SOMEDAY
花道のシュートミスからの速攻は豊玉のお家芸ラン&ガン。見事に決められ、点差が九点に開く。だけど、九点のリードなんて湘北にしてみりゃまだまだ射程距離だ。ボールはコート上一番速い男宮城リョータに渡ったが、ここは一本じっくり攻める作戦。インサイドの覇者は赤木剛憲。リョーちんのパスがゴリに通った瞬間、三人の敵がプレスに行く。その時
オレ達のヒーロー、桜木花道が手招きした。花道は完全フリー。今までさんざんミスしまくって攻撃の頭数に入れてもらえないことすら幸いして、マークマンが一人もいねえ。チャンスだぞ花道。落ち着いていけ!
合宿シュート
オレは拳を握りしめて見守った。その時間の何と長いことか。フォームは最高だ。肘に無駄な力も入ってねえ。膝から伝わってきた力がボールに大きなアーチを描かせて、そのままボールはリングに吸い込まれる。息を飲む気配は、すぐに会場の大きな歓声に掻き消されていった。
『ゥワアァーッ!』
「やったああー!」
高宮の奴が馬鹿力でもってオレの首をうしろから思いっきし締める。だけど文句言う気にもならねえぜ。花道、お前は最高だ。全国の強豪相手のインターハイの大舞台で、常連の奴らと互角に渡りあっちまう。あんまり眩しくて見てらんねえよ。
「……巣立つヒナ鳥を見る母鳥の心境だな」
高宮の言葉に、オレは胸が熱くなった。そうか、花道。お前は巣立っちまったんだな。オレ達の力が必要ねえくらい立派になっちまった。お前はもうオレがいなくても大丈夫だな。そうやってお前は独り立ちして、いつか誰にも負けねえ最高の男になる。
オレの脳裏に、過去の様々な花道が浮かんでは消えた。まるで、想い出のアルバムに鍵をかけるように。
オレ、水戸洋平が初めて花道に抱かれたのは、中学の卒業式のときだった。
記念すべき五十回目の失恋。地の底まで落ち込んじまってた花道を慰めようと、オレは奴の部屋に行った。その時に花道が言ったんだ。
『洋平、オレ、洋平のこと抱きてえ』
後悔しないって言った花道。花道が後悔しないなら、オレも後悔しないでいられると思った。花道に抱かれた瞬間、オレは自分が奴を好きだって自覚したんだ。だけどオレは花道に何も言わなかった。花道が言った好きという言葉に、オレは結局最後まで答えなかった。
湘北に来て、花道は晴子ちゃんに惚れた。もしかしたらオレがちゃんと伝えていればこうはならなかったかもしれねえ。オレはそれでいいと思えた。どう考えたって花道には晴子ちゃんの方が似合いだったから。
宙に浮いちまったオレの気持ち。花道の身体を求めるオレの無意識は、いつの間にか流川を引きずり込んじまった。
『お前の身体がオレを誘ったんだ』
流川がオレに流されたのか、オレが流川に流されたのか判らねえ。だけどオレ達は互いの身体を求めた。満たされないオレの欲望を流川で満たそうとしたのかもしれねえ。
それが流川で満たされるはずもなく
虚しさを引きずったまま、シュート合宿の最初の夜に、オレは偶然牧に出会ったんだ。そしてオレは知らされた。オレの鬱屈の意味を。オレ自身がもう元には戻れないことを。
『お前は桜木に帰れ。それが唯一の救済方法だ』
花道に愛されなければ、オレはダメになっちまう。だけどオレはきっと一生言わねえだろう。花道が好きだとは口が裂けても。花道に抱かれたいなんて絶対に口にしねえ。それがオレの最後のプライドだ。それを言っちまったら花道の親友でいる資格すらなくしちまうから。
この気持ち、オレは棺桶の中まで背負っていく。
緒戦突破の興奮も醒めやらないスタンドをあとにしかけたとき、オレはうしろから洋服を引っ張られた。振り返ると晴子ちゃんがオレのシャツを握りしめてる。満面の笑顔なのに目で訴えるものがあって、オレはちょっとドキッとした。
「洋平君、お願い。あたしどうしても桜木君におめでとうって言ってあげたいの。一緒についてきて」
あいかわらずかわいいなこのコは。大胆なのか恥ずかしがりやなのかよく判らねえ。まあ、そのアンバランスさが魅力なのかもしれねえけどな。
「いいよ。オレも花道にそう言ってやりてえし」
「ありがとう」
晴子ちゃんと話してる僅かな間に、大楠達三人は人波に遠く流されちまった。ったく薄情者軍団め。……しかたねえな。女の子達三人はオレがエスコートしていきましょうか。
人込みから庇いながら、ようやく晴子ちゃん達を選手の控室に通じる通路までつれてきた。このあたりまで来ちまえば人もまばらで、話し声も通じる。今まで必死になってオレについてきた晴子ちゃんも余裕が出てきたんだろう。オレに並んで声をかけてきていた。
「桜木君、ほんとにすごかったわよね。まだバスケ始めて何か月って単位なのに、こんな大舞台で他の選手に引けをとらないんだもの。ものすごくたくさんリバウンドもとってたし」
「ああ、そうだね」
「あたし、桜木君をバスケ部に誘ったのが自分だったって事、きっと一生の語り草にするわ。……なんか桜木君て、あたしの夢を全部実現してくれそうな気がするから」
もし君が花道の恋人になったら、きっともっとすごい奴になるよ。
花道は君の好きな流川なんかよりも何倍もすごい男なんだから。
「でも……流川君本当に大丈夫かな。無理して悪化してなければいいけど」
うしろを歩いていた松井さんが、晴子ちゃんに聞こえないようにふうっと溜息をついた。溜息つきたくなる気持ちは判るな。あれほどあからさまな花道の気持ちに気づかないほどぼんやりした晴子ちゃんの友達でいるってのは、けっこうしんどいだろう。
「あ、桜木君!」
一オクターブ上がった晴子ちゃんの声に振り返ると、花道の奴がちょうど控え室から出てきたところだった。相変わらずだな、花道は。顔のデッサン狂いまくりだぜ。
「ハルコさん! 見ててくれましたか? 天才バスケットマン桜木のスーパープレイを」
「うん。……すごかったね。いよいよ桜木君も全国レベルの選手って感じ」
「そうでしょうそうでしょう。この天才に不可能はありません!」
まー舞い上がっちゃって。晴子ちゃんも乗せ上手っていうかなんつーか、花道のことほめまくっちゃその気にさせちまう。このあとも晴子ちゃんはさんざん花道をほめまくって、花道の方はすでに空中浮遊状態だ。地上に引き戻すのにえらい苦労するぞこりゃ。ま、それでも晴子ちゃんは憎めねえかわいいコだ。
「晴子、そろそろ行くよ」
「うん。……それじゃ桜木君、明日の試合もがんばってね」
「はい! ハ……ハルコさんのために……」
「じゃあね。洋平君ありがとう」
「ハイハイ」
最高の笑顔を残して、晴子ちゃんほか二名退場。軽く手を振って振り返ると、花道がキョロキョロしながら何やら怒っていた。
「あーっ! あいつら先に帰りやがった!」
「さっきお前が晴子ちゃんと夢中で話してる間に、めがね君がオレに会釈してったよ。宿の場所くらい判んだろ?」
オレの言葉に、花道は目を見開いて振り返った。まるで今初めてオレの存在に気づいたように。……まあ、ほんとにそうだったところでオレは気にしねえよ。試合に勝ったあとの興奮状態に晴子ちゃんが上乗せされてんだ。オレの入るすきまなんかねえだろう。
オレはもう花道のことは忘れる。自分でそう決めたから。
「あの……な、洋平……」
少しは罪の意識があるんだろう。上目づかいにオレを見て口ごもってやがる。けっこうこういうとこかわいいよな。
「まずは緒戦突破だな、おめでとう」
「お……おう!」
「晴子ちゃん感動してたぞ。お前にお祝いが言いたいってわざわざここまで来てくれたんだぜ。この幸せもん!」
そう言ってオレが花道の胸をつつくと、花道は赤い顔をもっと赤くした。でも、なんか少し反応が変だな。いつもの花道ならもうちっと積極的な喜び方するはずなのに。
「洋平……は? 洋平も感動したか?」
お前な。晴子ちゃんの感動の言葉のほかにオレの言葉も聞きたいってか。この欲張りめ。
「ああ、お涙もんだったぜ。あのまま合宿シュートが決まらなかったらオレ達の苦労は何だったんだーって泣き伏してたかもしれねえな」
オレの言葉に花道の奴はしゅんとしちまった。オレとしたことが。
「ま、冗談はともかく、今日のお前は最高だった。天才バスケットマン桜木花道の衝撃的全国デビューってとこか。今日の試合見てた奴、お前のこと忘れないぜ」
「洋平……」
「お前がピカイチだ」
オレのおだてをまにうけて、花道の奴は最高の笑顔を見せた。別に嘘は言ってねえぜ。花道は天才だってオレは思ってるし、オレの目から見りゃあん中じゃ花道が一番だってのも本当の事だ。上手とか下手とか関係なく、オレを一番惹きつけるのはここにいる花道なんだ。
「洋平! 腹へらねーか? 今日はオレのおごりだ!」
「ツケはきかねーと思うぞ。祝いにオレがおごってやる。なに食いたい花道」
「おこのみ焼きと餃子とラーメン!」
花道と並んで歩きながら、オレはこのふってわいた幸運のツーショットの時間を精一杯楽しんでやろうと思っていた。
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