奪 取



「 ―― 判った。今昼休みだからそのまんまフケる。それよかさ、授業中ベル鳴らすのだきゃカンベンしてくんねえ? 一応まともにコーコーセーやってんだからさ。……切り替えとくの忘れたんだよ。朝ゴクドーで……ああ、判った。んじゃ、夜に」
 受話器を掛けると、ピーピーうるさい緑電話から吐き出されてくるのは、バイト先の十周年記念で大量にもらったテレカ。随時三枚はポケットに常備している。携帯は持っていなかった。そもそも教室には持ち込み禁止だ。
 昼間から呼び出されることが最近妙に増えた。世の中は不景気というが、リストラの煽りをうけて洋平のような片手業バイト学生までこの有様だ。教室には戻らず、速攻で昇降口と校門を駆け抜けて、人徳か親切で置いてくれる近所のコンビニの店長に軽くあいさつしたあと、愛車CBに跨った。
「ええっと、受取が緑町で、渡しが花園町か。……ついてきてくれよ」
 軽快なエンジン音で応える愛車のタンクをなでて、やや乱暴にクラッチをつなぐ。あと少しでウィリーになりそうな得意の滑り出し。飛ばしぎみにギアをチェンジして、スピードに乗ったまま走り馴れた裏道をスラローム、すり抜けていく。
 向かい風にGを感じて一体化する振動は、なにものにもかえがたい至福の瞬間になる。

 放課後からベルに振り回され県内を縦横無尽に走ったあとのアフターセブン、ようやく洋平はやかましい電子音から解放されて、一つのビルに辿り着いていた。地下の有料駐車場では洋平の白いメットは顔パスだから、暇そうなオヤジに投げキッスを贈って通過する。愛車CBを定位置に停め、エンジンを切る。と、昨日まで空いていたはずの場所に見慣れない七五〇を見つけた。
 黒のゼファー。この場所に停めてあるということは、持ち主は新顔のバイトである可能性が高い。
(けっこうハデにいじってんな。プレスの方かあ?)
 ゼファーにもかなり好奇心を掻き立てられたが、その乗り手の方には更に興味が湧いた。大股でエレベーターホールに辿り着き、ドアが開くのももどかしく滑り込む。表示が順に変わって、目指す階で軽い衝撃と小さな音とともに開いた二重扉をくぐってゆく。目の前のバイト先のドアを開けると、衝立の向こうの応接セット、飛び出しているもさもさ頭を見つけた。
「お、洋平。事故らなかったか?」
 声を掛けたのはこの事務所を一人で切り盛りする社長。気分を害するでもなく、洋平は切り返した。
「いつまでも一億年前のこと覚えてんなよ。はい伝票」
「ごくろうさん」
「最近多すぎだぜ。もっと近場のバイト増やせよ」
「近場じゃねえが増えたぞ。明日から長距離回ってもらうことにした」
 社長が親指向けた方に、もさもさ頭の男。唇にひっかける感じで煙草をくわえている。衝立を回って、覗き込んだと同時に相手の男も洋平を見た。
 見た瞬間、イメージが重なる。こいつが黒づくめゼファーのライダーだ。間違いない。
 しかしそれだけじゃなかった。
「洋平……か。確かそんな名前だったな、なんとか軍団とかいうお笑いグループの筆頭は」
 ゼファーの言葉に、ムッとした洋平はほんの少し眉を寄せた。
「……誰がお笑いだ」
「知り合いか?」
 知り合い……といえばそうなのだろう。そろそろ一月になる。湘北バスケ部に乱闘仕掛けた集団の頭は、確か鉄男とか言った。
「知り合いの知り合いの知り合い、くらいだな」
「友達の友達はみな友達。仲よくやってくれ。……そんじゃ、オレはこれからデスクワークがあるから。鉄男、明日の夕方が初仕事だ。忘れねえでくれよ」
「おう」
 社長はソファから腰を上げた鉄男、洋平の順で一回ずつ肩を叩くと、そのまま隣室の社長室に消えた。残された二人の間に一瞬の沈黙が流れる。洋平を見下ろした鉄男は、不意にその独特の薄情さでにやっと笑った。そのまま、意味ありげな仕種で、洋平の脇をすり抜けてエレベーターへと歩いていく。
 洋平の方も用は済んだ。そのつもりはまったくないのだが、まるで後ろから追い掛けるようにエレベーターに乗り込む。居心地悪い箱の中の時間をお互いに過ごして、地下の駐車場に辿り着いたときは洋平は真っ先に箱を飛び出してCBの傍らに立った。
 後ろから悠然と歩いてきた鉄男は、洋平のCBを見ると揶揄のこもった感嘆の声を上げた。
「ほう、スピード狂の改造だな」
「悪いんかよ」
「悪かねえさ。……もうちっといじりてえだろ」
「先立つものがいるんだよ」
「……いいマシンだ」
 ほめられれば悪い気はしない。お笑いと言われて多少むかついてはいたが、そんな洋平の機嫌も少しやわらいでいた。
 エンジンを始動、シートに足を掛けながら見ると、洋平が思ったとおりゼファーは鉄男のマシンだった。低音のエンジンを轟かせる。CBとの不協和音が心地よく響いて、心臓の鼓動を徐々に高めてゆく。その心地よさに唇をゆるませて、洋平はアクセルを握った。CBを反転させてそのまま闇の中へと滑り出してゆく。
(今日は牛丼の気分だな)
 国道の目当ての店を目指して進路変更しかけたとき、背後に爆音を聞いて反射的にミラーに目をやる。黒のゼファー。ノーヘルで間違えるわけがない。その一瞬の驚きがわずかな隙を生んだか、あっという間にゼファーは洋平のCBの脇をすり抜けていった。
 すり抜けざまの嘲笑を見た気がした。かっと血が熱くなる。
「ノヤロー! CBの加速をナメんなぁ!」
 空腹は一瞬にしてブッ飛んでいた。タイヤの溝を激しくアスファルトに噛ませ、低速回転でギリギリの加速。この時刻ならかなり緩和されている通勤ラッシュの四輪を上手に避けて抜いた。その途端、遠くの信号が赤に変わる。ついてない。
 右横にぴったり並んだゼファーは落ち着いた鼓動を響かせ、それがマシンの余裕を感じさせて洋平は更に機嫌が悪くなった。
「無茶させんな。つぶすぞ」
「さわんな」
 手を伸ばしてCBのシートを撫でている鉄男に、憮然として洋平は言った。もうすぐ信号が変わる。発進の加速ならCBがゼファーに負けるわけがない。
「ま、ついてこいや」
 シートに触れていた掌が、そのまま洋平の尻を撫でた。ぎょっとして背筋を緊張させたその瞬間、信号が変わってゼファーが走り去る。やられた。自分に対する後悔と鉄男への羞恥を含んだ腹立ちとが、洋平を更に熱り立たせていた。安定した加速から徐々にスピードを上げるゼファーに追いつき、抜きを仕掛けてゆく。
 簡単にはさせてもらえなかった。鉄男のテクはブロークンで進路の予想がつかない。洋平のCBに比べれば遥かに重い車体を身体の一部のように操る。再び信号に阻まれると、洋平はゼファーから少し離れた位置に並べてCBを停めた。その意味に、鉄男はニヤニヤ笑いを抑えられないようだった。
「国道左だ」
「……判った」
 腹が立つ。だが、一矢報いなければ終われない心境だった。走り始めで先行。国道に出るコーナーで多少引き離したと思った。しかし気がつくとすぐ後ろにいる。仕掛けるでもなくぴったりあとをつけてくるゼファーに苛立ちを覚え、しばらくの牽制のし合いに先に我慢の限界を越えたのは洋平だった。引き離しを掛けようとアクセルを握る。まるでそれを待ってたかのようだった。鉄男のゼファーはふいにミラーの盲点に消え、次の瞬間、CBはみたびゼファーに抜かれていた。
「にゃろう! ゆるさねえ!」
 CBはゼファーを追う。スピードとテクの、プライドを賭けた攻防。道はやがて海岸沿いの一本道に変わり、信号は消え風景は横長になる。二台のマシンの音と風の音だけが突き抜けていく。そのうち、ゼファーは徐々にスピードを落とし始めた。なかなか抜くことのできないCBもブレーキをかけないわけにはいかない。もう少しゼファーのスピードが落ちれば楽に抜けると思った。しかしその時、ゼファーが親切にも左ウインカーを出したのである。
 橋の手前、川沿いの未舗装道路だった。成り行きであとについていくと、ゼファーはそのまま土手を降り始めたのだ。
「てめえなあ! CBはオフロードじゃねえ!」
「いいからついてこい!」
 互いに互いの声は無論聞こえなかった。しかし、相手が何を言ったかくらいは想像がつく。ムッとしながらもしばらくあとについて走り続ける。と、洋平は遠くに、数台のバイク集団を見つけたのである。
「てめえ……嵌めやがったんか」
 族のたまり場に誘い込まれた。いまさら多少の修羅場で怖じ気づくようなことはないが、洋平はできれば族に関わりあいたくなどなかった。花道のこともある。それに、洋平はその手の集団と関わるのは中学で卒業したのだ。
 ほとんど歩く速度と変わらないまでにスピードを落とした鉄男が、洋平の脇に並ぶ。憎悪と侮蔑を含んだ目で睨み付ける洋平に言った。
「頭数足りねえんだ、つきあえよ」
「ふざけんな。オレは族なんかに関わってる暇はねえ」
「どうせ今夜限り消えてなくなるチームだ。最後の狂い咲きに花添えてやったってバチはあたらねえ。お笑い芸人」
「誰が……!」
「鉄男! 遅いからもうこねえかと思ったぜ」
 走り込んできた一人の男に鉄男が振り返ったから、洋平は文句を言うチャンスを逃していた。鉄男が地面に足をつけたので、洋平も止まる。族は全員合わせても十人はいなかった。鉄男の言うことが本当ならば、ずいぶんさびしい幕切れだ。
「ちょっとな。こいつと走ってたら遠回りになっちまった」
「誰だ?」
「友達だ。……なんてったっけ?」
「お前なあ。名前も判らねえ奴ダチ扱いすんなよ ―― 」
 その男が、チームの頭だった。
 洋平は頭に簡単に説明を受けた。もとは五十人からなるチームは、内部の分裂に収拾がつかなくなって解散を決めた。その最期の走りのために、ヘッドは警察に頭を下げて、今日の取締りをやめてもらったのだ。しかし仲間は警察を信用などしなかった。激減したメンバーのせめて数だけでも補うために、もともとチームのメンバーではなかった鉄男まで駆り出したという訳である。
「 ―― 貸しだからな」
「いいぜ」
 ニヒルな笑みで軽く鉄男は請け合う。
 成り行き上しぶしぶではあったが、洋平はその最期の祭に関わることになったのである。

 約一時間、走るだけだった。そのはずだった。
「やべえ、囲まれる! 全員散れ!」
 一台、また一台と、別口の二輪が併走を始める。四輪も現われる。国道の静けさはしだいに騒然と様子を変えていった。ヘッドの手信号を洋平は理解しなかった。しかし隣に鉄男がやってきて、仕種と口の動きで洋平に伝えた。
「ついてこい」
 のんびり走りを楽しむ場合ではないことは理解した。マシンの隙間に強引に道を作りながら進むゼファーのうしろ、転倒寸前のマシンを命がけで避けてすり抜ける。その間にも周囲を塞ぐ二輪の数はどんどん増えていった。絶妙なタイミングで転倒を促し、ゼファーは我が道を走り続けていく。
(あんま目立つなよ。的になるじゃんか)
「わざとやってやがんのか!」
 もちろん鉄男に届きはしない。しかし、ようやく先頭に躍り出た鉄男の横顔に笑みを見つけて、洋平は自分の考えが間違っていないことを知った。後ろを振り向く余裕は洋平にはなかった。だが仲間の復讐心に駆られた奴らの殆どが二人を追ってきていることが判る。鉄男は自ら囮を勝って出たのだ。洋平を巻き込んで。
(カンベンしてくれよ、このお祭り野郎)
 しかしこの状況で洋平が鉄男のうしろから離れる訳にはいかなかった。道を違えたら最後、背後に迫る二輪の半分は洋平を追ってくるだろう。
 追っ手との間にマシン二台分くらいの幅を引き離したところで、ゼファーは左に曲がる気配を見せた。洋平はその仕種に反応してあとを追う。一方通行出口からの逆走だ。これで二三台は巻くことができる。正規のルートで進入してきた一般の四輪にクラクションを鳴らされながら通り過ぎた。効果は絶大だが、無茶が過ぎる。スピード違反以外での違反キップなどカッコ悪過ぎで誰にも話せない。
 右折で横に並んで、CBはゼファーを追い越した。
 小回りの利く車体を駆って、洋平は馴れた裏道を抜けていく。この辺りは庭も同じだ。抜け道も道路の癖も知り尽くしている。追走してくるゼファーを置き去りにしても構わないと思った。しかし、鉄男のゼファーのエンジン音は、最後まで遠ざかることはなかった。
 族のド派手な集合管が遠く聞こえなくなっても、洋平はしばらくスピードを弛めなかった。しかしミラーに写る鉄男の止まれの合図に、ようやくブレーキを掛ける。オーバーヒート気味のエンジン音にも気づいた。開発途中の新興住宅街。プレハブの建つ空き地の隅の、積み重ねられた機材に腰掛けて、抑えきれない精神の高揚をもてあました。
「やるな」
 短い鉄男の言葉に、洋平は一矢くらいは鉄男に報いることができたのだと知った。そして不思議に、鉄男の腕を素直に認める気持ちにもなった。振り切るつもりで走ったのに、鉄男のゼファーはCBから片時も離れなかったのだ。
「あんたもな」
 ポケットの中、よれよれになった煙草を取り出して、不精髭に囲まれた唇にくわえる。差し出された箱の中から、洋平も取り出して火をつける。とんでもない出来事だったが気分は悪くない。鉄男は同じ匂いがする。マシンに魅せられマシンと一体化することのできる、洋平と同じ特別な魂を持っている。
 言葉がなくても通じる。こんな想いは初めてだった。
「じゃあな、洋平」
「ああ」
 よれよれの煙草を唇に貼り付けて、鉄男はゼファーに乗り込んだ。しんとした住宅街に、腹の底に響きまくるエンジン音を轟かせて走り去る。洋平も立ち上がりかけて気づいた。鉄男が最後に言った言葉に。
(ようやくオレの名前、思い出したらしいな)
 苦笑しながら洋平は、もう二度と鉄男が自分の名前を忘れることはないだろうと思った。


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