真夏のメリーゴーランド
「おう、洋平。今日は花道ひやかしに行かねえのか?」
「わりい、オレバイト」
高校入学から三ヶ月。オレ達はそれなりに慣れ始めていた。高校生活にも、花道のいない放課後にも。
「最近働きすぎじゃねえの、洋平は」
「過労死すんなよ」
言いたいこと言いやがって。週四日くれえのバイトで過労死するかよ。こいつらもここんとこヨソ他校の奴らとやりあったって話も聞かねえから、ストレスたまってんのかな。花道がいなくちゃ、桜木軍団もかたなしってとこか。
軽く手を振って、オレは歩きだした。確かにオレのバイトが増えてるのは奴らの言う通りだよな。最近オレ、イライラしてる。バイトでもしてねえ事には持て余しちまうほど。
原因だって判ってる。花道がバスケに夢中になっちまったからだ。それはそれで喜ぶべきことだとは思ってる。だけど
『洋平、オレ、洋平のこと抱きてえ』
花道がそう言ったのは中学の卒業式のときだっけ。何だかずいぶん昔のことのような気がするぜ。二人とも初心者で、ぎこちない仕草で抱き合った。あとで思い出せば笑い話にしかならねえようなSEXだけど、あんとき完全にオレ達は一つだった。今のお前はもうあんな科白は言わねえだろうな。晴子ちゃんはいいコだ。一時の気の迷いみてえなオレとのことなんかさっさと忘れちまった方がいいに決まってる。
判っちゃいるんだけどな、オレも。
花道がしてるみてえに、何事もなかったふりして大楠達とばかやってりゃそのうちほんとに忘れられるだろうに。
花道の方は、ほんとに忘れちまったんだからよ。
「オレもクラブ活動でもすっかな」
そろそろオレ達もなにか見つけてもいい頃だ。いつまでも餓鬼でいられる訳じゃねえ。
校門を出て、駅へ向かういつもの道を歩いていると、ちょっと様子のおかしい人だかりに出会った。不安そうな顔をしてひそひそ話してる。中の一人はクラスメイトだ。なにげに近づいて、オレは声をかけた。
「よう、何かあったん?」
「水戸君……」
気は弱いけど律儀な男だって印象がある。奴はオレに近づいてきて、訴えかけるように言った。
「この先に他校生らしい不良がいるんだ。誰か待ち伏せしてるみたいで、通るの恐くて」
「女の子には別の道を通るように言ってるんだけど、オレ達もいつまでもいる訳にいかないから、今相談してたところなんだ。せめて誰のこと待ってるのかだけでも判れば」
大の男が五人も雁首並べてその程度のこと聞けねえのか。ったく情けねえ。
「人数は? どこのガッコだ?」
「十人くらいいるかな。どこの学校かはよく判らない」
「ふうん。……そんじゃ、聞いてみるか」
「そうしてくれる? 助かるよ。水戸君がいてくれて」
十人もいればびびるのも判るか。でもそれにしても、うちみてえな平和な学校で待ち伏せなんていう派手なことする奴がいるとは思わなかったぜ。
五人の気弱な少年達に(全員オレより背がでかいんだぜ)軽く手を振って、オレは角を曲がった。そこには八人の迫力ある男達。オレを見つけると、にやっと笑いながら近づいてきた。
「水戸洋平だな」
誰だ? 知らねえぞこんな奴ら。
「何だよてめえら」
「後輩がよ、ガクチュウのときずいぶん世話んなったらしいじゃねえか」
おいおい、卒業してそろそろ四ヶ月にもなろうってのに、いまさら中坊の頃の恨みもねえだろ。
「もっと判るように言ってくんねえ?」
「きさまが卒業参りすっぽかしたりしなきゃ、わざわざ高校調べてまでお礼参りになんか来るか。仁義外しやがって。決まりがつかねえんだよ」
う……確かに。
卒業式の日ってのは、このあたりじゃお礼参りの日に決まってる。まあ、恨みをコーコーまで引きずらねえでいきましょうっていう平和的な(?)決まりだ。恨みを買ってる奴はその日は一日出歩いて姿を見せとかなきゃ逃げたと思われる。オレは花道慰めるんで隠れてたようなもんだからな。これは奴らの言うことの方が正しい。
「わあったよ。で、どこへ行きゃいいんだ?」
「ついて来な」
参ったな。どうせ半分はザコだろうが、ここまで人数に開きがあるとちときついぞ。
来た道を戻りながら、さっきの五人の目の前を通った。オレはちょっと安心させるように笑って言った。
「もう大丈夫だ。帰れるぜ」
「水戸君……」
「心配すんな」
奴ら、心配そうにオレを見てる。だけど、今までみたいなイメージではもうオレを見られねえんだろうな。こいつらも不良だが、オレだって不良には違いない。一般ピープルの奴らから見れば、オレが待ち伏せされて迷惑かけたって事だ。信用回復には果てしなく時間がかかるだろう。
八人の不良にまわりを囲まれながら、オレは近くの空き地へと連れてこられた。分譲住宅建設予定地立入禁止の看板。ここがオレの墓場かよ。
「水戸、なにか言い残すことは」
「八対一かよ。卑怯もんだなおめえら」
「相手がきさまだからな。お礼参りでタイマン挑んで返り討ちじゃ締まんねえだろ」
「確かに」
「早いとこ気い失いな。救急車くれえ呼んでやるよ」
「ご親切に」
やりたかねえが仕方ねえな。オレは目の前の奴を睨みながら、体勢を変えた。
「ザコはどいてな」
まず一発。目の前のでかいのに食らわすと、奴は後にふっ飛んだ。ほかの奴らは一気に緊張感をたぎらせて、オレに襲いかかる。それを上手に避けながら、腰の入ったのを一発おみまいしてやった。倒れたのは二人。ピンピンしてるのがあと六人。
「つええ……」
たりめーだ。オレは桜木軍団の筆頭だぞ。
「びびんじゃねえ。いくぞ」
奴らの一人が言ったその時
今まで目の前でオレに殴りかかろうとしてた奴が、ふいに後方に吹っ飛んだ。オレ、なにもしてねえぞ。驚いてオレが見ると、目の前に妙にでかい奴が……
「流川……」
「何だてめえ! 邪魔すんじゃねえ」
流川は今叫んだ奴を片手で殴り倒して、隣の奴を睨みつけた。花道と同じくらいのがたいと妙に迫力ある目付き。睨まれた奴は完全にびびっちまった。残った四人と倒れて呻いてるやつに見守られながら、流川はぼそっと言った。
「水戸、バイトは何時からだ?」
何だ? 流川お前、ぜんぜん緊張してねえだろ。
「あんま時間ねえかも」
「あと四人をオレときさまとで折半して二人ずつか。たいして時間くわねえな。まだやるか」
最後の一言は、目の前の奴に向かって言った言葉だ。完全に腰抜かしてやがる。何か気の毒になっちまうほど。
「お、お、お、覚えてろよ!」
名乗りもしねえ奴らのこといちいち覚えてられっかよ。倒れた四人を引っ張って、奴らはいとも簡単に引き上げちまった。あんだけよわっちければオレ一人でも何とかなったかもな。だけど、流川が助けてくれたのは事実だ。オレは振り返って、流川に笑いかけた。
「悪かったな。助かったぜ」
「ああ」
それにしてもお前、何だってこんな所にタイミングよく現われやがったんだ? バスケ部は今日も練習あんだろ?
「どうしてオレのこと助けてくれたんだ?」
「お前が連れてかれるのが見えたから」
おや? こいつひょっとして照れてやがんのか? 目を伏せて横を向いちまった。それにお前、今の科白質問の答えになってねえぜ。
「おんなじガッコの奴が絡まれてんのが許せなかったのか?」
「いや」
「そんじゃ、オレが花道の友達だからか?」
「桜木は関係ねえ」
「んじゃ、何でだよ」
ふいに、流川はオレの目をじっと睨みつけた。オレはぎょっとして奴を見つめる。そのまま、流川はオレの肩に手をかけて、オレの身体を引き寄せた。何だよ。オレ、なんかわりいこと言ったか? 流川が怒るようなこと。
その時。
「ルカワ! てめえか洋平のことつれていきやがったのは!」
げっ! 花道!
オレが止めるまもなく、花道は流川に頭突きを食らわせていた。
「うっ……」
ただもんじゃない流川は倒れやしなかったが、こいつは効いたぞ。オレは二人の間に割って入って、花道を抑えつけた。
「花道誤解だ! 流川はオレを助けてくれたんだ。流川、大丈夫か」
「てめえ、よくもオレの洋平を」
「落ち着け! 流川はオレの命の恩人だ。オレがヨソの奴らにからまれてたの見兼ねて助けてくれたんだ。花道、流川は悪くねえんだ」
オレを押しのけようとする花道の力が弱くなる。ふう、判ってくれたか。お前を押さえるだけでオレは体力使い切っちまったぞ。
「何だって……?」
「だから、オレが訳のわからねえ不良八人にかこまれてたのを、流川が助けてくれたんだ。花道、流川に謝れよ。今のはお前がわりいぞ」
信じられないって感じで、花道は流川を見つめていた。流川もちょっと頭を押さえて、溜息混じりにぼそっと言う。
「単細胞どあほう」
「んだとこらァ!」
「花道」
何だってこう花道は血の気が多いんだよ。流川も流川だ。花道のこと判ってるくせに挑発することもねえだろうに。
オレが必死で花道を押さえていたら、やがて流川は背を向けて遠ざかっていった。花道の奴は逃げるなを連発してるが、そうしてくれた方がオレは助かる。奴の背中にオレは言った。
「悪かったな、流川。貸しだと思ってくれていいぜ」
そのまま流川は見えなくなった。花道もやっと諦めたのか、流川を目で追うのをやめて、オレに向き直った。
「花道、ありゃまずいぜ。誤解したのは仕方ねえけど、謝るくれえはしねえと。流川が怒ってあたりめえだ」
いつもの花道なら、オレがこう言えばけっこう素直になるもんだが、今日の花道は違った。オレの両肩を押さえつけて、オレを睨みつけたんだ。
「あいつ、洋平に触ってたじゃねえか。それだけで頭突きの一つや二つの価値はあんだろ。……ああ、また腹立ってきた。二三発ぶんなぐってやらなけりゃおさまんねえ」
「お前、なに怒ってんだよ」
そんなに流川が嫌いなのか? オレにほんのちょっと触ったからって、何でそんなに怒らなきゃなんねえんだよ。
「それより洋平、お前どうして一人でそんな奴らに絡まれたりしたんだ? もっと早くオレのこと呼んでくれりゃ良かっただろ」
そうだよ。どうしてお前がここにかけつけてくる破目になったんだ。
「お前に知らせるつもりはねえよ。お前、練習どうした」
「練習なんかより洋平の方が大事だろ。ほれ、クラスのひょろっとした奴が体育館に来て、お前が連れてかれたってチュウ達に話しててよ。ったく、間にあわねえかと思ったぜ」
なるほど。お節介っていうか律儀っていうか、あいつら花道のところまで行ったんか。出来れば花道は関わらしたくねえんだけどな。口止めしとくんだったぜ。
……ちょっと待てよ。それなら何だって流川が花道より先に来たんだ?
そういやあいつ、オレが連れてかれるの見かけたって言ったよな。どうして部活に直行する流川が、下校中に絡まれたオレのこと見かけるなんてできんだよ。部室の窓から見えるようなとこ通らなかったぜ。それに……さっきオレの肩に手をかけて、いったい何しようとしてたんだ?
部活に戻るっていう花道を見送りながら、オレは流川の行動の不思議を思い悩まずにはいられなかった。
そう言えばこんな事があった。
その日はオレ、体育館シューズを履いて中で練習を見てたんだ。二手に分かれて片方がパスを出し、出された方はそのままシュートするっていう単純なシュート練習だった。順繰りにペアがどんどん変わる。その時は、花道がパス係で流川がシュート係だった。
花道がパスを出した瞬間、オレはちょっとよそ見をしていた。
「あぶねえ!」
花道の声に振り返ると、ボールが目の前に迫ってる。よけてよけられるタイミングはとうに過ぎてた。なす術もなくオレが立ちつくしてたとき、ふいにオレの身体が横からの力で倒されたんだ。
何が起こったのか判らなかった。ただ、横倒しになったオレの目の前には流川の顔。流川の汗が目の前に飛び散る。いや、汗なんかより……
目の前の、大写しの流川の顔。細く切れ長の目に、バサバサのまつ毛。すうっと筋の通った鼻。僅かに開かれた唇。スポーツマンの汗臭さとたくましい腕とが一瞬のうちに感覚の中に飛び込んできて、オレの頭は空白になった。その一瞬がまるで永遠のように感じた。だけどそれも本当に僅かの間で、流川はすぐにオレの上から離れていった。
「ルカワ! 洋平に何しやがんだ!」
花道の言葉でようやく我に返った。見ると、花道はずんずん音を立てて迫ってくる。
「てめえが悪い。ノーコンの馬鹿力」
「てめえがちゃんと受け取らねえからだろうが。オレの絶妙なパスを」
「どこが絶妙だ。誰もいねえところに投げやがって」
あわやけんか寸前のところをゴリに一喝されて二人ともおとなしくなった。それが一ヶ月くらい前。
あんときは別にどうとも思わなかった。だけど確かに、流川はオレを庇ったんだ。花道のノーコンは周知の事実だし、バスケは危ないスポーツだってのもオレはよく知ってるから、あのときはオレがよそ見をしたのがすべて悪かったんだ。流川が庇わなかったとしても(あるいは庇えなくても)誰も流川を責めたりしなかっただろう。花道は別にして。
結論 流川は悪い奴じゃねえ。
花道は悪し様に言うが、オレはそうは思わねえよ。晴子ちゃんのことさえなかったら、あいつらもっと仲良くなれるはずだ。負けずぎらいで意地っぱりなところなんかよく似てるもんな。花道のそんなところがオレ、けっこう気に入ってる訳だし。
結局オレ、この時から流川のことがひっかかって離れなくなっちまったらしい。
だが、オレ自身はまだ、そのことに気付いてはいなかった。
扉へ 次へ