CAGE おまけ



 この一週間を、洋平は祈るような気持ちで過ごしていた。
 力は尽くしたのだと思う。だからこそ、洋平は祈らずにはいられなかった。五人の心血を注いだ努力が万が一にもふいにならないように。花道の精一杯の努力が、無駄にならないように。
 夏から本格的に始めた受験勉強は、花道と洋平との不思議に緊張した闘いの様相だった。ともすれば散漫になりがちな花道を集中させることに、洋平はこれまでの経験のすべてを活かさなければならなかった。どちらがより努力したのかは判らない。ただ、勉強というものにこれほど縁の薄い花道に勉強を教えるというのは、並の重労働ではありえなかった。
 校門が近づいて来る。この一週間、まるで眠ることのできなかった花道は、電車の中でもずっと寡黙だった。受験のとき自分が書いた答えはほとんど覚えてはいなかった。書き残してしまった空欄のイメージだけが、幾度も浮かんでは花道を真夜中突然叫ばせるのだ。
 盛り上げようとする仲間達のジョークも単発で終わる。校門の近くに来るころにはみんな諦めて黙り込んでいた。そんな中、花道がぴたっと、足を止めた。
「……花道?」
「……洋平、やっぱオレ、行けねえや」
 こうして何度花道は足を止めただろう。どうやらこれが最後の抵抗だった。説得の言葉は使い果たしている。おだても奮起も、言い尽くされて既に意味を失いかけていた。
「だめだよ、オレ。たぶん受かってねえ。おめーらだけで見てきてくれ」
 発表を見終わって戻って来る生徒や父兄と擦れ違っていた。中の一人が落ちたのか、黙り込んで下を向いているらしい学生のグループもいる。それは数分後の五人の姿なのかもしれない。そんな重苦しい空気は、自分には耐えられそうにはないと思った。
 洋平以外の三人は言葉を失っていた。代る代る花道をなだめてつれてきた。その間、洋平は背を向けて突き放す役割だった。その洋平が初めて、花道を振り返っていた。
 花道も気づいて顔を上げた。さっきまでは背中しか見せなかった洋平の初めての顔を見据える。怒ったような、あきれているような顔。その顔は今の花道にはひどく恐ろしかった。
「置いてくぞ。いいのか」
 そうしてくれた方がいいような気がする。いっそこのまま置いていってくれた方が。
「知らねえ」
 返事を待たずに洋平は背を向けて歩き始める。花道はその瞬間、寂しい思いにとらわれていた。いつも洋平は花道の味方だった。受験勉強中に花道が勉強を放り出そうとしたときも、洋平はいつも親身になって話を聞いてくれた。それが心の支えだった。こんな風に拒絶されたことはなかった。
「洋平!」
 置いていかれたくなんかない。知らず知らずのうちに甘えていた自分に気がついたから。
「なあ洋平、どうすりゃ動ける!」
「簡単だ。右足上げてみろ」
 そう話している間にも洋平はどんどん遠ざかる。右足が上がると嘘のように体が軽くなった。その足で追い掛けながら叫ぶ。
「くっそう! こうなったらヤケだ。矢でもてっぽでも持ってこいってんだ!」
「おお……花道がとうとう開き直った」
 ほかの三人も駆け出してゆく。そして五人が掲示板の前にたどり着くころには、人だかりはかなりまばらになっていた。
 五人はそれぞれに自分の番号を探し始めた。とはいっても、そもそも願書のときからつるんで出しにきていたので、五人の番号は連続していたのだが。
 最初に見つけたのは大楠だった。指を差しながら叫ぶ。
「あそこだ! ……みんなあったか?」
 次の瞬間、洋平は呆然と立ちつくしていた。洋平と忠の間の番号が抜けているという事実に。
「花道のが……ねえ……」
 忠も気づいていた。そして、忠の言葉に大楠も高宮も凍りつく。洋平がトップで三八三番、その次の三八四番が花道の筈だ。洋平は何度も見つめ直した。だけど、いくら見ても、花道の番号だけがなかった。
「オレ……落ちたのか……?」
 ぼそっと、花道が言う。そんなはずはない。何かの間違いなのだと洋平は信じたかった。あれほど勉強したのだ。花道が落ちているなど、あってはならないことだから。
「洋平、オレ、落ちたのか?」
 ありえない。そんなことはありえない。
「番号が飛んでるってことは、落ちたってことだよな。ほかの場所に紛れてあるなんてこと、ねえよな、やっぱ」
 ……他の場所?
 気づいて、洋平は駆け出していた。発表されている番号の、最後のボードに。
 桜木(三)花道(八)と、水戸(三)洋平(四)の番号。
 仲間達が追いついて来る。そのころには、洋平は薄笑いさえ浮かべていた。
「洋平……」
「言ったろ? お前の番号は縁起がいいって。それにお前の運のよさが加わりゃ百人力だ。見てみろよ」
 意味不明の笑いに首をかしげて、それぞれの想いで四人は掲示板を見る。そこには十個の番号が並んでいた。補欠入学者の欄には桜木花道と水戸洋平の番号が……
「これ……洋平!」
「どこに書いてあろうと合格は合格だ。やったな、花道」
「洋平、オレ……受かったんだ!」
 自然に涙がにじんできて風景を曇らせる。辛かった勉強の思い出が走馬灯のように花道と洋平の頭の中に浮かんでは消えた。涙をこらえようとかみしめた唇がゆがむ。その次の瞬間、うしろで起こったのはおちゃらけ三人の大爆笑。
「ハハハ……補欠入学だってよ、ホケツ!」
「やっぱお前他の奴らと違うよ天才!」
「最後の最後に笑かしてくれるぜ!」
 涙を吹き飛ばすように三人が笑う。感動の一シーンは一気に爆笑の渦に飲み込まれて見えなくなる。
「笑うなよ! ほかの奴らにオレがホケツだってバレんだろ!」
 その花道の声に回りの合格者達が振り返る。一瞬の間を置いて、今度は洋平も含めた四人がさらに盛大に笑い出した。
「笑うなって言ってんだろうが! 笑うんじゃねえよ!」
 笑い声が、すべてを吹き飛ばしていた。中学時代の、辛い思い出もすべて。

 春から、桜木軍団五人は、湘北高校の生徒になる。

おわり


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