伊藤俊彦君事蹟



氏は父新蔵の長男にして、若松川原町の邸に生る。母は玉木兵左衛門の長女なり。
父新蔵は職を新番組士に奉じて食禄五人口、家富み、慈恵の人なり。
氏は沈着温行にして、常に喜怒の色を顕さず、父母の愛最も篤く、学友に接するに信義を以てし、文久二年、十歳にして藩の学校日新館に入り、規定の学科を受けて三等二等一等の試学に及第して、其の間屡々藩の賞賜を受く。
又、家富むを以て、良師を家に請い、朝夕教えを受けしむ。而して、氏も亦勉学怠ることなく、故に学力大いに進み、余暇好みて武道を修む。

戊辰の春、士中白虎隊に擢ぜられ、仏(フランス)式撤兵調練を沼間畠山両氏に教授せられ、敵兵国境に逼るを聞き、勇壮措く能わず。

八月廿二日暁天、隊長の通達により登城して、藩主を守衛し、隊長に随い滝澤村に至る。急報益々頻なるを以て、戸ノ口原に敵兵を逆い、直ちに藩兵を援けて乱丸の間に奮戦し、伏して敵兵を狙撃し、遂に飯盛山に退き、環座を為し、衆と共に議を為し、鶴城を再拝頓首して刀を把り、自刃せり。時に年十六歳。




『白虎隊事蹟』(中村謙著)より
原文に句読点を付け、旧仮名遣いの読み難い部分を現代仮名遣いにあらため、改行を入れるなどして出来るだけ読みやすくしました。



戻る