蓮田市五郎とその遺文について


上巳義士 蓮田市五郎遺書 正實時二十八


一筆申し上げ奉り候、この頃やうやう天気もつづき、のどやかに相成り候処、先づ先づ御母さま御姉さま御揃い遊ばし御機嫌よろしく御座いますこと目出度き御事にも思い存じ候。さて私事、去月三日の朝、同志の者都合十八人申し合わせ、御大老井伊掃部殿と対面、御老中脇坂殿へ自訴に及び細川家へ御預けに相成り、同九日夜、本多修理之助殿御預りに相成り候。かねがね御承知致され候通り井伊家者は天下の奸臣にして御家はゆめ仇敵なり、一昨年より御家臣安島藤帯刀様、茅根先生を始めとして有名の人々無実の罪にて死罪にされ、或ひは苦心の余り切腹仕り、或いは獄中にて狂死、或いは遠き島々へ流される者、皆相成りしも、全く井伊家の計略にて此度私儀討手の人数に加わり、本望を達し候段、先づ先づ国事成り致し方と御よろこび下さるべく候。その場にての働きは随分人には劣りながら、負った手傷は右の肩弐寸内うで三寸二箇所、何れも今は平癒仕り候。何らか極まりし上は、近日仕置相成る事と存じ候。二十八ケ年の御鴻恩(厚恩)、家庭報ひ奉る段、先立つ不孝は如何様に存じ上げるも只今致し方無く、之(これ)恐れ入り候儀に申す迄も無く、何卒何卒御ゆるし下され願い上げ度く候。徒れづれ御身の上を考へ仕れば、御母さまほど終身因果はねる御方は世間には是余り無く御座候。御年みそじ余り御父様に御別れ遊ばし、大勢の兄弟どもを御独りにて御養育遊ばし、度々の不幸かねがね御苦心のみ遊ばされし事、このように難儀な男子にては私壹人なるを千辛万苦しつつ成長せしめ、やうやう三、四年この方少しは御安心の御廉(かど)も吾々招き存じ奉り候。右の派またまた一昨年より御国難儀続き始終御心配の中々、此度の次第御聞き遊ばされては、御愁歎やら御怒り御申し上げ奉り候はず、実に恐れ多く存じ奉り候。宿出立の節、事の次第一言も申し上げず、お暇乞いも仕らず出立し、さぞ御立腹せられ候事と存じ奉り候。今更長々と申し上げては御悲歎の余りいかなる思し召しならせられるかと存じ上げ、うまく申し上げる事かなわずとも、その罪も御許し遊ばされ下さるべく候。私身分の之(これ)成るは致し方無きに御座候、今日の内にも御刑に処されるやもしれず、大半磔(はりつけ)に処される事と存じまする故、とても帰らぬ事とお思ひ遊ばされたく、御姉さまへよき婿を御取り遊ばし、(その方を)私と思し召して御一生をお過ごし遊ばされ候。外(ほか)、之(これ)有る間敷と存じ奉り候と繰り返し考居しても人の一命は限り有るものと相見え申し候。死すべき時に生き、生きるべき時に死するものとて、私など御先立ち申すも仏家に申さば前世の約束事にて、これ掛かるところ所謂天命と申すものと存じ奉り候。さもなくして人間の一命が容易に捨てるものは無きに御座候。私儀昨十月中大病相煩い候相果ては此度の一事に出る事能はず病死するより、天下の為死するなぞ本望なれば、却って御心を切り替へられ、且つ人間世界の常なきを御悟り遊ばし、このことは御諦めのほど、くれぐれも願ひ上げたく候。

一、御姉さまえ申し上げ候。これ海山の御恩をこふむり□□存じ上げたく一生の内にはいつしか御恩返してと存じ居り候処、今般の次第にては御恩返し能はず、思ひ掛けない御悲歎を相懸け、恐れ入る事にて御座候。私身上は致し方も無く、此上は第一御母さまの御事大切に御座候。私儀御母さまを振り捨て、行ない成らず、不孝の上にも不孝を重ね申し訳之(これ)無く不届き者めと御立腹せられ候へども、是(これ)私の為ならず君の為世の為なれば、これ致し方なき次第と思し召され候。□□別して心を尽くされ御母さまに私の分まで御孝行御尽くし下されば、私は死しても草葉の影より御礼申し上げ候。御姉さまの是(これ)まで御縁づき遊ばさるも只今にてはかような訳に成り、御母さまをば御姉さまが御あづかりと成る事とせんぜんよりの定まり事と存じ上げたく、くれぐれも御母さまの御事御大切に願い上げたく候。

一、金町姉さまえ申し上げ候。私が中々成行無く御悲歎の御事と存じ奉り候。私事は御あきらめ遊ばし御母さまを御大切に遊ばされて、子供等は独り御そだて遊ばさるべく候。此の手紙三度目に中々相認め申し候。今度おどろき勤め半に至りて落涙に沈みて□□申し候。御母さまに御礼御暇乞ひ御申し訳かたがた申し上げ候へども、御手許までとどき□□相知らず、第一御被めに相成るは此の書状にて御あきらめ下され候。申し上げ度き事はやまやま御□□とても心までは尽くしがたく、且つ人目をしのび泣くなく中々相認□□御暇乞ひ申して何か□□申し上げ奉り候。以上

申閏三月朔日 蓮田市五郎

御母さま
敏御姉さま
          御もとへ

 

尚々これよりは何事も塙左五郎様御相談遊ばし候。左五郎様、玉川先生ならばいづれも真実深き人ゆへ如才に授かれ申し候。司□九え預け金拾六匁壱歩弐朱のうち拾弐匁請け取り申し候。残金弐匁余りは先方え□□候。この外(ほか)石神村黒沢覚蔵と申すものへ金三拾匁貸し出したるこれは鈴木幸蔵と申す人、□寛□殿妻の弟にて委細□□存じ居り候。□□は矢口え御相談遊ばされ□□候。

一、御心と満(ま)□て御申し訳かたがた涙ながら一筆申し上げ奉り候。此頃の長に純成(もっぱらなり)し処、いかが御くらし遊バされてや御案内申し上げ奉り候。今わのきわに純成(もっぱらなり)、御母さまの御事□□苦心にたへかね実に身本(みほ)ねもくだくる思ひに御座候。また御母さまにも私事をいろいろと思し召され□□ふつつかなるやつと御腹立ちせられし事をおしはかり、涙のかわく間無く御座候。私事も忠孝義の相とぞんじ、いろいろ尽力仕り処、只今に相成りては義事やぶれに相成り、不忠不孝の身と純成(もっぱらなり)、今更残念致し方も無く御座候。私儀は去冬大病相煩ひにて候、朽ち果てしと思ひ御あきらめ下され候。返すがえすも御志(し)かりやら遊ばされ間敷、何程賢人君子にても思ひつくせし事とも破してはみな手違と相成り申し候。況や是(これ)余りものは勿淪の義とぞんじ奉り候。何卒二十八年の御厚恩を一つもむくひ奉らづ先立つ不孝は御免(ゆる)し下され候。幾重にも願い上げ奉り候。百事も破れて頃は今日より□□一日も早く朽果て申し度く存じ候。

御母さまには此上は御きげんよく入らせられ、跡あとの事はいまひとときは御たんせひ遊ばされて□□願い上げ奉り候。嗚呼いかなる不運にや義事破れて不忠不孝の身となり死し候、私の心事も御察し遊ばされ下さるべく候。何程くり返しても思ひのせんなくまして思へば筆にはつくづくかたがた□□申し上げ奉り候。何はれ世の中には神もいらぬものかと思ひあきらめ候。

四月朔日     市五郎

御尊母さま

 

原文 : 『興風集』 久坂通武ほか著 明治元年 田中屋治兵衛 (松下邨塾蔵版)

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