天才に捧げる応援歌



「じゃあな、花道」
「ちゃんとまっすぐ帰れよ」
「ああ……」
 中学最後の日、花道は五十回目の失恋をした。
 後姿の花道は首が肩にめりこんじまうほど落ち込んでる。やっぱ、ショックだろうな。卒業式の失恋てのは。
「しばらくは立ち直れねえな、あいつ」
と、高宮。
「それにしても三年間で五十人てのはすげえよ。告白した女の名前全部言えねえぜ、あいつ」
と、大楠。
「花道はいねえけど何とかなるだろ。行こうぜ、みんな」
野間が言って、二人は「おう!」と気合いを入れた。何でこいつら気合い入れてんだ? 乗り遅れたオレは三人に白い目を浴びせられた。
「花道は覚えちゃいねえとは思ったけどな。まさか洋平まで忘れてるとはな」
「果たし状が来てただろ? ほれ、卒業式恒例の」
 ……思い出した。卒業式恒例の送別会だ。別名『お礼参り』ってやつ。
「どこだ?」
「西中の尾崎と東中の神田。まあこのくれえなら花道なしでもどうにかなるだろ。昼飯前に西中の方はかたづけるぞ」
 果たし状出してくる奴だけじゃねえ。お礼参りなら突発で襲ってくる奴らだっているじゃねえか。そんな奴らに今の花道が引っかかっちまったら、目も当てられねえ。
「そいつらなら三人でも何とかなるな。悪いけどオレ、用事思い出した」
「洋平、そりゃねえぜ。敵前逃亡するなよ」
「武士の情けだ、許せ」
「糞大馬鹿野郎! 戻ってこい!」
 生きてたら何かおごってやるよ。それより、忘れてたオレもうかつだったが、花道が心配だ。あいつのことだ。いざとなれば負けることはねえだろうが、人数囲まれたらきつい。最近じゃ汚ねえ事する中坊も多いからな。まして、あいつは強え。一気に名を上げようって連中がいねえともかぎらねえ。
 高宮たちが見えなくなって、オレは駈足から速足くらいにペースを落とした。しばらく歩いてから普通の速さになり、やがてのんびりってくらいまで速度が落ちる。その間にオレは自分が冷静になってきたのが判った。自分が頭に血を上らせていたことも。冷静に考えれば、花道が中学レベルの不良なんかにどうこうされることある訳がねえんだ。あいつは神様みてえに強え。オレ達桜木軍団が束になったってかなわねえほど。
 けんかをやる花道は、いつも何かに飢えた獣みてえだ。あいつの中には何か訳の判らねえ情熱みてえなものがある。あいつの情熱は、けんかだけでは物足りない。高校行ってよっぽど強い奴にでも巡り会わねえ事には、欲求不満に陥っちまうほどだ。チャンスがあるんだったら、あいつはいくらでもけんかした方がいい。喩えそれで負けるようなことになってもな。
 果たしてオレは、誰にも会うこともなく、花道の家までたどりついていた。ほとんど用事と言えるようなものはなくなっちまったが、せっかくここまで来たんだ。せめて家にいるかどうかくらい確認しといた方がいいな。ひとりごちて、玄関のドアをノックした。しつこくノックを繰り返すと、やっと花道は顔を出した。
「……洋平」
「よう!」
 さて、来たはいいけど、話がある訳じゃねえ。だからって、ここで引き下がるのもしつこくノックした手前できるわきゃねえな。挨拶したままオレがなにも言えないでいると、花道の方からあっさりと解決してくれた。
「入れよ。何もねえけど」
 そのままオレを招き入れてくれる。見回してみると、部屋は暗かった。ぶあついカーテンが全部引いてあるんだ。お前、昼間っからなにやってんだよ。根が暗いにもほどがあるぞ。
「カーテン開けるぞ」
「いいんだ、洋平。そのままにしといてくれ。今のオレの心はこの部屋と同じでまっ暗なんだ」
「女にふられたくらいで何言ってやがんだ。いつものことだろ。開けるぞ」
 オレがカーテンを明けようとする手を、花道は馬鹿力でもって制した。そして、驚くオレに涙目で首を振る。こりゃ重傷だ。オレは溜息を一つついてカーテンから手を離した。
「判ったよ。チャ―でも飲むか?」
 花道がうなずくのを確認して、オレは台所へ行った。鍋でお湯を沸かしながら、朝食のときのままになっている食器を洗い始める。そうしているうちにお湯が沸いて、勝手知ったる何とやらでオレは湯飲みにお茶を注いだ。まっ暗な部屋の中央のちゃぶ台でがっくりと肩を落とす花道の前に置いて、反対側に腰を降ろすと、花道は言った。
「チュウ達は」
「西中の何とかと出入りに行った。ほら、恒例の」
「ああ」
 そう言ったっきりまた黙る。ほとんど耳に入ってねえな、この様子じゃ。そんなにショックかね、ほんの十日前に惚れた女にふられたのが。
 だって計算してみろよ。三年で五十人なら、一年で十七人。二十日にいっぺんはふられてた計算だぜ。こいつの三年間は、ほとんど全部女にふられることで終始しちまった。その中には年上も年下もいたけど、クラスの半分には告白してたもんな。そんなお手軽な恋愛、誰が本気にするかよ。
 まあ、判るけどな。お前がその中の一つでも軽く考えてなかったってのは。
 お前はいつも本気だった。そのコのこと精一杯見つめて、誰も気付かなかったいいところに気付いて好きになって……
 誰に判らなくても、オレは良く判ってるよ。散々ちゃかしもしたけどな。
「洋平……」
「ん?」
「オレ、さ。男としての魅力、ねえか?」
 落差の激しい奴。躁状態のときは過剰なほどの自信家だってのに。
「花道は魅力的な男だよ。自分でもそう思うだろ?」
「だけどオレの事、誰もそう思ってくれねえ。普通は五十人にふられたりしねえよな」
 普通の男はまず五十人も告白しねえだろうからな。お前みてえな男は稀だよ。
「相手が悪かったのさ。たまたまお前の魅力が判る女じゃなかったんだよ。ほら、お前ってさ、魅力がありすぎて普通の女じゃ一人で支えきれねえんだよ」
「……」
「そのうち現われるって。お前の魅力がちゃんと判って、お前のこと全部支えられるような女がさ。焦るなよ。お前にピッタリの女、ぜってえこの世にいるからよ」
「……」
「オレら、ちゃんと判ってっから。ずっと側にいてやっから」
 花道が何を思ってるのか、オレには判らなかった。オレの慰めがちゃんと奴の耳に届いてるのかも。やっぱ、新しい女見つけるまではダメかもな。オレが諦めかけたとき、奴が何やらぼそっと言った。
「……して来てくれたんだ」
「へ?」
「……洋平、お前、オレのこと好きか?」
 なーに餓鬼みてえなこと言ってんだか。
「たりめーだろ? 何年つきあってると思ってんだ」
 その時、今までうつむいたままだった花道が、すっと立ち上がった。まっ暗な部屋の中で、見下ろす花道の顔はよく見えねえ。ただ、目だけが異様に光ってる。こんな花道は初めてだ。もともとただ立ってるだけで威圧感のある奴だが、そんなんとも微妙に違う。あっけに取られてオレがなにも言えないでいると、花道がどうにも形容しがたい声で言ったんだ。
「……それじゃ、いいよな」
「何が」
「お前のこと抱いて、いいか……?」
 ぶっ飛んだねオレは。十中八九冗談だろ? オレは笑い飛ばしてやろうと口にゆがんだ笑みを浮かべた。
「ばかかお前。とうとう切れたか?」
 はっはっはっと笑おうとしたけど、オレの笑みはそこで凍りついちまった。威圧感がオレの身体を全部凍らせた。花道、笑えよ。冗談だって笑えよ。
 引きつった笑いを浮かべるオレに、花道は近づいてきて、オレの身体に触れようと手を伸ばしてきた。当然オレはあとずさる。奇妙なおっかけっこをしながら、オレは花道に訴えつづけていた。
「ちょっと待てよ。お前いったいどうしちまったんだよ。ふられすぎてどっかネジ抜けちまったんじゃねえのか? 正気んなれよ。何が嬉しくて男抱かにゃならねえんだよ。待てったら!」
 花道はとうとうオレを捕まえて、のしかかってこようとする。
「花道待て! オレに説明しろ。ちゃんと判るように言ってみろ。理由も判らねえのに抱かれてなんかやらねえぞ」
 オレの言葉の何が花道を動かしたのか、奴はオレを押えるのをやめた。オレは花道の目を見つめたまま、奴の言葉を待っていた。こういうシチュエーションは初めてで(あたり前だ)オレもどうしていいのか判らねえ。奴もオレを見つめて、やがて言った。
「洋平、オレ、いろんな女好きになった。みんなかわいくて、モロ女の子って感じで、フワフワして、触ったら壊れちまいそうだった」
「ああ、そうだな」
「だけど、どのコよりもオレ、洋平の方が好きだ」
 それは違うぞお前。オレ達はダチだ。ダチと女と比べられるもんじゃねえだろ。
「それで?」
「どのコもオレのことふった。ふったって事は好きじゃなかったんだ。だから、オレのこと一番好きなのも洋平だ」
 そうかも知れねえけど、お前の理論に欠如してるものがあるだろ。オレは男なんだぜ。何だって女の子と比べられなきゃなんねえんだよ。
「だから?」
「だからオレ、洋平のこと抱きてえ」
 こいつと話してるとこっちのほうがおかしくなってくるぜ。オレはいまいちホモの心境ってのは判らねえが、ふられつづけると男に走りたくなるもんなのかね。……花道がホモんなっちまったら、どうすりゃいいんだ。
「オレは男だぞ、花道。判ってるのか?」
「知ってる。オレほどじゃねえが立派なのがついてた」
「男を抱くってのは、ホモのすることだぞ」
「オレが抱きてえのは洋平だけだ。男が好きなんじゃなくて、洋平が好きなんだ」
 ……つまり、どういう事だ? ほかの男ならごめんだが、オレならいいって事か?
 何だかよく判らねえ。ひょっとして、オレは男っぽくねえって言いてえのかな。
「花道、オレ、男らしくねえか?」
「そんなことねえだろ?」
「ちゃんと判ってるのか。……でもよう、初めての奴が男で、お前後悔しねえか?」
「洋平なら、しねえ」
 花道は真剣にオレを見つめていた。結局、その目にほだされちまったのかも知れねえ。こんなにはっきり後悔しねえって言える奴。そうだな。お前が後悔しねえんなら、お前に預けてもいいよ。何か、道はずれちまってるけど。
「じゃ、ためしてみようぜ。花道、オレにキスしてみろ」
 花道の目の色が変わった。生唾を飲みこむ音が聞こえる。
「いいのか?」
かすれた声に答える代わりに、オレは目を閉じた。
 たどたどしくオレに触れられた唇。本当に触れただけだ。この上なく花道らしくて、オレはおかしくなる。良く考えてみればオレだってファーストキスだ。唇が離れた瞬間、花道は大きく息をついた。
「息止めることねえぞ。口でできなきゃ鼻でしろよ」
「そうなのか? キスするとき息してていいのか?」
「そう改めて聞かれるとオレにも判らねえよ。でもたぶんいいと思うぜ」
「じゃ、もう一度だ」
 一度キスしたことで、何かがふっきれたんだろう。二度目のキスはもっと強引だった。唇を微妙に動かして、いっぱしのキスになってる。オレも誘うように動かしながら、ちょっと舌を触れてやった。一瞬びくっとして震えたが、触発されたように奴も舌を伸ばしてくる。舌の先を触れ合うだけの濃厚とは程遠いキスだったけど、花道は少し興奮して吐息を漏らした。二度目のキスはけっこう長かった。やっと気が済んだのか、花道は再びオレから離れていた。
「何かすげえ。胃袋がかあっとしてきちまった」
「ああ、そうだな」
「いいもんだな、キスって」
「良かったな」
 キスだけでこれだけ興奮できるんだから、お手軽な奴だよお前は。まあ、この分ならなんとかなるだろ。二人とも初心者で、男同士だけど。
「洋平、本当にいいのか?」
「めちゃくちゃやらなきゃな」
「お前、男だから痛えよな」
「それを言うなら女だって痛えだろ。痛えときゃ痛えって言うよ」
「やさしくやるから」
「ああ、そうしてくれ」
 花道は立ち上がって、キョロキョロと回りを見出した。オレも立ち上がる。こうして立ち上がると、花道は本当にでかい。さまよっていた視線がオレの上に来たとき、花道は言った。
「やっぱ、布団は敷くよな」
「そうだな」
「掛布団はいらねえか?」
「いらねえだろ」
「枕は?」
 そういろんな事聞かれたって判るかよ。オレだって初心者だ。
「使うかもしれねえから出しとくか。邪魔ならどかしゃいい」
「おう!」
 さっきまで首がめりこむくらい落ち込んでたってのに、このはしゃぎようはなんなんだ。嬉しいのか、お前。オレとできるって事が。
 嬉々として布団を敷く花道を見ながら、オレは頭を抱えるしかなかった。何だか判んねえよ、お前がどういう気持ちでいるのかも、オレがお前のことどう思ってるのかも。
「敷けたぞ。何か足りねえもんねえか?」
「普通にやるんなら何もいらねえだろ」
(お前がSMやりてえとか言ってもオレはぜってーつきあわねえぞ)
「それじゃ、これからどうするんだ?」
「……服脱いでから考えようぜ」
 卒業式がえりのオレは、ごくまともな制服を脱ぎ始めた。花道の方はTシャツだから早い。さっさと脱ぎ終わってオレが着替えるのを見てやがる。そんな爛々と目を輝かせてられたら脱ぎにくいじゃねえか。下着を脱ぐときには後を向いちまった。振り返ると、花道は何だかぼうっとしてオレの身体を見つめていた。
「何だよ」
「お前、いい身体してんだな。今まで気付かなかった」
 そんなこと言われたって、なんて答えていいのか判らねえよ。オレがそっぽを向くと、花道は近づいてきて、オレに触れようとして手を止めた。
「洋平、触ってもいいか?」
 花道の身体。でかくて、がっしりしてて、スポーツなんかやった覚えもねえのにけんかで鍛えられちまった身体。お前の方がよっぽどいい身体してるぜ。返事をする代わりに、オレは花道の身体に触れた。


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