野村駒四郎 (のむら こましろう)
基本事項 住所

郭内本二之丁(三日町通りから東へ三軒目、北側)

身分・家族

野村清八(家禄百三十石)の三男、母はみね子(永野保の妹)。

誕生・特徴

嘉永五年生まれ。
勇猛。赤毛の髪をざんぎりにし、身体大きく、色赤黒く、眉うすく、口大きく、頬肥える。

日新館での学籍 三禮塾二番組
出陣時の服装

マンテル、黒色琥珀のズボン、浅黄色の下着。ロウ色鞘の刀を革にて下げる。

戒名 義註孝忠居士
家系

本姓 : 宇多源氏
本国 : 近江

野村織部定光 嫡男
(初)与惣右衛門盛時 ― (2)与惣右衛門盛時 ― (3)与惣右衛門某(婿養子) ― (4)幸左衛門曼親 ― (5)武左衛門曼光(養子) ― (6)直右衛門盛曼(嫡子) ― (7)卯之助盛重(婿養子) ― (8)清八盛新

家紋  鶴の丸
略伝・逸話

■野村駒四郎君事蹟 (白虎隊事蹟) 

■野村駒四郎君の傳

 君は野村清八君の三男で、郭内本二之丁に生まれた。(系譜に野村家七世を卯之助盛重、八世を清八盛新(もりよし)というとあり、盛新君享和二年の誕生であれば、駒四郎君はその五十一の時の子である) 二兄あり、長を後の清八といい、次を兼三郎後卯之助といった。共に撃剣を好み、剣客で評判があった。
 清八君、食禄百三十石、君が幼少の時没した。母君名はみね子、永野保君の妹である。(清八君、はじめ津川氏の女性を娶り、みね子は後妻であった) 君、その膝下に養育され、稍長するに及び簗瀬勝三郎、西川勝太郎等と最も仲良しの友達であった。母君、常に言う、「孟母に三遷の教えがあった。小児の為にその友を選ぶのは、これ母たる者の責任である」と、よく注意せられたものであった。
 君、十一歳で日新館に入り、三禮塾二番組に編入され、書を読み、武を習い、最も槍術を好み、十七歳で切紙下(一旨流槍術の階級名)に進んだ。その頃、人々相伝え言うに、盗賊が他邦より会津に入り来り、放火強盗をすると、因って郭門には突棒、刺又等を立て並べ、街々では柝(ひょうしぎ)を撃って徹夜警戒して怠ることがなかった。
 ある夜、野村家の竹林中に、人の気配がして、潜(しの)び歩く者のようであった。兄氏は必定賊が潜び入ったものと思い、槍を執ってまさにこれを刺そうとした。君、これを聞き、馳せ来り、止めて言うに、「この賊はどうぞ弟(わたくし)が小腕に委(まか)せて下され」と、寝巻のまま徒手で忽ち走り出て、むんずとこれを捕らえれば、大いに叫び泣いた。因って燈を灯してこれを視れば、乃ち隣家の下婢が主人の呵責(しかり)を避けて隠れたのであった。依ってその下婢の為にお詫びをしてやって送り返したという。そこで時人が君を評して、「昔平忠盛が祇園の祠僧を捕らえた勇気に似た」と言って褒めた。時に年僅かに十三であった。
 戊辰三月、白虎隊士中隊に編入され、八月二十三日、西軍と戸ノ口原に戦い、飯盛山に退き、遂に衆と共に自殺して斃れた。享年十七。この日、君、縦横に奮戦し、携える所のヤーゲル(銃の名)銃が破損して用に堪えない。君、その銃を地に擲(なげう)って言う、「このような役に立たぬ火器(てっぽう)は入用ではない、短兵接戦する方がよい」と、抜刀してまさに敵中に飛び込もうとした時、人々危ぶんでこれを引き止めた。丁度その処へ小隊頭山内弘人が連発元込銃を肩にして来た。君、これに向かって言うに、「将校たる方は銃の御入用はない筈だ、どうぞ私に貸して下さい」と、その銃を取って進撃した。弘人、これを見送って言う、「嗚呼、天晴れ勇壮な少年だ」と。後、家人がその遺物を代々の菩提所である惠倫寺に埋め、法名を義註孝忠居士といった。

                              
  補修 會津白虎隊十九士傳


■野村駒四郎伝

 駒四郎は野村清八の三男にして、清八は食録百石、職を供番に奉し、郭内二之丁に住す。兄二人あり、卯之助、兼三郎という。共に撃剣を好み、頗る其の技に長じ、剣客の名あり。駒四郎、人となり精神活発、意気爽快、白色円顔、眼光人を射る。
 十一歳にして日新館に入り、書を読み、武術を演じ、最も撃剣を好み、稍々其の技に長ず。其の年の夏、他邦より盗賊入り来たり、強掠放火等を為す。官頻りに索むれども獲ず能わず。郭門には衝鉾刺又等を列し、戒厳甚だしく人毎に誰何す。是を以て各戸警戒、徹夜怠ることなし。
 一夜、同家の裏の竹藪を潜行する者あり、父兄従僕之を聞き、走り来たり槍を以て衝かんとす。駒四郎、之を止めて曰く、「此の賊、児の小腕に任せよ」と、忽ち奔りて之を捕らえば、大いに叫喚、悲泣す。灯を照らして之を見れば、豈計らんや、隣家の下婢の近時癲狂する者なり。仍(よ)って速(すみやか)に之を送り還すと言う。
 戊辰三月、撰ばれて士中白虎隊に編入し、仏式撤兵調練法を習い、八月二十三日、官軍を戸ノ口原に逆い、激戦の末、飯盛山に退き、衆と共に自死す。年十七。

                                     
  白虎隊勇士列伝


注意 : 略伝・逸話は、管理人の判断によって原文にはない句読点を入れたり、( )等でふりがなや説明を加えている箇所があります。

参考文献 : 宗川虎次『補修 津白虎隊十九士傳』、二瓶由民『白虎隊勇士列伝』、神崎清『少年白虎隊』

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