪たちそへて をち方志ろしあはちしま山

むら鳥の声も長閑に遠方の 花よりしらむみよしのの山


松間花     

千代までも猶たちなれよ櫻花 心を野への松の下かけ

神さふるみまへの松にたちそへて 千歳もにほひ花櫻花

たちそへて齢は松にならふらん ねさしかわせる花櫻花


瀧辺櫻
     

瀧の上のいはかね櫻咲にけり なかれの末も香に匂ふらん


社頭花
     

しめはへしいかきの櫻千早ふる 神代なからの色に咲らん

朝夕にすすしめまつる瑞垣に 神もいつらん花のおもかげ

千早ふるいかきの櫻しめはへて 神代ながらの花の色哉


山家櫻     

胡蝶のみけふもとひけり山里の人目まれなる花の盛りを

胡蝶たにとはぬみ山の櫻花 ひとりそみつる春ののどけさ

胡蝶のみ尋ねとひけり山かけの また春若き花の木すえに

花の枝にねふる胡蝶の夢の間も忘れぬものは櫻なりけり

かぐわしき夢を胡蝶や結ぶらん 今を盛りの花にねふりて

都人きても見よかし世はなれて 心しづけき山の櫻を

都人きても見よかし世のちりも たえて嵐の山の櫻を


春動物
     

あづさ弓春に心のひかれてや いさみにいさむ野辺の若駒

春雨のふりし宮木に梟の 声すさまじくよたたなくなり


山吹
        

咲つづく井出の山吹下おれて かけちらすなと神に祈らん

大井川きしの山吹下おれて蛙も鼻をかつきてそなく

大井川なみにあやをる山吹の花のいかたに蛙なくなり

大井川櫻なかれてゆく春の しからみとなれきしの山吹

くれて行春も名残と山吹の いはねとしるき色にさきけり


題名しらず
     

花にうき嵐はたえてまさかりに 匂ひえならぬ庭櫻かな

庭櫻また春わかく咲そむる 花は胡蝶のここちこそすれ

色深く匂へる野辺の菫草 残りすくなにつみあらしけり

雲とのみ見えしみかきの櫻花 まかわぬ色となりにける哉

いざさらば老も若きも諸共に 千代を古野の若菜つままし


題名しらず     

うつろへる野辺の小草も此頃の 日影に匂ふ心地こそすれ

折々にかかれる露のありてこそ 木の下草もさき匂ふなり


夏歌

百合        

白露の珠をかさしに咲きいでて 折る袖ぬらす姫ゆりの花


            

にごりなき池の蓮の玉水を ちらさぬほどの風の涼しさ


            

松高きみさわの池に色見えて 千代をよせくる花の藤浪

海原や千島のほかも匂ふらし 藤浪かかる松かうらしま


樹陰納涼 

立よればたへぬ暑さも忘られて むすふにあかぬ松の下水


新樹
   

雨はれて涼しく見えし玉かしの 若葉に曇る窓の月かげ



            

月おそき此の夕ぐれにをすの戸を てらすは軒の蛍なりけり



題知らず
 

ちる花にくもりし池も此のころは 深き緑の色となりけり

夕月の影まつやとの池水も みつ枝にくもる夏はきにけり

神さふる宮居の森に月ふけて かけものすこき夏の夜の月

御垣守衛士のたく火も夏の夜の 宮居寂しく月ふけにけり

千早振る神の御垣のさか木葉にしくゆふかかる夏の夜の月

神垣の松のあらしにふきはれて 心のくまも夏の夜の月

白雪にまかひし花はちりはてて みとりにうつむ末の玉垣


秋歌

故郷の虫 

あれはててとふ人もなき故郷に たれ松虫のねをのみぞ鳴く

故郷とあれにし庭の小萩原 おのがすみかと虫のなくなり


松間紅葉
 

からすなく松原こしに色見えて 夕日に匂ふ峯のもみちは


雨後紅葉
 

秋風に夜半の時雨の雲はれて 月にてりそふ峯の紅葉

はれそむる雨の名残の露とめて 色こそまされ庭の紅葉


暮秋紅葉
 

くれて行秋の名残と夕はいに うつりて匂ふはし紅葉かな

心なくさそふ嵐に紅の ちり行く秋をいかにとめまし


水辺紅葉
 

芳野川いさりのかかりかけそへて さざなみ照す岸の紅葉


田家        

小山田のまろ家の賎か世渡りも 細き煙にあらはれにけり

小山田の賎かしのやの篠薄霜 おくはかり秋ふけにけり


秋夕
        

老か身にさびしさそへて虫の音も 哀れとそきく秋の夕暮

さらてたに夕さびしき秋の野に 声うらかれて虫の鳴くなり


里砧
        

玉川や里のきぬたのおとさえて 月にすみ行小夜嵐かな

草枕みやこに通ふゆめをまた うつつにかへす里砧かな


庭の萩     

夜よしとて人もとへかし秋かやの 哀れしらふる庭の萩原

さらてたに涙ももろき秋の夜を 風ふきすさむ庭の萩原

庭もせにしげりしげりて秋の夜の 哀れ身にしむ萩の上風

秋の夜の長きゆめ路もさめにけり 我庭もせの萩の上風

いねかてに夢も結ばぬよもすがら 庭の萩原風さわぐなり

いと早も庭の萩原風たえて さやぐを見れば秋たつらしも


秋霜
        

秋ふけて小笹にむすぶ露の上に 光りをそふる夜半の月影

笹のやの霜さゆる秋のさむしろに 哀れ身にしむ初雁の声


落葉
        

心なくさそふ嵐に紅葉の ちりゆく秋をいかにしてまし

ふみわけてたれ通るらん霜かれし 落葉にうつむ森の下道


月前菊     

さやかなる影にかくれて白菊の 香のみ匂ひる月の夜は哉


松間月
     

波風のさわぐなぎさの磯朝松 そなれてやどる月の影かな


            

草枕夜半のあらしの身にしみて 初かりかねの声ぞかなしき

帰るべき心も空もうちかすみ 雲路に迷ふあまつかりかね

共にとしつらに後るる雁は今 ひとり雲井にねをのみぞ鳴く

なきつるる折も有しを此の秋は ひとり越路に残るかりかね


ある人かへるさきの櫻をおこしければ

みな人のあかぬ心を心をなぐさめて ふたたびさくか花櫻花


題しらず
 

曇りなき影は千里にみつしほの 月をよせくるすまの浦波

明石潟なたの塩屋の蜑の子も 今宵の月をめではやすらん

いそかまし夕日は西に遠方の 雲井のかりの旅のやどりに

軒近き萩の葉におく露よりも やどかる月の影ぞ身にしむ

都人きても見よかし世はなれて 思ひくまなき月の光を

濁りなききよたき川の清き世の 浪に宿れる月のさやけさ

水底にうつろふ月の影見れば 此の川つらそたちたかりける

かれはつる木ずえと見えし玉かしの 若葉に曇る窓の月影

鳥居たつみたらし川にすむ月は 曇らぬ神のしるし也けり

たむけずと秋の錦や唐衣 ともにまとひし折ぞ恋しき

帰るべき雁の便りをまてどまてど ただ一声のおとづれもなし

世離れてかつ見る柴の戸はそにも 思ひくまなき月の影哉


冬歌

旅宿時雨 

草枕よひの時雨の雲はれて ありあけの月の影ぞ身にしむ

立出て見れば小闇くふる雨に たゆたふべくもあらぬ旅哉


わたりの時雨
        

舟きあふ音も聞こえずふりしきる 淀の渡りの小夜時雨かな

しぐれきて波のと高きふし川の 早瀬もゆたにわたす舟人


埋火
        

櫻炭かこふあたりは長閑にて さながら春の心地こそすれ

櫻炭おもひをこして妹とわか あかすかたらふ埋火のもと


関路の雪
 

道もせにちりにし関の跡とへば 花かとばかりふれる白雪


寒夜千鳥 

風ましり雪もふる江による波も 氷る夜寒になく千鳥かな


千鳥        

夜もすがら雪のふる江の友千鳥 友よびかはす声の寒けき

ふけゆけば岸うつ波もこほる夜の 月も入江に千鳥なく哉

さし昇る月もふけるの友千鳥 うらなくあそぶ声も寒けし

夜をさむみ夢も結ばぬあけかたに 千鳥しはなく淀の川舟



冬月
        

冬の夜のふけ行くままにふえ竹の 声面白く月さゆるなり


題しらず
 

冬かれし軒はの梅も時をえて 二たびさきぬ雪のはつ花

明けぬとてかかけしをすかさらさらに をり面白き雪の花園


恋歌

寄草恋     

日にそへて思ひましますほの篠薄 忍びて通ふ風もこそ吹け

たのめつる人の心は秋草のうつらひやすき花の色かな


寄露恋
     

恋わびて今ははかなく露とのみ きゆるばかりに思ふ頃哉

契りおきし人の心は秋風に たえなばたえよ露の玉のを


久しく逢はざる恋

待ちわびていくよあかしの浦千鳥 あふせも波に恋渡るなり

あふ事はたえて久しく住吉の 松の千歳とちぎりしものを


後朝恋
     

帰るさの涙を包む袖の上に 霜さへけさはおきそわりつつ

蜑のかるみるめ斗りに年をへて 逢瀬も波に朽ちやはてなむ


祝歌

寄道祝     

日にそへて開けゆく世に敷島の 道こそ弘くなりにける哉



瀧をいはひて

佳人も清き心やのはへまし 流れつきせぬ滝のしら糸

いかばかり心すむらん滝つせに 影のうつろふ月の夜頃は

濁りなき心の友と朝夕に 見るめすずしくおつるたきつせ

高根よりおちくる水も末長く さかえん君が友とこそ見れ


雑歌

明治十九年山川屠竜子若松に来り後あづまへたびだちける折

旅衣立わかれても武蔵あぶみ かけてそ頼む又のあふせを

(屠竜子返し)

(武蔵鐙かけはなれても君に又 あひづの山は近くこそあれ)


人のはなむけに

梓弓引わかれてもいつか又共にまとはん折もこそあれ


貞雄軍功により年金賜ひし折

名にしほふ都の春に咲やこの花の匂はつきせざりけり


貞雄にかはりて

わが袖もけふぞ香れる九重の 御はしの梅の花のふぶきに



大黒やのつまのみまかりしとききてよみて遣わしける

哀れ世の契りもあさき三瀬川 濁こゆらんたまをしそ思ふ

かけ頼むははそ別れて□とふ 小鳥やわひてちちと鳴らん



新婚のたいにて

松とよひ竹と祝ひてこん世まで 長き契りを結ぶけるかな


花によする思

色に香に染しいまわの身なれども さけは移ろふ花の影哉

秋萩のふる井にさける花見れば 老も頼みのある世なり□



「誰か里へこかれ行けん紅葉のあかき心のまとひなりしを」といひおこしければ

諸共にかささましかは桂山 うれしからまし峰のもみじは

雲霧のけふはかかれる桂山 はれてまとはん折もこそあれ


題知らず
 

風わたる草の葉末の露よりも もろきは老の命なりけり

わかれ路の袖の涙の玉くしけ 二度あはん折をこそまて

あふ迄をかぎりと頼む命さへ 中々惜しきけさのわかれ路

恋しさの積り積りてささかにの くもてに物を思ふけふ哉

更くる迄何をかことに君またて 影だに見せよ月入らぬ間に

こよひしも君とはされは我宿に 月も小暗き心地こそすれ

契りおきし人はみなきて君獨 月より遅きものとなりにき

花にまひ月にうたひは世のうさも しらてさかゆく君が壽

とことはに君かよはひの行末を 千代としらふる軒の松風

年毎にあふてしはしに別れてふ 七夕ににし君にもある哉

心にもあらて過ぎにし山里も なるれはなるる昨日今日かな

忍ふれば袖ぞ露けきいまは世に 哀れ帰らぬ萩のまとひを

舟なへて向ふ海路も天つ日の みはたの影にたつ浪ぞなき

はてしらぬ唐のくぬちも天皇の みいつに靡く御代そ畏こき



■貞吉の母・飯沼ふみ(文子)は、軍事奉行を務めた西郷十郎右衛門近登之(350石)の三女。姉に山川浩・健次郎・捨松らの母えんがいる。この西郷家は歌詠みの家系で、ふみの雅号は玉章(たまずさ)。

■山川屠竜子(屠龍子)は、山川浩の号。



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