蓮田市五郎とその遺文について

 

蓮田市五郎(はすだ いちごろう) : 水戸藩士、諱は正實。安政七年三月三日、櫻田門外の変で大老・井伊直弼を要撃した水戸浪士の一人。変後、老中・脇坂邸に自訴、即日細川家に幽囚された。同月九日、本多修理邸に移され、後日諸士と共に斬に処せられた。享年二十八歳。


蓮田の詠んだ歌を一首、下記に記します。

降り積もる思ひの雪のはれて今 仰ぐも嬉し春の夜の月

おそらくこれは、事を成し得た後に詠まれた歌ではないでしょうか。この歌は、『興風集』のほか『義烈回天百首』にも収められています。

(注)
井伊大老襲撃については、とりわけ戦前までは「義挙」として捉えられていたようですが、管理人は彼らの行動を支持しているわけではありません。事情がどうであれ、文久年間に(主に京都で)横行する「天誅」と同様、テロ行為であると思うからです。ここで遺文を紹介しようと思ったのは、彼らの行いを讃えてのことではなく、「死」を覚悟した一人の人間の心の裡が吐露されていることに興味を抱いたからです。

詩歌が収められた『維新志士勤王詩歌評釋』には、「幼にして父を喪ひ、加ふるに家貧しく、わづかに食を減じて読書勉学した」と紹介されています。また、「獄中より母姉に寄せた手書は惻々として至情溢れ、之を読んで泣かぬものはないであらう」とあり、私が蓮田市五郎という人物に興味を抱いたのは、まさにその記述からでした。さらに、遺文が収録されているのは、久坂玄瑞の「追懐古人詩十首」をはじめとする松下村塾の詩歌文集、『興風集』であるとのこと。幸運にも東京の古書店で同書を入手していた私は、早速その遺文に目を通したのですが、明治元年に発行された木版刷りの和本ゆえ、旧字旧かなの続け字で書かれており、哀しいことに殆ど読めず……(涙)。どうにかしてこれを読みたいと思ったものの、私は史学科出身ではないし、古文書の読み方をちゃんと習った訳でもありません。読み方の本を買って、少しずつ勉強してはいるけれど、初級の教材としては、蓮田市五郎の遺文はあまりに難しすぎる。そんな訳で、ここは一つ専門の先生に助けていただくしかないと考え、日頃親しくさせていただいている詩吟の先生にお願いして、その方のお知り合いの書道の先生に旧字旧かなの解読を助けていただきました。そうして判明した字体から、私が全文を読み解いたのが、ここに載せた文章です。浅学ゆえ、読み辛い箇所が多々あると思いますが、どうかお許しください。また、解読不能な箇所は、□□で示してあります。←解読を助けてくださった先生がおっしゃるには、当時書き手は獄中に在り、いつ何時刑に処されるやも知れぬ状況にあった為、字も乱れたのではないか、とのことです。確かに、解読不能な文字は文章の後半に多いところを見ると、或いはそうかもしれませんね……。

最初、現代口語訳にしようかと考えたのですが、文面から伝わる書き手の悲痛な思いが上手く表現出来ないのではないかと思い、読み下し文とすることにしました。送り仮名の補足や句読点、読み方の括弧書き等を加え、出来るだけ読みやすくしたつもりですが、文章に込められたやむにやまれぬ心情が上手くお伝え出来るかどうか……。それでも、勉強が足りない分、「読みたい!」との熱い思い(?)で補ったつもりです。至らぬ点はどうかご容赦願いますm(_ _)m。

管理人拝


上記の文章は、2003年頃、幕末サイト 『志耀館』(2009年11月閉鎖)に
upした際に書いたものです。

 


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