戦場の籠球



 Xデイが近づいている。
 敵は既に目の前に終結しつつあった。俺達も五時に早めの夕食を取り、非常食や水の確保も含めて、装備には余念がない。桜木と流川が整備した銃剣を背負い、長銃と長剣をいつでも構えられる位置にぶらさげて、弾丸を肩に下げた。ほんの一時間ほど前、作戦指令室で会議が開かれている。その作戦を思いだしながら、五人は所定の位置について、その時刻が来るのを待っていた。
「地形をよく見るんだ。まず、敵がこの丘に最初の陣を張ることは間違いない。地雷の痕跡のないところでやや高い位置はここだけだからな。つまり、我々の陣はぎりぎり射程距離のここだということになる」
 長銃の射程距離はぎりぎりもって五十米。その位置には予め仮の砦が築いてある。
「ここからが大事だ。桜木少尉、よく覚えておけ」
「はい」
「まずは、敵が宣戦布告状を読み上げる。最初は英語で読むだろう。仙道中尉はそれを同時通訳する。そのあと、おそらく日本語で読み上げるから、確認しながら移動する。宮城少尉は武器庫爆破用の導火線に火をつけながら右。爆破に巻き込まれないように注意しろよ」
「そんなドジ踏みませんよ」
「爆破の時間は日本語の宣戦布告が終わるころがいいだろう。そして、仙道中尉は左だ」
「赤木大尉殿、自分が真ん中では駄目ですか?」
「理由は」
「月に誓いを立ててますので」
 本来なら、上官の作戦になど口を挾むものじゃない。だが、左の土嚢では射程距離から遠すぎた。俺はそれほど射撃の腕に自信はない。
「いいだろう。貴様が真ん中で、俺が左へ移動する。宣戦布告が終われば敵はまず大砲を発射するだろう。爆風でわれらの動きを止めて、白兵戦に縺れ込む作戦と見ていい。その前に敵を出来るだけ減らさねばならん。合図は……仙道中尉」
「は!」
「敵陣の誰かを殺せ。出来れば敵の幹部が好ましいが、特に選り好みはしない」
「了解しました」
「以上だ。くれぐれも戦死などしないように」
「ちょっと待ってください。俺達はいったいどうすれば……」
 赤木大尉は桜木に、追って指示するとだけ告げていた。釈然としないまま、桜木はこの戦場へとつれてこられたのだった。
 敵は俺達の目の前を悠々と闊歩していた。俺達が手出し出来ないことを知っているのだ。ざっと数えただけでも、敵は百人を下らない。見えないところにはもっと控えているのだろう。やがて大砲が運びだされて、俺達の目を奪った。時間を刻む針の音が聞こえてきそうだ。その音は間違いなく、俺の命をも刻んでいる。
「何かでてきた……」
 まるで聞き覚えのないほど悲痛な声に振り返ると、発したのは桜木少尉だった。この少尉には恐ろしかろう。実戦の経験もなく、おそらく死ぬことの意味さえ判ってはいないだろうから。
 桜木が見たものは、学校の朝礼台に似た少し高い台だった。俺達が予想したよりもずいぶんと近い位置にまで運び込んで、数人の兵士達はそそくさともとの位置にまで戻る。あの台の意味するものは判った。あの位置で宣戦布告しようというのだろう。威圧間を与えんとする敵の作戦は、それだけではなかなかのものだと言えただろう。
 時刻までほんの僅かのときだった。一人の敵国兵士が、もう一人の男を肩に担いできたのだ。担がれた男は手足をしばられていた。俺は目を見張った。担がれているのは、長身の日本人捕虜、三井寿に他ならなかったのだから。
 敵国人兵士は台の上に乗って、担いでいた男を隣に立たせた。月明かりに照らされて、寿の顔ははっきりと見えた。近くで溜息のようなものがもれる。
「仙道中尉、あれがゲイシャか……」
「ええ……」
「酷いことを……」
 寿の顔は無残にも腫れ上がっていた。もとの綺麗だった顔が判らなくなるほどに。俺は怒りを覚えた。それが相手の心理作戦だったのだとしても、怒りを押えることが出来なかった。
 やがて、敵国兵士の方が拡声器を手にして話し始めた。俺は寿から目を離すことが出来なかった。
『日本国国境警備隊の方々に申し上げる。貴国と我が国の折衝において、交渉が決裂せし事を報告する。我が国は西暦二千三百六十五年の貴国の国境侵入以来、約三十年に渡って国土返還を申し入れてきた。然し貴国は交渉に応じられず、冷戦状態が続いてきたのは周知の事実である。本年の国際会議においても貴国は要求を突っぱねられ、天皇の名において全面戦争の意志を表じられた。これを受けて我が国の国民感情は修復出来ぬほどに悪化し、我が国の最高会議において、全面戦争の決議を採択、よってミクロード=エドガン大統領の御名において、宣戦を布告するものである』
 俺は機械的に宣戦布告の条項を通訳しつづけた。内容に目新しいものはない。俺達が何の反応も示さない事を、敵国は英語を理解出来ないためだと思ったことだろう。そう思っていてくれるのならありがたい。一度言葉を区切った兵士は、再び拡声器に話し始めた。
『宣戦布告の時刻は本日午後六時。既に各国境において侵攻が開始されている。我々は無益な血を流すものではない。紳士的、かつ冷静に対応願いたい。この国境においては我々は万全の準備をしてある。失礼だが兵力においても桁違いだ。このまま貴殿等が降伏を表明せし時は命を助くることを約束する。速やかに降伏し、捕虜となられたい。繰り返す。降伏したものは命を助け、捕虜とする。これは大統領の名において確実である。この後日本語で同じ条項を繰り返すが、十分の時間を与える。それ迄に貴殿等の対応を決めていただきたい。お互いの利益になる道を選択してくれることを望む。以上!』
「捕虜になるのですか?」
 桜木少尉の言葉に、赤木大尉は少し渋い顔をした。そろそろ話すつもりだろう。あまり悠長なことをしていては、時間がなくなってしまう。
「桜木少尉、俺達の役目は何だ」
「はっ! 国境の警備であります」
「ならば警備せねばならん。桜木少尉、流川少尉、貴様等に命ずる!」
「は!」
「これより国境警備本部に赴き、事の次第を報告せよ。安西中佐殿に援軍を要請するのだ。大切な仕事だ。よいな」
 流川は知っていた。この命令がいつかは発せられることを。そして、援軍など来ようはずもないことを。赤木大尉が自分と桜木を助けるためだけに、本部へゆかせることを。そして、残った三人が生きていられようはずがないことも。
 桜木にだって判るはずだ。もしも援軍が来たところで、間にあうはずがないことくらいは。この命令が自分達を逃すためのものだということは。
「赤木大尉殿! 自分もここに残って共に戦います! 大尉殿達を見殺しには出来ません!」
「援軍をつれて来いと言ってるんだ。よしんば間にあわずとも、事の次第を報告しない訳にはいかんだろう。それに貴様、俺達が信用出来ないか。そう簡単に死ぬとでも思ってるのか」
 俺はその二人の争いを見てはいなかった。台の上の二人をずっと見つめていた。敵国兵士は自分の役目は終わったとばかりに寿の手の縄を解いて拡声器を手渡し、そそくさと台から降りてしまう。残ったのは寿一人だった。そして、一つ息をついたあと、話し始めたのだ。
「彰、お前にはこいつの言葉は理解できたよな」
 突然の呼び掛けに、桜木も赤木大尉もはっと振り返っていた。まさか敵国の捕虜が俺の名前を親しげに呼ぶとは思わなかっただろうから。俺はと言えば、久しぶりに聞く寿の声に、ほっと気が緩んでいた。
「仙道中尉……」
「黙れ」
 桜木を赤木大尉が叱責する。ほかの二人も驚いていたが、何も言わなかった。
「宣戦布告が出されたのは本当だ。だけど、捕虜にするってのは嘘っぱちだ。間違いなく全員殺される。こちらの人数は俺を除いて二百と六人、兵器は大砲と手留弾、手留弾は全員が一つずつ持ってるけど、威嚇用だから滅多には使わないはずだ。長銃と長剣は一人一つずつ。最初に大砲を打つはずだけど、まだ装填してないから、俺を殺した後は出来るだけすばやく多くの敵国人を銃で殺せ。大砲の照準は今彰達がひそんでいるあたりに合ってるから、すぐに移動した方がいい。大砲が発射されたあとは地の利を利用して相手を拡散して逃げろ。焦らずにやれば必ず逃げられる。……俺の情報はこれだけだ。俺がしゃべってるうちに作戦を立てろ」
 それから寿は意味のないことをしゃべり始めた。国境警備隊員全員が俺を見ているのが判る。説明を求める視線だが、説明している暇なんかなかった。
「聞いてのとおりです、大尉殿。ご命令を」
「あいつを殺すのか?」
「俺が殺します。それを合図に」
「判った。桜木、流川、さっさと報告に行け!」
 桜木が何か言いかけるのを、流川が制した。無言の流川の目になにを感じたのか、桜木もようやく決心したらしかった。
「ご命令に従います。必ず援軍を率いて戻って参ります。ですからそれ迄持ち堪えてください。仙道中尉殿」
「あ?」
「死なないでくださいよ」
「当たり前だ。誰にものを言ってる」
「また、籠球やりましょうね」
 ああ、もちろんだ。お前がどのくらい上手になったか、俺が確かめてやる。腕が落ちてたら承知しねえからな。
 力強くうなずいた俺の肩に、流川少尉が手をかけた。その瞳はほとんど怒りに涙ぐんでいた。
「生きて帰らなかったら承知しねえ。俺が殺してやるからな」
 矛盾するようなことを言って、流川は桜木を引っ張っていった。逃げる二人も命がけだ。砦の方がそう長く持つ訳はねえ。すぐに追っ手がかかるだろう。奴らが出来るだけ遠くへ逃げられるように、俺達も一瞬でも長く死守しなければならねえ。
「赤木大尉殿、俺が寿を撃ったら、すぐに反撃してください。無事を祈ります」
「ああ、貴様もな」
「二百人てことは、一人で七十人か。五十人までならなんとかなるんですけどね」
 宮城が冗談混じりに言う。俺も冗談で返した。
「それじゃ、あとの人数を大尉と折半して、八十人てとこですかね。しんどいですね」
「要は死なないことだ。いつも一対一で戦うことを心がけろ。宮城、右へ走れ」
「おお!」
 月明かりの中、二人の戦士はそれぞれに別れていった。身を隠したのを見届けると、俺は寿を見た。まるで月の女神のように、誰よりも月に近いところでたたずむ寿。そうやってお前は月に帰るんだな。昔話の、月の罪人のように。
 一人で行かせはしない。俺もすぐに追い着くさ。それに、寂しくないようにできるだけたくさんの奴らを道連れにしてやる。輝きながら昇るといい。たくさんの命がまるで螢の群れのようにつき従ってゆくから。
 俺は立ち上がってその姿を敵国人にさらした。そして、銃を構えて撃つ。よく狙ったから、きっと苦しまずに逝けたことだろう。倒れる寿を見もせずに、俺は一種無謀とも思える作戦で敵陣に突っ込んでいった。無謀なつもりはない。俺が狙っていたのは、右前方に見える森の中だったのだから。
 うまい具合に敵陣もなだれ込んできた。盲めっぽうに撃ったところで動く標的には当たらないと判ったのだろう。俺を援護するかのように、赤木大尉と宮城少尉が銃を撃つ。一団となってなだれ込む兵士達に、その弾はよく当たった。分散しろとの英語の命令が響く。それを待っていたかのように、赤木大尉と宮城少尉はばらばらな方向に走っていった。
 運が強ければ生き残れるだろう。ここにいる二百人の兵士達の運を合わせたより、俺一人の運の方が強ければ。だが、望むべくもない。そんな事はありえない。たとえ寿が味方してくれようと、俺の命運はここまでなのだ。だけど諦めはしない。背後に迫る追っ手を銃でかたづけながら、俺は森に仕掛けられた様々な罠の合間をすり抜けた。こんな罠で減る人数は僅かだが、それが貴重だ。最後の一人にやられるのはまっぴらごめんだ。
 走り回りながら、俺は次第に追いつめられていった。元々それほど大きな森じゃない。罠の数にも限界がある。周囲を包囲されてしまえば、奴等は隙間なく回りを囲んで攻め上がればいいのだ。俺は森を隠れ蓑に、中をさまよう兵士に一人ずつ致命傷を与えていった。そうしながらも俺は油断なく森を抜ける道を探した。下手に飛び出して待ち伏せがあってはまずい。ばらばらになっていた兵士を四十人も殺したころ、俺は森を抜けた。そこは、昨日まで俺達が笑い声を上げていた籠球場だった。
『バスケットゴール……』
 俺を追っていた兵士の一人が呆然とつぶやいた。間断なく俺はそいつを殺す。倒れた兵士は微笑みさえ浮かべていた。俺の中に感傷が芽生えかけて、それを俺は捩じ伏せた。バスケットボールに対する感情は、敵の兵士も俺も同じように持っている。戦争の敵でなく、バスケットボールの敵だったら、俺と奴とは勝敗が決したときも笑って握手していたことだろう。
 追い着いてくる兵士を、俺は殺しつづけていた。籠球場に対する暖かい感情に支配された一瞬を突いての、卑怯にも思える殺し方だったが、俺は構わなかった。それで十人殺した。俺の担当は、あと三十人。
 その時、俺の側面から、新たな一団が現われていた。一瞬の隙を突けるほど近くはない。今俺が構えているのは長剣だ。銃に持ち替えるのにも二秒はかかる。一瞬の判断で、俺は森に入った。そして、中に迫っていた一人を殺し、森を伝って奴等の側まで迫ろうと駆けた。その時、兵士の一人が言ったのだ。
『仲間は死んだ。貴様も抵抗せずに出てくるんだな』
 俺はどきりとして足を止めた。本当は止めるべきじゃなかった。俺を捕らえるための嘘ならば奴は仲間を捕らえたと言っただろう。死んだという言葉には真実みがあった。こうして奴は一つのことを確認したのだ。俺が、英語を理解できるということを。
『日本人の将校、俺は貴様に聞きたい。どうして同じ日本人を殺した』
 寿を殺したのは寿との約束だったからだ。だが、それを奴に告げて、寿の軍人としての誇りを穢す気にはならなかった。寿が敵国人と密通していたなどと思われたくなかった。
『奴が日本人だからだ』
 回りにいた兵士がざわめく。どこの国でも敵国後は禁忌とされている。日本人が英語をしゃべるとは思わなかったのだろう。
『彼が敵国の手先に成り果てていたからだというのか』
『違う。あいつ自身がそれを望んだからだ。日本人は敵国の捕虜になることを死に値するほどの屈辱だと感じる。その誇りがあるならば奴は殺されることを望んだだろう。もしも誇りがないのならば俺は奴を日本人とは認めん。日本人でないのならば敵国人だ。殺されても文句は言わん』
『不思議だな。貴様の国にはまだ神風が生きているのか。強引な男よ。ここにいる六十人を一人で殺してみるか』
 六十人か。赤木大尉殿、折半した分は倒してくれねえと困るぜ。こっちがしんどくなっちまった。あの世で恨みごとを言わせてもらうぜ。
 森を駆け回ることはもう無意味だ。それほどの体力は残っちゃいなかったし、二人がいない以上、相手は俺一人だけを追えばいいんだ。この人数に狭い森を追い掛け回されて無事でいられる訳がねえ。と、俺は不意に寿の言葉を思い出していた。一人一つずつ、敵が持っているはずのもの。
 月明かりがあるとは言え、敵に森の中にひそむ俺の姿は見えないだろう。そう信じて、俺は森を移動した。さっき倒した兵士の懐を探る。銃撃が始まったのとほぼ同時だった。
 俺は身体中に痛みを感じてのけぞった。だが、手に入れたものを離しはしなかった。そして、痛みをこらえながらもよたよたと歩く。奴等が一斉射撃をしていたのは俺がさっきまでいた場所だけだった。移動したことで、俺は新たな弾丸を受けずに済んだ。まさか奴等も俺が動けるとは思っていなかったのだろう。
 気配を消す必要もなかった。俺は激痛を伴う身体を引きずって、やや離れた位置から森の外に出る。そして、奴等が驚いてこちらに注意を向けかけたとき、手にしたものを放ったのだ。
 寿、お前の忠告が役に立ったぜ。
 手留弾が爆発する瞬間、俺は新たな銃弾を身体に受けていた。爆風と共に、俺は後方へ吹っ飛ぶ。そのまま俺は立ち上がることが出来なかった。どこをどう撃たれたのか、何発くらい入ったのか、俺には判らなかった。また、知る必要もないことだった。
 身体中が痛くて、熱かった。喉の奥から熱いものが込み上げてきて、俺の喉を鳴らしながら溢れ出ていった。おかげで息が吸えねえ。むりやり吸おうとすると、ゴボゴボ言って余計に苦しくなる。俺にとどめをさそうって奴は一人もいなかった。本当は俺はとどめをさす必要のない、無残な屍になっているのかも知れない。
 寝転んだ俺には、月が見えた。月の手前には籠球の得点籠。そうか。あれは桜木が作ったまっさらな籠球の球だ。今にも籠に入りそうな球。寿のシュートだ。まっさらな球で寿が放った、俺が見たたった一度のシュートの瞬間。
「また、籠球やりましょうね」
 桜木の言葉が甦る。ああ、そうだな。また籠球をやろう。今度は寿も一緒だ。遠い未来か遠い過去か、もう一度出会ったらまた俺達はきっと籠球に魅せられる。今度は戦争の敵同士じゃなくて、籠球の……バスケットボールの敵同士だ。みんなうまくなる。そしてやがて、頂点を目指して競い合うようになる。
 月はやがて、完全にゴールに重なっていた。場内の歓声を耳にしたような気がして、俺は目を細めた。細めたが、閉じはしなかった。寿のシュートを目に焼き付けたまま ――

 そして俺は、長い夢を見た。




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