フォックスアイ



 耳の鼓膜を破るような非常ベルが鳴り響いている。
 追う者にとっても追われる者にとっても、それはとてつもなく耳ざわりなBGMだった。時は真夜中。うっそうとした木々と高い塀に囲まれた豪勢なお屋敷に響き渡るそれは果てしなく近所迷惑で、周囲の住人のブーイングはもはや避けられないものとなるだろう。
 ここに、追われる者達がいる。彼らは屋敷の壁の死角にへばりついて、周囲の様子を注意深く窺っていた。
「だいたいてめーがスプリンクラーなんか作動させるからこういう事になるんだ」
 長身でやや長めの黒髪を重力に任せて放置したままの男が言った。声をひそめてなどいないにもかかわらず、その声は低くぶっきらぼうだ。
「んだとフォックス! てめえこそ逃げ道間違えやがって! オレのせいにすんじゃねえよ!」
 赤く染めた髪をリーゼントの形にセットした男が反論。フォックスと呼ばれた男と同じくらいのがたいを持つ二人目の男は、その腕に絵画を抱えていた。今は命の次に大切なはずのレンブラント。
「フォックス! レッド! 頼むから今はけんかなんか始めないでくれ。オレ達は今追いつめられてんだぜ」
 三人目の男は先のレッドやフォックスと比べるとかなり小さく見えた。だが、こちらが平均的な日本人の体格だ。髪はいつもの彼とは違いセットもせずに自然に下ろしている。そして、彼ら三人に共通することは、三人が三人ともマスカレードに使うような派手な仮面をつけているということだった。
 そのレッドという名にふさわしく赤い髪をした男はたしなめられて小さく三人目の男の名前を呟く。
「ラビット……だってフォックスの奴が……」
「けんかは後だろ。それよりこの事態をどうにかしねえと。……フォックス、サーチライト……」
 ラビットが言い終わらないうちに、フォックスは巨大なサーチライトをライフルで撃ち抜いていた。あたりはまっ暗になる。それを待っていたかのように、たくさんの追う者達は彼らのひそむ場所へと殺到し始めたのだ。
「怪盗レッドフォックス! きさまらは我々が完全に包囲した。両手を頭のうしろに組んで出てこい!」
 更に数個のライトに照らされる。たった一つのライトは囮で、実は彼らの居場所を知るための布石の一つにすぎなかったのだ。
「げっ! 居場所がバレちまった。絶体絶命!」
 多くの陵南署の警察官達は五十メートルほど先に迫っている。捕まるのも時間の問題だ。焦りまくるラビットに、妙に落ち着いた声でフォックスが言う。まるで今の危機さえ楽しんでいるかのように。
「ライトが五個。オレが三秒で撃ち抜く。そしたら三人で突っ込むぞ。……レッド。スモークエッグ」
「おう! わあってら!」
 目の前に迫る追っ手。フォックスはきっかり二秒半でライトを全て撃ち抜いていた。それを合図に三人ともまっ暗な中を全力疾走。警察官の間を走り抜けざま、レッドは卵型の何かを警官に向かって投げつけたのだ。
「ゲ……! ゴホゴホ……」
 さて、スモークエッグの効き目やいかに。目頭を押さえながら噎せ返る警官総勢二十人を尻目に、追われる者達三人は塀に向かって走り抜けていった。
 後は、ただ走るのみ。

 ところ変わってここはあるマンションの一室。三LDKといえば割に広めのマンションと言えるだろうか。真夜中をとうに過ぎた午前二時。部屋の住人がこの部屋に辿り着いたのは、まともな人間達がとっくに寝静まり、起きてる者と言えばしがない小説書きくらいのものという時刻だった。
「う……目が痛え。花道、何もあんな近くでエッグ使うことねえだろうが」
 三人が目をこすっているのは、けっして眠いためではない。自ら作り出したスモークエッグの効き目を我が身で味わったからに他ならなかった。
「シャワー先に使うぞ」
「ちょっと待て流川。いま着衣回収袋出すから、そいつに洋服放り込んでからにしてくれ。部屋が汚れる」
 いそいそと回収袋とやらを取り出しにかかった男は、この部屋の事実上のハウスキーパーの肩書も持つ水戸洋平、通称ラビットだ。今にもシャワー室に駆け込もうとしているのが腕利きスナイパーの流川楓、通称フォックス。そして、三人目のまっ赤な髪の男は肉体派の泥棒桜木花道、通称レッド。そう、彼らこそがさっきお屋敷を襲った謎の仮面の怪盗、レッドフォックスのメンバーなのだ。
 この街に根を張りレッドフォックスの名前で盗みを始めて数件、それらはことごとく成功を納めている。今やこの街で彼らの名前を知らないものはいない。まさに彼らは時代のヒーロー。犯罪史上に足跡を記し始めた新精鋭の怪盗団なのだ。
 流川は下着まで全部脱いだ情けない格好でバスルームに消える。他の二人も同様、すっぽんぽんで台所に立ち、代る代る痛む目を洗い始めた。
「なんてったっけこの絵。変な絵だけど高く売れるのか?」
 花道のなにげない一言に、ちょうど顔を洗っていた洋平は吹き出し、反動で息を吸い込んで水が鼻に入って激しく噎せ返った。
「あのな……レンブラントなら模写でもかなりの値段で取引される代物だぞ。ましてこれは本物だ。盗品でも数百万は下らねえって」
 具体的な金額を言われて、花道はにっこり笑った。彼には数百万の価値など判らなかったが、彼にとって問題は金額ではなく、タダ働きでないと判っただけでいいのだ。顔をタオルでふきながら、満面の笑顔で言った。
「そうか。カツ丼たらふく食えるか?」
「望むだけな」
「早く売れねえかな……ブローカーにつなぎつけてるんか?」
「まだだけど、これだけ派手に盗んだんだ。二三日中に向こうから接触して来るって。心配いらねえよ」
「分け前、流川より一円でも少なかったらダメだからな」
「判ってる。きっちり平等に分けてやる。もう前みてえな騒ぎはごめんだ」
 最初の盗みのときのことはまだ記憶に新しい。分け前の配分係もこの洋平だったが、働きの歩合と思って洋平は流川の分を少し多めに計算したのだ。それに花道が猛反発し、結局これからは歩合なしの平等ということで落ち着いたのだ。それ以来まいど花道は確認をとる。いいかげん疲れてもいた洋平はふうっと溜息をついて、裸のままソファに座りこんでいた。
「陵南小学校は……前々回使ったっけな。湘北中学校がまだか」
 独り言のように洋平が呟いた声に、ついでに髪まで洗って水をしたたらせている花道が反応した。
「何の話だ?」
「証拠隠滅の話。明日の夜あたり洋服とか仮面とか一式燃やしに行くんだよ。最近のマンションは焼却炉も満足にないからな。焼却炉使うからってまさか一般家庭に忍びこむ訳にいかねえし、学校くらいしかねえだろ。今回はお前もつきあえ」
 雑務にはとんとうとい花道である。もちろんそれは流川にも言えたことだったのだが。
「いいのか? この頭夜目でもけっこう目立つと思うぜ」
「目立ってもいいから少しは苦労を分かちあえ」
 泣きたくなるような忙しさだ、と、洋平は思う。一つの仕事が終わったからといって洋平に休む暇はなかった。洋平の仕事は本当に多岐に渡っており、作戦参謀から日々の家事買い物家計費のやりくりにいたるまで、いつの間にか他の二人のやりたがらない(本当のところできない)仕事を一手に引き受ける破目になったのだ。普段はそれでも愚痴をこぼすようなことはなかったが、今日のような日は仲間に八つ当りしてみたくもなる。なにしろいつものことではあるが、二人の勝手な行動とドジのために作戦をめちゃくちゃにされて余計に体力を消耗しなければならなかったのだから。
 今日の洋平は機嫌が悪そうだと花道が触らぬ神にたたりなしを実行しかけたとき、流川が水浸しの身体のままシャワー室からでてきて洋平の第二の八つ当りの対象になった。
「流川てめえ! 風呂に入る前にはバスタオル用意しろってあれほど言っただろうが! 濡れたとこきっちり拭いとけ!」
「……放っとけば乾く」
「そういう問題じゃねえ!」
 流川も洋平の不機嫌は手にとるように判ったので、部屋に戻って下着だけを身につけたあと、黙って床にへばり付いた。洋平もようやく気分を落ちつけるのに成功して、裸のままテーブルで泥棒記録を付け始めた。
 怪盗レッドフォックス。その泥棒さん達の事実上のリーダーは、レッドでもフォックスでもなく、どうやらこのラビットこと水戸洋平であるらしかった。

 さて、時と所を移してここは陵南署のレッドフォックス対策本部。早朝七時に眠い目をこすりながら出勤したおまわりさんたちは、さわやかな朝にもかかわらずひどく意気消沈していた。
 それというのも昨日の失態である。あそこまで怪盗レッドフォックスを追いつめておきながらむざむざと逃げられてしまったからには、彼らの機嫌のいいはずがなかった。
 陵南署の捜査課長は魚住純。二メートルを超す大男の彼は、レッドフォックス対策本部長よりも本署の四課あたりで暴力団対策をしている方が似合いかも知れない迫力の男だった。
 その魚住はいまはこれ以上にできないというほど身体を縮めている。心のなかでは呪文のように小さくなあれ、小さくなあれ、と繰り返していた。
「……という訳です、田岡署長」
 魚住の目の前には青筋を立て今にもちぎれんばかりのやや短めの緒の堪忍袋を持った男が座っていた。それでも自制しているのだろう。両手は机の下で拳の形のまま震えているが、発せられた言葉は非冷静的でも威圧的でもなかった。それがまたこの魚住には恐ろしいところでもあるが。
「なるほど。……まあ、過ぎたことをとやかく言っても仕方がない。ただな、魚住よ。あまり失態ばかりを重ねれば次の人事異動を待たずに左遷、と言うこともありうることを忘れるなよ。……あまりこんな事ばかりを言いたくはないがな」
 陵南署の管轄でレッドフォックスにしてやられるのはこれが四度目である。いいかげん魚住も消化の悪い思いをしていた。
「とにかく署長、今回は今まで判らなかったレッドフォックスの人数やメンバー構成、それに仮面付きですが顔も多数のものが見ております。いまモンタージュを作成しておりますが、これでかなり周囲の聞き込みにも成果が現われるでしょうから、奴等を追いつめるのも時間の問題だと思われます。田岡署長、まだ負けた訳ではありません」
「逆転劇を期待しているよ。……心の底からな」
 魚住が出ていって、田岡はふうっと溜息をついた。魚住の首よりもまず彼の首の方が危ないな、と田岡は思う。署長に就任してからはや五年、そろそろ本署に戻りたい時分でもあるのだが、そう簡単には戻ることもできず、もしかしたら左遷というのも魚住だけではなく彼にも十分にありうることなのだ。
 それにしても魚住は、レッドフォックスに異常なまでの情熱を燃やしているようだ。その情熱はどうやら妄執に変わりつつある。それが恐ろしいと田岡は思った。その執念のあまりあらぬ失態を重ねることにならなければいいと。
 田岡はいま、就任六年目を無事に向かえられることだけを強く念じてやまなかった。

 と、前記のとおりレッドフォックスは主に陵南署の管轄を縄張りに活動していたが、その住まいは湘北署の管轄である。つまり、彼らが落とし物や大金を拾ったときは、いつもお世話になっている陵南署ではなく湘北署に届ける義務を負っている訳である。
 その湘北署から僅か五百メートルほどのところに、彼らレッドフォックスの面々の住むマンションはあった。五階建てのそのマンションはマンションという名にふさわしい程度のセキュリティーシステムを持ち、住人にはそれなりの安全を約束している。マンション内に泥棒が住んでいる、などという状況は抜きにしてのことである。もちろん怪盗レッドフォックスともあろうものが善良な市民のけちな財布などは盗みはしない。
 彼らの住む最上階の部屋は三LDKである。玄関から入ってすぐ両側に洋室が二室あり、左をラビットこと水戸洋平、右をフォックスこと流川楓が使っていた。そして流川の奥の和室にレッドこと桜木花道。洋平の部屋の隣から奥に行くにしたがって風呂、トイレ、台所となり、その奥の突き当たりがリビングルームになる。つまりこの家は真ん中の通路から全ての場所に移動可能であり、そのためかなりの精度でプライバシーが保たれているのだ。
 一番プライバシー保護を主張したのは流川だった。そして一番その主張がなかったのは花道だった。洋平が共用部分を掃除するときなど、自分の部屋のついでに花道の部屋も掃除機をかけたりするのだが、うっかり流川の部屋に入ろうものなら大変である。やれぬいぐるみがなくなっただの弾薬が一ダースたりないだのさんざん悪態ついた上、自分を棚にあげて洋平を泥棒扱いしたりする。
 この間も洋平はそれでとんでもない思いをしていた。流川は名前がフォックスなせいかそれとも逆の理由か判らないが、キツネのぬいぐるみ集めを趣味にしているのだ。その数は大小合わせて百は下らないと思われる。たまたま洋平が流川の部屋に入った日、流川が一番大切にしている巨大なキツネの目に傷がついていたという事件が起こったのだ。もちろん洋平は身に覚えのないことであったが、そのあと流川はさんざん洋平をののしり、海よりも深く落ち込んで、あわや怪盗レッドフォックス解散の危機にまでさらされたのだ。
 その後流川は突然に立ち直ったが、その時洋平は二度と流川の部屋には入るまいと固く心に決めたのだ。キツネの目にしたところでどうせ流川自身が自分で気づかないうちにライフルの角ででも傷つけたか、ねずみにでもかじられたに決まっている。まったくはた迷惑な話である。
 その流川は、今夜は一人で留守番をしていた。とはいってもこの家に共用の電話がある訳ではなし、呼び鈴がなったところで宅配便の配達がある訳でもないので、一般的な留守番になるかどうかは怪しいものなのだが。
 流川は一人で部屋にいて、愛用のライフルを入念に整備することに全精力を費やしていた。
 やがて、レッドフォックスの残りのメンバーたちが帰ってきた。まず最初に洋平が、そして花道が玄関をくぐる。
「ただいま」
「あー、あっちい。洋平先に風呂使うぞ」
「おお」
 流川がめったにお帰りなどという言葉を使わないことは二人ともとっくに判っていたから、その言葉を待つようなあさはかなことはしない。季節はそろそろ冬に近いのに二人が汗をかいて埃まみれになっていたのは、いまさっきまで二人が焼却炉の無断借用を敢行していたからである。花道にこの重労働を手伝わせたことで、洋平の機嫌もどうやら回復していた。二人が帰ってきたことに気づいた流川が部屋から出てきたのに笑顔で答える。
「流川、変わったことは?」
「なにも」
 流川のいらえは簡単だった。いつものことであるので洋平も気にもとめない。
「こっちは大変さ。帰りに中坊にガンつけられて花道の奴があわや乱闘ってとこで。ったく花道の血の気の多さっていったら……」
 洋平が途中で言葉を切ったのは、流川が黒いファイルをテーブルに投げ出したからだった。洋平が不審に思って見上げると、流川が僅かな仕草で読むようにと促す。いぶかしみながらも洋平はそのファイルを開いてみた。
 最初のページには新聞の切り抜きが入っていた。五センチ角くらいの小さな記事で、詳しく読んでみると高頭力という資産家が外国のオークションでフォックスアイとかいう宝石を数百万(正確な金額は公開されていないらしい)で落札したという内容だった。次のページをめくると、その高頭の屋敷の周辺の地図が出ている。驚いたことにその地図には洋平たちのマンションも載っていた。縮尺を計算しても僅か三キロくらいしか離れていないようだ。
 更に隣のページはその屋敷の簡単な見取図。めくった次には建物の細かい見取図。その隣には建物の配線図。めくってセキュリティーシステムの構造図。隣に金庫の型と暗証番号。めくって金庫内の警備システムの構造の説明。隣に妙な形をした宝石の写真と説明。めくって高頭力の経歴と家族構成。隣に高頭力のここ一週間のスケジュール……
「……何だよこれ」
 ちょうどその時花道が風呂から上がってきて洋平のこの科白を聞いた。
「どうしたんだ?」
 その花道の言葉は流川によって無視される。
「次の仕事、これにしたい」
「お前……いったいどういうことだよ。この変な骨董品みたいなのが欲しいって事か?」
「フォックスアイだ」
 洋平はもう一度さっきの写真のところを広げてみた。かなりコピーでつぶれていて、たぶん小さかったものを拡大したのだろう、ぼやけていて全体の形くらいしか判らない。外側はハトの羽のような輪郭で、その左右の羽の中央に二つ、おそらくルビーだろう、丸い宝石がはまっていた。装飾自体がそれほど凝ったものとは思われなかったし、説明を見ると歴史的価値があるものでもなく、ルビー自体もなかに少量の銀が含まれていて猫かキツネの瞳の光彩のように見え珍しいものではあるけれど、不純物がある分それ自体は同じ大きさのルビーと比べると価値は十分の一にもならない。金銭目的の盗みをする泥棒には一生縁のないものだといえるだろう。そして、洋平たちは金銭目的の泥棒なのだ。
「こんなのどうやったって売れねえぞ。いくらオークションで数百万の値がついたっていったって、盗品なら買い叩かれて数十万だろうし、第一このルビーは不純物が一杯で宝石としての値打はゼロに等しいんだ。バラして盗品だって事が判らなくしても数万にもなりゃしねえ。完全な赤字だ」
「おい洋平、流川、オレも仲間に入れろよ。それ何だ? フォックスアイって……」
 赤い髪を拭き拭き、花道もそのファイルを覗き込む。洋平の視線に流川はむっつりと答えた。
「嫌ならオレ一人でやる」
「流川!」
 洋平は混乱していた。怪盗レッドフォックスを結成してそろそろ半年になるが、その間誰一人としてこんなわがままは言わなかったのだ。だからこそ仕事はうまくいったし、生活自体もうまくやってきた。ここで流川が一人遊びに走るのを許す訳にはいかない。仕事はレッドフォックスとしてやるべきだった。バラバラな行動に走ればレッドフォックスは崩壊するだろう。その存在意義すら失ってしまうことになる。
「流川、これをやるんだったら三人でやるべきだ。やらないんだったら三人ともやるべきじゃない。まず理由を聞かせろ。それから考えるから」
 どうやら単純な事態ではないらしい。花道にもそのことが判ったらしく、おとなしくなりゆきを見守る事にした。洋平は混乱した頭のまま流川の言葉を待つ。さほど待つこともなかった。寡黙な質の流川ではあったが、ここで二人をやる気にさせなければ彼の思惑が通らないと思えば自然に饒舌にもなるというものだった。
「これは五十年くらい前に偶然見つかったルビーなんだ。色はきれいだけど中に銀が含まれていたから買い手がつかなくて、掘り出した奴はそのまま持ってた。そしたら数年後、まったく同じ形のルビーが発見されたんだ。そいつはほとんど趣味でその二つをキツネの目になぞらえて仮面の形に加工した銀の中に納めた。それをフォックスアイという名前で売り出したんだ。
 まず、珍しい物好きの金持ちが買った。そいつの手から娘に渡り娘婿に、そしてその兄とか息子とかとにかくたらいまわしにされたあげくに修道院に納められた。その修道院で売りに出したものがオークションされて高頭の手に渡ったんだ。……オレは五年前フィンランドにいたときに知って、それからずっと欲しいと思ってたんだ。高頭だってそんなに長いあいだ持ってる訳がねえ。いまいただいとかねえと今度はどこに売り飛ばされるか判ったもんじゃねえんだ」
 その話を洋平の頭の中で整理するのに少し時間がかかった。
「……つまり、最初は誰でも欲しがるけどいずれ無用の長物だって事が判って手離す訳だな? ただ珍しいってだけでほんとに価値がない訳だ」
「フォックスアイはオレにとっては価値のある宝石だ。どこにも売り飛ばす気はねえ」
「……ただ欲しいだけかよ。そういうとこお前ほんとに職業泥棒に向いてねえな。商品に手を出さねえってのは泥棒の鉄則だぜ」
 洋平は頭を抱え込んで黙ってしまう。流川はそんな洋平を見て少し作戦を変えたようだった。
「桜木、お前はこの宝石はレッドフォックスにふさわしいとは思わねえか?」
 突然問われて花道は戸惑う。洋平の様子も気になってちらっと見たが、その流川の言葉に洋平は反応しなかった。
「フォックスアイなんだからふさわしいのはお前だけだろ?」
「でも、ルビーってのは赤いんだぜ。十分レッドにもふさわしいと思う。もしもこれを盗まないでいてみろ。レッドフォックスは自分の名前のついた宝石も盗めねえって悪評にさらされちまう。そういうの悔しくねえか」
「悔しい……ような気がしてきた」
 花道の様子に流川は元気付けられ、さらに続ける。
「新聞は書き立てるだろう。レッドフォックスはふぬけな泥棒だ。自分の名前のついた宝石一つも盗めねえでなにが怪盗レッドフォックスだ。こんな情けねえ泥棒怪盗の名で呼んでやるか。コソドロで十分だ。コソドロレッドフォックス」
 流川の言葉に花道は勢い込んで反論した。
「悔しい! そんなの許せるか! オレは大怪盗レッドフォックスのレッドだ! そんな事言われて黙ってられるか!」
「だったら賛成だな。一緒に盗むよな」
「おう! この桜木花道に任せておけ!」
 この単純な花道を操るのは赤子にハイハイを教えるよりも簡単なことらしい。成り行きを見つめていた洋平は溜息をついた。下手な茶番に嵌まった花道を憐れむかのように。
「いいのか、花道。タダ働きだぞ、お前の嫌いな」
 タダ働き。その最も嫌いとする言葉に、花道はびくんと反応した。
「そうなのか? 流川」
「盗んだものを売らないってことはそういうことだ。流川、人間は名誉だけじゃ動かせねえぞ」
 流川は諦めたように溜息をついた。やはり言葉だけでこの二人を、とくに洋平をまるめ込むことは流川には不可能らしかった。
「……判った。報酬を出す。一人五十万でどうだ」
 流川の提示した金額は気の乗らない仕事に対しては少ないと思われた。でも、流川の財政を知っている以上、仲間からそれほどしぼりとる訳にもいかないだろう。
「どうする花道。五十万だってよ」
「それでカツ丼食えるか?」
「三か月くらいは食えるんじゃねえ?」
「それならいいぞ。流川、オレはやる。五十万ちゃんと払えよ」
 花道がやると言っている以上、洋平が抜ける訳にはいかなかった。レッドフォックスは三位一体。喩えグループ名の中にラビットの名前がなくても、洋平は既にレッドフォックスの仲間なのだから。
「いつ払ってくれるんだ? 五十万円」
「成功報酬だ。間違いなく払うから信用してくれ」
「信用はしてるさ。……ま、オレも一枚噛むからにはできるかぎりのことはさせてもらう。今までの仕事と同じだと思ってくれていい」
「それじゃ、さっそくマーカー頼む。日付は二週間後くらいの大安選んでくれ」
 マーカーとはこの場合予告状のことである。予告状は通常二枚同じものを作って一枚は盗みに入る屋敷に、もう一枚は所轄の警察に送ることになっている。画用紙にマーカーペンで洋平自身が手書きするのでこういう言い方をすることになったのだが、大安に盗みを働くのは流川の趣味である。
「二週間だあ? お前どっかの同人サークルじゃねえんだからせめて一月に一度くらいのペースに落とさねえ? 身体もたねえよ」
「ダメだ。二週間」
 こうなると流川も頑固である。洋平は諦めて溜息をついた。
「花道、何かオレどっと疲れたわ。飯作る元気ねえからのり弁でもカツ丼でも好きなもの買って食ってくれ。風呂入ってくる」
 そう言って風呂に消えていく洋平を見送って、花道は流川を睨みつけた。
「流川、てめえのせいだからな。オレにはカツ丼、洋平にはのり弁買ってこいよ」
 こうして流川は、自分のわがままと二人の仲間のために夜中弁当屋に走るはめになるのである。


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