催 眠



 翌日の日曜日、バスケ部の練習が終わったあと、オレは前言を撤回した。
「 ―― 偉そうなこと言って悪かったと思ってます。すんませんでした」
 めがね君はもしかしたら何かを悟ったかもしれない。ちょっと、切なそうな顔をして、オレの頼みを聞いてくれた。
 部室の外で、壁に寄りかかって、オレは中の様子を聞いていた。次に花道と顔を合わせたとき、オレと花道はマブダチになる。解けない催眠術の上に更なる術をかけたら、元に戻れるはずだ。まだ互いが互いを意識することのなかった、中学の頃に。
 オレもあの頃に戻ればいい。そして、今度こそ最高のマブダチになろう。
 昨日という時間、忘れて。
『 ―― 三つ数えて手を叩くと、あなたは目を覚まします。……いち……に……さん……はい!』
 心の準備。気をしっかり持たねえと。
 ドアから出てくる花道は、もう絶対にオレを愛することのない花道なんだから。
 そうして、オレが半分笑顔を作りながら待っていると、やがて部室のドアが開いて、花道が顔を出した。
 緊張!
「……洋平……」
 オレを見下ろした花道は、一瞬複雑な表情をした。そしてそのあと、ちょっと顔を赤らめた。
「……あの……さ、洋平……」
 もしかして……そうか、花道、覚えてるんだ、昨日のこと。……そうだよな。別に花道、記憶喪失な訳じゃねえんだから。
 花道はたぶん、マブダチのオレと犯しちまった過ちを後悔している。
 だけど、後悔しようがなにしようが、花道の二度目の催眠術が精神の破壊を招かなかったことだけは確かだ。
 それは、嬉しいこと。
 オレは自分を奮い起たせるように、笑顔を作った。
「おかえり、花道」
 対する花道もほんの少しの笑顔を作った。
「変だな、おかえりとか言われるのも。オレ、別にどっかに出かけてた訳じゃねえよ」
「そうだな」
 悲しいくらい、花道は元の花道に戻っていた。その様子に、オレは自分の中で自分を納得させる。
 花道は最初からオレに惚れてなんかいなかったんだ、って。
 帰り道を歩きながら、オレはひねた嘲笑を自分自身に浴びせていた。

 まるで幻のような一日。
 年に一度の誕生日に、降って湧いた幸運のような一日。
 それは、一生振り向いてはもらえない悲しい片想いをするオレを憐れんだ、神様からの贈り物だったのかもしれない。
 帰り道、花道と笑顔で話しながら、オレはそんなことを考えていた。
 花道はたぶん最初から、オレのことなんかなんとも思ってなかったんだ。
 マブダチって以上の感情なんか、花道の中にはひとかけらもなかったんだ。
「洋平、ちょっと寄ってかねえ?」
 そう言った花道の態度は、最初の催眠術の前とぜんぜん変わらない。
 変わらない、ってことは、花道がオレに対して特別な気持ちを持っていなかったという証明になる。
 悲しい、けど。
 ところが ――
 花道がオレを招いて、ドアが閉まった瞬間、花道はいきなりオレの腕を引いて。
 キス! したんだ!
「花……」
 一度、触れたかと思うとまるで雪崩込むように押しつけてくる。差し入れられた舌がオレの口内を動き回る。感じたのは驚きと、やがては何もかもを押し流す激流。目眩に、オレは平衡感覚を失った。
 膝を崩したオレを抱き止めて、花道は顔を覗き込んだ。その目は、悪戯っぽい甘さを含んでいる。
「花道……」
 どうして……? だってお前、マブダチの催眠術 ――
 かからなかったのか? そんなはずねえ。さっきまで花道の奴、確かにマブダチだったんだから。
「洋平、オレ、昨日いっぱい言ったけど、もう一度ちゃんと言う。よく考えたら返事もらってねえし。……お前のこと、好きだ、洋平」
 そんなこと……。
「……催眠術、解けたんじゃなかったのかよ……」
 まさか。
 最初の時のあれ、お前、かかった振りして……?
 だけどそれじゃあの恥知らずな行動もすべて演技だったってことにならねえか?
 そんなバカな!
「催眠術って、さっきのか? オレがお前に惚れてなんかなくて、ただのマブダチだ、とかいうやつ」
 それもだし、その前の『水戸洋平に惚れてる』ってやつもだけど。
「そんな催眠術にオレがかかる訳ねえだろ? オレがお前に惚れてねえなんて、まるっきりデタラメじゃねえかよ。いくらなんでもそんなんに簡単にかからねえよ。めがね君ももちっとまともな内容でかけろ、ってんだよな」
 かからなかった……?
「かかってねえのか? そんじゃ、その前のは?」
「その前って?」
「だから、昨日のだよ。お前、催眠術で行動めちゃくちゃだったじゃねえか」
「……そっか。オレもなんか変だと思ってたんだ。確かにオレ、昨日洋平にコクるつもりだったけど、実際あんなうまくいくと思ってなかったしな。……あれって、催眠術のおかげだったんか。妙に納得」
 つまり、なんだ?
 花道は、オレに惚れてるって催眠術にはしっかりかかったのに、惚れてないってのには、ぜんぜんかからなかったってことか?
 惚れてない催眠術は、デタラメだったから……?
 花道の本当の気持ちと、正反対だったから!
「花道!」
 気がつくと、オレは花道に抱きついてた。
「お前、ほんとにオレのこと……」
「嘘は言わねえよ。……お前のこと、ずっと前から好きだった」
「花道……」
 まともな精神状態の、花道の愛の告白。
 半端な催眠術なんかじゃ絶対消せない。そうだよ。めがね君なんかの催眠術がそんな強力なはずないじゃんか。昨日の花道だって、本当の花道だったんだ。ただちょっとブッ飛んでたけど。
 催眠術なんかで、花道の心を変えるなんて、できないんだ。
 一日遅れの誕生日プレゼント。
「オレも、花道のこと、ずっと前から好きだった」
 おかえしは、花道の誕生日までとっておく必要なんて、ないよな。


 オレはたぶん、これから一生、かけられ続けるだろう。
 花道という名の催眠術。



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