「天理可楽怖」第三号より

 

白虎隊について書かれた部分の現代語訳です。



 ここにお話あり。
 一人の老媼が、行方の判らなくなった我が子を捜し、尋ねながら山を行くと、諸肌を脱ぎ切腹している者や咽喉を突いている者、刃に伏せる者など、数人が自決し、鮮血に染まって斃れているのを目の当たりにした。何れも未だ年少にて、我が子と同じ年頃と見受けられ、老媼は憐憫の思いが込み上げて涙を流し、一人一人確かめてみると、刃を咽喉に刺し挟み、未だ息のある少年が居たので、徐(おもむろ)に刃を抜き、そのまま負い帰って介抱の限りを尽くすと、その少年は遂に蘇生した。
 何があったのかを尋ねると、「はじめ滝沢の辺りの山間で敵と出会い戦ったが、味方は散々(ちりぢり)となり、何処に行くべきか判らず、敵は既に突き進んで城際に迫り、空は煙と焔に包まれ、誰一人として援軍も来ないので、最早これまでと各々心を決め、この上は敵の手にかかり恥辱を味わうよりは、と互いに相談し、その場を退いて城陰の見える場所を選び、皆それぞれ城を拝んで自害した。自分も頻(しき)りに咽喉を突いたが、上手く突き通らないので、刃を(傷口に)刺したまま両手で木株を掴み、力を込めて身を前へ倒すと、意識を失って何も判らなくなった。こうして助けられ、連れ帰られるとは夢にも思わなかった」と言う。
 全員で十六人、何れも白虎隊にて悉(ことごと)く自刃し、一人蘇生したことで他の十五人の姓名も明らかになった。「年少の身でこれほど潔い決心をするのを見れば、彼らが成長した暁には英材となったものを、真に惜しいことである」と、人々が言っているとの事である。





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