MY FRIEND
――――――― 五年間 ―――――――
水戸洋平が故郷に戻るのは久しぶりのことだった。
緩やかであるとはいえ、時間は確実に流れてゆく。故郷の風景は、洋平が旅立ったときとはずいぶん違っているように見えた。毎日ここで生活していた人々にはそれほど感じられないだろう変化が、時間旅行をしてきた洋平にはありありと感じられる。まるで他人の街のようだと洋平は思った。
五年前、自らが裏切った青春の街。この街に温かく迎えられているとは思わない。街だけではない。洋平が裏切ったのは、この街だけではない。その全てに暖かい歓迎の言葉をもらうつもりは、洋平にはなかった。
戻ってきたのは、夢を実現させるためだった。この街で失ったものを、再びこの街で取り戻すつもりだった。
いつも通った道。日が落ちで、バイトの帰りのくたくたの身体で、かつて親友だったあの男の夜間練習に付き合うために歩いた道。角を曲がると、グリーンのフェンスが見えてくる。彼も今ではこんな場所で練習することなどないのだろう。
花道は多くのゲームを勝利し続け、大学生で全日本のチームに入った。どんなに遠くにいても花道の消息は手に取るように判った。それが、花道が手に入れた大木なのだと思う。そして、洋平が手に入れなければならない大木は、別の場所にあった。
無意識にフェンスをくぐる。暗闇の中に響き渡る独特の音。先約の動きを目で追っていた洋平は次第に自らの足元を見失っていった。それはなんという偶然だっただろう。
(花道……!)
そこにいたのは、いつも洋平の手助けを必要としていた初心者ではない。洋平の目には完璧なほどの複雑なプレイをこなす全日本の登録選手。ダイナミックさの中に華麗さと繊細さを秘めた、孤独な挑戦者だった。妬ましいほどに光り輝く勝者だった。
花道は間違っていなかった。洋平は間違っていなかった。花道は洋平と競い合うだけの可能性と力を秘めていて、見事に花開いたのだから。
洋平に気付いてからも、花道はしばらく、プレイすることをやめなかった。今の自分を全て洋平に見てもらいたかった。やがて、ボールが動きを止めたとき、花道は洋平の前に立ち、あの頃と少しも変らない笑顔を見せた。
「おかえり、ようへい」
「ああ」
出会った頃から、花道は洋平を目標にしてきた。洋平に認めてもらうために強くなった。今の自分は少しだけ洋平に近づけたと思う。洋平の親友として恥ずかしくない男になれたと思っている。
洋平は認めた。花道が、誰にも頼らず誰の風下に立つこともなく、たった一人で今の自分を築き上げたことを。
今、やっと、親友になれた気がした。
「五年は長いよな」
「ああ」
洋平とほぼ同じ時期に湘北を去った流川は、今でもアメリカで自分を探している。短大を卒業した晴子は、同じ会社に勤める男性と婚約した。赤木と宮城は実業団で活躍している。軍団達三人も、それぞれの道を着実に踏み固めている。
「その……元気だったか?」
すっかり身長の伸びた洋平を振り仰ぐように言った花道に、洋平は苦笑した。
「ああ」
「てめえなあ。さっきから『ああ』しか言えねえのかよ」
愛しさにたまりかねた。突き上げる感情を抑えることもせず、洋平は花道を抱き寄せ、口付けた。どうしたら花道を手に入れることができるだろう。今でも、花道は、洋平の傍らにいることを望んでいるのだろうか。
いきなりの洋平の行為に戸惑い、花道は立ち尽くしていた。しかし身体は気持ちほど嘘が上手ではなかった。洋平を待って、時々ここに来ていたことを思い出した。傍らに洋平があることを大切に思っている。
人間はたぶん、寄り添わなくても生きていける。他人と関わらなくても生きることはできる。だけど、隣に誰かがいなければ、自分の身の丈を知ることはできない。他人という鏡に自分を映して、自分の高さを知る。
洋平にとっては花道が、花道にとっては、洋平が鏡。一緒にいた四年間も、離れていた五年間も、互いに互いを映して二人は高みを目指した。そしてこれから先、どちらかが成長を止めるまで、その関わりは続いてゆくのだと思う。そういう関係を親友と呼ぶのだと、花道は思った。
「そうだ。お前の部屋、もうないんだよな」
長い口付けのあと、花道が言った。洋平は離れず、花道の耳たぶに口付けた。
「オレも今は大学の寮だし。……どうする? 店でも入るか?」
旅の途中、いくつかの恋をした。それも花道に話せるだろう。あの夜ほどに相手を求めることはなかったと。
「オレの身体、覚えてるか?」
耳元で囁かれた言葉の甘さに、花道は身震いした。
「……ああ、覚えてる」
「今日は、逃げねえから ―― 」
再び、口付けを交わした。
恋かと聞かれれば、嘘だと思う。
恋かと聞かれれば、恋だと思う。
愛することが許すことならば、許しあう二人は愛し合う二人になる。
愛されることが信じることならば、信じあう二人は、愛されあう二人になる。
何もかも忘れずにいようと思う。花道を傷つけたことも、花道を裏切ったことも。
あの日、花道を抱きしめたことも。
了
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