有賀織之助君事蹟



氏は嘉永六年十一月三日、若松の城下本三の丁の邸に生る。
父は権左衛門、母は(いく子)、この氏は二男なり。氏名は満道、通称織之助と言う。
父権左衛門、初め豊之進と称す。御目付役を奉じて家禄二百五十石を食む。元治元年七月十九日、京都蛤御門の役に忠死せり。兄衛士は亡父の戦功によりて二拾石御加増、家督を相続し、職を御使番に奉ぜり。
氏は十歳にして日新館に入門し、茂原彦八に就き四書五経の素読を学修し、元治元年四月、書学寮に入門、山本新左衛門に就き習字を学び、武術は弓馬槍刀を修め、殊に氏は槍術を好み、内田伴之助氏に従い、大に其の術を能くせりと言う。而して学問出精し、三等二等一等の卒業を為し、其の賞として四書小学、近思録等を賜り、又書学を卒業して良硯一面を賜る。

戊辰の三月、士中白虎隊に選ばれ、仏(フランス)式の調練を習い、八月廿三日、敵軍を戸ノ口原に防ぎ奮戦し、遂に飯盛山に退き、衆と共に鶴城を望み、頓首して自刃せり時、年十六歳。




『白虎隊事蹟』(中村謙著)より
原文に句読点を付け、旧仮名遣いの読み難い部分を現代仮名遣いにあらため、改行を入れるなどして出来るだけ読みやすくしました。また、母の名が脱落していた為、( )にて補っています。



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