催 眠



 その日の土曜日、花道の練習が終わる時間を見計らって、オレは校門近くの塀によりかかっていた。その日はオレの誕生日だった。何をすると約束した訳じゃなかったけれど、少し顔を赤らめて誘いをかけた花道の表情で、なんとなく察した。花道は、ちゃんと、覚えている。一年でたった一度の、特別な日だって。
 プレゼント、なんて期待してないけど……。
 欲しいもの聞かれたら、答えは一つしかない。聞かれないでそれもらえたら、もっとうれしいと思う。だけど、にぶちん花道がそこまで先回りできる訳ないよな。なーんて、ニヤニヤしそうな顔、必死でなだめながら、花道を待ってる。
 それにしても、ちょっと遅くないか?
 練習はとっくに終わってるはずだ。着替えて、リョーちんのおやつラーメンの誘い断って、ゴリの特訓すり抜けてきたとしたって、かなり前に現われててもおかしくない頃合いだ。まさか、花道の奴、自分で誘っておきながら約束忘れてる訳じゃないだろうな。
 晴子ちゃんに誘われたとか……。
 もしも相手が晴子ちゃんだったら、勝てないかもしれない。今日がオレの大切な日だって、たぶんそんなこと頭の中からすっ飛んじまう。ごちゃごちゃごちゃごちゃ。不安がグルグルして、洗濯機と脱水機と乾燥機にもまれて。
 誕生日だからって、特別な一日だからって、期待してる訳じゃないけど。
「ヨーーーヘーーー!」
 振り返ったオレはたぶん、満面の笑顔だった!
「おっせーよ、花道。お前なにやって……」
 砂埃あげて走ってくる。満面笑顔の花道を先頭に、血相変えたリョーちんとミッチーとめがね君が!
「ヨォォーーーーヘェェェーーーーーーー!」
 なんだ? この異常なシチュエーションは!
 オレの驚きなんかまったく意に介さず、花道は飛びつくようにオレに抱きついた。
 呼吸、停止!
「洋平! オレ、お前のことが好きだ! お前のこと愛してる!」
 心臓停止!
「せっかいじゅうでいっちばーん、愛してるよぉーーー!」
 脳死……したような気がする。
 回りの通行人の視線、浴びながら、オレはひからびた亡骸になった。

「 ―― ゴメン! オレらが全面的に悪かった! 許してくれ、水戸」
 とりあえず生きた屍状態から回復して、ミッチーと二人、学校近くの喫茶店に落ち着いた。心臓のドキドキはしばらくおさまらなかった。ミッチー達が三人がかりでオレの身体から花道を引き離して、そのあと花道を縛り上げて部室に監禁したあとも、オレの鼓動は不正脈を繰り返した。確かに、さっき花道が口にした言葉をずっと待っていたけれど……。あんな公共の往来で、まさかあんな風に、抱きつかれて叫ばれるなんて思わねえだろ普通!
「……なんか、花道に言ったんすか?」
 三人がかりで花道を焚き付けた、ってパターンは大ありかもしれない。しかし、それくらいのことであんな恥知らずなマネ、花道がするだろうか。
「いや、実はさ、木暮の奴がその、妙に凝っちまってて……」
 凝る? 人の恋路に踏み込むことに、ってか?
「なんすか、それ」
「だからさ、ちょっと試してみよって話んなって、桜木の奴なら簡単かもしれねえって、ちょっとさ、部室でもって……」
 ああ! じれったい!
「だから、なんすか!」
「いや、その、つまり、ちょっとばかし」
「いいかげんキレるっすよ!」
「……催眠術を ―― 」
 じれったいところで要約するとこんな感じ。
 最近催眠術に凝り始めた木暮君、宮城君と三井君にその話をばしたらば、二人は妙に乗り気になった。
 そこで、手近なターゲット(つまり花道だわな)に催眠術をば掛けてみることにしたらしい。
 部室でもって、ほんの数分。花道は妙にかかりやすい奴だった、と。
「そんで? なんて掛けたんすか?」
「……お前は、水戸洋平に惚れてる」
 …………………………。
 ハアァ。
 脱力。
 よ、よけいなことを……!
「解いてください」
 オレが欲しかったのは、催眠術の告白なんかじゃなくて。
 花道の、まともな精神状態の花道の、心からの、心底間違いのない、愛の言葉だったんだ!
 そりゃ、花道の気持ち確かめたことなんか、なかったけど。
「お前が迷惑なのは判ってる。オレもほんとに悪かったと思ってる。男に愛の告白されたお前が心臓停止したところで少しも不思議はねえよ」
「過去のことは水に流す。だからさっさとその催眠術を解いてくれ」
「それが ―― 」
 ……誰だ花道をバスケ部なんかに入部させた奴は!
「 ―― 三日以内にもとに戻せなかったら、バスケ部廃部にしてやる」
 オレの、年に一度の誕生日を返せ!

 お互いにお互いを意識し始めたのは、たぶんどっちが先とか、そういうことはなかったと思う。なんとなく一緒にいて、なんとなく、ほんのちょっと意識して、いつの間にか危ない冗談すら口にできなくなった。いきなり目が合ったの、不自然に逸らしたり、普通の親友同士だったら当たり前の肩を抱く動作でさえ、途中でためらったり。
 花道とオレ、そんなささいな行動がそっくりだった。だから、自分の気持ちに気付いた次の瞬間、花道の気持ちにも気付いたんだ。花道のこと好きになっているオレ。同じだけ、花道もオレのこと好きになってるはずだって。
 たぶん、花道にも判ってるはずだ。オレが花道を好きだって事。オレと花道は、互いに告白してないだけで、ほんとは両思いだって事。
 親友の関係を壊すのが少しだけ怖くて言葉にできなかった。今までずっとマブダチやってきてたから、きっかけの作り方も判らなくなっていた。花道が晴子ちゃんに惚れてるって、そんな客観的事実に対するジレンマもあったと思う。だけど、今日はオレの誕生日だから、一年に一度、特別な一日だから、変えられると思ったんだ。花道が用意したプレゼントが、オレが一番欲しかったその言葉に間違いないって、思ったんだ。
 それなのに ――
「 ―― なんでだよ! オレ、洋平のこと好きなんだ。側にいてえんだよ。ずっとずっと側にいてえんだ! なのになんでミッチーがじゃますんだよ!」
「だからそれは間違いなんだって! 軽はずみにお前に催眠術なんかかけたオレ達も悪かったと思ってる。謝るよ。だから頼む、目え覚ましてくれ、な、花道」
「催眠術だかなんだか知らねえけどそんなもん関係ねえよ! オレは洋平が好きなんだ! ぜってー間違いじゃねえ! こんなに好きなんに、嘘な訳ねえよ!」
 部室でパイプ椅子に縛られた花道は、じたばた暴れながらミッチー相手にどなり散らしてた。確かにこれ、普段の花道じゃねえ。オレの知ってる花道は、こんなにストレートに好きを連発できるほど恥知らずな奴じゃなかったから。
 オレだってそうだ。こんなアイラブユーの連続技、赤面しないで聞いていられねえよ。
 だけどそれって、ミッチー達もおんなじだ。赤面して、呆れて溜息吐いて、そのうち目え逸らして下向いちまって。
「……オレの責任なんだ。まさか桜木がここまで暗示にかかりやすいなんて思わなくて」
 下を向いて上目遣いで、なのに身長差の関係でオレを見下ろしながら、めがね君が言った。その様子が本当にすまなそうで痛々しいから、オレもなんとなくほだされちまう。
「解いたらいいじゃないッスか。解き方、あるんしょ?」
「さっきから何度も解いてはいるんだよ。それなのにぜんぜん解けないんだ。……責任転嫁する訳じゃないけど、桜木って、どうも一度暗示にかかったら元に戻らない体質してるみたいだな。……オレも、まさかこんなことになるなんて思わないで軽はずみなことやっちゃって。水戸には本当にすまない事をしたと思ってる」
 催眠術が解けない体質? そんなん、あるんかよ! ……どうしよう、もしも花道が一生このままだったら。
 こんな花道とオレ、親友のまんまでいれるんだろうか。
 オレが半分青ざめたように立ちつくしてると、突然リョーちんが大声出した。
「そーだ! グッ・アイディーア! 花道にもう一回催眠術かけちまえばいいんだ! そーだよ! 一番手っ取り早えじゃん!」
 リョーちんは花道に聞こえないように、驚いてるオレ達に口を寄せるようにした。
「なんだよ、もう一回って」
「解けねえならかけ直しちまうんだよ。水戸洋平のことはただのマブダチで、惚れてなんかいねえ、ってさ」
 ……ちょっと、待て。
「確かにな。いいかもしれねえ!」
 ちょっと待て!
「宮城、お前冴えてるよ。それなら元に戻りそうだ。催眠術が解けはしないけど、解けないってだけで、暗示になら簡単にかかってくれるんだから」
 勝手に話を進めるんじゃ……!
「だめだそんなの!」
 もしも、もしも花道にそんな催眠術なんかかけて、それが万が一成功しちまったら ――
 花道はオレのこと、ただのマブダチだって思っちまうんだ。花道は暗示にかかりやすい奴で、だからもしかしたらその催眠術は一生解けないかもしれねえ。一生、花道はオレのこと、ただのマブダチだって思い続けるんだ。そんなことになったら、そんなことになったら、オレのこの想い、いったいどうなるんだよ!
 オレは花道のこと好きなのに、花道はオレのこと、永久にマブダチとしてしか見てくれねえ。確かに花道がオレのこと好きかもしれねえって思ったのは、単なるオレの勘違いだったかもしれねえけど、それでもほんのわずかでも希望はあったんだ。もしかしたら、晴子ちゃんよりオレのこと、好きになってくれるかもしれねえ、って。
 一生解けない催眠術なんかかけたら、そんな希望すらなくなっちまう。耐えられる訳ねえよ! 叶う可能性のない片想いなんて耐えられる訳ねえ!
 そんな、オレが大声出して会話遮ったせいで、三人は驚いた顔でオレを凝視していた。ヤバい。ごまかさねえと。このまんまじゃオレの花道への想い、三人にバレちまうじゃねえか。
 頭巡らせて、怒った表情作って、オレは三人に捲し立てた。
「花道のことなんだと思ってんだよ! 花道はてめえらのおもちゃじゃねえ! 軽い気持ちで催眠術なんかかけて、解けねえからって今度はてめえらに都合のいい内容の催眠術かけ直すだと! そんな……ひとの感情もてあそぶようなことして、いったい何が楽しんだよ! 花道はてめえらの何なんだよ! ……オレは許さねえからな。これ以上花道混乱させるようなこと、ぜってー許さねえからな」
 久々頭脳のフル回転。脳死しかけた頭にしちゃよくできた方だと思った。ごまかしが成功した証拠に、三人ともうちひしがれた感じで黙り込んじまった。よかったのか悪かったのか、ちょっと罪悪感。
「……悪かったよ。確かにお前の言う通りだ。……そうだよ。催眠術かけ直したからって、桜木が元に戻る保証はないんだ」
「……よけいに混乱させちまう可能性だって」
「最悪、精神障害起こすことだってあるかもしれねえ」
 ……馬鹿野郎。今だって十分最悪の事態だ。
「とにかく、催眠術を解く方法、なんとか考えてください。……しょうがねえ。それまでの間、花道のことはオレが預かります」
 オレのこの科白には、さすがの三人も驚いたみたいだ。
 だけど正直、この三人に預けといたら、オレは不安でどうしようもねえ訳だし。
「縄、解いてやって」
 縛られた縄、めがね君がほどいてる間、花道はうるうるした目でオレを見てた。
 そして、身体が自由になった瞬間、花道は二度目、いきなりオレに抱きついたんだ。
「洋平! 何だか判んねえけど、お前はやっぱオレの味方だったんだな! オレのこと愛してくれてるんだな! 洋平、オレもお前のこと、世界で一番愛してるぜ!」
 決めつけるようにそう言った花道は、この事態の異常さをまったく把握してないらしく、世界で一番、的外れな奴だった。


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